第25話 三蔵法師女体化!?

 そんな感じなので。


 玄奘三蔵法師は紛れもなく実在する高徳の僧侶であるが、講釈師の語る玄奘像が正しいのかというと、アテにはできない。


 そもそも、自分が玄奘三蔵法師と一緒に天竺へ旅したわけでもないのに、まるで自分が実際にこの目で見てきたかのごとく、あることないこと語るのが講釈師というものだ。


「あー、メイちゃん、玄奘三蔵法師の話ですか? 弘福寺でお会いしましたよ」


 ここで会話に割り込んできたのは、使節団の中で最も身長の高い男だった。


「……だから、その名で呼ばないでください」


 すかさず、メイちゃん、ならぬ王玄策が、のんびり歩いて来た劉仁楷に抗議する。


 王玄策は、自分の呼称の方を気にしていたが、蒋師仁にとっては長身男の発言は、別の部分が驚きであった。


「せ、世話役は、あの玄奘三蔵法師と実際に会ったことがあるのですか!?」


「もちろんありますよ副使。そんなに驚くほどのことですか?」


 まるでありきたりな普通の出来事であるかのように、長身の劉仁楷は言っている。だが蒋師仁からすると、歴史に名を残す偉人である玄奘三蔵法師と会ったことがあるというだけで、凄い大事件ともいうべきものだ。


「玄奘三蔵法師といったら、生ける伝説ともいうべき偉人じゃないですか。直に会ったことがあるなんて、羨ましい」


「別にそんな羨むようなことではないですよ。ハルシャ・ヴァルダナ王に持っていく皇帝陛下の親書も、法師に梵字で書いていただいたのです」


「……ああ、そうですね。唐国広しといえども、畏まった梵語を最も使いこなせるのは玄奘三蔵法師以外にはいないですし」


 日常会話ならば、蒋師仁も梵語を話せる。もちろん唐語も話せる。


 だが、日常会話ができるからといって、皇帝に対する上奏文とか、他国の王に対する外交文書のような、畏まった文章を書けるわけではない。唐語ですら、そういう仰々しい文章を書くのは蒋師仁では無理だ。


 まして、外国の言葉である梵語で親書となると、玄奘三蔵法師ほどの学識を持った者でなければ無理だ。


 改めて、玄奘三蔵法師は偉大なのだ。


「しかしこんな身近に、かの生ける伝説である三蔵法師に会ったことがある人がいるとは。意外なものです。で、実際のところ、三蔵法師は、どのような人物なのでしょうか」


 副使の蒋師仁も、単純な興味に起因する好奇心を抑えることはできなかった。


 この時代の最大の伝説の人物の人となりがどうなのか。知りたいという気持ちを抱いて当然だ。


 夕暮れの風が、劉仁楷の髭を優しくなぞった。ただでさえ大きい顔を更に大きく見せる、豊かな黒髭だ。


「三蔵法師は、さすがに徳の高いお坊様だけあって、私の見ている限りは常に穏やかな微笑みを湛えておられましたよ。一瞬、女と見まがうような艶のある若々しい肌の整ったお顔立ちで、それに小柄なお方なので、ますます一見しただけでは尼僧と間違えてしまいそうでした」


「えっ、小柄?」

「小柄、ですって?」


 同時に疑問の声を発したのは蒋師仁と劉嘉賓だった。二人は妙に息の合った動きでお互いに顔を見合わせた。


「叔父上、自分が講釈師の話を聞いた限りでは、三蔵法師は身の丈が七尺余だと聞いています。同じく講釈で聞くような三国志の英雄と較べると、やや足りないというのが実状ですが、それでも我々一般人よりは遥かに大柄であるはずです」


 長身の叔父に対して、無精髭の文士である劉嘉賓が己の意見を述べる。


 副使の蒋師仁からすれば、文士気取りの劉嘉賓は気に入らないヤツではあるが、今回の意見に関しては同意であった。


 玄奘三蔵法師が女顔かどうかはともかく、小柄であるはずがない。


 蒋師仁は蒋師仁で、三蔵法師が小柄ではないはずだ、という推測に独自の根拠を持っていた。

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