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「ああ、そっか、そっちね。私はなんとも思ってなかったけど、言われてみれば、確かにちょっと虚しいかもしれないなぁ」
集中できない理由は、それだったの。
続けて言われて、朱夏は首肯する。
そういえば朱里は、生地を買っても作る相手もいないし、って言っていたっけ。すっかり自分のことばかりになってしまっていたけれど、今さらながら朱里は誰かに適当に配ってみたりはしないのだろうか。……いや、するわけないか。真面目ないい子だし。
「うーん。でも私は、焦って恋することもないと思うよ? 朱夏は朱夏なんだし、焦ったところで好きになれるわけでもないんだし」
「まあ、そりゃそうなんだけどさぁ」
「え、もしかして朱夏、好きな人いるの?」
「まさかっ!!」
「……っ」
あ、また小さな嘘。ふいに核心を突くようなことを言われると、どうしてとっさに逆のことを言ってしまうのだろうか。自分でも若干引くほど全力で否定してしまい、朱里のことも肩が跳ねるほど驚かせてしまった。
その横では、のほほんと会話をしていた香魚と優紀の動きも完全に止まっていた。驚いた顔で、何事だろうと目を丸くしている。
「ごめん、ごめん。朱里が私に、好きな人いるの? なんて聞くもんだから、びっくりしちゃって。私にはそういうのは似合わないのにねー。声大きかったよね、ごめんね」
はははと笑ってふたりに謝りながら、朱夏はまた、小さな嘘を積み重ねていく。
香魚ちゃんが劇的に変われても、私までそうなれる保証はどこにもない。だったら、全部を隠して、このまま私は私のキャラを続けていくしかないんじゃないのかな……。
ふとネット向こうの男子のほうを見ると、相変わらずいつ見ても白くてひょろい湊が素人相手に本気のスマッシュを打ち込み、しかし当たりどころがよかったらしく普通に打ち返され、なおかつ得点までされていた。
「あはははっ、けっこう上手いじゃん! もうバド部入っちゃえばいいのに」
優紀がからからと笑ってそう言ったので対戦相手を見てみると、なんと本気スマッシュを打ち返したのは朝倉だった。どうやら今日は雌雄を決する闘いをしているらしい。この前はダブルスを組んで仲睦まじくやっていたのに、男子もなかなか忙しそうである。
「でも朱夏。もし朱夏に好きな人ができたら、そのときは私に報告してね。なにか協力できるかもしれないし、打ち明けてもらえないのは、やっぱり普通に寂しいからさ」
「……うん」
頑張れーと朝倉に声援を送りはじめた香魚と優紀に聞こえないよう、朱里がこしょっと耳打ちする。とりあえず頷いてみたものの、しかし朱夏の心の中は複雑化の一途だ。
もうだいぶ前から、朱里には隠しごとをしている。恋バナをオープンにしている香魚や優紀にも、打ち明けてもらったのに、友達なのにと思うと、罪悪感や後ろめたさから、まともに目が合わせられなくなる。
ただ好きなだけなのに、どうしてこんなに悩まなくちゃいけないんだろう……?
また本気スマッシュを打ち返されて心底悔しそうに体育館の床をのたうち回る湊のひょろ白い姿を眺めながら、朱夏は朱里たちに気づかれないよう、こっそり唇を噛みしめた。
……いいなあ、香魚ちゃんは。今までの自分を変えようと思えるきっかけが掴めて。
この日もやっぱり、授業後にジャージから制服に着替えたときのスカートは、朱夏の目にはひどく不似合いなものに見えた。
いっそ男の子に生まれていたら、湊とは親友になれたかもしれないのに。そんな、どうにもならないことを考えては、何度だって出てきそうなため息を必死に飲み下した。
*
放課後。
「大垣、橋本知らない? さっきからずっと探してんだけど、全然見つからねーのよ」
ひとりで部活に行く準備をしていると、教卓の前で生物の課題ノートの提出を促していた湊が、そう言って話しかけてきた。
そういえば、今日の日直は湊だ。さっき同じ日直の子と、日誌を書くのがいいか、クラスぶんのノートを集めて提出するのがいいかをじゃんけんで決めていた。どうやら負けて面倒くさいほうを割り当てられてしまったらしい湊は、まだ提出がなされていない朱里のぶんのノートをご所望のようである。
体育のときも本気スマッシュを打ち返されていたし、今日の湊はツイていない日なのかもしれない。その上、部活にも遅れてしまったら、さすがにけっこう不憫である。
が。
「……あー、ごめん。実は私も朱里を待ってるんだけど、なかなか戻ってこなくて。LINEもしたけど、既読が付かないんだよね」
「げ。マジで? 部活遅れるじゃんかー。てか、どうせいなくなるなら、きっちりノートを出してから、そうしてほしいよなー」
「はは……」
今のやり取りのとおり、朱里は別棟にある視聴覚室の掃除に向かったきり、掃除の時間が終わっても戻ってこない。スマホは持ち歩いているはずなので、連絡くらいなら取り合えると思うのだけれど、どういうわけかそれもないから、朱夏も部活に遅れてしまう前に先に行っていようと準備をしていたのだ。
――と。
「つーか大垣、ちょっと元気なくね? 橋本と一緒にいるときに俺と話すのと、大垣と俺とで話すのと、微妙に違うような感じがするんだけど、俺の気のせいか?」
「えっ、そんなことはないけど……」
ふいに顔を覗き込むようにして聞かれ、朱夏は瞬時に火照りだす顔を見られないよう、思いっきり首を後ろに回した。
湊の悪いところは、こんなふうに、やたらと距離が近いところと、必死になって隠していることを普通に見抜いて実際に口に出すところだ。朱里と一緒に話すときと朱夏単独で話すときとの違いなんて、朱里さえ気づいていないのに、どうして知られたくないことに限って湊には気づかれてしまうのだろう。
耳まで熱くなって、もう振り向けない。
「ふーん。まあ、いいや。それより、どうしよ。もう勝手に机の中とか鞄の中とか、漁って持っていってもいいと思う?」
相当焦れているのか、直後、湊が困ったように後頭部をやや乱暴に掻きながら、空いている手で朱里の机を指さした。彼女の机は掃除のためにあらかじめ綺麗に片づけられていたけれど、おそらく中身はまだ鞄に移していないと思われる。軽そうな鞄が、なかなか戻らない主人を行儀良く待つペットのようで、なんだか忠犬に見えてこなくもない。
「……いや、どうだろう。私にもそこまでは判断つかないよ。机の中ならともかく、鞄の中までは、さすがに漁れないし」
そういえばもうすぐ生理だと言っていた。ポーチを見ても湊は気づかないかもしれないけれど、たとえ気づかれなくても、なんだか嫌だ。朱里も絶対、そう思うだろう。
すぐに話題が移ったことにほっとしつつ、とりわけ長く興味を持たれなかったことに残念な気持ちにもなりつつ、朱夏は困ったように鼻から息を吐き出す湊に言葉を返す。
踏み込んで聞かれたら、どう答えたらいいかもわからないくせに、少しの変化にも気づいてもらえていたことが嬉しいなんて。
朱夏はますます、湊に顔を向けられない。
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