第2話 罅割れる日々。(10)

 10.

 プールを後にした透哉の前に再びホタルが現れることはなかった。

 追撃、あるいは待ち伏せを警戒していたが全て徒労に終わった。


『今この場でお前を殺すのは骨だな』


 去り際に放った言葉の意味を多角的に考察したが明確な結論には至れない。

 単純に学園と言う場所を嫌ったのか、別の不安要素があったのか、準備が必要だったのかは分からない。

 学園からの帰路、旧夜ノ島学園の敷地内を移動中も警戒を継続していたのだが、それらしい動きはない。

 住処を確認した上で行動するなら装備を整えて夜襲を企んでいるかもしれない。


(…………)


 気を紛らわせるように、先刻の出来事から目を逸らせるように、冷徹に思考していた。

 透哉は旧夜ノ島学園内の瓦礫野原を歩きながら、ここなら大丈夫。と根拠のない安堵の中で自責の念にかられていた。

 友の非難の言葉を脳裏で繰り返し聞きながら、

 友の苦渋の表情を脳裏で繰り返し眺めながら、

 全てが後の祭りで、ここが潮時であることを理解する。

 そもそも、今日までがうまく行きすぎだったのだ。

 思い返すとホタルから質問を受けたあの放課後がターニングポイントだった。

 あの日を境に日常が歪み、罅割れ始めた。

 そして、わずか一日で亀裂が生じ、崩れ落ちようとしている。

 正体を隠し通すことで安寧を計り、ひいては大願成就の足掛かりになると考えていた。

 騙すことを正当化し、騙し続けた結果、最後に最悪な形で裏切ったのだ。

 豪々吾の嘆きに終始無言を貫いた自分の選択を間違いだとは思わない。

 しかし、最後に言うべきことがあったのではないか、と考えないこともない。

 謝罪や懺悔ではなく、豪々吾を納得させるウソや言い訳を。


(――俺は卑怯者だ)


 やはり自分は日の当たる場所を歩くことを許されなかった。

 本来あるべき場所、檻の内側に帰らなければいけない。所詮自分は柵の隙間から手を伸ばし無様に足掻く囚人なのだ。


(俺は学園から出て行こう……)


 自分自身に言い聞かせる。

 自らを追放し、心身共に獄中に閉じ込め、二度と開かぬよう施錠する。

 だが、学園を去る前に後一つだけやらなければならないことがある。

 影から学園統治に徹する決意を固めながら、前提として残っている後始末。


『答えろ! 御波透哉! お前は人殺しなのか!』

「俺は人殺しだよ。今も、そして、この後も」


 直接言えなかった返事を小声で呟く。


(そう言えば、名前で呼ばれたのはこれが初めてだな)


 豪々吾は透哉と出会った当初から名前で呼ぶよりも友好的な呼称で透哉に接してきた。

 それがこんな形で名を呼ばれる日が来るとは夢にも思わなかった。

 余りにも皮肉な事の結末。

 不意に頬に何か生暖かいものが触れた。

 雨か? そう思って雲一つない空を仰ぎ見て、


「あっ」


 一言漏らし、頬に手を伸ばし、触れて、原因を知る。


(あぁ、ああ……俺は、こんなにも弱い――っ)


 直面した自分の脆弱さ。

 目的の為なら非情にならなくてはいけない、はずなのに。

 決意を固めて、固めたつもりになって、

 捨てたつもりが、握りしめたままで、

 些細なことで揺れて崩れそうになる。

 目から流れた弱さに触れて思い知り、断ち切るように腕で頬と目尻を拭い去る。

 

 結局自分がすべきことは一つで、

 自分に出来ることも一つで、

 自分の野心は一つなのだ。


 邪魔になるものを排除し、

 影から学園を見守り、

 学園を再興する。


「なんだよ……全部園田の言った通りじゃねーか」


『今の君は不可能を吠えるだけの無能で、願望を垂れているだけの小僧に過ぎない』


 我が儘と野心を両立させようと足掻いていた透哉にぶつけられた厳しい一言。

 ことごとく的中する園田の助言に自分を呪わずにはいられない。

 凶育者を自称しつつも園田の言は透哉にとって常に正しい悪道を示していた。反感を持っていたのは未熟と未練が、故。

 最初から園田と言う黒い標識に従っていれば誰も傷つけることもなかった。

 下らない人間味に執着した代償としてはあまりに大きかった。


「は、笑える……」


 園田の言葉を元に省みて、甘過ぎる打算を叱咤する。

 なにせ、今の今までホタルを殺した後、日常に戻れると本気で考えていたからだ。


(ま、自業自得だな)


 透哉は嗜虐的な笑みを微かに浮かべ、

 一息吐いて自嘲し、

 甘えを切り捨て、

 潔く切り替える。


 人間エンチャンターから化け物ナイトメアへと。

 不可視のスイッチの導入が透哉の中から恣意的な感情を、取り除く。

 すると、精神の在り方に呼応するように左目に軽い疼きが走り、胃の中に焼けるほどの空腹感が溢れた。


(……)


 物々しい動作確認を終えると左目を強めに押さえる。

 僅かな疲労感と後味の悪さを残し、疼きは鎮まった。

 気付くとプレハブ小屋の前にまで来ていた。

 階段を上がり扉に手をかけたところで透哉は手を止めた。

 部屋の中から気配がしたからだ。

 緊張と共に扉を開いたが、この場所を訪れる人物など基本的に一人しかいない。


「なんだお前か……」


 中には予想通り、クラスメイトの流耶がいた。

 透哉の正面の席、今となっては流耶の指定席になりつつある席でカップ片手に書類に目を通している。


「お帰りなさい。コーヒーメーカー少し借りたわよ? 透哉も飲む?」

「ああ」


 背中を預けられる相手ではないが明確な殺意をぶつけてきた先刻のホタルよりは安全に違いない。


「ま、当然お前だよな」


 拍子抜けした透哉は韻を踏むようにぼやき、椅子に腰かけると重い息を吐いた。背もたれに体を預け、貰ったコーヒーを軽く含む。


(なんだこれ……クソうまい)


 認めるのが嫌だったので口には出さず、天井をぼんやりと眺める。


「まるで殺す言い訳を探しているみたいね?」


 唐突に思考に割り込んできた声に透哉は目を眇めた。


「――何が言いたい?」

「さっきホタルを殺し損なったでしょ?」

「……見ていたのか」

「ええ。と言っても直接見ていたのは私じゃないけれど」


 流耶は言って自らを指さした。


「殺すつもりはあったけど先手を取られて足がすくんだってところかしら?」

「は、冗談だろ?」


 透哉は流耶の挑発には乗らず鼻で笑った。百歩譲って殺すことを迷っているとしても恐れていることはありえなかったからだ。


「だったら早く殺すべきね」


 流耶はつまらなさそうにカップのコーヒーを啜った。

 のんびりしている場合ではないのは百も承知だが、どうにも落ち着かない。

 ふてくされた様子の流耶を眺めていると突然疑問が浮上した。


(源は何故流耶のことを知っていたんだ?――っ)


 先刻プールサイドでホタルと話をした時に抱いた違和感が流耶を前にして蘇った。

 あの場でホタルの口から流耶の名前が出るはずないのである。

 ホタルが何らかの要因を経て憶測で自分と流耶を結び付けたとしてもありえないことなのだ。

 そもそも、現段階でホタルが流耶を認識している点が異常なのである。

 流耶と言う存在はよほど強い印象や干渉を受けない限り本人の意志では見ることも意識することもできない。

 逆に認識できると言うことは傷口を繰り返しえぐるほどの精神ダメージを受けていることになる。それほどの出来事がなければ現状に説明がつかない。

 透哉は記憶を掘り起こし接点を探った。


(まさか昼間の食堂で!?)


 突然会話に割り込んできて、しかし、すぐ立ち去った流耶の不可解な行動。

 もしあの時、自分の意識の外で流耶がホタルに何らかの接触をしていたとしたら?

 そうすれば急に食堂を去ったホタルも、流耶が階段で自分に話しかけてきた理由をもうなずける。

 少し問い質してみる必要があった。透哉は姿勢を起こした。


「昼休み階段で話しかけてきたのもそう言うことなのか?」

「何のことかしら?」


 流耶は首を傾げた。

 ホタル殺害を推し進めてきたことを聞いたつもりだったが知らないらしい。もし知っていたら分かりやすくとぼけるか、からかいの混じった笑みを浮かべるはずだ。

 透哉は空回りする苛立ちを押さえながら説明を加える。


「確かに『私』ではないわね。私たちは常に意識の共有をしているけれど体感した物は個々の物よ。リンクすれば知ることはできるけど」


 今ひとつ内容はピンと来なかったが今この場にいる流耶はこの件に関わっていないらしい。


「でも考え方は同じよ。源ホタルは早々に殺すべき」

「それは同一人物の見解として同意見なのか? それとも第三者として同意見なのか?」

「両方あるわね。私の中には今回の件に興味がないものも幾人かいるわ。根が同じだからと言って同じ花が咲くとは限らないでしょ?」


 透哉は腕を組んで唸った。


「いずれにせよ、透哉はのんびりしすぎていたのよ」


 手遅れだ、と言わんばかりに流耶は言う。


「待て。今のはどういう意味だ」

「少し間違えたわ。まだこれからよ」


 流耶の口元が真横に裂け、薄気味悪い笑みがこぼれる。


「ふふっ、源ホタルはこれから死ぬ。私たちの誰かの手によって殺されてね」

「どういうことだ!」


 透哉は椅子を跳ねのけ立ち上がると流耶に詰め寄る。待ちわびたように笑みを浮かべる流耶を見て奥歯を噛みしめた。完全に楽しんでいる顔だった。


「これは園田の命令よ。今日の放課後までに透哉がホタルを殺さなかった場合、殺す意思がないとみなし、役目が自動的に私たちに移ることになっていたの」

「そんな話聞いていない」

「当然よ。これはあなたの覚悟を確かめるためなのだから。どこへ行くの?」


 話の半ばで入口の扉へと向かう透哉の背に流耶が尋ねた。


「何を焦っているの? いいじゃない。私たちがあなたの不安を取り除いてあげるんですもの」


 透哉は感情を殺し、肩越しに流耶を睨みつける。


「どうしたの透哉? 怖い顔して? 獲物を横取りされるのが不満なのかしら?」


 流耶は今にも破顔しそうな顔で、込み上げる笑いを堪えながら肩を揺らし言う。時折クツクツと漏れる声にこの場で切り殺してしまおうかと半ば本気で思う。

 本当はあった葛藤、それを揉み消してまで踏み切った友人殺しと言うタブーをあっさり踏みにじる流耶の行為。

 身勝手にも許せない、そう思ってしまうのだ。


「結果が同じでも俺が納得しない。んで、お前に貸しを作りたくない」

「ふふ、傲慢なのね」

「なんとでも言え。じゃあな」

「ふふ、あんなに血相欠いて……本当にいじらしくて可愛らしいわ」


 飛び出していった透哉の背を思い返すと堪えていた笑いが自然とこぼれた。


「たとえ個体は違っても私は私よ? 根が同じだからって同じ花が咲くとは限らない……だってそうでしょ? 根が腐っていたら花も実も腐ってしまうのだからククク、ウフフハハハッ!」


 流耶の嘲笑など透哉には聞こえない。

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