神の死んだ日

@sakusya_m

第1話 序章

あれは、いつのことだったろう。



 振り仰げば最果てへと続く空があり、見下ろせば揺り篭たる大地があった。数多の命が跋扈し、別の命を食らいながら歴史と文化を築いていた。それは永遠を約束された筈の生命の営みだった。



あれは、いつのことだったろう。



 私はさほど裕福ではない農民の娘でした。


 父も、父の父も、ずっと昔からガラドーヤの土地でセッパの実を育てていた農家でした。セッパの実は腹痛などの痛みによく効く漢方薬になります。春に苗木を畝の中に埋め、暑い夏に背丈ほどになった幹からサヤをもぎ、日の光に当てて乾いたサヤから小さな実を取り出してよくすり潰すのです。セッパの実はとても硬くすり潰すのは力仕事でしたが、それが女の仕事でした。私の指は節くれだって太くて男のようでした。

 私達は裕福ではありませんでした。毎日家族で食を囲み、談笑し、同じ床で眠ってまた仕事。退屈でつまらない幸せな生活でした。


 春から夏に季節が変わる頃でした。毎年大地を溢れさせるほどに潤す雨が、1滴も降りませんでした。


 今年は日照り年なのかもしれない。父と母は話していました。春終わりの雨が降らないと、セッパは実をつけてくれません。不安がる私に母は、来年はきっと良い雨が降ってくれる、と教えてくれました。けれど翌年も雨は1滴も降りませんでした。翌年も翌年も。


 何が起こっているのだろう。誰にも解かりませんでした。都市からお呼びした偉い呪術師様が呪祓いをして下さっても、雨は降りませんでした。ガラドーヤだけじゃないのさ。呪術師様は仰いました。隣の国も、その隣の国も、どこも雨が降っていないのさ。


 収入の無い私達の生活は、飢えていきました。一番初めに倒れたのは祖母でした。そして祖父が。2人とも、お腹の病気で亡くなりました。薬はあっても栄養が無ければダメでした。母もお腹の病気になりました。父は家から掻き集めたお金を持って都市に行きました。けれど食べ物の価格は高騰しすぎて、手に握る程の硬貨では野菜1つ買えませんでした。


 そしてあのビラ紙が村にばら撒かれました。


 ビラ紙を握り締めて父は遠出の支度をしました。私は父に言いました。行っては駄目よ、お父さん。領の外に出たらゼカ様がお怒りになるわ。ゼカ様の怒りの炎で、村は焼き尽くされてしまうのよ。ゼカ様はガラドーヤに古くから伝わる、この土地の守り主様です。この土地の実りも平穏も、全てゼカ様のお恵みなのだと祖母から教えられました。


 父は私に言いました。ゼカ様は古い物語の登場人物なんだよ。心配しなくていい。父さん、必ずたくさんの食べ物を持って帰ってくるからね。


 父はそう言って、戦争に行きました。


 家の中には私と母だけ。私は母のゼーゼーという呼吸を聞きながら過ごしました。私は懐かしみます。あの頃は家族皆が揃っていたのに。セッパの実を潰して傷んだ指を摩りながら、笑っていたのに。―――あれは、いつのことだったろうか。私はくたびれてしまって、思い出すのをやめました。


 父が戦争に行って3日。


 私は水瓶を持って家を出ました。飲める水がある川へは1日ほどかかります。母はまだ持つでしょうか。私は家の戸を閉めて歩き出しました。


 そんな時でした。


 あれは、なんだろう。早朝の空にキラキラと光が瞬いていました。星が夜に置いてきぼりにされたのかしら。私は思わずくすりと笑っていました。


 やがて星はみるみる大きくなってきました。


 ああ、流れ星だ。

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