ルナティック・ハイ小話
ハムカツ
本編世界外伝
キスしないと出れない部屋(本編1-2まで読破推奨)
「ナナカ、これはあれだね」
「まぁ、クラスの女子が噂していたアレだと思う」
気が付くとタクミとナナカの二人は教室に閉じ込められていた。
無理やり押し込まれたわけではない。ただ放課後二人でダラダラ駄弁っていたら、クラスメイトが一人、また一人と外に出ていき最後の一人がバン! とキスしなければ出れない部屋と書いたプリントを張りつけて出ていったのだ。
ため息をついて扉に向かうと外側から「ごめん、なんかもうカップルになってよ熟年夫婦という意見が大多数で、止められなかったんだ」とクラス一番の巨漢である細川の声が聞こえて来る。
恐らくは扉を抑えているのだろう。タクミが横を見ると締まった廊下側に並んだ窓の向こうにニヤニヤしているクラスメイト達が揃っているのが見えた。
普通ならば不思議な力で完成するはずの、想像上の存在でしかなかったキスしないと出られない部屋が社会的な結束によって今ここに誕生した。
「どうするナナカ?」
「ここ2階だから窓から跳び下りればいいと思う」
タクミの問いかけに御剣菜々香はガチな意見を繰り出して来た。確かに生身の兵士として相応に鍛えている二人なら、その程度ならば朝飯前である。つまり物理的に完全に閉じ込められているわけではない。だが――
「それを選ぶと、明日からヘタレと言われるような気がして嫌だ」
「じゃあ、どうするの? 皆が見ている前でキスするの?」
ナナカは顔をふいと横に向け、なんでもないことの様に呟いた。
その余裕がある返しに廊下に揃った野次馬共のボルテージが上昇する。しかしタクミだけは不安げに揺れるショートポニーと、ほんのり桃色に染まった彼女の頬をその目に収める事が出来た。
「それはそれで、なんか負けたような気がして嫌だ」
「じゃあどうするの? 皆の根気が尽きるまで我慢比べ?」
「そう、キス以外で、色々やってみよう」
野次馬の間に動揺が走る。あのタクミが何か凄い事を言い出したと。だがすぐに所詮はアームドジャンキーである、いきなりIAに付いて語り出すとかそういった類の事で此方の気を削ぐきかと失望の空気が広がっていった。
「まずは、ジャブだ。膝枕とかどうだろう?」
「――私がするの?」
「ナナカがされる方で」
しかしその失望をタクミは気化爆弾じみた発言で吹き飛ばした。膝枕、恋人同士が行う非常に高度なプレイングの一種である。耳かきまでセットになればその破壊力は尋常ではない。
そしてそれを、女子が男子にではなく、男子が女子を膝枕するというのだ。完全に予想外の方向から叩き込まれたジャブで、野次馬共は爆発寸前と化す。
「まって、つまりこう―― 甘い空気で解散させるの?」
「それなら、キスをしなくても堂々と勝ちと言えるじゃない?」
そのやって当然というタクミの態度に、ナナカの中で色々な感情が駆け巡っていく。確かに自分とタクミは気安い関係で、軍事教練では事実上のパートナーとして扱われ、クラスで席替えがあれば当然の様に隣にされる。
今年の夏休みは一緒に東インド洋へ
なお、自由時間に二人で砂浜を訓練がてら走っていると、周囲の兵士たちから怨念に満ちた視線を向けられて困った事件もあった。もし国連から出向していた兵士の人が庇ってくれなければ面倒な事になったかもしれない。
しかしその庇ってくれた国連兵の人も、『ななか』とひらがなで書いてあるスクール水着には少しマニアック過ぎると苦言を呈してきた。解せぬ。
それ以外にも何度か二人で旅行に行ったり、同じ部屋に止まったりもしたしちょっとしたトラブルも日常茶飯事である。あるのだが――
このような能動的な接触は実のところ初めてなのだ。
「ゆ、床の上で? それはちょっと――」
「じゃあ机並べるから手伝ってよ」
タクミはパッと見て真顔だが、よく聞けば鼻歌を奏でて上機嫌。これは完全に自分の考えが正しいと認識し止まらなくなっている事実上の暴走だ。ただし強い口調で言えば恐らくは止まるだろう。だがしかし――
(止める必要が、あるのだろうか?)
御剣菜々香は乙女である。身長150cm、胸は控えめ、17歳の高校生でありながら未だに小学生と間違われることすらあったとしても。乙女である事には間違いない。ロマンチックなことには興味はある。
タクミに関しても悪感情を持っていないどころか、いきなりキスされたとしても正当な理由があれば許せる程度の好感度は蓄積されている。
具体的にはナナカが可愛かったから程度の理由があれば普通に許す。
残念ながら、タクミはそういうタイプの台詞を吐くような思考回路をしていない。しかし、クラスメイトの高橋による調教である程度空気が読めるようになったのだ。ナナカが頑張ればワンチャン、そういう風に育てる事も可能かもしれない。
(そう、ここで私が喜んでいる姿を見せればいい)
タクミもほんの少しは、他人が喜んでいるかそうでないかを見分けられる程度のコミュ力はある。他人の都合や他人の思考を先読みするような、人間として標準的なレベルには達していない。
しかし他者が自分とは別の自我を持っており、感情が存在している程度の事は分かっているのだ。
(つまり、タクミは犬と同じ程度には調教が出来るタイプの人間)
ただ一つ問題があるとするならば、クールビューティ…… もといクールプリティなナナカのコミュ力はそこまで高い訳ではない。恵まれた顔面偏差値によるごり押しは一般レベルのコミュ力を持つ相手に対しては強力な武器だが、コミュ障相手には効果が薄い。
(つまり、素直に嬉しいとかそういうことを言えれば――)
「よし、準備完了。さぁ、やろうか」
気が付くとタクミが3つ並べた机の一番左の端に座っていた。つまりこの状態からナナカが右側にのって、タクミの太ももに頭を乗せれば膝枕の体勢になる。やや狭いが小柄な彼女なら足を曲げれば問題はない。
「う、うん…… それじゃぁ――」
今タクミとナナカは廊下側に背を向けている。つまり真っ赤に染まったナナカの顔を見る事が出来る人間は存在しない。ゆっくりとセーラー服に皺が寄らないように机の上に膝立ちで乗って、そしてそのままタクミの太ももに向けて頭を下していく。
(ああ、なんかこう。ちょっとタクミの匂いがする)
季節は既に九月の中間試験が終わった後、衣替えの時期は過ぎ男子生徒の格好は長袖のシャツになっている。しかし学ランまで着込むとどうしても暑くて汗をが出る。ただタクミの香りをナナカは不快だと思わない。一般的な男性のそれより匂いは抑えなのもあるが、そもそも――
割と相当、結構なレベルで恋愛的にゾッコンな相手なのだ。その匂いだけでナナカの鼓動は早くなる。
具体的に説明するとちょっとアレな事になってしまうので言及は避けるが、一度彼のシャツを洗濯しなければならなくなった時に、一緒に自分の下着を洗う羽目になった事があるという事実だけを伝えておく。
(ふぁあ…… ちょっと硬いけど―― すごい)
顔が熱い、タクミの太腿に頭を乗せた瞬間ナナカの心は爆発寸前になっていた。匂いもそうだが、まるでタクミに抱きしめられているような錯覚すら感じている。
「大丈夫、固くない?」
「だい、じょうぶ…… このまま寝ても良い位には気持ち、いい…… かな?」
廊下の方で何かが倒れる音がした、それ共に怨嗟の声が少々、更に甘ったるい空気に耐えられなくなった多くの男子や女子が駆け足でその場から離脱していく。文字通りの阿鼻叫喚、血液は流れていないが、彼らが流した血の涙が可視化出来るのなら廊下は赤く染まっていただろう。
そのまま暫く時間が過ぎる、どうしようかとナナカが考えた瞬間。タクミがナナカの髪に触れて来た。
「ナナカの髪って、すごくサラサラだね」
「ちゃんと…… シャンプーとか、リンスとか―― してる、から」
実は真っ赤な嘘である。豪快剣術少女ナナカちゃんはリンスどころかシャンプーすら使っていない。めんどくさいと体と一緒に粉せっけんで洗っているのだ。
普通の女子が知れば驚きの声を上げてしまいそうな事実だが、幸いな事にその事を彼女以外に知るものはいない。
「どうする? 長期戦になるかも知れないし。このまま寝てもいいよ?」
「け、ど…… タクミはどうするの? 暇だろうし、重くない?」
頬が赤いのを悟られていないだろうか? コミュ障なら意味を理解していないという可能性も無きにしも非ず。と訳の分からない事を考えていたナナカの耳に更に爆弾が投じられる。
「全然重くないし、ナナカの寝顔って見ていて飽きないし」
「――それって、何度か見てるってこと?」
確かに考えれば何度も機会はあった。二人で同じ部屋に寝た回数は既に両手両足の指の数ですら間に合わない回数だ。だが自分の顔にタクミが興味を持っているというのは完全に想定の範囲外だった。
「そりゃ、ねぇ。機会は幾らでもあったし」
「なんで、私の寝顔を見るの……?」
ドキドキしながら問いかける。かわいいからか、魅力があるからか、出来れば美人だと言ってくれると嬉しいと一気に期待が高まって――
「なんかこう、幸せそうだから」
全く想定していない方向からの解答を一瞬だけ理解出来なかった。
「それって、普段はそうじゃないって事?」
「結構、緊張してない?」
ああ、と合点がいった。確かにそう考えるとタクミの近くでは最近緊張していた事が多かったように感じる。妙に意識して動きが硬くなっていたのかもしれない。
「けどさ、寝顔はそういうのないし。寝てるならリラックスしてるんだなって」
「分かった、折角だからこのまま少し眠ってもいい?」
ナナカの中でガラガラと高まっていたテンションが崩れ去り、妙に安心して、嬉しいような、それでいて悔しいような気分でいっぱいになった。ああだからこのまま寝てしまって、後でタクミが足がしびれて困ればいいのに。そんな考えが頭をよぎる。
「いいよ、それじゃおやすみなさい」
「おやすみなさい――」
そして彼女の意識はゆっくりと、秋が始まる空気の中に溶けていくのだった。
◇
最後まで戦場に残る事が出来たのは細川ただ一人であった。タクミとナナカの想定外のイチャイチャで面白半分でこの状況を作り上げた人間は皆倒れてしまったのだ。自分が最後の一人である事を確認してから、細川はゆっくりと教室の扉を開く。
「御剣さん、西村君、もう出ても大丈夫だよ」
「いや、いいや。もうしばらくゆっくりしておくよ。足がしびれているけれど」
細川の小声に対し、タクミも唇に指を当てながら同じような小声で返す。耳をすませばくーくーと可愛らしい寝息が細川の耳に飛び込んで来る。
「分かった、それじゃごゆっくりね?」
そう一言残して、もう一度静かに教室の扉を閉める。アレで本人たち曰く付き合っていないというのはやはりおかしいのではないか。
そんな事を考えながら細川は自分も無駄にジャンケンが強い彼女に対して、負けた方が膝枕という条件で賭けを挑もうと決心するのであった。
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