第30話 蒋師仁と賀守一の二人部屋

「次に、食料を準備する班。竈を作って火を起こす。その前に燃料を確保する。木が生えている地域の場合は枯れ枝を探してくる。それと同時に、木の実や、野生動物や魚を捕獲する。野生の駱駝が狙い目だ。獲物を狩る時は弓矢を使うのが基本となるだろうけど、同士討ちをしないように注意すること。また、弓矢は湿気には弱いので、分かっているとは思うけど水に濡らさないように丁寧に慎重に扱うこと」


 王玄策の説明は、実際に旅をしたことのある経験者らしい、具体性のあるものだった。


 今度は、誰も口を差し挟まなかった。ので、王玄策は周囲を見渡しながら、説明を継続する。


「どのような行動をとる場合でも、周囲への注意を怠らないこと。いつ、危険な野生動物や不届きな野盗に襲撃されるか分からないから、警戒は解かないこと。……とはいっても今日は、宿舎に入ることができるので、駱駝と馬の世話はきちんとしておくこと。天幕張りと食事の準備は宿舎の方で準備してくれるらしいので」


 そのへんの手配は、劉仁楷がやってくれている。


 劉仁楷は、使節団の中において世話役を務めているだけあって、特に関中においては顔が広いのだ。


 なので、唐の領域から出てしまう前、特に都の長安からあまり離れない段階においては、劉仁楷の顔が役に立つことだろう。


 吐藩や天竺に行けば、険しい困難な道程で当然ながら苦労することになるだろう。


 だったらせめて、長安からあまり離れていないうちくらいは、苦労は最小限で済ませる方が良いに決まっている。


 王玄策から、宿舎利用に関して細々とした注意事項が指示されている。


 使節団員たちはおとなしく聞いていた。この使節団で問題を起こしそうなのは無精髭の劉嘉賓くらいだ。劉嘉賓さえ余計な騒ぎを起こさなければ、使節団は概ね平穏なはずだ。


 王玄策の説明が終わると、案内人に引率されて、使節団は咸陽の街に入った。


 異郷、というには長安から近すぎるので、咸陽の町並みを眺めて楽しもうという気にもなれない蒋師仁だったが、景色を見る前にすぐに宿舎に到着してしまった。


「なんだこの建物は? 寺院、……っぽくはあるけど、寺院ではなさそうな」


 案内された建物は、外観は大きくて多人数の宿泊に向いているようではあるが、寺院以上に質素なつくりだった。


「寺院の僧坊か宿坊みたいな感じだが……」


 あたりを見渡しながら、蒋師仁は小さく呟く。


 建物の用途が何であれ、自分たちがここで無事に一泊できれば文句など無い。


 蒋師仁と賀守一に割り当てられた部屋は、長い廊下の途中に幾つも並んでいる扉の一つから入った。中は細長い部屋で、簡素な寝台が二つある以外は何も無い殺風景な室内だった。


「ここは、やっぱり僧坊なのかな?」


「蒋副使、食事までは時間があるって言っていましたよね? 自分、それまでに、この室内でやりたいことがあるのですが、いいですか?」


「俺は、広場かどこかへ行って軽く武術の練習をしたいと思っていたから、別に何をしてもいいが……何をするつもりなんだ?」


 賀守一は、自分の荷物を解いて、その中から細々とした道具を取り出し始めた。


 細い竹を編んで作った筆巻き、陶器製の筆置き、文鎮、羊毛製の下敷き、水滴、そして硯、紙。


「腕が衰えないように、毎日、書法の練習をしたいのです」


「ほう」


 蒋師仁は感心した。


 蒋師仁が広場に行って武術の練習をしようとしたのも、理由は同じだ。


 毎日、少しでも練習をしないと、技術が鈍ってしまうからだ。


 旅が過酷になってくれば、武術や書法の練習をする余裕すら無くなってしまうかもしれない。


 だが、今はまだ余裕がある。余裕がある現時点では、毎日の地道な練習を怠りたくはないのだ。

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