ここで、弁当をしよう。
スーキー
弁当
勉強が嫌いだ。
嫌いなのだ。
理由なんていらない。
理由など、ないのだから。
「勉強する理由?そうやね、私もわからんけどーーーーー
やってたら、何か返ってくるんちゃう?言い訳なんてええから勉強して。」
そう言ったのは、幼馴染のミズ。
僕、平野コウは、彼女に勉強を教えてもらっている。
「言い訳なんていいわけ?なんつって。」
「あーもう勉強教えへんで。また欠点とって、今度こそ留年しぃ!」
彼女は勢いよくドアを開け、そのまま走り去った。
ドアは反射し、その後静かに閉まった。
いつも言われることがある。
お前は勉強ができない。
そう言われるのも仕方がない。
僕の順位はいつも下の方だから、もっと勉強しろ、と様々な人から言われている。
でも、僕は勉強をしない。
嫌いだから。
そもそも、勉強って何をすることなのだろう。
「勉強っていうのは、嫌なことでもやらなあかん、てゆうことやねん。だから、嫌いって思っててもやらなあかんねんで。」
「なぜ戻ってきた。」
「勉強教えてたん昼休みやねんし、しゃーないやん。」
彼女は自分の席に着き、次の授業の準備をしている。
「ほら、また勉強教えたるから、とりあえずあんたも次の準備しぃ。」
僕は言われるがまま、机からノートを出した。
しかし、号令も聞かないままに、机の上で熟睡した。
季節は梅雨だった。
チャイムが鳴ると、僕はすぐに帰宅の準備をする。
そしてクラスメイトに軽く会釈して、教室を出る。
そのまま玄関に行き、靴を履き替え、校門を出る。
僕は、この一連の動作にかかる時間を自分の中で競っていた。
しかし、今日はすぐに帰れそうにない。
雨だ。
梅雨の季節だから皆、傘を持ってきていたようで、僕を横目に玄関から出ていく。
僕も傘を持ってきていた。
しかし、傘立てに僕のものはなかった。
誰かが間違えたのか、あるいはーーーー
そんなことを考えていても仕方がない。
僕は、教室で雨が止むのを待つことにした。
が、その時、廊下から、女子の声が聞こえてきた。
どうやら二人組らしいが、その片方は関西弁で話していた。
「お、コウやん。どうしたん?いつもやったらもう帰ってる時間やのに。」
「誰かに傘を間違えられて、帰れないんだ。」
「あら、それはお気の毒に。しゃーないな、じゃあ玄関で待っててな!」
ミズは友達と別れ、一目散に教室へ行き、そして走りながら戻ってきた。
「しゃーないから一緒に帰ったるわ。ほら、傘入って。」
頭が回転する。
「え?入ってもいいの?あと、さっきの友達と用事があったんじゃないの?」
「あーもー、それはまた後で話すわ。だからはよ入れ。」
僕は、やはり言われるがまま、傘に入った。
彼女の顔が赤くなった。
「あれ?変やな。今日は雨やから夕日なんて見れへんはずやのにな。」
「ん?ミズは夕日が見たいの?」
「なんでもない!」
そう言って、二人は校門を出た。
しばらく、雨は降り続きそうだった。
校門を出てすぐの曲がり角。
ミズは、先ほどの経緯を説明した。
「実は、さっき私と一緒に居った子からな?恋愛の相談受けててん。でな?その子、ミナっていうんやけど、なんか浮気されててんって!どう思う?」
「どうって言われても・・・」
コウは、彼女が出来たことも、ましてや恋愛をしたことがなかった。
「だからな?こう言ってあげてん。そんなんする人とは別れて、新しい人見つけ!ってな。」
「ミナさんは何と答えたの?」
「ありがとうって。おかげで気分がすっきりした、やって。」
「よかったな。というか、そんなアドバイスで女って納得するのか。」
「そんなってなんやねん。・・・まあええわ。まあ、そういう経緯があったときに、ちょうどコウが居ってな。・・・ふと思ったんやけど、経緯っていう字は地図でいう経度と緯度」
「あ、もういいです。」
ミズと一緒に帰るとき、僕はいつもこのような話を聞かされる。
「だから一緒に帰るの嫌なんだよなぁ。」
「はぁ?今なんて言った?」
「ごめんなさい。」
そして、この流れもいつもやっている。
ちょうど、踏切が音を鳴らしていた。
「おい、踏切に人が!」
僕は何も考えずに踏切の中に飛び込んだ。
「あぶない!」
踏切の音が変わる。
変わって静寂。
僕は、目を開けられなかった。
しばらくすると、辺りに雑音が立ち込める。
その中にひときわ目立つ声があった。
「この声が天使なのか?にしては聞き覚えがあるような」
「アホッ!」
僕はその天使に顔を拳で殴られて目が覚めた。
「バカッ!なんであんたはこんな危険なことすんの。しかも何回も。前にもやったやんか。あんたちょっとは勉強しぃや。アホッ!」
腫れているところを冷やすかのように、雫が落ちる。
「それにあんたもあんたや。なんであんたあんなとこに入ったんや。」
視線が一点に集中する。
「俺にはもう未来がないんだ。」
「どういうこと?」
「学生時代に勉強しなかったせいで、どこにも就職できない。時間は帰ってこない。だから・・・人生をリセットしようと思って・・・」
また鳴り響く音。
しかし、それは踏切の音ではなかった。
その後、彼は警察署に連行された。
僕たちは、そのまま帰ることになった。
その帰り道。
「あんたな?なんでも突飛過ぎんねん。なんでいつもあんなんやるん?」
「僕は、人を助けることしかできないから。」
「でも、それで助けられた人はどう思う?助けた人死んでるかもしれんねんで?」
それを言われて、僕は気づいた。
「確かに、助けられた気はしないな。」
「そうやろ?人を助けるにも頭使わなあかんねん。だから。」
「勉強します。」
そう言わざるを得なかった。
「じゃあ、ここでちょっと勉強しよ!さっきの電車の音あったやろ?あれ、私らの前を通り過ぎたときに、音ちょっと変わったん分かった?あれな、ドップラー効果ってゆうてな、」
いつもの流れはできない。
僕に逃げ場はなかったようだ。
「しゃーない、私が毎日昼に勉強教えたろ!」
「なぜ昼?あと、今日だけでしゃーないって何回言った?」
「何回でもええやん。これからちゃんと昼は自分の席居ってな!絶対やで?」
何年も一緒にいるのに、聞き覚えのない声だった。
空にぽつりと、夕日の色が見えた。
「結局濡れてしもたな。ごめんな。」
「いや、むしろ謝るのは僕の方だ。本来濡れなかったミズも濡れてしまったじゃないか。」
「しゃーないな、じゃあ私の家にきぃ。シャワー貸したるわ。」
彼女は何度この言葉を口にするのだろうか。
そんなことを思いつつも、僕はミズの家に来た。
来た、というより、目の前にあった。
「あら、コウちゃんやん。えらい久しぶりやなぁ。」
「あ、お母様。ご無沙汰しております。」
僕は、庭で洗濯物を取り込んでいるミズのお母様、サチエさんに軽く会釈した。
「ところでやなぁ、あんさん。またうちの子に殴られたんかいな。ごめんなさいね、乱暴な子で。あ、そうや。実家から生八つ橋が送られてきたんやけども、多くて食べきられへんのや。お詫びの印にも、うけとってぇな。さあさあ、中に入り。よく見るとあんたたちビショ濡れやないの。せっかくやから、お風呂入っていき。」
「わかりました。」
「あんたもさっさと風呂入りなさい。」
サチエさんは小声でそう言い残して、家の中へ入っていった。
「入ろ、コウ。」
僕たちも家の中に入っていった。
カラスが鳴き、町内にアナウンスが流れているのを聞きながら、僕は体を洗い、湯船に浸かった。
体に染み込む水。
身まで、心まで染みていきそうな、気持ちのいい水。
先ほどの会話とは打って変わって、すべてがゆっくりになる。
そして、深い闇に沈み込む。
「コウ、コウ!勉強教えてーな。えーっと、そうか。コウの教え方むっちゃ分かり易いやん!あんた将来先生になり!」
「あんな、コウがな、私をいじめてたやつとな、喧嘩してん。コウ勝ってんけど、体中から血が出てて、早く手当てしたらんと。うわぁんどうしよ。私のせーやぁ・・・」
「大きくなったらパパと結婚する!え、ママがおるからあかん?じゃあしゃーないな、コウと結婚する。」
「コウ、大好き。」
「わたし、もう高校生やねん。子ども扱いせんとって!」
脱衣所から、怒声が聞こえる。
どうやら僕は、少し寝ていたらしい。
僕は、湯船から上がるついでに、脱衣所の様子を見に行った。
そこには、ミズとサチエさんが居た。
「どうしたんですか?」
「あんな、あんたも濡れてるんやし、一緒に入りって言ってきてん・・・って、あんた前隠し!タオルここにあるから!」
僕の、あまり人には見せられない裸体を、見られてしまった。
僕は、急いで前を隠した。
「ちょうど上がって来たから私入るわ。コウ、はよ服着てはよリビング行って!」
僕は急いで服を着て、そのままリビングへ向かった。
「いろいろとごめんなぁ。あの子、ちょっと前まではあんなにも乱暴ちゃうかってんけどなぁ。あ、そうそう、あの子な?数学で全国模試1位とってん!すごいやろ?----」
サチエさんは話し出すと止まらなくなるので、僕はそれを聞きながら、机の上にあったお菓子を食べていた。
「あの子はな、やっぱり小さいときからーーー」
「おかんー?私の服どこー?」
脱衣所から、ミズの声がする。
「あーしもたわ。コウちゃんに会うの久々やから、つい長話してしまったわ。今持って行くわぁ。」
そう言って、サチエさんは脱衣所へ向かった。
静まり返るリビング。
ふと、窓の外を見ると、辺りはすでに暗く、そしてフクロウが鳴いていた。
そういえば親に連絡をしていないな。
恐らく心配しているだろう。
そう思い、僕は携帯電話開いた。
ガチャ。
「今帰ったぞぉー・・・男物の靴?まさか、あいつの彼氏か?娘よ、もうそんな年に。」
「おとん!その靴コウのやつ!私に彼氏なんて居らんわ。」
「あら、お帰りなさい。久々でしょ?コウちゃん。」
「そうだな、20年ぶりか?」
「って、私も生まれてへーん!」
ワハハ、という笑い声の中、コウは静かに待っていた。
段々と、足音が大きくなってきた。
「ごめんコウちゃん。ほったらかしにしてもうたなぁ。濡れた服は明日学校でミズちゃんに返させるからなぁ。」
間髪を容れず、お父様、ダイチさんが話しかけてきた。
「コウ、久しぶりやな!どうしたんや?その顔。なんか聞かんでもわかるけどな。せや、ミズ!ちょっと来い!」
「はーい、何おとん。」
「ミズ、あんたの部屋で手当てしてあげて。コウのお母さんには連絡したんか?」
「それならもう連絡しましたよ。あと、夜も遅くなりそうだから、車で送っていきます、とも言いました。」
「さすが、俺の嫁や。気が利くな。」
まるで、新婚夫婦のようであった。
「・・・わかったわ。」
そう言って階段を上り、ミズの部屋の中に入った。
ミズの両親は、京都、大阪出身で、ミズが2歳の時に大阪から引っ越してきた。
親同士が同じ会社に勤務していて、家族間でも仲がよかった。
だから、僕はミズと2人で風呂に入ったこともある。
「あんた、体ぶよぶよすぎひん?そんな痩せてんのに。」
「うるさいな。その記憶を消してくれ。」
僕は、先程の事を思い出し、赤面した。
「あ、そうや、ちょっと待ってな。」
ミズは、救急箱を取り出した。
その間に、僕はミズの部屋を見渡した。
机の上に、アサガオの花が飾られていた。
「きれいやろ?それな、あんたが小さいときに私にくれた種から育ってんで。」
「あれ?僕、そんなことしたっけ。」
「まあええわ。それよりもやな、はよほっぺたこっち向けて。」
「ん?キスをしたいの?」
「アホ!」
彼女は、僕の怪我をしていない方の頬を叩いた。
僕は、彼女の言う通り頬を向けた。
「コウ、ちょっと愚痴聞いてくれる?」
僕は手当てをされながら頷いた。
「親が、子供扱いしてくんねん。さっき見ててわかったやろ?もう私は大人やのに。」
ミズは、僕の顔を撫でながら話し続けた。
「親からな、高校卒業したらイギリスに留学しぃって言われてんねん。しかも、心配やからって、家族全員でイギリスに住むことになってん。」
震えた手が、僕の顔に触れる。
「嫌や。嫌やねん。」
「じゃあ、その気持ちを親に伝えればいいんじゃないか?」
「でもな。私がその言葉を口に出すことで、親はどう思う?傷つくんとちゃう?だから私は、留学しようと思ってんねん。」
振動が僕に伝播する。
「たぶん、コウやったら行くなって言うと思う。」
「当り前じゃないか。」
「そんなん言わんといて欲しい。だって、これもーーーー」
僕には、彼女が言う次の言葉が分かってしまった。
「勉強やから。」
正解だった。
「勉強やから、嫌でもやらなあかんねん。だからな、コウ。私を引き留めんといてな。」
はい、という言葉がのどに刺さる。
二人とも、しばらく沈黙した。
「言うてもまだ半年以上あんねんし、昼休みにはあんたに勉強教えるから、接点はまだあるからな。あ、そうそう。接点といえばやな、えーっとどこにあったかなぁっと。あ、あった。数二で円の方程式の接点の求め方をーーーー」
笑顔。その流れで、僕は彼女に数学を少し教わった。
途中、夕食をご馳走になり、僕は家に帰宅した。
「こんな遅くにすみません。車で送ってもらって、その上夕食までご馳走になったみたいで、ありがとうございます。」
「いえいえ、これからも仲良くしていきましょうや。」
ワハハハハという声を聴いて、僕は自分の部屋に向かった。
「勉強か・・・」
ぽつりと呟いた。
水を飲みに台所へ行くと、隣の部屋でテレビが点いていた。
エルニーニョがどうたらで、今年は冷夏になるそうだ。
僕は、風呂場で見た夢を思い出す。
「そうだった。僕は、昔は勉強してたんだ。・・・いやしていないな。だって、強いられずに楽しく学習していたのだから。」
勉強は楽しいものでなく、辛いものなのだ。
だから、昔の僕は単なる学習をしていたのだ。
仕方がないな、と言い残して、僕は勉強をすることにした。
明日から。
翌日の昼休み。
「じゃあ、勉強しよか。」
「唐突だが、僕たちだけの合言葉、のようなものを考えないか。毎回、勉強を始める前に定型文を決めておけば、すぐに勉強会へのモチベーションの切り替えができるかな、って。」
「なるほど、思い込みの効果やな。ええっと、どんなんにしよ。」
彼女は考え込んだ。
「お昼時の勉強会だから、弁当をしよう、とか?」
「アホ。でも、なんかええな。」
こんな簡単なやり取りで、これからの定型文が決まったのだった。
数分後。
「行く川の流れは絶えずして、しかも、元の水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しく留まることなし。これは、方丈記っていう詩の冒頭文やねん。いろんなものは常に移り変わっていくという、無常観っていうのを表してるんやで。」
「無常ってあの、無常か?人でなし、みたいな意味のやつの。」
「なんでやねん。」
昼休み、僕はきちんと勉強している。
「あーもー疲れた。ほら、15分たったぞ。メシだメシ。」
「えー。まあええか、最初やし。じゃあ、ここで弁当にしよか。なんか、弁当と勉強って響き似てるな。」
「くだらないな。」
そう言いながらも、僕は心の奥ではお気に入りになっていた。
「せや、これからちょっとテンポ上げていくから頑張ってやぁ~。」
「えー。仕方が無いな。」
だって、これは勉強なのだから。
一学期が終わり、夏休みが始まった。
辺り一面、声にならない音で埋め尽くされ、何も見えない季節、それが夏。
その中に、僕は居る。
「なあ、夏祭り行かへん?」
「え?」
ミズは、唐突に口にした。
僕とミズは、夏休みも学校に来て勉強をしている。
それほど僕は、切羽詰まっていた。
「で、どうなん。行くの、行かんのどっちなん。」
「行く。」
僕は即答した。
だって、彼女にとって、最後の青春かもしれないのだから。
「おっしゃあ!じゃあ、明日の17時にタカタ駅の前な。」
彼女は喜びを口にする。
「そういえば、その祭りはどこでやっているんだ。」
「あーあそこ。小さい頃によく行った神社!まあ、あんたのことやし忘れるやろな。」
ぐうの音も出なかった。
「あっこやんか。近くに公園とか大学があるとこ。」
「ああ、あそこか。そういえばミズ、あそこで立ちションしてなかったか?」
「いらんこと思い出さんでええねん。」
彼女に軽く小突かれた。
今思えば、とても罰当たりなことをしていたと思う。
「この前一万円札をお賽銭箱に入れて平謝りしてきたから、罰は当たらんと思うで。」
「ちょ、そんなにお賽銭したのか。」
「うん。受験の年やからあんまり神様の反感買うと、学問の神様にチクられそうやん。だから、一万円なんて安いもんや。」
「神様って、それで許してくれるのか。」
「知らんけど。」
知らないのかよ、と心の中で言葉にした。
「と、いうことやから、明日絶対忘れたらあかんで。」
「ああ。」
僕は、鞄から弁当箱を取り出し、いただきます、と言って口にした。
宵の明星。
音がせわしなく動き回る。
その中で動き回る彼女、ミズ。
「ごめんお待たせ!初めてやから手間取ってもうて。」
彼女はどうやら急いで来たらしく、うなじからちらりと見える汗に、僕はエロスを感じていた。
「あんたの方が先に待ち合わせ場所に居るって、なんか新鮮やな。」
「うるさいな。」
「えへへ、そうかそうか。まあええか。行こ!」
僕はミズに手を引かれ、そのまま突き進んだ。
遅れたお詫びに何かおごってくれると聞いて、僕の心は弾んでいた。
「ここの大学を、一応受験すんねん。」
彼女は、早田大学を指さした。
「あ、そうなの?てっきり、イギリスの大学しか受けないものだと思ってた。」
「実力試しや。」
彼女はキメ顔で言った。
「受験料が嵩みそうだな。」
「親は、別になんでもええって。あんたが受けたいんやったらそうしぃ、やって。」
少し涼しさを覚えたが、僕は歩き続けた。
「あ、せや。あんたもここ受け。私が教えるんやから、絶対入れるで。」
「それは自信過剰ではないか。」
「ちゃう。絶対受かるわ。」
僕は、思うことがあった。
「もしかして、裏口?」
「アホッ!」
彼女は足早に進んだ。
さすが関西人といったところか、僕は付いていくので精一杯だった。
酉の刻、祭り会場。
そこらかしこからお囃子が聞こえる。
辺りに、匂いが立ち込める。
僕は、あまり祭りというものに来たことが無かったので少し興奮しつつ、先ほど怒らせてしまった彼女をなだめるために、少し小走りになりながら6個入りのたこ焼きを買ってきたのであった。
「お待たせ、ミズ。たこ焼き買ってきたよ。」
「・・・あんたのおごりな。」
不貞腐れながらも、彼女はそのたこ焼きを爪楊枝で頂いた。
「ふふっ。・・・はっはっは。」
彼女は唐突に笑い出した。
「やっぱいつも思うんやけど、東京のたこ焼きってなんか硬ない!?東京の人はこんなんが好きなん?」
「え、外はサクッと、中はトロリが一番じゃないのか。」
「当り前やん、外も中も柔らかい方がええやんか。こんど家来て。ほんまのたこ焼きを作ったるわ。」
「お、ミズの手作りか。楽しみだな。」
「じゃあ、違いが分かるようにあんたもこれ食べ。・・・って思ったんやけど、爪楊枝一本しかないやん。なんでやねん。」
僕は、僕が食べることを想定していなかった。
それが故の小さな事件である。
「しゃーないな。これ一本で食べよ。」
僕は、高揚した。
「え、いいのか。」
「ええんや、しゃーないからな。はよ口開けて。」
僕は、大きく口を開け、そして頂いた。
このたこ焼きは、平均的なものとは比べることができない程の美味しさであった。
これを超えるたこ焼きは、この世に存在するのだろうか。
そうしてたこ焼きを食べ終わって、僕たちはお祭りの王道である金魚すくいをした。
先ほど待ち合わせに遅れたお詫び、と言って、僕の分を奢ってくれた。
ミズは、一匹獲るごとに僕の顔を見つめていたが、最終的に僕の方が多く獲れてしまった。
彼女は不貞腐れてしまったが、僕が焼そばを奢る、というとすぐに彼女の機嫌は良くなった。
毎日、夏の暑さに朦朧としていたが、今日ばかりはこの温度が心地よかった。
二学期が始まる。
残暑の中、僕たちは昼休みの勉強会を再開した。
「弁当しよか。」
受験日まで、あと半年を切っていた。
僕は、数学に伸び悩んでいる。
前に少し教えてもらったが、あれだけで点数は獲れなかったようだ。
「ずっと、文系科目しかやってなかったもんな。じゃあ、今日は数学やろか。数二の微分やんで。コウ、三次関数のグラフ書ける?」
「悪いが書けない。」
「直線が2回曲がった様なグラフになるんやけど、まずは三次関数を微分すんねん。それからーーーー」
僕は、一所懸命に聞いていた。
数分後。
「要するに、微分すればグラフが描けんねん。」
僕は、疲れの波が押し寄せてきたのを感じた。
「いつの間にかもう15分たってる。じゃあ、ここで弁当にしよう。」
僕は、弁当箱をカバンから取り出し、いただきます、と言って弁当を口にした。
「私の人生のグラフも、微分して描きたいなぁ。」
彼女もいただきます、と言って、弁当を口にした。
正月。
僕とミズは湯志摩天満宮に来ていた。
参拝待ち2時間、というプラカードを見て落胆しつつも、ミズが待つと言うので、僕はハスドラをしながら待つことにした。
「なあコウ、最近そのゲームのCMよく見るんやけど、それの面白さってなに?」
ミズにとっては疑問だった。
電車の中でもする程のものなのか、と。
「ええっと、初めはかつてのゲームの常識を覆していたからやっていたんだ。でも、そのゲーム内のガチャガチャで良いものを引かないとーーーーー」
コウが熱く語り始めたので、ミズは持ってきた自書を読み始めた。
「だから、僕は好きなんだ。」
コウは、頬を赤らめていた。
「なに、私に言ったん?」
「ゲームにだよ!」
「ごめん、知っとった。」
コウから、湯気が立ちのぼっていた。
しかし、夜の風に当てられて、すぐに消え去った。
何時間か経ったのか、この神社の本堂が目の前にあった。
僕は、ポケットにある50円玉を強く握りしめていた。
僕たちの番になる。
コウとミズは賽銭箱に50円玉を投げ入れ、そして二礼二拍手一礼する。
数十秒。
最後に一礼する。
人の波をかき分けて、拓けたところに進んだ。
すると、既にミズがそこに立っていた。
「願い事言えた?」
「ああ。」
僕は頷いた。
「そっか。」
そして僕たちは帰路についた。
その途中、朝日を拝むことになった。
初日の出。
これから、また新しく始まっていく。
もう少し時間は掛かるが、日が昇って暖かくなっていくだろう。
僕はそう思った。
月日は百代の過客にして、行かふ年もまた旅人なり。
これは、奥の細道の冒頭文であり、この世の全てだ。
遂に来てしまった、今日という日。
三月、空港にて。
僕は、ミズの見送りに来ていた。
「コウちゃん、ごめんなぁ。家族みんなでイギリスに行くことにしてん。」
「ああ、でも仕方がないんや。辛いと思うけど、これもミズのためやと思って許してな。」
家は売り払い、イギリスに新しい家を買ったそうだ。
「今日でお別れやね、コウ。そんな顔せんといてえや。ほら、今はネットがあるやん。だから私がイギリスに居ってもすぐ会えるで。」
目の前にゲートがある。
ミズが行ってしまう。
僕は何も言えない。
自分が醜い。
ビジネスか、あるいは単なる旅行か。
行きかう人々は、それぞれの色を出す。
僕の色は何だろうか。
出せなかった息が膨張し、この場所に広がっていく。
思いを伝えなければ。
「ミズ、行くな。」
やっと出せたこの息は何色か。
「コウ、止めんといて。」
「いや、止めない。ミズ、行きたくないのに行ってしまうと、後が辛いだけだ。」
「そんなんわからんやん。もしかしたら楽しいかもよ。」
「ああ、確かに解らない。人生は、グラフのように微分もできない。だが、一つだけ、言えることがある。」
「なんやねん。」
「僕が悲しい。寂しい。」
僕は、言う。
「ミズ、好きだ。」
この場が、色を出す。
ミズの色。
「アホッ!なんで今言うん。もうちょっと早く言ってぇや。」
「だから行くな。ミズ。」
ミズの両親が怪訝な顔を見せる。
「どうしたんや、ミズ。もう行かなあかんで。」
「・・・ごめんなさい、おとん。私、やっぱり行きたくない。コウと一緒に居たい!」
両親は驚く。しかし同時に、安堵の息を漏らした。
「ああ、そうか。もうミズも自分の意見を言えるようになってんな。」
「でも、言ってることは子供ちゃいます?」
両親は笑った。
「・・・解った。でも、この日本にはあんたの家ないで。」
「それじゃあこうしよか。ミズ、コウの家に住まわせてもらいなさい。」
今度は僕が驚いた。
「じゃあ、そうさせてもらうわ。コウ、これからよろしく。」
僕の脳内回路は、今の状況を適切に接続できなかった。
「俺らはこのままイギリスに住むわ。それじゃあ元気でやれよ。お二人さん。」
ミズの両親は、搭乗ゲートをくぐり、空の船に乗船した。
「ほんまに二人で行きよったわ。」
「僕はこの状況を理解できていない。」
「誰だってそうや。こんなん唐突すぎるわ。さっきの告白もな。」
僕は赤面した。
「・・・それじゃあミズ、返事をお聞かせ願いたい。」
「もちろんイエスや。」
刹那。
「もうちょっともったいぶってくれよ。」
「ええやんか。これからよろしくな、コウ、改め彼氏さん。」
春。
僕たちに見事な桜が咲いた。
同じ家に住まい、同じ大学の二人。
ミズは主席。
僕は相変わらず、学力は下の方だった。
「ミズ、やはり僕は勉強が嫌いだ。」
「またそんなん言ってんの?しゃあないな。また勉強教えたるわ。」
僕たちは、同じ言葉を口にした。
「ここで、弁当をしよう。」
ここで、弁当をしよう。 スーキー @marsarsususu
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