終末百景

魚津野美都

■■駅

 帰りの電車の中で目を覚ました。うたた寝にしては、随分と長いこと眠っていたように思う。


 ずいぶん乗り過ごしてしまったらしく、窓の向こうの景色にはまるで見覚えがない。降りる人の居ない駅なのか、周囲に人影はなく、車両と私の背中だけを夕陽が照らしている。


 まいったな。折り返しの電車に乗らなくてはと、席を立ち上がり、開きっぱなしのドアをくぐる。異様に大きく見える夕陽に、思わず目を細める。


 よほど利用者の少ない駅なのか、ホームのあちこちにある鉄骨は錆びつき、コンクリートは欠けている。人の気配がまるでない。無人駅にしては、大きい駅で、商店の看板やマンションがいくつか見えるが、やはり人の気配はない。


 時計の針は一七時丁度を指していた。


「工事のため、ホームの一部が狭くなっております。ご注意ください」


 工事中のフェンスにくくりつけられたスピーカーから、くぐもった女性の声のアナウンスが繰り返されている。それ以外に、人間の出しそうな物音はひとつもない。どころか、鳥や虫の声すらも聞こえない。古びた電灯や、ボイラーか何かであろう、大きな機械の駆動音、それと風が街路樹を揺らして擦れる葉の音だけが、耳にたどり着く。


「工事のため、ホームの一部が狭くなっております。ご注意ください」


 誰も居る気配がない。そんな不気味な雰囲気とは相反した、秋のそよ風が頬を撫でる。しばらく歩き回ってやっと見つけた時刻表には、『二〇■■年■月より、当路線の運行は休止いたしました』とだけ書かれていた。


 そんなばかな。嫌な予感がして振り返ると、乗ってきたはずの電車は、何十年も前に打ち捨てられたかのようにその車体を錆びつかせ、窓は砂埃で黄ばみ、あるいはひび割れ、あるいは窓枠だけを残していた。


 誰かに連絡をしようとスマートフォンを探すが、目当てのものどころか定期入れや財布も見当たらない。


 あったのは、『百景』と書かれた、一枚の古びた切符だけだった。


「工事のため、ホームの一部が狭くなっております。ご注意ください」


 どうしたものか、早く帰らなくてはならないのに。


 どこへ?


 冷や汗が一筋だけ流れる感触がする。どこへ帰るのだろう。帰る場所が思い浮かばない。そもそも私はどこから来たのか。


 朽ちかけの駅の看板を見る。『■■』とだけ書かれ、読みがなと前後の駅名は掠れて読めない。


 色褪せたプラスチックのベンチに座り、夕陽に照らされた、死んだように静かな街を眺める。見える建物全て、オレンジと灰色以外の色がすっぽりと抜け落ちている。


 枯れ葉が風に巻き上げられ、ボロボロのコンクリートに擦れてカサカサと音を立てる。


 ここには、無数の墓標と私と夕陽以外、誰も、何も、存在しない。


「工事のため、ホームの一部が狭くなっております。ご注意ください」


 時計の針は、十七時丁度を指していた。

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