第24話 誰も知らない素顔の花木蘭

「その驢馬、かなり年寄りみたいなのよね。あまり長生きできないように思うのよ。だから、連れて行くのは、やめておいた方が無難なように思うわね。これが私の意見」


「えー。連れて行くことに反対、ってことですか?」


 王正使の渋い言葉。あからさまに劉嘉賓は落胆した。


「どうしても自分の足で歩くのが億劫で、動物に乗って行きたいというのなら、その驢馬じゃなくて、別の野生動物を捕獲すればいいでしょう。さっきも言ったけど、野生の馬とか野生の牛なんかも、探せばどこかにいるはずだから」


 大きな目を細めながら王玄策が提案する。それに対して、劉嘉賓はうんざりさを隠すことなく大袈裟に溜息を吐いた。


「そんな無茶な」


 王正使は、他の野生動物を捕獲して使え、と簡単に言った。しかし、そう容易に野生動物獲得作戦が進むだろうか?


 おそらく人間に対して警戒心が強いであろうと思われる野生の馬や野生の牛が、そもそも使節団員たちの前に簡単に姿を現すだろうか? 長安を出てからここに来るまで、それらしき動物は一度も見かけなかった。


 仮に野生の馬や牛がいたとして、そう易々と捕獲することができるだろうか? 人間に庇護されずに厳しい境遇を自力で生きている野生であるからには、気性も荒いだろう。


 もし、かなり都合良く事態が進展して、野生の馬か牛あたりを無事に捕獲できたとして、巧く乗りこなすことが劉嘉賓にできるのか?


 そういった今後の面倒を考えると、今、目の前にいる老いた驢馬こそが、運命の出会いなのではないだろうか。


「王正使。この驢馬がいいんです! この驢馬となら仲良くなれるというか、快適に旅をできると思うんです! 年をとっていると言いますけど、かの玄奘三蔵法師だって、天竺を目指す旅の最初の頃は、年老いた馬に乗っていて、その馬の経験によって難所をくぐり抜けることができた、というじゃありませんか」


「俺はその話は聞いたことないな。玄奘三蔵法師が年老いた馬に乗っていた、って本当なのか?」


 王玄策と劉嘉賓の意見のぶつかり合いに容喙したのは副使蒋師仁だった。


「講釈師が言っていました。確か、玄奘三蔵法師が記した『大唐西域記』にも、そう書いてあったはずです!」


 蒋師仁の方に振り向いて、力強く、劉嘉賓は言い切った。


「講釈師の語りの信憑性が頼り、かよ。酔っぱらいの戯言と同程度じゃないか……それに『大唐西域記』は立ち寄った国がどのような所であるかの記載であって、旅の様子なんて書いてなかっただろう」


 講釈師といえば、巷間で通行人の耳目を引いて、三国志の武将の活躍や、隋の末期の女将軍花木蘭の大冒険など、人々が興味を持つことを面白おかしく喋るのを生業としている者だ。

 確かに語りは軽妙で巧い。

 通りすがりに講釈師の話術を耳にしてしまうと、ついつい時間を忘れて聞き入ってしまうこともある。


 だがしかし。


 講釈師の饒舌さの中で紡がれた事象が、実際に歴史の中で発生した事実かというと、そこはあくまでも楽しむためのホラ話であると考えなければならない。


 そもそも花木蘭など、実在するかどうかすら怪しい。


 隋の末期に「男に変装して軍隊に入って活躍した若い美女」として生きていたということは、どこかで無念の枉死を遂げていない限りは、年齢的にいってまだ存命のはずである。四七歳くらいだろう。


 でも誰も、花木蘭がどこでどういう風に亡くなったかの死に様も知らない。かといって、今もどこで生きているかも誰も知らない。

 実際に女将軍に会ったことがあるという人も、ほとんど存在しない。

 ……たまにいるが、大抵はへべれけの酔っぱらいだ。

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