第3話 二人の亀裂、そして――(2)

 2.

 軽い眩暈を起こしながらホタルは一変した景色を一望する。

 どこかの空き教室なのかと思ったが室内は嵐でも通り抜けたのかと思うほど荒れ果て閑散としていた。

 辺りの異常な明るさを不思議に思いながら見上げると天井がなかった。


「……ここは?」

「ここは旧夜ノ島学園の跡地。そう、あなたの大好きな場所よ」


 ホタルのぼやきに背後からの不快な声が答えた。


「――っ!」

「ここならいくら暴れても周囲に気付かれる心配はないし、当然助けも来ない。気に入ってもらえたかしら?」

「荒れた舞台への招待痛み入る。だが、私は端から逃げるつもりなどない!」


 流耶の挑発にホタルは気迫の声で返し、全身に紫電を滾らせる。


「私には出来のいい機械みたいにセーフティはないの。初志貫徹、最初から最後までやり通すわ。だから最後に言うわね。――源ホタル、あなたを殺すわ」


 焦げ茶色の襤褸を纏った少女は嗤うわら

 これから死する者へ侮蔑を込めて。

 今日までの営みの全てを踏みにじり、命を嘲笑うために。

 肥大化する流耶の殺意が極限の恐怖と化しホタルに押し寄せる。

 口先だけのこけおどしではない。

 先に手を出したのは自分とは言え、余りに理不尽な声明にホタルはその場に踏みとどまることで抗った。万が一引いてしまえばその瞬間、恐怖心に戦意諸共食い殺されてしまうと思ったからだ。

 そして、それは突然――。

 床が波打ち、ホタルの真下に裂け目が生まれた。

 割れた床の奥から紫色の魔力が吹き出し、瞬く間に石臼のような白い歯を有した巨大な顎に変じ、ホタルの周囲を取り囲む。


「――くっ!」


 ホタルは直ちに床を蹴り、その範囲から離脱した。直後火花が散るほどの勢いで閉じられた顎は狩猟用の罠のように閉じたまま低音で唸る。


「せっかくさっきの私みたいに胴体で真っ二つに噛み千切ってあげようと思ったのに。人のことは殺しておいて自分は逃げるなんてずるいじゃない?」


 流耶は物欲しそうに唇を指でなぞりながら悠然とにじり寄る。

 ホタルには脱した窮地に安堵する間も与えられない。噴き出した嫌な汗に意識を向ける余裕さえない。

 ホタルは怖れを払拭するべく手の平に魔力を集中させると雷剣を顕現させ、初撃に必殺を込めて振り抜いた。


「切り裂けぇ――! 『雷王』――!!」


 この場の空気を一変させ、勝機を齎す一撃として、ホタルは咆哮する。


「――――っ!?」


 しかし、ホタルは絶句する。

 壁を裂き、床を割り、教室の景色を斜めに二分する特大の一閃は校舎を貫通した。

 それでも崩れゆく景色の中、変わらぬ姿の流耶がこちらを向いて歩いてくる。

 手応えはあったのだ。

 壁に切り込み、教室を切り裂き、床を切り抜いた。

 そのさなか、人体を両断する感触があった。にもかかわらず破壊と殺意の交点に流耶は当たり前のように立っている。

 写真を切り裂いて被写体だけが浮いて残っているみたいな、事実として受け入れがたい光景。

 外傷はまるでない、血の一滴も付いていないし、不気味な装束にも乱れはない。


「……もしかして、まだ私を殺そうとしているの?」


 流耶は子首を傾げるとさっきまでの狂おしい物とは違う素っ頓狂な声で尋ねた。


「私は貴様などに屈する気はない!」


 流耶は薄笑みを浮かべるとホタルの方にただ歩み始めた。

 両手を後ろで組み、散歩でもするみたいに。

 無防備な挑発に答えるようにホタルは雷剣を振り続けた。

 縦横無尽に切り裂き、肉を切る感触をいくら味わおうとも流耶は瞬時に再生する。進行を阻害することは愚か、姿勢を崩すことさえもできない。

 優に二桁を越える必殺を浴びせても、流耶に変化はない。


「ねぇ、ホタル? 何故学園が壊れても自然に修繕されるのか疑問に思ったことはない?」


 眼前にまで迫ってきた流耶が突如不可解なことを言い出した。

 締め上げられるような切迫感の中、ホタルは僅かに記憶を遡る。

 一年二組の教室内で変わらぬ姿形で自分の前に立ち続けた流耶たちにホタルは唖然とさせられた。

 しかし、だからこそホタルは見逃していた。

 さっき教室内で起きていた更なる異常に。

 机も窓ガラスもホタル電撃の影響を受けながら元通りだった。それどころか始めに消失していたはずの机までもが蘇っていた。


「エンチャント――『箱庭』ガーデン


 流耶の発声と同時、紫色の魔力が波紋となって広がり絨毯のように床の上を満たし、やがて溶けて消える。

 そして、何故か眼前の流耶の気配が急に希薄になった。

 まるで周辺一帯に気配が分散したみたいに。


(なんだ、この感覚は? どこかで……いや、そんなことよりも――!)


 流耶の口上に含まれた聞き慣れた一語にホタルは恐怖した。

『箱庭』

 それは生徒会メンバーが夜間のパトロールの際に用いる学園の見取り図を表示するための本の形をした魔道具。


「私は、私の魔力の及ぶ範囲内に私を無限に生成することができる。そして、同様に私が作り出した物、、、、、、も無限に生成することができる」


 言い終え、流耶がすぅっと右腕を持ち上げ、軽く振る。


「こんな風にねっ」


 流耶はそう言ってどこからともなく現れた机にゆっくりと腰を据えた。

 荒んだ教室内には似つかわしくない真新しい机。それは普段学園内で常用されている机と同種の代物。

 流耶は戦闘の渦中にありながらポケットからお菓子を取り出すような手軽さで机を一つ生成したのだ。


(学園内の備品の全てをこいつが生み出したとでもいうのか……)

 

 見たままを判断材料とし、ホタルは流耶をこの期に及んで軽視した、、、、、、、、、、、

 けれど即座に誤りに気付き、同時に思考の袋小路に追い込まれた。


「まさか――っ!」

「気付いた? 今の夜ノ島学園はね、私が作り出した物。いえ、私が夜ノ島学園なのよ?」

 

 学園中から奇妙な気配するのは当然だ。

 常日頃自分たちは眼前の化け物の腹の中で勉学に励んでいたのだから。逆に流耶を認識できないのは常に流耶の一部に囲まれているから。

 今肌で感じている気配は学園の中でいつも触れている空気に酷似している。


「そ、私を認識できないのは当然。だって常にあなたたちは私の気配の内側にいるのだから。水に浸されていたら濡れた感触を意識したりしないでしょ? それと同じことなのよ」


 流耶の気配が希薄になったと感じたのはここが普段の学園と同じ状況に陥ったからで、全クラスに在席する流耶に気付けないことも同様の理由なのだ。


「そして、あなたたちに預けてある『箱庭』は夜ノ島学園わたしの縮図を製本化した物に過ぎないのよ」


 今対峙している人の形をした流耶は氷山の一角でしかなかった。自分は巨人の毛先を相手に奮闘している気になっていただけだった。

 ホタルが自分の相対した存在の強大さに膝をついた瞬間だった。


「あ、ああ――勝てるはずが、ない……」

「あら? 今更絶望したの? ずいぶんとのんびり屋さんなのね」


 対面して初めて向けられた本当の敵意と殺意に満ちた眼光がホタルを刺す。

 蛇に睨まれた蛙とはまさにこのこと。

 少しでも流耶から逃れるため身を反らせる。

 が、流耶は潜り込むように下から肉迫する。


「あなたをこの学園から追放……いえ、餌食にしてあげるわ」


 唇が触れそうなほど接近した流耶の口から最期を宣告された。

 しかし、ホタルは気迫で流耶のプレッシャーに耐え再び雷剣を構え、握る手に力を籠める。

 自身の魔力、その具現を勝ち目がないと理解した上で。


「さぁ、鳴きなさい、迷い姫! 断末魔が王子様に聞こえるようにね! キッヒヒィイヒィィィィ!!」


 一人の〈悪夢〉が織りなす狂気熱狂が倒壊した教室内をヘドロのように埋め尽くす。

 気味の悪さに、ホタルは条件反射で数歩退いた。

 たったそれだけで、崖から谷底に落ちるような恐怖がホタルを飲み込み、それ以上動くことができなかった。


「あ、えぁ――っ!?」


 ホタルは言葉にならない呻きを漏らしながら、置かれた状況に気付いた。

 両足が全く動かない。

 恐る恐る見ると床から生えた赤黒い血にまみれたヒルのような指がホタルの足に絡みついていた。

 続いて自分を取り囲むように床が波打ち、白い歯を筆頭に巨大な口角が左右からせり上がってきた。

 諦めが過った。

 徐々に閉じていく巨大な顎の中から、外の光が細くなっていくのを眺めながらに二つのことを思う。


 一つは迂闊に首を突っ込んだことへの後悔。

 もう一つは十年前の真実を確かめられなかったことへの未練。


「――――――え?」


 巨大な顎が閉じ切る直前。僅かな隙間から見えた最後の景色にホタルは声を漏らした。

 流耶が錐もみ状態になって真横に吹き飛び、机を巻き込みながら雪崩のように崩れ落ちた。すると巨大な顎は幻のように消え、拘束されていた足までもが自由になった。ホタルはその場にへたり込むと音がした方に目を向けた。


「――レディの顔面に蹴りを入れるなんて紳士失格よ、透哉?」


 折り重なる机の山の奥から怨念のような声が響く。ガラガラと机を押しのけ流耶が這い出てきた。


「悪いな。最近も同じようなことがあって感覚がマヒしてた。つーか、化け物が真っ当な扱いを期待するな」


 数秒前の流耶の立ち位置にはとってかわって一人の少年の後ろ姿があった。

 ホタルは咄嗟に言葉が思い浮かばず、口を半開きのままその背を見上げながら成り行きを見守るしかなかった。


「ウヒヒィ、まさか助けに来たなんて冗談言わないわよね?」


 流耶はホタルを一瞥すると侮蔑を込めた笑みを少年に向ける。半開きの口から洩れる怨嗟のような声が衝撃の余韻が残る教室内で不気味に響く。

 ホタルは密かに安堵した。あんな狂気に歪んだ感情を正面からぶつけられて正気を保てる自信がなかったからだ。


「これは私の食事よ。横取りは――」


 不意に言葉を切った流耶の顔がわずかに変化した。

 一見すると些細な変化だったが圧倒的な力でこの場を制圧してきた流耶が初めて他によって揺るがされたのだ。

 しかし、ホタルの目には流耶が怯んだ風に映った。


「ふふふ、やっとやる気になったのね。嬉しいわ」


 流耶は不敵な笑みを浮かべ驚くほどあっさり引き下がった。

 まるでもう用事は済んだと言わんばかりに。

 今の状況をセットアップすることだけが目的だったみたいに。


「残念だったわねホタル。どうやら現れたのは王子様ではなかったみたいよ?」


 寒気のする捨て台詞を吐き、流耶は紫色の波紋と共に消えた。

 透哉とホタルを残して。

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