○ windmill

 さあぁぁ……と音を立てて葉がさざめく。

 吹き込んできた風が柔らかくカーテンを膨らませた。

 長い黒髪が風になびく。

 涼し気な空気の流れに本のページがめくれ、紙が宙を舞った。



 寝転んでいた床から起き上がり、壁際まで移動する。

 膨らんだりしぼんだり、風に合わせて動くカーテンを払って、中途半端に開いていた窓を全開にする。

 半分ほど身を乗り出すようにして、空を見上げた。



 季節の変わりつつある空は存外に高く、まるで秋のようだった。

 もこもこしている雲がゆったりと流れていく。

 南を少しすぎた太陽は木に遮られているけれど、優しげな温かさで照らしていた。



 遠くで子どもの声がする。車の音、鳥のさえずり。

 時間が止まったようだった。それでも確かに流れていた。止まることはないのだから、当たり前だけれど。



 ふわっと吹いた風に手を伸ばす。指に絡むとすぐにほどけた。



 風になってしまいたかった。なれそうだった。今すぐ透明になって、私という存在が掻き消されてしまう、そんな妄想をしてみる。



 悪くない。と思えた。

 それこそ私の望んでいたことだと。



 ひら、と踊った本のページが頭上をすり抜けて、青空に飛び立った。



 手を伸ばす。届かない。あと少し。身を乗り出す。

 窓枠に足をかける。

 白いワンピースの裾がはためいた。

 両手を伸ばす。踵を浮かせる。頁が踊る。風が攫う。指先が掠める。握った手は、けれど空を切る。

 もう少しだけ踵を浮かす。身体を伸ばす。身体全体で頁に向かって、手を伸ばす。

 ようやく端を掴む。

 頁を離さないまま、窓枠の上で向きを変える。


 ──そのとき、ぐらり、身体がかしいだ。



 開け放った窓が遠ざかっていく。カーテンが、スカートが、ふわりと広がった。

 目に映るのは、ただただ青い空。



 風が吹き、頁が千切れ、切れ端だけが手に残った。

 千切れた頁は遠く遠くへ飛ばされて、やがて見えなくなる。



 その瞬間、私は風になって木々の間をすり抜けていた。



 私の身体がばらばらになる。透明になる。消える。希薄になる。存在感が。軽くなる。高く浮く。高く高く、飛ぶ。

 怖くはない。気持ちがいい。

 今のこの状態は、あまりにも自然なことだった。

 私はきっと、風だったんだ。

 最初からそうで、ようやく元の姿に戻れたんだ。そうに違いなかった。



 頁の切れ端は、いつの間にか手から離していた。あんなもの、もう私には必要なかった。



 私のいない部屋の中、カーテンが揺れた。

 微かに揺れたのを最後に、止まった。

 本は最後のページまですっかり捲れて、舞っていた紙もひらひらと床に落ち着いた。

 さあぁぁ……とさざめきが遠ざかる。











 夏が、終わる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る