宮野詩 1

 計算高くてなにが悪いんだ。

 たった今、突き返されたばかりの本命お守りをべしっと壁に叩きつけながら、宮野詩みやのうたは「ああっー!」と大声で叫んでしまいそうになるのを必死にこらえ、鼻で荒く息を吐いて床に転がったそれを乱雑に拾い上げた。

『お前、それ計算してやってんだろ。顔は可愛いんだけど、宮野はちょっとナイわ』

 さかのぼること十数分前。そうひどく真顔で言い放ったのは、絶対こいつ私のこと好きだわ、とずいぶん前から目をつけていた、同じクラスの篠宮晄汰郎しのみやこうたろうだった。

 硬派な名前らしく、性格も硬派というか、普段は物静かだけれど、いざというときに一本芯の通った部分を発揮する彼は、クラスの女子の間で密かな人気があり、男子の中でも一目置かれる存在、まとめ役だ。しかも、やや伝わりにくいところもあるものの、誰にでも分け隔てなく優しいとくれば、本気で好きになる女子が出てきても、ちっとも不思議じゃない。あとから気づく優しさが恋心を加速させるタイプ、とでも言ったらいいのだろうか。ぶっきらぼうな優しさが逆にいい! と心を鷲掴まれる女子は、実はけっこう多い。

 野球部らしく潔い坊主頭。いつも綺麗に手入れされているナチュラル眉。しゅっと通った鼻筋に、少し吊り気味の二重の目。唇は少し厚めだけれど、そこがまた可愛らしい。

 いい体をしているのも、もちろんポイントが高い。高身長で、マッチョすぎもせず細すぎもせず均整の取れた体型は、詩は直接目にしたことはないけれど、以前「Tシャツの裾で顔の汗を拭いたときにチラ見えした腹筋がえらいヤバい!」と、あっという間に女子の間に伝達されたほどの代物らしい。

 そういうわけで、詩たち女子の目には、見た目も中身も同年代の男子とは一線を画しているように映る晄汰郎だが。

「なんなのあいつ! じゃあ、いちいちチラチラ見てこないでよっ。こっちは勘違いするじゃん。人気のある男子なら彼氏にしてみたいと思うじゃん。女子の夢じゃんか!」

 詩のプライドをズタズタに切り裂き、このとおり我を忘れるほど怒り心頭させている。おまけに、誰にでも分け隔てなく優しいなんて嘘なんじゃないの⁉と思わず目を剥いてしまうほどの毒舌ぶりだった。普段の様子とあまりに違う晄汰郎に、詩は数瞬、なにを言われているかわからなかったくらいだ。

「最悪っ。こんなの作るんじゃなかった!」

 硬派に見せかけて、中身はあんな毒舌野郎だったなんて! めっちゃ騙されたしっ。

 詩は、野球ボールとバットを模してフェルト生地を切り抜き作ったお守りの、表の飾りつけを鋭い目つきで睨みつけ、べしっ。

 もう一度、思いっきり壁に投げつけた。


 計算しない女子なんていない。

 それが詩の持論である。

 どんなに天然が入っている子でも、男子の前では多かれ少なかれ自分の天然ぶりをアピールするのが普通だし、もともと計算高い子なんかは――もちろん詩もだが、計算していると思われないように計算して男子と接する。みんながこぞって「格好いい」「彼女になりたい」なんて言うような男子なら、なおさらのことだ。そこには多分に憧れや妄想が練り込まれているけれど、接する機会があれば、やっぱりみんな思うことはひとつだ。

 可愛く見られたい。それに尽きる。

 だってそれが本能ってもんでしょう!

 詩は声高々に思う。

 可愛く見られたい、惚れられたい。あわよくばイケメンに。みんなが指を咥えて羨ましがるような、そんな完璧男子に。

 それって普通のことなんじゃないの?

 みんな口に出しては言わないけれど、心の中ではいつも自分がヒロインで、二十四時間年中無休で王子様を待っている。そこにはもちろん〝自分だけの〟という条件が絶対だ。それ以外は受け付けられない。いくら向こうに好かれても。どんなにイケメンでも。

 そういう点を鑑みても、晄汰郎はまさに詩の理想どおりの男子だった。いざというときのリーダーシップも申し分ないし、周りからの信頼も厚い。晄汰郎に任せておけば、晄汰郎の意見をまず聞いてみよう、と誰もが自然にその存在を頭に思い描いてしまうような高校生男子なんて、リアルな世界では、そうそういるはずもないのだから。

 また、彼女ができたら彼女一筋そう、と当然のように思わせてくれるところも、詩の理想どおりだった。彼女がいるという噂は聞いたことがなかったけれど、これだけ完璧な要素が備わっているんだから、彼女になる子は間違いなく大切にしてもらえるに違いないと詩は思うのだ。晄汰郎には不思議と、そう思わせるなにか特別な力がある。

 しかし現実は先のとおり。意図せずでも、そうでなくても、女子ならきっと誰もがするだろう計算をいとも簡単に見抜き、手作りのお守りも、あっさりと突き返す始末。

 ただ彼氏にしたいと思っただけなのに、なんで私がフラれたみたいになってんの!?

「好きなもんか、あんなやつッ!」

 べしっ。

 赤のギンガムチェックの可愛らしいお守りが、掃除のときに当番が掃き残した埃にまみれて、どんどん薄汚れていく。すなわち詩の怒りは収まるところを知らない。

 はあはあと肩で荒く息をしながら、目元に浮かんだ涙を乱暴に拭う。人間の体とは不思議なもので、すごく怒っていても涙が滲む。だからこれは、手に取りもせず「いらない」と言われて傷ついているとか、計算を見透かされて恥ずかしいとか、けっしてそういう涙じゃない。絶対、そういうんじゃない。

「……ほんっと最悪」

 そう毒を吐きながら、このまま放っておくわけにもいかないお守りを拾い上げ、荒れた手つきでスカートのポケットにねじ込む。計五回はぶん投げたそれからは、怪我をしたときのための絆創膏や、男子が歩く105キロにちなんで105回書いた目的地の『碁石到着』の小さな紙の音に紛れて、晄汰郎が好きでよく舐めているハニーレモン味の飴の包装フィルムがこすれ合う音がした。

 カサカサ、カサカサ。放課後になり、早く部活へ行きたい晄汰郎をどうにか理由をつけて空き教室に誘い込んだまではよかった。けれど、結果がこれじゃあ、その音がますます詩の胸に空しく響いて仕方がない。

「あーあ。イケると思ったんだけどなあ」

 だって、しょっちゅう目が合うし。

 別棟の空き教室まで響いてくる野球部の掛け声を窓越しに聞きながら、詩は適当な机に寄りかかり、薄水色の晴れた秋空を眺めた。あの声の中に晄汰郎の声も混じっていると思うと、このまま聞いていたいような、やっぱりムカつくから耳を塞いでやりたくなるような、そんなどっちつかずの気持ちになる。

 好きではなかったはずだった。確かに詩の理想の男子だったけれど、晄汰郎に思い入れのある周りの女子のように、そこまで本気で彼のことが好きというわけでは。ただ、しょっちゅう目が合うから、これならイケると。そう判断して彼氏にしたいと思った。晄汰郎が彼氏なら、ものすごく鼻が高いから。

 でも。

「そんなん通用するはずもない、ってか」

 フン、と鼻白んだ息を吐き出し、詩は肩を竦める。相変わらず威勢よく響いてくる、野球部だとすぐにわかる大きな声がやけに耳障りで、なんだか無性に腹立たしい。

 校内からは吹奏楽部のチューニングの音を筆頭に、別棟の教室で部活をしている料理部や手芸部の女子たちの楽しそうな笑い声が、絶え間なく廊下を伝って詩のもとまでやってくる。こっちは楽しそうでなによりだ、私はちっとも楽しくないけどね!

「……フン」

 そうして、もうひとつ鼻白んだ息を吐き出したところで、硬派らしいといえばらしいけど、今どきの男子高校生にしては、ちょっと硬派すぎやしないだろうか、と詩は思う。

 もしかして好きな人がいる? 他校にもう彼女がいたりする? そんな話はいくら聞き耳を立てても聞こえてきたことはなかったけれど、普段の様子を思い起こすと、もし仮に彼女がいたとしても、晄汰郎の性格なら誰にも言わない、あるいは信頼の置けるごく少数の親しい人にしか打ち明けないこともあり得るだろう、むしろそうするはずだと妙にあっさり納得できてしまうところが悔しい。

「秘密主義とか、何様だっつーの」

 だったらなんで目が合うのよ。

 一杯食わされた気分というのは、きっとこういうことを言うんだろう。チラチラと合う視線にまんまと乗せられた自分がバカバカしくて、恥ずかしくて、今日が金曜日じゃなかったら、明日は自主休校するところだ。

 というか、月曜日に顔を合わせるのがすごく気が進まないのだけれど、どうしたらいいだろう。友達からも「金曜はどうだった?」と報告をせがまれるだろうし、正直、夜行遠足当日の朝より気が重いのだけれど。

 詩は運動があまり得意ではない。それは計算でもなんでもなく、運動神経が普通の父と鈍い母の遺伝子をしっかり受け継いだ結果である。運動分野においては、間違いなく母の遺伝子を色濃く受け継いでしまったというだけのことだ。運動音痴の女の子は可愛いなんて、そんなのあるわけがない。運動会のときなんか、ただただ赤っ恥をかくだけだ。

「今年はテンション上がると思ったのに」

 去年は自身の運動音痴もあって、苦しい、つらい、歩きたくない、帰りたいとエンドレスで思うだけだった。りんごなんていらないから、ゆっくり休める土日が欲しい。こんなことをして、いったいなんの意味があるのだろうと欝々とした気持ちを抱えながら、それでも友人たちと励まし合って43キロの道のりを歩き、ゴールの南和まで完歩した。

 けれどやっぱり、虚しかった。

 完歩したときは確かに爽快な気分だったけれど、去年の詩は、そのあとになにもイベントが控えていなかった。――例えば、お守りのお礼にりんごをもらったり、一緒にアップルパイを食べたり、というような。

 夜行遠足は二学期の体育の評価に大きく影響するので、よっぽどの理由がない限り、休むことは許されない行事だ。必ず完歩しないと評価がもらえないほど教師も鬼ではないけれど、そのために頑張っただけというのが、詩はどうしても虚しかったのだ。

 もっとこう、青春っぽいのがしたい。

 青春の定義も意味も詩には今ひとつピンとこないけれど、周りの先輩たちの様子を見ていると、やっぱり青春だなあと思った。

 好きな人のために赤のギンガムチェックのお守りを作る。渡せたり、渡せなかったり、お礼のりんごがもらえたり、もらえなかったり。アップルパイを食べている先輩の姿を何組も見かけたし、想いが叶わなかったのだろう、友達に慰めてもらっている先輩の姿も、夜行遠足後にたくさん見た。そういうのを全部ひっくるめて、詩はいいなあ、青春だなあと、ギンガムチェックとりんごパイへの憧れを強くし、来年は私もと改めて思った。

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