第2話 罅割れる日々。(8)
8.
とりあえず矢場にこっぴどく叱られた。
豪々吾を蹴り飛ばした直後、面倒なことになる前に退散しようと踵を返した透哉の前に矢場が立ちふさがっていた。
どうやら実習棟の三階から飛び降りてきたようで、手にはボロ雑巾と化した豪々吾が無造作にぶら下がっていた。
矢場は何を語るでもない。
豆鉄砲を食らった鳩のような顔をする透哉を前に今しがた起こった悲劇を惜しげもなく体現している。
(……汗)
実習棟の三階には給湯室が完備されている。
そして、そこは矢場が宿直室と称して住み着いている場所であり決して豪々吾を蹴り込んでいいところではない。
矢場は鬼の形相で迫るでもなく、髪から雫をこぼしながら無言のまま透哉を見下ろしているだけだ。
崩落間際の崖下に磔にされた気分だった。
昨日に続き二度目であることを考えれば当然であるが、矢場は相当ご立腹らしい。
まず時間帯が最悪だった。
豪々吾の突入による被害は昼食にまで及んだらしく、湯切りした直後のカップ焼きそばと具材のキャベツを髪に絡ませ頭から濛々と湯気を上げていた。
惨状を目の当たりにしながらラーメンじゃなくてよかったなと悠長に、他人事として思う。
トンコツやみそテイストな教師の授業は受けたくないからだ。
矢場と相対すること数秒。
間もなく伸びていた豪々吾が目を覚まし、あられもない姿の矢場に二人正座させられ叱られること数分。
『……食べ物の恨みってこえぇな』
『ああ、そうだな』
と言い合って豪々吾と別れたのは今し方。
駄目にしたカップ麺の弁償を矢場に申し出たが断られた。
透哉は浮かない顔で教室へと戻るため階段を昇っていた。
(叱られたことに関してはもうどうでもいいと思っている)
戦いの最中に豪々吾の口から放たれた何気ない一言。
『相変わらずわけわかんねぇ能力だな』
愚痴と称賛が混在した豪々吾の評を思い返しながら透哉はなんとなく左手を眺めていた。
(訳が分からない……か)
今日に限らず、透哉は自分の能力を他人に語ったことはない。聞かれても「特別だ」とか、「秘密だ」とか言ってはぐらかしている。
透哉自身、自分の能力に対する明確な答えを持っていない上、根本的な部分が通常のエンチャンターとかけ離れすぎているからだ。
通常のエンチャンターは魔力を物質あるいは生物に付与させ、一定の現象を付加能力として与える。
しかし、透哉の能力は他者の魔力を食らい、付加能力諸共消失させるという物。
当初は他人の魔力を打ち消す奇怪な能力と思っていたが、唐突に覚えた膨満感によって勘違いだと知った。
それを自覚したのは十年前の惨劇の最中で、全てが手遅れになった後と言う皮肉なものだった。
透哉と対峙した者は身を裂かれ魔力を食い尽くされ殺された。まるで果肉を食いちぎり果汁を啜られるように。
以来透哉は自身の能力を『特別だ』と言ってごまかし、自衛手段以外の使用を封じた。
『――クスクス』
「あ?」
耳にかすめた不快な笑い声に透哉は足を止めて辺りを見回した。
『探しても無駄よ。今の私は透哉でも認識できないわ』
「……何の用だ」
階段の中腹で往生しながら声の主である流耶に棘のある声で先を促した。
『あなたの能力なら今からでも誰にも気づかれずに彼女を殺せるはずよ』
脈絡こそなかったが意味は理解できた。
「……」
『彼女ならさっきからずっと三階のトイレにいるわ』
透哉は眉を顰めた。
ホタルの具体的過ぎる所在にでも、透哉の葛藤を度外視して殺しを推奨することにでもなく。
流耶なら学園内の人間すべての位置を把握できるし、流耶が自分以外の命に頓着するはずがない。
「ずっと? トイレに?」
『クスクス、何か気分が悪くなることでもあったのかしらね?』
「お前、源に何をした?」
『どうしてそんなことを聞くの?』
流耶の声のトーンが僅かに落ちた。
顔は見えないが醜悪な笑みを浮かべていることが容易に想像できる。
『あまり焦らしちゃいやよ? フフフ』
耳障りな残響を聞きながら透哉は教室へ戻った。
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