彼女の好きなもの

ブタにりんご

第1話

これだ!僕はその時、彼女に運命を感じた。彼女は夕焼けに照らされる調理室で1人、鍋をしていたのだ。実に幸せそうな微笑みを浮かべながら……。


あれから、1週間が経とうとしている。あの日、所属する演劇部の通し練習を役者ではないからという理由で抜け出し、校舎をどこへいくでもなく文字どおりフラフラと歩いていた時、彼女は僕の目に飛び込んできた。自前と思われる理科の授業で使うようミニコンロの上に中型の鍋を乗っけ、それを幸せそうに眺めている。そして次の瞬間。彼女は甲子園決勝、ツーアウトランナー満塁、一打サヨナラの場面の打席に向かうバッターかのような、緊張と目前の最高の感動との間をさまようような顔をしながら鍋に菜箸を入場させた。僕は、彼女のなんとも言えない表情と確信に満ちた器用な箸づかいに息を止めた。その後、彼女がこれ以上ないような笑顔で鍋の野菜や肉をたいらげたのは言うまでもない。


でも、ここは学校。料理をするための場所、調理室と言えども鍋なんてしていいんだろうか?謎の興奮から目覚めた僕は帰り道にそんなことも考えたには考えた。考えに考え、そしてわけがわからなくなってきて考えるのを辞めた。特に誰に迷惑をかけている訳でもないし、学校で鍋をしてはいけませんという校則はない。また彼女の行為が善でなかったとしても若者は間違いを犯すものだ。そして、僕には彼女が必要なのだからごたごたと考えるのを辞めた、ただそれだけだ。断っておくが、別に僕は、彼女に不純な欲情や純情な恋心を抱いてる訳ではない。あくまで彼女が必要なのだ。

「翔太、聞いてるのか?」

「え?何?」

突然、僕の考え事に横槍を入れてきた声の主はうちのエースだ。ちなみに前述した通り、僕の部活は背中に1番を背負った爽やかな丸坊主を用する野球部ではなく、常に自分以外の何かに成りきり時には他人の涙まで頂戴できる性格の悪い天才を用する演劇部だ。したがって、その性格の悪い天才にかかれは部内の重大会議中であることを忘れて思案の真っ最中であった僕を陥れることなんて造作もないこと。結果、シリアスな会議中に突然大声を上げた僕は、3年生も含めた部員総勢21人にこの後槍玉に挙げられ、議題が僕へと変わっていった。


「お前、いい加減にしろよな」

部長に反省の意味を込めた部屋の片付けを命じられた僕は机の上を拭きながら奴に言葉を投げた。奴とは言うまでもなくエース様である。

「いや、ごめんごめん」

手伝ってやるよ、などと軽口を叩きながら奴はケラケラと笑う。

「俺、ああいう硬い会議苦手でさ。なんかパッと終わらせらんないかなって思ったらお前面白いぐらい上の空だったからさ」

確かに、聞いていなかった僕も悪い。だけど、するかね。奴とは小中、そして今も同級生だが悪友は悪友のままだ。

「アイデアが出かかってたんだよ。次の」

「次の台本会議か。お前、俺たちが2年だってことだけでも不利なのに、それ以上にお前の文書、親友の俺でも読む気にならんよ。お前、道具は手先器用で向いてんだからそっちやれよ」

何度となく言われた言葉、うちの看板役者は、3年を押しのけたくせに僕には冷淡だ。でも、今回は違う。

「今回は違うんだよ、バカ。お前にも話したろ?調理室の君。あの子、なんかビビッときた。あの子を題材に書くから。僕は、目立たない道具係なんかじゃ終んねぇよ」

そう、彼女は僕の高校部活人生の脚本家になる鍵なんだ。確かに僕は手先が器用だけど、所詮それだけ。大した力のない僕はみんな仲良く協力しあってがモットーのうちみたいな道具係じゃあ、所詮役者陣や脚本家陣のお手伝い。そんなの面白くないじゃないか。ガンガンモテて、スポットライト浴びてるあいつみたく、上手く演技できなくても書くことの可能性はあるかもしれない。いや、ないと困る。そして、彼女は僕の創造意欲を掻き立ててくれた。だから僕は書く。彼女で、書く。


彼女の名前は神崎さくら。驚くことに同じクラスで2年1組。僕の地道な内偵調査と聞き込み、ある友人から言わせるところのストーキングによって、彼女は帰宅部で中学は他県、一人っ子でそして並々ならぬ鍋愛の持ち主であることがわかった。2年になっても友達らしい友達がいないのは、逆にそれしか彼女の特色がなく、それ以外では大人しすぎるからなのだろう。脚本の為と言えど話したことのない女の子に教室でいきなり話しかけるというのはかなり覚悟がいる。少しせこいようだが僕は匿名の交換ノートを用いることにした。やり方は簡単。文面ではシャイな女の子を演じて、彼女の靴箱にノートを差し込んでおく、それだけだ。我ながらバカな作戦に案外彼女は容易く応じてくれた。

僕がノートを彼女の靴箱に入れた、次の日には僕が指定した、体育館裏の誰も使わなくなったロッカーに返事が書き込まれたノートが届いている、その繰り返しだった。

優しく気さくな言葉遣い。どこの誰ともしれない僕の交換ノートに丁寧に応えてくれる彼女の言葉の数々から僕は彼女がとてもお人好しであることと、そしてとても魅力的な女の子であることを知った。

2週間ほど使って彼女の生い立ち、鍋への愛、簡単で美味しい出し汁の取り方まで聞き出した僕がそろそろお暇しようと思い、最後の交換ノートのつもりで最後の質問を書いてロッカーに入れた。


「友達が出来ないぐらいのめり込んでしまうお鍋が心のどこかでわずらわしくならない?」


あくる日、帰ってきた彼女のノートにはこうあった。


「私は、好きなことに正直でいたい。友達も欲しい。だから、欲情頼まれて放課後の鍋会をするの。頼んだ子達は来てくれないけれど。でも、私は好きだからやめない。だって、それが私だから。また頼まれたの、だからあなたも明日、鍋会においでよ、友達になれなくても私は好きなもので誰かの心を暖かくできればそれで幸せ。」


僕は、その日眠らなかった。正体を明かす覚悟は出来ていた。眠らなかったのは彼女へのささやかなお礼のプレゼントをしたためていたからだ。木製のおたま。僕は脚本が書きたいわけではなかったらしい。ただ、悪友のように目立って、認められていたかった。それだけ。


明日は、僕の想いを伝えよう。何倍にも膨らんだ想いを。そして、一緒にあったまろう。

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