ダイヤモンド

五十ハジメ

第1話 運命の人

 学生時代、それこそ全てを懸けて取り組んだ事が報われたのだと喜んだ。

高校でドラフト入りする夢を絶たれ、それでも諦めきれずに大学でも野球を続けたはいいが、それも気付けば最終学年。

このまま社会人でも野球を続ける事は両親に良い顔をされないと、大人しく一般就職に落ち着かねばと思い始めた矢先にどうにか掴んだプロへの道。

それにも殆ど『引っかかる』様にして滑り込んだものの、夢にまで見たプロ野球界。

夢も希望も溢れて居た…いつか大舞台を掴み取ると意気込んだあの頃。

…それから鳴かず飛ばずで気付けば…2年。

年も変わり、今年が3年目。

ともすれば、今年芽が出なければもう一度、一般就職の道を視野に入れなければならないのだろう。

3年間育成契約のままであれば、自動的に自由契約。

どうしたって考えるし、今後の事が重くのしかかる。

そんな事を考えて吐き出した重い溜息と共に迎えた新年。

実家に帰るわけでも無く、一人迎えたこの日は自分にとってオフシーズンの数ある何気無い一日に過ぎない。



 青春のすべてをかけて共に白球を追いかけていた旧友たちが、一人また一人と身を固めて行くのを見送り、筆不精も相まって減り続ける年賀状は、それでも今年も一方的に新年の慶びを告げる。

色鮮やかなテンプレ文字に乗せて、結婚、出産と慶事を報せる。

自分の未来さえも解らない俺には、幸せそうに身を寄せ合う家族写真が眩しく見える。

「幸せそうでなによりだ。今年こそ、俺だけ取り残されてんじゃねーの?」

 やさぐれそうになる気持ちを昼間から飲むビールの苦みと共に嚥下して一枚、また一枚と表と裏を眺めては積み重ねる。

「ん?あぁ、コイツはまだか。今年も同志だな…」

 ふと手にした一枚。差出人は福留俊哉。

中学高校と、殆ど何をするにも隣に居た気がする戦友とも悪友とも言えるソイツの葉書には、大量生産された味気ない新年を慶ぶ文字とは別に、馴染みのある決して綺麗とは言い難い、然もすれば殴り書きとも言える乱雑な文字が添えられている。

その添えられていた『飲みに行こう』の一文字に、暫く連絡を取っていなかった事を思い出して久しぶりに付き合ってやるかと思いたって携帯を取り出した。


 ただの飲み会と思えば騙されたように連れてこられたその場所は、俗に言う合コンの場。

俺と福留の他にいた二人は、それぞれに人懐っこそうに挨拶を送ってくれたが、今日この場限りの付き合いの相手の名前はすぐさま右から左へと流れて、記憶の歯牙にもかからなかった。

それは、俺にとって不毛とも言える合コンが始まり、目の前に女性陣が現れてからも変わる事は無かった。

「つまんなそうな顔すんなよ。気兼ねしないでさぁ…今日は楽しめよ!」

「二度と来ないからな…。新年早々飲み行こうとか…調子がいいと思ったよ…」

「まぁそーゆーなって!な?運命の出会いがあるかもしれないだろ?」

「運命ねぇ…」

 訳もわからないまま進んだその場は、どうにも気乗りせずただ酒を飲むことだけに徹しようとそっと端の席に避けた。

盛り上がるその場の温度とは裏腹に、自分だけが場違いのように冷めた温度でその場を眺めた。





「あの…、もしかして人数合わせ…ですか?」

 ぼんやりと酒を干すだけの作業に徹していれば、いつの間にか席替えをしたのか目の前に居たのは賑やかな雰囲気とは遠い、大人しそうな見た目の女性だった。

どうやら同じような理由でこの場に連れてこられていたのだろう。

所在なさげなその眼差しに同志を見つけたとほんの少し気持ちが上向いた。

「もしかして、あなたもですか?」

「どうしてもって言われちゃって…」

 苦笑いを浮かべたその女性は、ホッとした様に息を吐き出した。

彼女もまた、自分と同じ境遇の人間を見つけた事に安堵したのだろう。

「申し訳ないです…自己紹介まともに聞いてなくて…名前伺っても?俺は、」

「辰巳さん、ですよね?」

「あ、はい…。覚えてらしたんですか?」

「仕事が受付なんで、職業柄、一度聞いたお名前は覚える癖がついてるんです。私は、酒井と言います」

「えーと…じゃぁ…あぶれた者同士もう一回乾杯でもしませんか?」

「…はい!」



 自分の仕事を一切明かさずに、ただの一般人として過ごす時間は始まった当初には考え付かない程に楽しい物になった。

それは偏に、野球以外をしてこなかった面白みのない俺の話を、小さな笑みを絶やさずに聞き続け、そこから会話を広げてくれた彼女…酒井さんの人柄の賜物に思う。

福留が言っていた「運命の出会い」とはこれかも知れないと、酒に酔い始めた頭でぼんやり思うほどにはいい気分になっていた。


「さーてと、そろそろお開きにしますか!今日はここで解散予定だから、連絡先の交換とかしちゃいたいなら今の内だぜ?ってことでぇー…女性陣はオレにメアド教えてー!」

 福留のその一声で各々が連絡先を交換し始めたのを横目に、折角の機会だとばかりに携帯を取り出してそっと目の前に掲げる。

「えっと…よかったら連絡先教えて貰えないかな?なんていうか…記念…?」

「記念ですか?…辰巳さん、面白いこと言いますね!」

「あー…駄目っすかね?」

「…大丈夫っすよ?」

 悪戯っ子のような笑みを浮かべて俺の言葉尻を真似た彼女が同じように携帯を取り出して掲げて見せたところでお互いにパチリと合った視線を絡めて噴き出す様に小さく笑い合う。

「えっと…辰巳さんって下のお名前なんて言うんですか?」

「あぁ、リョウです。鍋蓋の下に口書いて…なんかタコの足生えたようなアレっす」

「タコの足…っ…!これから亮さんのお名前見る度にタコの足思い出して笑っちゃいそうですよ!…はい、登録できました」

「あー…と…。酒井さんの下のお名前は?」

「愛情の愛に、希望の希で、アキって言います。…名前負けしてて恐縮です」

「愛希さん…。いや、名前負けとかそんな。その…凄い綺麗な名前、ですね…」

「そう言っていただけると嬉しいです。あの…今度はゆっくりお話ししたいなとか…思ってて…。連絡頂けるの待ってます」

 どことなく恥ずかしそうに、周りに聞こえない程度の声音で呟かれたその台詞に年甲斐もなく一気に体温が上がる気がした。

今まで自分の生活は文字通りに野球中心だったため、まともな恋愛なんてものも無縁な日々。

こうやって異性と連絡先を交換するなんて事もしなかった訳ではないが、惰性で交換してまともに連絡をした事は無い。それに比べて、今は手に入れたこの連絡先が物凄く嬉しいと思ってしまう。

きっと今回は、日を空けずに連絡をするんだろう。

「おー?どうした?なんかお前、最近調子良くないか?」

「あー、金本さん聞いてくださいよー!辰巳の奴、彼女出来たらしいんですよ!」

「ちょ、新井っ!!まだ彼女じゃないって言ってんだろ!」

「彼女だぁー?!浮かれやがってっ!オレにも紹介しろよ!彼女の友達とか!」

「だから、まだ彼女じゃないんですってば!」

 数か月に一回、お世話になっている先輩の金本さんと、同期の新井と三人で飲むのが恒例。一軍の金本さんと新井と飲む時は楽しさ半分、自分の不甲斐なさ半分で酒の力を借りてその不甲斐なさを吐き出しては叱咤激励を貰う事が多い。

 何時もであれば、酒が入れば入っただけ鬱蒼とした気分と漠然とした将来への不安に胸と頭が痛くなるところだが、今回は違った。

愛希さんの存在で何が何でも今の立ち位置にしがみ付かなくてはという強迫観念が解けた。

膨れた思いはいつ溢れ出してもおかしくない程度に大きくなり、妄想の中で一般就職をした先で、彼女の隣でなら新しい幸せを手にすることも出来るのではないかと軽くなった気持ちは、ガチガチに固まっていた肩の力を抜かせるには十分だった。

何より、そうやってプロ野球選手としての自分以外を好意的に想像した事で出来た余裕は、今まで低迷していた成績を底上げして、その成績がまた自信に繋がり育成枠から今では二軍…。

彼女に出会ってから自分に起きた変化は良い事ばかり。

あの時、福留に言われた運命の出会いはどうやら勝利の女神との邂逅をもたらした様だ。

「それにしても、彼女出来てから成績も上がったなぁ…。ここだけの話だけど…今期から監督になった稲葉さんが高校の先輩で。まぁ、直接一緒にプレイはしてないけどそんな縁で良くしてもらっててよ?」

「あぁ、金本さんと稲葉監督って先輩後輩なんですよねー。良くジャレてますよね?」

「馬鹿か?あれはジャレてるんじゃなくて、扱かれてんだよ!それは良いんだけど、稲葉さんがな?辰巳の事いいなって言ってたんだよ」

「…監督が、ですか?」

「おう。最近、育成から二軍に上げたのも、後々は一軍起用を視野に入れて経験積ませるって言ってたんだよ。お前、今年チャンスあるかもだぞ?」

 思っても見なかった事で抓んでいた枝豆がテーブルにコロンと落ちたのを気にすることも出来なかった。勿論、一軍起用は願ってもない事で、狙って居たことで。

それと同時に、夢でもあった。

その夢が一気に現実の目標として目の前にぶら下がった事で小さく体が震えた。

「辰巳が一軍か…。一緒にプレイ出来るかもしれねぇんだな!」

「新井が二軍落ちしても一緒にプレイ出来るぞ?まぁ?俺は?二軍落ちとかねぇから?辰巳が一軍に上がってこねぇと一緒に出来ねぇけど?」

 ニヤニヤと笑いながら新井を揶揄って笑っている金本さんの目元が、本当に楽しそうできっとそれは揶揄うのが楽しいのよりも、俺と一緒にプレイ出来るかもしれない事を純粋に喜んでくれているのだと感じた。

口ではどうこう言いながら、何かと世話を焼き続けてくれた金本さんは本当に良い先輩だ。

野球の事も、プライベートの事も、真剣おふざけ変わりなく、幾度となく相談をしてきた人でもある。

この人になら、今悩んでいる事を話してもいいかもしれない。

何を隠そう、俺は未だに彼女へと自分が野球選手だという事を告げていない。

つい最近まで育成選手だったため、プロとは言えなかった。

ただ、濁す様に伝えたのは個人事業主だという事だけ。

このままではいけないのは十分に解っている、が…最初に伝えることが出来なかったことは、時期を逃した気がして話そうと思うたびにしり込みしてしまう。

「…金本さん、相談あるんですけど…」

「お?何よ。深刻?」

「深刻、なんでしょうか…?」

「いや、俺が聞いてんだっての。取り敢えず話してみろ」

「お二人さん、ナチュラルに俺の事置き去りにしてません?」

「あぁ、ついでに新井も相談乗ってくれ」

「ついで!物凄く不本意だけど!聞いてやる!」

「新井、うるさい。それで、相談ってのは…その話の彼女の事なんですけど…。俺の職業言ってないんです」

 隣で喚く新井の声に耳に指を突っ込んで、肩をすくめながら金本さんに向き直り相談を口にしたら飲んでいたビールジョッキの動きをピタリと止めて視線だけで怪訝そうに見られた。

その視線は、続きを話せと促しているようで手元のジョッキを掴んで一口、不思議と雰囲気のせいか苦みの増したビールをゴクリと、喉奥に無理矢理流し込んだ。

「知り合った時は、勿論育成の時で、”プロ”野球選手としては言えなかったってのと…まぁ…なんにもない俺として見てほしかったのもあって、言わなかったんですけど」

「んで、付き合いたいけど言わねぇ訳にはいかない。だけど言うにしても時期のがして言い辛いってか?」

「…まぁ、はい…」

「っかー!バカだバカだとは思ってたが、本当のバカだったか!」

「…自分で解ってるからこうやって恥を忍んで言ってんだろ…」

 呆れたとばかりに大きなため息を吐き出して新井がテーブルに拳をぶつける音にビクリと肩を震わせてそちらを伺えば据わった目で睨まれる。

自分でもマズイとは思って居る傍ら何も言い返せずに項垂れれば金本さんがジョッキをトン、と静かに置いてこちらを伺うように顔を覗き込んできた。

「…言うつもりはあるんだろ?」

「そりゃ、勿論。このままじゃいけないのも分かってますし…ただ、今更どういったらいいのかとか…考えちゃってる訳で…」

「金本さーん。辰巳のチキン具合じゃ駄目ですってー。もういっそ、ここで電話でもさせちゃえばいいんすよー」

「まぁ、待てって。俺に良い考えがある。どうせここまで引っ張ったなら壮大な告白劇にしてみろって」

「壮大な告白劇て言ったって…何すか…バラの花束でももっていけばいいんすか?」

 言われている意味も分からなければ、もはや面白がられている気がして投げやりに答えれば「バカか」と額を叩かれてまたむくれる。

その後、金本さんから言われた「壮大な告白劇」の概要は俺だけじゃなく新井の度肝も抜いた。

上手くいくわけが無いと否定する俺とは裏腹に、何故だか新井が一番の盛り上がりを見せてその意見を推してくる。

二対一の意見の攻防戦は、当たり前に分が悪く…結局押し切られるようにしてその機会が来た時には実践することを約束させられてその日の飲み会は終わりを告げた。

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