勇者は死にました… あ、でもここだけの話にしておいて下さいね

Zhou

第1話

 辺り一面に暗闇に似た何かが忍び寄ってきた。


 寒くはない。強いて言うなら眠気に近いのかも知れないが、見渡す限り一面に拡がりつつあるこの暗闇に包まれたが最後、再び眼覚める事がないとは知っていた。


 湖の遥か彼方に遠ざかる船のともに立ち、弟が何かを叫んでいるが、すでに声の届く距離ではない。

 これだけ距離が離れれば、もう心配はいらない。彼は助かるだろう。


 我ら巨人族は長幼ちょうようの序を重んじる種族だ。父から命じられ、兄に一族の生き残りを託された弟が、肉親との情に駆られて船足を鈍らせることは有り得ない。


 自分を慕って岸に残ってくれた精鋭達をねぎらおうと振り向くが、既に皆が地に倒れ伏していた。

 自分も抗い難い疲労に襲われ、地面に胡座をかく。


 後悔も恐れもない。長く戦場に身を置いていた自分がこんなに穏やかな気持ちで最期を迎えられるとは思ってもいなかった。

 初陣の頃からかぶり続けた兜を地に置くと自然と笑みがこぼれた。


 ふと、子供の頃に兄弟で摘んで歩いたカズナもどきの香りを覚えたのを最後に、彼の意識は暗闇へと沈んでいった。



 - - - - -



 「今更、魔王の討伐をやめたい?魔王を倒すために召喚された勇者がか?」


 自分が口を開くより先に、パーティの最年長、クレリックのジグルトが眉間に皺を寄せながら問いただす。

 決して強い口調では無いが、ぬしであるワイバーンを失った洞窟にその声は良く響いた。


 勇者のパーティは訳あって伸びしろのある、若手を中心に構成される。ただ、それでは全滅する可能性が高くなるため、ジグルトのような五十を過ぎたベテランもいわばお目付役として組み込まれる事になる。

 まして、ジグルトジィさんは勇者を召喚した聖協会からの派遣である。黙って引き下がる訳にはいかないだろう。


 だが、そんなジィさんの様に冷静に事態を受け入れられないメンバーもいる。


「ソフィア、私がこのパーティに加わるために捨ててきた物の重さは知っているでしょう。それを分かった上でそういう発言してるの?」

 パーティの女騎士が抜き身の刃を勇者に向けて底冷えのする声で問い詰める。


 処女雪バージンスノーの異名を持つ伝説の剣は、つい先ほど切り捨てたモンスターの脂に汚れる事もなく冴え冴えとした光を放っている。

 勇者が剣で傷つく事はないのだが、ピタリとも揺るがないその輝きが持ち手の覚悟の程を雄弁に物語っていた。


「ゴメンなさいね。」

 皆の注目を集めた女勇者はため息を1つつき、倒したばかりのワイバーンの頭に腰かけあしを組もうとして、苦笑して諦める。


「でも、前からどうしても納得が出来なかったの。実際に見る魔物達は『魔王軍』と呼べる様な組織化された集まりじゃないわ。お互いに争いもすれば捕食もし合う。どれだけ強大でも、所詮はただの烏合の集よ。」

 勇者はガラにもない真剣な面持ちで続けた。


「何よりちまたで言われている様に『新たに生まれた魔王の強大な魔力でモンスター達が活性化している』っていうのが一番信じられないの。

 モンスター達は何百万という数よ。もし、魔物達に満遍なく分け与えられるような桁外れな魔力量を持った魔王がいて、、人間はとっくに滅ぼされているはずよ。」


「だからって魔王を倒しても無駄だというの?魔物に殺される人が後を絶たないというのに?」

 斧戦士ファイターのリティが震える声で問い掛ける。俺たちの中でもっとも強い怨みを抱いているのは、故郷を魔物に滅ぼされた彼女かもしれない。


「ええ、ムダね。」ばっさりと断言する勇者。


「あなた達ももう気がついているんでしょ?今起こっているのは魔王軍の侵略じゃないわ。

 今起こっている事の本質は、よ。

 私達が魔王を倒しても、モンスター達が構成する複雑な生態系には何の変化も起きないと思わない?そして私たちが本当に知るべきはじゃないのかしら。」


 皆がおし黙り、沈黙が岩窟を包む。つい先ほどまでの派手な剣撃に慣れた耳にはむしろ痛みさえ感じるほどの静けさの中、急にガリガリと耳障りな音が響く。

 見るとガーディアンのバルテロメアが嬉しそうにワイバーンの爪を剥ぎ取っている。

 2メートルを超える巨体の割りマメなヤツ。と言うか、おいバル、少しは空気読め。


「もう一度聞くわ。私が今まで何のために旅をしてきたかを知ってて、言ってるのよね。」


 勇者が静かに頷くのを見て、意外にも女騎士は刃を鞘に納めた。


「そうね。貴女は一度聞いた事は2度と忘れないのよね。」


「いいえ。この身体になってだいぶ物忘れが多くなったわ。もうすぐ、あと2、3週間も経てばすべてを忘れてしまうのでしょうね。」


「もう時間がないんだね、それでもあなたがやりたい事は決まっているのね。」


 勇者はこくりとうなずくと、ふわりと音も無く女騎士の前に降り立った。


「ああ、もう仕方ないなぁ。」柄にもないくだけた口調で女騎士が笑った。

「わかった。貴女に付き合ってあげるわよ。どのみち、魔王は私一人になっても倒すつもりだったし、多少の寄り道は良しとしようじゃないの。」


「ありがとう」

 コイツら、いつの間にこんなに仲良くなったんだ? という俺たちの疑問を他所に、左右の拳を交互に打ち付けるポーズを取る2人。

 しかし、


『それは困りますな…』


 不意に洞内に声が響いた。

 と同時に湧き上がる濃密な魔の気配に思わず背筋が泡立つ。


「誰だ!」

 素早く振り返り、剣の柄に手をかける女騎士の視線の先で紫の霧が人の形に収斂していく。

 やがて煙は長身の老人の姿にとった。

 鮮やかな銀髪に真紅の瞳。闇夜のようなフロックコートの左胸にはどういう仕組みか、紫色の炎がポケットチーフに代わりに揺れている。

 老人は俺たちの敵意には一切構わず、好々爺然とした笑顔を浮かべて俺たちに一礼をする。


「お目にかかれて光栄です。私はテナルディエ。魔王の配下の一人で、まあ見ての通りのしがないヴァンパイアですな。ああ、そちらのクレリックの方、杖は下ろして下さい。あなた方に危害を加えるつもりはありませんので。それに、あなたの呪文は勇者殿にはいささか毒なのではないですかな?」


 よっこいしょ、とヴァンパイアのイメージから程遠い声を上げて、近くの岩に腰を下ろしす。

「600年も生きていると、いくら魔族でも腰がキツくてね。ここまでやってくるのも一苦労ですよ。」

 でも、魔王直々のご命令だからなぁ。宮仕えも楽じゃない、と独りごちる。


「本日は魔王の名代としてあなた方とお話しをしに参りました。それにしても異界の勇者殿は頭が切れますな。説明が省けて助かります。」


「そうね。手短に済ませて頂けると助かるわ。ご存知の通り、あまり時間に余裕がありませんので。」

 何を猫かぶって、と思わず呟いたが、スルーされる。


 分かっておりますとも、とあご髭をしごきながらテナルディエ。

「貴女様がお亡くなりになられたのが25日前。ですので黄泉に渡られるまであと24日ほどでしたな…」


 そう。


 俺たちはパーティーの核である勇者を戦闘で喪うという大失態をおかしていた。

 しかし、何故か幽霊と化した勇者はパーティーから離れる事もなく、変わらず自分たちについてくる。


 ただ、日を追うごとに勇者の「存在そのもの」は明らかに希薄になりつつある。理屈も理由はわからないが、49日間のカウントダウンが始まっている「らしい」事は確認している。


「つまらぬ挨拶はいらん。要件は何だ」

 一切の警戒を解かぬまま、生真面目な女騎士が長剣を突きつけて詰問する。


 それをさほど気にするでもなく、テナルディエは先を続けた。


「魔王閣下から伝言がございましてな、

『貴女の求める答えをお教えしましょう。私に逢いたいのなら西の果てを目指しなさい』との事でございます。」


「西の果て?ここから西に向かうとすぐに山脈にぶち当たる筈だが?」

 バルが口を挟む。


 どこから、は重要では無いのです。とヴァンパイヤが要領を得ないことを言う。


『終わりの無い夜の始まりに、ひたすら日の落ちる所を目指しなさい』と。

 では、確かにお伝えしましたよ。


 言い終わるとまるで空気に溶けるようにテナルディエは姿を消した。


 呆気に取られた俺たちは、洞窟からの帰路、さらなる混乱に巻き込まれる事となる。


 煙に巻かれたまま、まずは帰還しようと洞窟を出た俺たちを待っていたのは、整然と敷き詰められた槍衾だった。

「司祭ジグルトとそのパーティ。勇者殺害と魔王軍への寝返りの罪で身柄を拘束する。内通者の存在も確認した。一切の申し開きは王都で聞く。無駄な抵抗はするな。」

 俺たちを取り囲む騎士達の鎧には、聖教会のシンボルであるイバラと十字が刻まれている。

 俺は天を仰いでため息をついた。どうやら俺たちは聖教会に断罪され、教団虎の子の聖騎士団ホーリーナイツに後を追われる立場になったらしい。






《勇者消滅まで、残り10日》

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