○ 桜葬
私が目を覚ましたのは、昨日よりも遅い時間で、時刻はとっくにお昼になっていました。
ふわあ、とあくびをひとつして、私は台所へと向かいました。
ちょうどお昼ご飯を作っていたらしい彼女が私に気付き、「あ、やっと起きた」と微笑みます。
「ちょっと待っててね、今、ご飯の用意するから」
ぱたぱたとスリッパの音を立てて、彼女は私のご飯を用意してくれました。
「はい。いっぱい食べてね」
私は『いただきます』と言うと、ご飯をゆっくりと食べ始めました。
そばではにこにこと笑いながら、彼女が私を見ています。
私はけっきょく、彼女が用意してくれたご飯を半分しか食べることができませんでした。
私が食べ終わったのを見て、彼女がそれを片付けます。
昨日よりも多く残してしまったからか、彼女が私を少し心配そうに見ましたが、私は『大丈夫』というように笑いかけました。
私は玄関から庭に出ました。
あまり広くない庭はきれいに手入れされていて、今は冬なので花は咲いていないけれど、春になるととても美しいのです。
その中に、冬に咲く花が咲いていました。
私はその花の名前を知りませんが、彼女がとても大事に育てていたことは、よく知っています。
私は彼女に申し訳ないな、と思いつつも、その花をひとつ千切って、玄関のドアの前へと置きました。
私は散歩に行くことにしました。
いつもより少しだけ遠くに、懐かしいあの場所へと向かいます。
大通りを一本離れると、静かな住宅街になっています。
その住宅街のはずれに、私の目的の場所がありました。
小さな公園です。子どもの数が減っているからか私以外に誰もいません。
忘れ物と思われる玩具のバケツとシャベルが、砂場の中で砂に埋もれています。
空がいつの間にか、オレンジ色に染まっていました。
どうやら、ここにくるまでに思ったよりも時間がたっていたみたいです。
私はゆっくりと、その公園の中を歩き回りました。
ここは幼い彼女と私とで、何度も遊んだことのある思い出の場所です。
ですから、遊具を見ているだけで、後から後から懐かしい記憶を思い出すのです。
例えば、あのブランコで遊ぶ彼女をそばで見ているのが大好きでした。
滑り台では、一緒に滑ったことだってあります。
ジャングルジムのてっぺんに登った彼女はとても誇らしげで、けれど私は、彼女が落ちやしないかと、気が気じゃありませんでした。
鉄棒では、彼女は得意気に前まわりや逆上がりや、その他にもいろいろな技を披露してくれました。そんな彼女の姿を、私はいつまでも見ていることができましたが、おかげで目が回ってしまったのも、良い思い出です。
ああそれから、公園の隅のあの木は、春になるとそれはそれは美しい桜の花を咲かせるのです。淡い色をした薄い花びらが幾重にも重なり合って、ぼんやりした青い空の色を霞ませるのです。
柔らかく彼女や私を撫でる風が花弁を舞いあげると、嬉々とした様子で彼女がそれに飛びかかります。私もそれに続きました。
私は彼女を真似ているつもりでしたが、彼女に言わせてみれば、彼女の方こそが私を真似ているらしいのです。
ゆっくり公園の隅に歩を進め、大きなその木を見上げました。
昔より小さく感じる木が、けれどとても大きく感じました。不思議です。でも、不思議ではありませんでした。
私も彼女も子どもではありません。それはこの木にも言えることで、樹齢をいくつも重ねた木が、私より大きく見えることは当然でありましょう。
ひとりそう納得した私は、おもむろに桜の木の下に丸くなりました。
吹き抜ける風は冬のそれなのに、私には暖かく思えました。
まるで、記憶の中の幼い私たちを包む、春のように。
酷い眠気が襲ってきて、私は欠伸をひとつ、漏らしました。
ああ、眠い。眠くて、もうどうしようもない。
遠くの方から私を呼ぶ彼女の声が聞こえてきます。
果たしてそれは記憶の彼女でしょうか、幻や夢なのでしょうか。はたまた現実のものなのか。
確かめたい気持ちより、瞼が重力に従う方が先でした。
意識が霞んでいく感覚。
眠りに入る数瞬前の、夢と現が混じりあった束の間の時間。
ふいに、毎日のように寝る前、彼女が私に囁く言葉を思い出しました。
ああ、うっかりしていました。眠る前には、あの言葉を言わなければ。
私は彼女の顔を思い浮かべます。
『にゃーぉ』
もう、意識を保っていられません。
完全に眠りに入ってしまう、その刹那……
「おやすみなさい」
彼女の声が、聞こえた、気がしました。
ふわり、動かせなくなった身体が抱き上げられて──
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