林檎喫茶のお姫様
桜木 彩
序章 始まりの終わり
―――私にとっての【分岐点】は古寺の鳥居でした。
鈴の羽音に包まれた参道で、独りの少女と独りの男は出逢いました。
男は、鳥居のあちら側の賽銭箱の横に、膝を抱えて座っていました。
少女は、鳥居のこちら側から男の事をじっと観ていました。
しばらくの間そうしていたら、ぽつりぽつりと雨が降ってきました。
少女は、傘を持っていなかったのか、空を見上げています。
男は、古寺の屋根のおかげで濡れませんでしたが、雨音の騒音がうるさかったのか、視線を上げた時に少女の姿を見つけました。
「そんなところにいると、風邪をひいてしまうよ」
男が少女に声をかけると、少女はゆっくりと視線を男の方に戻しました。
「…私は、神様なんて信じない」
ふるふると、髪の毛を揺らして少女は答えた。
「だから、私は頼ったりなんてしない」
「…『灯台下暗し』という言葉がある。神様だって、足元を見ることなんてできないだろう?ましてや、自分の腹の中なんてわかりゃしないだろうな」
男は、ゆっくりと立ち上がり少女に背を向けながら障子を開けた。
「俺も、神様は信じてないよ」
「なら、どうして神様を頼るのですか?」
少女は、雨で重くなった髪の毛を、ほほに張り付けたまま首をかしげる。
「俺は、神様を頼っているから此処にいるんじゃないよ」
「…言っている意味が分かりません」
男は、少女の方に振り向き障子に寄り掛かる。
「“信用”と“利用”が違うことは判るかい?」
「…私の中の価値観で良いのなら」
まっすぐに男のことを見つめる少女に、男は少し目を見開いた後に腕を組んだ。
「驚いたなぁ。でも、それが分っているのなら十分だよ」
少女は男の発言に、しぼんだスカートの裾を握りしめた。
「俺は、神様を“信用”しているんじゃない。“利用”しているんだよ」
「政治家や王様でもないというのに、どうやって神様を“利用”するの?」
男は、視線を少女から障子の中へ移した。
「此処にいた神様だって、“信用”よりも“利用”されることの比率が多くなってしまったから、こんな風に忘れられてしまったんだよ」
少女は、視線を古寺全体に巡らせる。
「“利用”すらされなくなってしまった、可哀そうな神様。だから俺は“利用”する。まぁ、雨宿りに拝借するだけなんだけどね」
男は、ゆっくりと鳥居の方に歩きながら続けて言った。
「君も、神様を“利用”してみたら?」
少女と同じく、雨に打たれながら向かい合うように。
けれど、まるで鳥居の空間を透明の板が隔てているかのように、こちら側には入ってこなかった。
「ほら、おいで」
男は、少女にそっと手を差し伸べる。
少女は男の手に触れた。雨で濡れた、冷たい手だった。
―――嗚呼、私はもうきっと戻れないんだろうな…。
障子の中へと消えていく少女は、確かに数日前の私のはずなのに。
それなのに、私は鳥居をくぐることはありませんでした。
もっとこの古寺を観ていたかったけれど、景色は林檎の香りとともに暗転した。
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