13
三年前の夏、都市国家連合の盟主である首都テルストラから新しい市長が就任してきた。
ウェイン・ランダーという男だ。
都市国家連合の総会で民族差別の法律を持ち上げた、テルストラの財政管理局のトップで、この法律の立案者から委ねられて法律を成立させた法律家である。その男がマリンゴートの市長にと派遣されてきた。
なぜ、首都の財政管理局が法律の権限を握っているのかは分からない。しかし、今の都市国家連合は事実上この「首都の財政管理局」に権力を握られているといっても過言ではなかった。
その市長ウェインが就任してからすぐ、マリンゴートでは大規模な原住民狩りが行われ、何千人もの人間が新たに収容所に送られてきた。当然収容所には原住民が溢れ、僅かな食糧供給さえも難しくなってきた。それが分かっていて、市長ウェインは大規模な劣等民狩りを行っていた。
ウェインは穏やかな男だった。
穏やかだが、うちに大きな怒りと残酷なまでの強い意志を持った男だった。
その三年前、大規模な劣等民狩りに多数の兵士が駆り出され、市内の異物除去の功績を賞されて、アレクセイは兵士長ながら市長の側近に任ぜられた。
そのとき、初めて出会ったウェインという男に感じたものはそんな感情だった。
そして三年間、彼と共に行動していくうちに、ウェインの怒りと冷徹さが、優しさゆえのものだと気がついたのだ。
ウェインは家族を愛し、仕事に誇りを持った男だった。
三年前、市長に就任するその年に、彼は臨月に差し掛かっていた妊婦の妻を、自分の作った法律が理由で死なせてしまった。更に一人息子は母の死によってウェインと離反していた。
そして、その息子が原住民の子供たちと接触していたために劣等民狩りに巻き込まれて労改に送られていたのだ。
妻を殺してしまったことに大きな悲しみと自分への憎しみを抱えた上で、更に離反した息子が今にも死のうとしている。
その事実に、ウェインは完全に心を閉ざし、自分を守るために感情を押し殺した。
しかし、それは脆くも崩れ去った。
三年後、つまり現在。
アレクセイ・ゲイラーの前に見える光景は、自分と、その姉であるヘレンが共同戦線を張ってレジスタンスに情報を流した結果だった。なだれ込んできたレジスタンスの民兵に蹂躙されていく収容所の光景はすさまじいものだった。
ウェインが徹底して、原住民を始末するために作った毒ガスのドームは、脆くも崩れ落ち、方々が爆破されていた。
そして、その外では、たった一人の人間が何百人ものマリンゴートの兵士を相手に戦っていた。
何百人もの兵士に対して、一人で。
体中に傷を負いながら、レジスタンスの兵士が流れ込んでくるまでの間、ドームに流れ込むはずの毒ガスを一人で止めた。更に、それを知った兵士が中に詰め込まれた劣等民たちを銃撃しようとしたところを、せき止めていた。
何時間もの間、その人間はそうやって戦っていた。
そして、何時間かあとにようやくレジスタンスが労改を蹂躙し始めると、アレクセイは戦いをやめさせ、レジスタンスに降伏した。
アレクセイが収容所の中で、兵士長としての仮面をかぶりながらレジスタンスとの共同戦線を張ってきた、その結果がようやくその本質を表したのだ。
しかし、そのときの彼の心には既にレジスタンスとの距離が開きつつあった。
三年間のあいだ、アレクセイにだけ心を許し、自分の素性を明かしたウェイン・ランダー。彼をあのまま終らせたくはなかった。この殺伐とした法律のなかで、また、ウェインという男も被害者だった。妻を死に追いやり、息子を失い、そして、自我を封じ込めて冷徹に徹した末に、自分を見失ってしまった哀れな男。その男に自分を取り戻してやりたかった。
それが、この数年間迷いながらも自分の出来る全てのことに集中し、それでも自我を捨て去ることのできなかったアレクセイにとって、もっとも身近に感じた男の姿だったからだ。
自分と全く違う、いや、逆とも言える心をむき出しにした男。違うからこそ、その気持ちが痛いほどによく分かった。アレクセイは、姉ヘレンが使っていた、クリーンスケアへの地下道を使って、ウェインを逃がした。
レジスタンスの追手は来なかった。
そのために、姉をクリーンスケアに脱出させて、わざと姉のいた建物を焼き払ったのだ。
全てはレジスタンスの目を欺くために。
そして、レジスタンスと袂を分かち、この男の一生にかけてみたいと思ったアレクセイの決意を貫き通すために。
神父ブラウンのもとで勢力を広げ、巨大化したレジスタンス。その中に、今はもうアレクセイの居場所は存在しなかった。だから自分の後継者を選んで、その人間にすべてを託そうと思った。もう理念の崩れ去ったレジスタンスをもう一度立て直せる、若い後継者を。
レジスタンスの民兵はいずれ、マリンゴートを取り返して占領するだろう。
すると、マリンゴートの勢力図は一気に塗り替えられる。優等民であった移民が劣等民となり、劣等民であった原住民が優等になる。
差別は終ることがないだろう。
どちらかが優等で、どちらかが劣等であるという相対的な思想がこの都市に植えつけられてしまった以上は、それを平等に戻すことは不可能に近い。
人間は、楽なほうへ、楽なほうへと思考を移動させていく生き物だ。
互いを尊重して敬うよりも、相手を見下して馬鹿にしたほうが、楽に自分自身の立場を維持できる。強いつもりでいられるのだ。
だが、そんなことが「強い」ことではない。
何百人ものマリンゴートの兵士を相手にたった一人で戦った人間がいた。
いつしか、アレクセイはウェインと共に、その人間に自分を重ね合わせていた。
たった一人。
そう、ウェインもアレクセイも、そしてその人間も、孤独だった。
いつしか、アレクセイの心の中でその人間は大きな存在となって膨れ上がっていった。
そして、その人間の本当の名前を知ることができたのは、クリーンスケアで姉と再会したそのとき。
ウェインと共に逃亡してから一ヵ月後のことであった。
終わり
飴 瑠璃・深月 @ruri-deepmoon
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます