第19話いざ、城下へ!

 コンコン、とノックする音がする。

 遠くでそれを聞きながら、俺は寝返りを打った。


 なんだよ、まだ大丈夫だろ?

 

 また、ノックの音が聞こえてくる。

 俺はとにかく眠たくって、布団の中で縮こまり、耳を塞いだ。


 「ううん、あと、あと10分……」


 「オスカーさん?」


 扉の向こうから、声がする。

 遮蔽物があるからか、少しくぐもって聞こえた。

 ええと、今の声は――。


 

 「エ、エルゼさん!?」


 ガバリ、と起き上がる。

 明るい。慌ててカーテンを開けると、太陽はとっくに登りきっていた。

 まずい、寝坊した。


 「オスカーさん?大丈夫ですか?」


 「は、はい!ちょっと寝坊して……!あ、エルゼさんちょっと待って――うわ!」 


 慌てた俺は、早着替えをしようとして、脱ぎかけたズボンに足を取られた上に、思いっきりズッコケてしまった。

 俺が上げた悲鳴に驚いたのか、エルゼさんが「どうしたのですか!?オスカーさん!」と扉を開けて入ってこようとしたが――。


 「待って!絶対開けないで!後生だから!」


 「え!?ど、どうして?」


 「ちょっとこけただけなんです!大丈夫だから、エルゼさんはそこにいて!」


 なぜなら、俺はズボン半脱ぎで、パンツ丸出しだったからだ。

 あんな美少女にこんな間抜けな姿見られたら、なんかもう、死んでも死にきれ――。


 ガチャリ。

 ガチャリ?


 「こけた?お怪我は?大丈夫で――え?」


 「あーー―!!閉めて、速く!出て行ってえええええ!!」


 俺の姿を見てしまったエルゼさんは、顔を真っ赤に染めて、「ご、ごめんなさい」と言いながら慌てて出て行った。

 じ、地獄絵図だ……。反対だったら天国なのに……。


 俺は穴があったら入りたい気持ちのまま、手早く着替えを済ませた。




 「あの、ごめんなさい。その――」


 真っ赤な顔を隠すように俯いて、エルゼさんが言う。

 対する俺は無の表情だ。

 

 「イインデス。早急二忘レテクダサイ」


 思わず早口になうえ、カタコトみたいになってしまった。

 彼女は「は、はい」と消え入るような声で言うと、「朝食にしましょうか」と俺を連れて食堂に向かう。


 今日の彼女は、軍服風の――いや実際に軍服なんだろうけど、多分特別製なため、「風」という感じになっている――服ではなく、冒険者の服でもない。ヨーロッパ圏の国の民族衣装のような服だ。

 襟の深いブラウスに、袖のない、深い緑のワンピース。腰のところは水色と白のチェックが入ったエプロンを着けている。昔に見た、スイスの山を舞台にしたアニメの登場人物が着ていたような服だ。

 おそらく、これがこの国の町娘の格好なんだろう。

 俺も、白いシャツ――もちろん、フリルは付いていない――にサスペンダー付きのひざ丈のズボンを着ている。


 何せ、俺は目立ったらいけない。だからいかにも貴族っていう服は着れない。なんせ、庶民街を歩き回る貴族なんていないらしいなら。


 だけど――。


 俺は、前を行くエルゼさんを見遣る。

 髪型もいつものポニーテールではなく、髪をおろし、かるく巻いてあるようだ。

 だからだろうか、いつもの凛とした雰囲気とは異なり、どこか優しい感じがする。

 可愛い。本当に可愛い。

 

 はっきり言うが、こんな女の子が街を歩いていたら間違いなく振り向いてしまう。

 これって逆に目立つんじゃ……?

 釈然としない気持ちのまま、俺は食堂の扉をくぐった。






 

 手早く食事を済ませ――俺の寝坊のせいで予定より2時間遅れてしまい、朝食なのか昼食なのか微妙になってしまった――、玄関に向かう。その道すがら、俺は気になっていること聞いた。

 

 「そういえば、エルゼさん。俺の持ち物って、今どこに?」


 「持ち物、ですか?」


 彼女は目をパチクリとさせる。


 「はい。俺、ここに来た時、元々持ってた鞄とかは失くしちゃったみたいなんですけど、ズボンのポケットに財布とかが入ってたんです。それってどこにありますか?」


 ああ、とエルゼさんは頷いた。


 「それでしたら、アンナがオスカーさんの服を洗濯したとき、取り出して保管してあります。持ってきましょうか?」


 その答えにホッとした。

 異世界とはいえ、いや異世界だからこそ、貴重品を失くしたら困る。

 なんせ、また取りに来られるかは分からないのだ。


 「はい、できれば」


 「分かりました。では、オスカーさんは玄関ホールで待っていてくださいますか?すぐに取ってきますので」


 「はい、ありがとうございます」

 

 そう言うと、エルゼさんは回れ右をして、来た道を戻り始めた。

 その姿を見送り、俺は玄関ホールへと足を進めた。



 

 

 煌びやかなシャンデリアが彩る、玄関ホール。

 見るたびに思うが、いったい何畳あるのだろう。俺の部屋よりも広い気がする。

 あちこちにある絵画や壺など、金額を知りたいような、恐ろしくて聞きたくないような代物も、ここが伝統のある貴族の家なのだと訴えてくる。

 俺がエルゼさんを待ってぼうっと突っ立っていると、背後から足音と「あ……」という呟きが聞こえてきた。

 振り向くと、フェリクスとゲオルクさんがいた。

 

 「よう。おはようフェリクス、ゲオルクさん」


 「……お、おはよう」


 「おはようございます。オスカー様」


 綺麗に一礼する従者を尻目に、フェリクスはぎこちなく返事をした。

 昨日結構泣いたからか、目が真っ赤に腫れている。

 ゲオルクさんを見ると、困ったように笑われた。

 うん、ここは触れないでおこう。俺だって昨日の醜態を掘り返されたら恥ずかしすぎるしな。

 俺は二人に近づいて話しかけた。

 

 「今からエルゼさんと城下町に行くんだよ。お前は?」


 「僕……?僕は、これから城に」


 「城?ああ、仕事なんだな」


 なるほど、きちんとした服装になっていると思った。

 だが、残念。

 せっかくだし、二人も一緒に行けたらと思ったんだが。


 「俺、今からエルゼさんに城下を案内してもらうんだよ。……そうだ、フェリクス?」



 「何?」


 ちょっとずつ何時もの調子を取り戻してきたのか、ぎこちなさが無くなってきている。


 「今日は庶民街に連れて行ってもらうんだけどさ、どっかオススメスポットある?」


 「オススメ?……僕の?」

 

 フェリクスが首を傾げる。


 「そりゃあ、お前に聞いてるんだし」


 「そう、だね。えっと……」


 顎に手を当てて考え込み始めた。

 こうして見ると、仕草とかがエルゼさんとよく似ている。さすが兄妹。

 俺が心の中で感心していると、ようやく思い当たったのか、フェリクスが顔を上げた。


 「……ブリューテ」


 「ブリュ?」


 「ブリューテ。お店の名前」


 店。へえ、いったい何の店なんだろう。


 「それって何の――」


 「お待たせしました、オスカーさん!」


 エルゼさんだ。

 俺の荷物が入ってるらしい小袋を持って、俺を待たせているのが気になったのか、小走りに近づいて来る。

 そして、フェリクスとゲオルクさんに気づくと、足を止めた。


 「お兄様……」


 「これはエルゼ様。おはようございます」


 ゲオルクさんがフェリクスの前に行き、エルゼさんに挨拶をする。

 うまい具合にエルゼさん側からフェリクスの顔が見えないように立っている。

 フェリクスも、慌てて顔を下に向けた。


 そうだよな。妹に泣き腫らした顔なんて見せたくないもんな。

 

 だが、逆に不信感を与えてしまったようだ。

 エルゼさんはムッとした顔で、フェリクスに近づこうとした。

 なので。


 「あっ、エルゼさん。ありがとうございます!さ、早く行きましょう!」


 「え、お、オスカーさん?」


 エルゼさんの手を引き、玄関扉へ向かう。

 彼女は驚いた様子で何かを言おうとしたが、俺の方が速かった。


 「じゃあなフェリクス、ゲオルクさん!行ってきまーす!」


 俺は勢いよく扉を開けると、エルゼさんと共に外ヘでた。















 バタン、と扉が閉まる。

 辺りは一気にシン、と静まり返った。


 フェリクスは目をぱちぱちさせ、はっと我に返ると、小さく手を振った。


 「い、いってらっしゃい……?」


 「言うのがちょっと遅かったですな。フェリクス様」

 

 












「オスカーさん、オスカーさん痛いです!」


 「え?あっごめんなさい!」


 屋敷を出た時の勢いそのままに、馬車へ向かう。

 その時にうっかり力を込め過ぎたのか、エルゼさんが痛みを訴えた。

 謝って手を離すと、彼女は「もう!」と袋を持ったまま手を擦ると、眉を顰めて少し怒ったように言った。


 「いったいどうしたんですか?オスカーさん!いきなり引っ張ったりして」


 「い、いやあ。俺の寝坊のせいで時間が押してるから、早く行かなきゃって思って」


 「……本当ですか?」


 エルゼさんがジト目で見てくる。

 本当はフェリクスから遠ざけるためだが、正直に言ったらまずいだろう。


 「ええ、本当です!さ、早く行きましょうよ。いやあ、楽しみだなあ城下町!」


 ちょっとわざとらしいかもしれないが、俺は必死に話を逸らした。

 エルゼさんは納得がいかない様子でプクッっと少し頬を膨らませて俺を見つめていたが、俺が口を割らないことに気づくと、「……貴方の荷物ですよ」と言って俺に袋を持たせ、諦めたように馬車に乗り込んだ。

 

 やれやれ、何とか誤魔化せたか?


 俺は若干安堵しながら、右手に受け取った袋を持って彼女に続いた。





 

 馬車の窓から外を覗く。


 整然と立ち並ぶ屋敷たち。いったい何坪あるのか、さっぱり分からないぐらいに広い。

 それぞれが趣向を凝らした代物らしく、門の向こうに見えるのは、美しくツタが生い茂った屋敷や、大輪の薔薇が咲き誇る庭園を持つ屋敷。あれなんか、庭の中央に俺には理解できない銅像が鎮座している。

 しばらく見ていたが、少し飽きてきた。

 もの珍しさはあるものの、リアリティが無いというか、何というか。


 どうも、綺麗すぎて落ち着かないのだ。

 前王城に行ったときは、使用人の姿が道にはあったのに、今は時間帯が違うためか、時折すれ違う馬車のほかは人っ子一人いないのだ。

 まるで誰もいないモデルハウスの街並みを移動しているようで、現実味がないように感じてしまう。

 そんな俺の気持ちを察したのか、それともただの偶然か、エルゼさんが話しかけてきた。


 「オスカーさん。いかがですか、この都は」


 「ここ?そうですね……。まだあまり出歩いてないけど、とっても綺麗だと思います」


 「ふふ、ありがとうございます。――じゃあ、オスカーさんの世界って、どんな所ですか?」


 「俺の世界?」


 「ええ。……さわりくらいはお聞きしましたが、どんなところだろうと思って」


 俺の世界。俺の故郷。

 膝に乗せた袋を握りしめる。

 

 「そうですね……。こんなに、綺麗な所じゃないですよ。もっとね、狭くて、騒音だってある」


 そう。こんなに綺麗な所じゃない。もっとゴミゴミしていて、無秩序にビルや家屋が立ち並ぶ所。

 空気だって、この世界の方が美味しい気がする。

 きっと、住み心地の良いところだろう。

 それでも。


 「でも、俺の一番大切な場所です」


 絶対に帰りたい。そう思う。


 「――そうですか」


 エルゼさんは、俺を見つめて微笑む。


 「じゃあ、オスカーさんが帰れるように、私も力の限り協力しますね」


 「――はい!」


 俺は、その笑顔に答えるように笑った。


 おっと。そういえば。

 俺は、エルゼさんから受け取った袋を開ける。

 中には、財布とスマートフォン、それからシルバーのネックレスが入っていた。

 

 「あれ?このネックレス……」


 「ああ、それはオスカーさんがしていたものですよ」


 馬車に揺られながら、彼女が言う。

 

 「着替えさせる時、首に絡まって苦しそうだったので外したそうです。とても綺麗ですね」


 「へえ、着替えさせる時……。着替え!?」


 思わず叫んでしまった。

 馬車というある程度密閉された空間で大声を出したからか、自分でも吃驚するくらいの音量になり、耳が痛い。

 真向いのエルゼさんも、耳を手で塞いでいるが、遅かったのだろう。あの顔は絶対に耳がキーンとなっている。


 「は、はい。着替えさせたんです。だってオスカーさん、凄く汗をかいていたんですもの。熱が出たのかと思えば、体は凍えるように冷たくて。医者にも診せましたが、こんな症状は初めてだと」


 「ええっ!そうだったんですか!?」


 知らなかった。

 俺の認識では、森でエルゼさんと出会って、屋敷に連れてこられる間、ただ普通に気絶していたものかと。


 「ちなみに――。誰が着替えさせてくれたんですか?」


 俺は最も聞きたいことを尋ねた。

 だって、全く筋トレもしてないし……。というか、この口ぶりだと汗も拭いてくれたのでは。

 ますます誰か気になってしまう。

 

 俺はエルゼさんが口を開くのを待つ。

 

 頼む、どうか執事さんであってくれ……!


 「ああ」と彼女が口を開きかける。


 頼む、メイドさんだったら恥ずかしすぎる!

 ああ、神様仏様なんか願いを叶えてくれる人!着替えさせたのが男でありますように!

 ……うーん。なんかそれも嫌だけと。


 エルゼさんの口から言葉が出てくるのを、俺は心の中で祈りながら待った。



 「アンナですよ?オスカーさんが寝込んでいる間、彼女が世話をしていたんです」


 あ、アンナさーん!

 俺は恥ずかしすぎて頭を抱えた。

 いや、医療行為みたいなもんだけどさ、恥ずかしいもんは恥ずかしいだろ!

 だって俺今まで彼女とかいなかったし!慣れてねーの!


 俺が頭を抱えて悶絶しているのを見て、エルゼさんが慌てて付け足した。


 「あ!でも下着は男の使用人が換えましたよ。アンナじゃなくて」


 「し、下着!?」


 そりゃそうだよな、汗だくだったんだもんな。

 逆に濡れてなきゃおかしい。

 でも――。


 「はあ、もうお嫁にいけない……」


 「お、オスカーさーん!」


 慌てるエルゼさんを尻目に、俺は撃沈した。










 「あ、そろそろ城門に着きますね」


 その後、エルゼさんに慰められながら馬車に揺られていると、窓の外の様子を確認したエルゼさんが声を上げる。

 それに釣られて見てみると、馬車の前方に大きな城壁が確認できた。

 

 「では、馬車を降りましょう。今日はあくまでも、"お忍び”ですから」


 そう言うと、彼女は御者に命じて道の隅に馬車を止めさせた。

 彼女が馬車を降りるのに続いて、俺も降りる。

 どうやら、馬車はここで俺たちを待っていてくれるようだ。


 「いってらっしゃいませ」と俺たちを見送る御者の姿を背にして、俺とエルゼさんは大通りを進んだ。

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