本宮栞の紙上世界

白神護

プロローグ-図書室にて

 夕暮れ色の階段を、一人の少女が登ってゆく。手には紙袋。中には分厚い書籍の数々。少女は数段上っては足を止め、麻紐のあとがくっきりと残る、てのひらを擦って痛みを和らげる。


 少女が目指しているのは小学校の図書室で、十分ほどで辿り着く。引き戸を開けると、中は静かだ。所狭しと棚が並んで、電灯の明かりを阻害している。ある通路は明るく、ある通路はこれでもかと暗い。幽霊が出るという噂すらある。生徒からはすこぶる不評だ。


 少女はそんな図書室が好きだ。そも、本が好きだ。幽霊も嫌いじゃない。友だちは少ない。


 少女はするすると通路を抜けて、奥まった空間に辿り着く。そこには本の貸借カウンターが置かれている。司書はいない。少女は勝手にカウンターへ入り込み、本のバーコードをコンピューターに通してゆく。やがて、カウンターには返却済みの本の山が出来上がるが、少女はそれを放置して、本棚の合間を歩き始める。次に借りる本を探しだす。


 図書室は普遍的な大きさであるが、相対的に少女が小さい。そして、本棚と蔵書だけは異様に多い。少女は果てのない迷路を歩いているような錯覚を楽しみつつ、事あるごとに背表紙をなぞる。最近の少女は外国人著書がマイブーム。異国の異質な感性が、ファンタジーめいていて面白い。特に気に入っている著者の名前が――。


「何してんの?」


 声をかけられた。関西弁の、女の子の声だ。


「あ、知佳ちゃん」

「なんや、また一人なん?」

「うん、ずっとね。知佳ちゃんも?」

「まあ、ウチはあれやからな、しゃーないわ」


 知佳ちゃん。と呼ばれた女の子は、二冊のハードカバーを手にしている。少女はそれとなく本の題名を確認する。


「それ、借りるの?」

「いや、返しに来た」


 言いつつ、知佳は少女の隣に立ち、適当な所へ本を差し込む。


「あ」

「なに?」

elise-sugarlightエリーゼ‐シュガーライト

「好きなん?」

「うん、うん、好き」

「なら、借りれば?」


 再び本を手中に収めて、少女の方へと差し出す知佳。


「この人、ヘンな話ばっか書きよるね」

「うん、知ってる」

「こんなんが好きなん?」

「橋本先生よりはね」

「ハードル低いな」


 少女は本を受け取って、改めて題名を確認する。『狸兎の冒険』とある。


「じゃ、ウチ、帰るわ」

「あ、うん。気をつけて」

「栞こそ、気、つけときよ」


 残りの一冊を近くの本棚に押し込んで、知佳が手を振り去っていく。栞は知佳の姿が本棚の陰に隠れるのを待ってから、その場に座り込んで表紙をめくった。


 冒頭だけ~。冒頭だけ~。心の中で奇怪な音頭を取りながら、本文一行目に視線を落とす、その瞬間――。




 図書室には誰も居なくなり、『狸兎の冒険』が床に落ちて、ことほか、大きな物音を響かせた。

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