第2話 罅割れる日々。(6)

6.

「おぉいおい! どこに行こうとしてんだよ!?」


 二人が振り向くとごみ山から勢いよく顔を出した豪々吾が頭にバナナの皮を乗せて叫んでいた。

 今朝も同じ光景を見た気がしたが、兄弟だから仕方がないかと思い深く考えるのは止めた。


「クソ兄貴、しつこい男は嫌われますわよ?」


 野々乃は無駄と知りつつ、非難めいた目で豪々吾に指摘する。


「ああぁん? 男同士の熱い戦いに水差してんじゃねぇよ!?」

「……ぐっ」


 その鋭い目つきに野ノ乃は僅かにたじろぐ。口調は攻撃的でも兄弟と言う生まれ持っての上下関係には逆らえないらしい。


「とにかく、俺様が挑戦者である以上、ブラザーにはその挑戦を受ける義務があるんだよ!!!」


 半ば強引にもっともらしい大義名分を説く。


「そうだろ!? ブラザー!?」

「いや、特にない。そんで、ブラザー言うな」


 取り付く島がないとはまさにこのこと。


「そろいもそろって俺様の扱いがひど過ぎやしねぇか!?」

「兄貴はお呼びでないってことですよ。エンチャント!」


 言いながら野ノ乃が爪先で地面を軽くたたく。するとオレンジ色の魔力が巻き起こり、野ノ乃の右足を中心にゆらゆらと漂いながら回り始め火の粉を散らす炎の円陣を生み出した。

 これが野ノ乃のエンチャンターの本来の姿であり『炎陣えんじん』と呼ばれる攻撃の起点となるものである。


「おい!?」


 野ノ乃がこれから何をするかは容易に想像がついた。透哉は無駄と知りつつ止めに入る。


「お気になさらず。この程度じゃあうちのクソ兄貴は死んだりしませんから」


 透哉の抑止も聞かず、野ノ乃はにっこり笑みを返すと未だにゴミ山に佇む豪々吾に狙いを定める。

 そして、魔力で満ちた爪先を地面に擦りながらコンパスのように軽やかに一回転する。爪先の描いた軌跡に炎が舞い上がり、瞬く間に人の背丈ほどの炎の車輪となり、豪々吾が埋もれたゴミ置き場に火の粉を巻き散らしながら猛進した。


「あ?」


 豪々吾が悠長に一言漏らす間に炎の車輪が眼前に迫っていた。


「はぁっ!! 吹き飛べ――!!!」


 車輪が直撃する寸前で野ノ乃が気合いの声を上げる。

 虚勢でも誇張でもない灼熱の一撃はゴミ袋に触れるや否や直ちに燃え移り、激しく燃え盛り、やがてその中の豪々吾を巻き込み大爆発した。

 豪々吾が現れた時の爆発とはケタの違う熱と爆風が学園の敷地内で暴れる。

 さっきは軋む程度だった校舎の窓ガラスには生々しい亀裂が入り、周囲の木々も一部が焼け焦げて黒くなっていた。

 しかし、そんな些細なことには誰も目を向けなかった。誰もが同じ場所に釘づけになっていた。

 車輪の直撃を受けたゴミ置き場は完全に火の海と化し、ビニールや紙が燃える異様な臭いが立ち込めていた。

 その向こうの実習棟は特に酷かった。

 爆発の衝撃をもろに受けたのか窓ガラスは全壊し、壁の至る所に飛散した物体が焼けつき、煤でそこら中が黒く染まっていた。

――ギ、ギギギ。

 何かが軋む音。


『おい、倒れるぞ!?』


 声の指す方向を見ると高さが十メートルはある植木が根元から倒れ始めていた。倒れた植木は砕け散り、焼け焦げた丸太となって辺りに散乱する。


「いくらなんでもやりすぎだろ!?」


 空襲を受けたようなゴミ置き場と校舎の惨状に透哉が声を上げる。


「――大丈夫ですよ。あの校舎には誰もいませんから、それに」


 野ノ乃は勢いが衰えることのない火の海に目を向けつつ、淡々と言葉を続ける。話の最中また一本植木が崩れ落ち、大破した。


「――はぁ、これっ……くらいしないと……兄貴には意味っないんですよ」


 返事をした野ノ乃はひどく疲れ切っていて、ふらふらと足元がおぼつかない。

透哉は支えに入るか迷ったが、野ノ乃は寸前のところで踏ん張り、姿勢を保った。


「ありがとうございます。でも、少しすれば治りますわ」


 エンチャンターにとって急激な魔力消費は貧血に似た症状を引き起こす要因になる。逆を言うと野ノ乃はそれほどの一撃を実の兄に向けて放ったのである。


「自分の魔力量も考えずぶっ放すからこういうことになんだ」


 皮肉には違いないのだが、透哉は加害者の野ノ乃の身を案じた。

 この場において誰も豪々吾の心配をしない。

 炎はついには実習棟へと燃え移ろうとしていた。

 が、豪々吾は依然として消息を絶ったままである。

 そんな中で透哉はある違和感に気付いた。


(ん? ……あれ?)

『――大丈夫ですよ。この時間、あの校舎には誰もいませんから』


 ついさっき野ノ乃が口にした言葉。

 実習棟は特別授業の時以外使われておらず、普段は施錠されているために出入りはない。そのため昇降口の前にもかかわらずゴミ置き場が設置されているのである。

 けれど何かとんでもないことを忘れているような、言いようのない不安にかられる。

 しかし、騒ぎ出した野次馬の声に透哉は意識を奪われた。


『おい、おい! マジかよ!?』

『あれ死ぬんじゃねぇの?』

『むしろ生きてたら化け物だろ!!』


 夜ノ島学園に通っている生徒にとっては魔力による火事、爆音は日常茶飯事である。

 けれど、建物をまるまる飲み込んでしまいそうな規模の火災は稀である。

 七奈兄弟の喧嘩……というより野ノ乃の一方的な兄嫌いを知らないものが見たら驚きの声の一つも上げるだろう。たかが兄弟げんかに殺人的な領域にまで高めた魔力を使って攻撃したのだから。


『おお!?』


 野次馬の中にどよめきが広がる。

 その場に居合わせた誰もがその異様な光景に息を呑んだ。

 燃え盛る炎の中にゆらりと人型のシルエットが浮かび上がったからだ。

 金属を変形させるほどの灼熱に苦しむ様子はなく、極めて普通に立って頭をボリボリとかいていた。


『なかなかの火力じゃねぇか!? 我が妹よぉ!』


 焼け音に混じって炎の海の中から響いたのは紛れもなく豪々吾の声。

 しかし、怒りの咆哮ではない。単純に自分が受けた攻撃への感想を述べただけだった。


「……っ」


 渾身に近い一撃を放ったのに何一つ応えている気配がない。

 そんな兄の姿に野ノ乃は言いようのない無力感に包まれる。


『だがな、物を燃やすって言うのはこうやるんだよ!』


 炎の向こうのシルエットがこれ見よがしに足を振り上げ、四股を踏むように一気に地面目がけて振りおろされる。

 瞬間、空気と言うよりも、付近の空間が揺らいだ。豪々吾が生みだしたとてつもない熱量は周囲の空気を一気に膨張させ大気そのものを震わせたのである。

 膨大な熱は豪々吾の周りの燃焼している最中のゴミを瞬く間に燃やし尽くして消火した。燃える物がなくなって鎮火するみたいに。

 魔力を『熱』に変換する能力の豪々吾は妹の野ノ乃が『炎』という具体的な上限を持っているのに対し、事実上限界がない。魔力を込めれば込めるほど温度は上がり、爆発の規模も上昇する。それを証拠に豪々吾はもう何もしていないのに周囲にはびりびりとした衝撃の余韻が未だに残っていた。


「まぁ、こんなもんよ」


 ゴミの山を灰の山に変えた豪々吾は靴に着いた灰を軽く払いながら満足げに言う。

 その場に居合わせた誰もが改めて豪々吾と言うエンチャンターの圧倒的な力を知る。

 隣で野ノ乃が悔しさからギッと歯噛みするのが見えた。


「でもここら辺にしておけよ? いくら妹とは言え男同士の決闘に水注すんじゃねーよ。闘争心が覚めちまうだろ!?」


 妹の能力を評価する一方で決闘に水を注す邪魔者への憤りを口にする。いつも血の気が多いだけであまり怒ることが少ない豪々吾には珍しいことだった。


「う、」


 兄の予想外の剣幕に野ノ乃は思わず押し黙る。

 やりすぎた、そう顔に書いていた。


「――ったく、めんどくせぇ」


 言いつつ、透哉は野ノ乃を背で庇う形で前に出る。


「お兄様?」


 野ノ乃は予想外の顔で透哉の背を見上げる。

 豪々吾の決闘を真面目に受けること、自分のしりぬぐいを買って出たこと、その両方に驚いていた。

 立ち込める熱気の奥で更なる熱源たる豪々吾が嬉々とした表情を浮かべる。


「……文字通り火が付いてしまったようだな」


 透哉はそう漏らすと観念して一歩踏み出す。


「おう、それは嬉しいぜ。ここまでしても相手にされなかったらどうしようかとひやひやしていたところだったんだぜ!?」


 その顔にさっきまでの無邪気な笑みはなく、ただ戦いを求める修羅と化していた。蜃気楼さえ見えそうなほどの熱気の向こうに獣のような目つきが爛爛と輝いていた。


「あんたがひやひやねぇ……そんな姿、想像できそうにないな」

「さぁ、今朝の続きだ。第二幕と行こうぜ!」


 全てを灰と化し葬る灼熱のエンチャンター七奈豪々吾は真剣な顔つきで楽しそうに笑い、僅かに姿勢を落とす。

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