鞍家小典之奇妙奇天烈事件帖~ダイアローグ~

宮国 克行(みやくに かつゆき)

第1話 序章

「これは何だ……?」

 南町奉行所同心、鞍家新右衛門小典くらいえしんえもんしょうてんは思わず声を上げた。

「あっしも初めて見たときゃぁ。えらい驚いたんで」

 小典の半歩後ろに控えている、若い男が言った。

「卯之介は、今日の朝方見つけたのだったな?」

 小典がチラリと後ろを見て聞いた。若い男――卯之介は、小典が一番といっていいほど信頼している目明かし、つまりは岡っ引きだ。年齢は、小典とさほど変わらないが、六尺近くの長身でやや目つきが鋭い。ひと目で堅気ではないのだろうと想像させる面だが、普段は、その筋では有名な大工の棟梁代理を任せられているほど人望と技量があるみたいだ。

「へぇ。あっしの手下のひとりがたまたま、この近辺で、おなごと懇ろになっての帰り道、闇夜にぼうっと光るのがあるってんで、怪しんできてみたら、こいつがあったという次第で。そして朝一番にあっしの家へ報告に来たというわけでさぁ」

 小典は、「ふむ」と言ってまた再び目の前にある物体に目を注いだ。

 それは、物体というよりも風になびく暖簾のようである。色は南蛮渡来の朱色の硝子のようだ。そう。どこか透けているのである。それが、中空に風もないのにゆらゆらとたなびいている。高さは、ちょうど、小典や卯之介の身長よりもやや上、二人は軽くこの赤い暖簾のようなものを見上げる形となっている。

 小典は、それの横に行ったり、ぐるりと回って後ろから見たりした。色も形も変わらない。そっと手を出そうとした。

「おっと!旦那、それはやめておいたほうがいいですぜ」

「なぜだ?」

「なんとなく、嫌な感じがするんでさぁ」

 卯之介がそれから目を離さずいった。

「お主のカンか?」

 小典の問いかけに卯之介は「へぇ」とだけ答えた。小典は、卯之介の言に従うことにした。

 卯之介のカンには、これまで幾度となく助けられている。ある時、下手人を追って、夜の闇の中を移動しているとき、この道を行くのは危険と卯之介がいえば、大概その先に、待ち伏せが潜んでいたり、罠が仕掛けてあったりした。またある時は、二日後に西に行けば、大いに吉と卯之介が言えば、その後、大捕物に繋がる賊の手下を捕縛することに成功した。夜回りの祭、卯之介が指し示す方向へ行けば、ボヤが見つかり、通りすがりの商家に目をとめれば、賊に狙われているのがわかった。

 もちろん、百発百中とまではいかない。むしろ、当たらない、カン働きがおきない場合も多いが、それでも、小典は、卯之介の言に絶大な信を置いていた。卯之介も小典だけに感じたことを遠慮なく言った。

「さて、如何したものか……」

 小典は途方に暮れた。

「触ること、まかりならん。となればこのまま放っておくこと以外出来ぬが、野次馬や子どもらが誤って触ってしまうこともある。それに……」

 小典は、改めて周りを見渡してみた。

 この場所は、表通りからかなり奥まったところにある野っ原だが、近くに人出の多い神社仏閣があるため、誤って、迷い込んだりしないともかぎらない。それに、卯之介の手下が見つけたいきさつを聞けば、人がまったく通らないわけではないのだろう。小典は、この場所自体、逢瀬の場に使われていてもおかしくない、という印象を持った。そして、夜に人が集まる場所は、総じて、悪人も多く集まる。これは、小典の同心として勤めてきた経験からの考えだ。

「……得体のしれぬもの故、これを悪人どもが利用するとは考えがたいが、万が一、ということもある」

 小典は、卯之介を振り返った。

「卯之介、悪いが、ひとっ走り奉行所まで行って、桃鳥様を呼んできてくれ」

 卯之介は、頷くと軽やかに走り出した。


「小典。面白きものを見つけたようだね」

 黒葛太郎右衛門桃鳥くろつづらたろうえもんとうちょうは、ひらりと愛馬から降りると、併走してきた卯之介に手綱を渡した。

「桃鳥様。またお叱りを受けますぞ」

「何が?」

「とぼけても無駄です。今、わざと見せましたでしょう?」

 小典の指摘に、桃鳥は、わざとらしく考えるように小首をかしげた。ややあって、「ああ」と手を打った。

「これのこと?」

 桃鳥は、与力や同心が着る黒羽織の内側を小典に見せた。そこには、桃と極彩色の鳥が見事なまでの刺繍で縫い付けられていた。

「美しい」

 うっとりと桃鳥は言った。

「それはいつものことです。わたしが言っているのは着物の袷のことです」

 小典の指摘に、桃鳥は嬉しそうに満面の笑みを見せた。

「やっぱり気がついたんだね。さすが小典」

 桃鳥は、着物の袷も小典に見せた。そこには、多くの桃と極彩色の鳥たちが唐草模様の間を縫うように飛んでいた。

「どう?美しいでしょう?これは、呉服屋に特別に仕立てていただいたの」

 確かに一目で高級としれる刺繍と生地だ。色遣いも見事だ。

「確かに美しいとは思います、がそれをお勤めの際にご着用なさらぬほうがよろしいいかと思います」

「あら、どして?」

「またお奉行さまと髙気さまが頭を抱えます」

「公連さまや髙気殿は、素晴らしいお方だが、少々、頭が固くていけないね」

 桃鳥が不満げに呟いた。

 小典と桃鳥の上司である、南町奉行、重藤図書助公連しげふじずしょのすけきみつらは、御年五十。長らく京都町奉行として勤めてきたが、その手腕を時の幕閣たちに高く評価され、昨年から、南町奉行として赴任しているのである。髙気平兵衛景たかぎへいべえかげすみは、京都町奉行時代からの腹心の部下である。南町奉行としての赴任の条件として、髙気景澄を連れて行くことが条件のひとつであったと聞いている。

 桃鳥も、重藤公連の南町奉行赴任と共に与力として赴任してきた人物で、世襲制の多い与力には珍しい。当初は、新しいお奉行の与力たちへの監視役かと大いに警戒されもしたが、その名を聞いて皆、度肝を抜かれた。

 黒葛太郎右衛門桃鳥は、石高七千二百の大大身の旗本である。重藤公連は、七千五百の石高なので、家格としては、ほとんど同じである。しかも、黒葛家、重藤家ともに三河時代に家康公から請われて徳川家に仕えた元公家の家柄だ。奉行就任なら納得出来るが、黒葛桃鳥は、その部下の町方与力に新任である。不浄役人と忌避され、将軍はもちろん登城すら許されない下級役人の仕事である。しかも、同僚の与力たちは、ほとんどが石高二百数十石かそこらだ。

 新任の与力が元お公家さんの家柄で、しかも大身の旗本だとの噂話は、瞬く間に奉行所内に流布し、何かの間違いではないかと大騒ぎになった。だが、間違いではないことがわかると、今度は、お遊びのために来るのではとか、お公家さん上がりに務まるのかなどと邪推、揶揄する声も聞こえていた。しかし、いざ、重藤公連や桃鳥が赴任すると、様々なところが目に見えて好転し始めた。滞りがちであった訴訟は、驚くべき早さで解決し始め、凶賊、大泥棒が立て続けに引っ立てられた。もちろん喜ばしいことなのであるが、中には、その活躍ぶりを面白くない者達も存在はしている。お奉行である重藤よりも、新任与力である桃鳥が直にその悪意を受けるはめになるが、不思議と桃鳥はその悪意自体を楽しんでいる節がある。しかも、徐々にそういった連中をうまく丸め込むようになっていっていた。

「公連さまは、亡くなった親父どのと考えが似ておられる。もっと風流風雅をご理解なされるといいのだが」

 桃鳥は、最近も紅をつけて奉行所に現れて、お奉行から直に叱責を受けたばかりであった。

「お言葉ですが、桃鳥様。風流風雅も時と場所を選ばねば、ただの奢侈と思われてしまいます」

「小典。お主まで公連さまと同じことを言うのかい」

 桃鳥は、うんざりしたように言った。

 このどこか子どもじみた素直さが、この黒葛太郎右衛門桃鳥という人物を一層、魅力的に見せているのだろうと小典は思った。つまり憎めないのである。

 桃鳥が赴任してから、小典は、この不可思議な人物とともに行動することが多かった。とくに、請われてとかではなかったが、他の同僚が避けていたのもあったのだろう。いつの間にか、桃鳥の相手は、小典と決定しまった節がある。小典も嫌ではなかった。むしろ馬が合うといったほうがいいかもしれなかった。本来であるならば、口をきくことも憚られる身分差があるはずだが、桃鳥自身がそういった堅苦しいことを嫌った。今では、小典が窘めることもしばしばだ。

「風流風雅は、日常にこそもちうるべき実践的思想なのよ」

 落ち込んだと見せかけて、すぐに桃鳥は力強く言った。

「桃鳥様、世の中には侘び寂びという優れた考えもあります」

 小典の言葉に、桃鳥は冷たい視線を返した。

「ふん!侘び寂びなんていうのは、所詮、ご隠居たちの戯れ言に過ぎないわ!」

「と、桃鳥様!声が大きいですよ」

 小典は、慌てた。

 時の老中松平丹波守春達まつだいらたんばのかみはるたつは、茶の湯狂いと揶揄されるほどの人物で、部下や大名たちを呼んでは盛んに茶会を催している。そして茶の湯を積極的に催すことを奨励してもいた。茶の湯の中心的な思想である侘び寂びを批判することは、けっして禁止されていることではないが、奉行所の与力や同心があまり大声で言うべき内容ではない。

「あら?だってほんとうのことじゃない」

 動揺する小典を可笑しそうに眺めながら桃鳥はいった。

「ほんとうのことでも口に出すべきではないこともあります」

「ということは、小典も私と同じように思ってたんだね!さすが小典!気が合うわ」

「い、いや、そうでは……」

 二人のやり取りを中断させたのは、卯之介の「旦那」という呟きと奇妙な気配であった。





 

 






 

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