第21話 不毛な戦い

「えっ? 評価価格? なんですかそれ? ゼニの話ですか?」


「そうよ蒋副使。売る時に、毛並みがきれいな個体と、こんなふうに食い千切られてあちこちハゲになって貧乏臭い容姿になっているのとでは、ぱっと見た時の感じが違うでしょう?」


「そ、そういう問題、ですかね?」


 まだ黒馬と駱駝は激しく噛みつき合っている。それを横目にしながら、王玄策は駱駝の毛が食い毟られてハゲている箇所を数えている。


 お互いに噛みつき攻撃を受けているので、二匹とも体のあちらこちらで傷から血が滲んでいる。どうも、当初は普通に噛みつくことによって相手の皮膚を傷つけようとしていたようだが、そのうち、相手の毛を引き毟る方に頑張るようになったらしい。


 毛を毟り取られた跡は、直接噛まれた歯型の跡よりも、ある意味痛々しい。


 これでは確かに、売る時に買い叩かれてしまうだろう。


 こうして喧嘩騒ぎを起こすような問題児の個体だから、王正使も売却を視野に入れているのだろうか。


「二匹とも、喧嘩はやめなさいよ。両方とも肉にして、食べちゃうわよ!」


 王玄策が二匹の獣に向かって呼びかける。


 だが四本脚の獣には、人間の言葉は通用しないらしい。声が聞こえているのか聞こえてすらいないのかは不明だが、いずれにせよ黒馬も駱駝も王玄策の声には耳を貸さず、四本脚と歯による乱闘を継続した。


 副使の蒋師仁は、より現実的だった。二匹とも体から湯気が立つほどに戦って興奮している。どうせ獣だし、言葉での説得など通じない。そもそも人間同士でさえ、北方騎馬民族に対して説得が通用しなかったからこそ、万里の長城を築いて侵入を防ごうとした歴史があるのだ。


 だから、力ずくで二匹を引き離すのが手っ取り早い!


 そう判断した蒋師仁は、大きく一歩踏み込み、左手を思い切り伸ばして、暴れている黒馬の手綱を掴みにいった。


 だが黒馬は、駱駝による噛みつきを回避するために、鬣を靡かせながら華麗に身を捩った。その動きによって手綱が宙で踊り、蒋師仁の手から遠くへ離れてしまった。


 副使が舌打ちしたのも一瞬。


 どういう複雑な動きなのか。黒馬の前脚が駱駝の脚を狙って地面すれすれの高さで風を薙ぐ。命中しなかった脚が、そのままの勢いで蒋師仁の方へ向かって来る。


「わったった……」


 黒馬にとっては、単なる牽制のための軽い攻撃だ。だが、人間である蒋師仁がその攻撃を食らっては無事ではいられない。体勢を崩しながらも辛うじて避けて、冷や汗一筋。


「危ない危ない」


 やはり、この二匹の喧嘩に迂闊に近づいて割り込むのは危険だ。


「この黒い馬って……随分大きくないか?」


 普通の馬は、駱駝よりもかなり小柄なため、駱駝に無謀な喧嘩を挑もうとはしない。だが、この黒馬は体格が優れていて、駱駝よりも少し小さいくらいだ。つまり、馬としてはかなりの巨体ということになる。


「そうね。この黒馬、おそらく、西方の馬の血が混じっているのね。だから大きい個体なんだと思うわ」


 蒋師仁の横に立った王玄策が冷静に指摘する。


「この手の馬はね、体が大きいから、その場限りで速く走ったり力仕事をしたりするのは強いのよね。でも長距離移動などの持久力が必要な場面では普通の馬に劣ってしまうのよね」


「そうなんですか? 体が大きい方が過酷な長旅にも耐えられそうに思えるんですが。……ただし、エサを大量に食べそうだから、その手配だけで大変そうですが」


 蒋師仁と王玄策が会話している間も、黒馬と駱駝の戦闘は続いていた。駱駝が巧みに黒馬の鬣に噛みつき、力任せに引っ張る。激しい痛みに黒馬は悲しげに嘶く。と同時に怒りを募らせて反撃に出る。やられっ放しではいない。


 後からやって来た無精髭の劉嘉賓と黒ずくめの王令敏も、二匹の獣の野生に戻ったかのような激しい戦いを、目を丸くして眺めていた。

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