それでも君は知りたいか

てうふぇる

序章 夢の欠片

 目を開ける。

 直上から降り注ぐ日差しは、眩しくも暖かく、時折吹く風が肌を撫で、心地良い。

 隣には、一人の少女が眠っている。

 白いワンピースにサンダルといった、とてもラフな格好だ。

 無防備なその姿はまさしく無垢な少女といった感想を抱かせる。

 だが、少女の顔は靄がかかっているように、表情すらもわからない。

 やがて少女が体を起こし、大きく伸びをする。

 そして、僕の方を見て口を動かす。

 何か言っているのだろうが、その声は聞こえない。

 少女の声も、息も、鼓動も。何一つ聞こえてこない。

 声が届いていないことに気づいていないのだろうか。言い終えた後も、こっちを見て反応をうかがっているようだ。

 何と言っているのだろう。

 その声を聞きたいと、その顔を見たいと思うほどに、僕の意識は遠ざかっていく。

 ああ、君は何を思って、何を感じて、どんな言葉を紡いでいるのだろう。

 少女が、世界が遠ざかっていく――。



 また、この夢だ。

 雪は既に解け、桜も花を咲かせ始めた。

 毎年必ず、この時期に、この夢を見る。

 僕の子供の頃の夢、だと思う。

 僕は子供の頃、小さな島に住んでいた。その島にあった森の奥におおきな杉の木が一本はえていたのだが、そこを秘密基地といって遊んでいた。

 秘密基地といっても木の前が少し開けているというだけで何があるわけでもなく、自分でも何をして遊んでいたのかはほとんど覚えていない。

 そんななんでもない場所だったが、春にのんびりとそこで昼寝をするのが好きだったことだけは覚えている。

 快適な気温の中、暖かな日差しを受け、ふかふかの草原のベッドに仰向けになり、目を瞑る。

 たったそれだけのなんでもないことなのに、幸福感に満たされる。

 それがたまらなく贅沢で特別なことに思えて、時間があればそこで眠っていた。 

 しかし、夢に出てくる少女のことはわからない。あの島に住んでいた子供は僕だけだったはずだし、仲の良かった子が島に来たこともない。

 子供の頃の夢だと断言できないのはそのためだ。

 この夢を見た後は決まって切なく、憂鬱になる。少女の言葉を聞き取れなかったこと自体が原因ではない。あの子が伝えたがっている何かが、僕を憂鬱にしているのだ。

 僕が夢を見始めたのは高校生になった直後くらいからだった。

 丁度、僕が島を出て一人暮らしを始めたころと一致する。

 これは偶然ではない……と思う。きっと僕の子供の頃となにかしら関係があるのだろう。ただの勘だが、バカにはできない。僕の勘はむかしからよく当たるのだ。

 今、僕は島へ向かう船に乗っている。

 前々から両親に、顔を見せに戻って来いと言われていたのだが、新しい暮らしに慣れず忙しく、なかなか会いに行く暇がなかった。

 大学生になってようやく時間ができたため、夏休みを利用して島に戻ることにしたというわけだ。

 勿論、今回の里帰りの目的は、両親に顔を見せることだけではない。もう一つ、夢の謎を解き明かすという目的もある。

 というか、後者がメインだ。



 2時間半ほどの船旅の後、島に着いた。

 船着き場は島を出た時と変わらず寂しく、「ようこそ螢纏島けいてんとうへ」と書かれている錆びれた看板があるだけだ。

 特に観光名所もないこの島に観光客など来るはずもなく、必然的に船の本数も少なくなる。

 小学生の頃ですら一日に往復の一本だけだったが、子供がいなくなったせいか、今は三日に一本だった。

 今日乗ってきた船の乗客も僕一人だったし、この島が無人島となる日も近いかもしれない。

 帰路を辿っていくと、枇杷びわが生っていた。

 懐かしい。この枇杷には苦い思い出がある。

 このあたりは近所に住むおじさんの所有地で、これはそのおじさんが育てていた枇杷だった。

 そうとは知らず、野生の枇杷だと思った僕は、おじさんに断りもなくその実を一個つまんでしまった。

 それがばれてすごく怒られたのだが、その後、おいしかったかと聞かれたので頷くと、おじさんはにっこりと笑ってきちんと頼めばわけてやる、と言ってくれた。

 そのおじさんは僕が中学生の頃に亡くなってしまったけど、枇杷は変わらずに実を熟している。

 更に道を進むと、実家が見えてきた。

 前となにも変わらない、見慣れた家のはずなのに、不思議と新鮮だった。

 持っていた鍵を差し込み、左に回すが、空回りする。回す方向を間違えたかと今度は反対方向に回してみるが、かちゃりと、逆に鍵がかかってしまった。

 もう一度左に回し戸を開け、ただいまと呟き中に入る。

 すぐに、おかえりーというのんびりした声が返ってきた。

 居間に入ると、母が畳の上に寝転がってテレビを見ていた。

 机の上にはせんべいがあり、時折ぎゃははと品のない笑い声をあげている。

 「母さん、行儀悪いよ。それから、玄関の鍵空いてたよ?」

 「何言ってんの。鍵開けとるのなんてむかしからやろ」

 そういえばこの島の人たちは家に鍵をかけることが少なかった。むかしは疑問に感じなかったが、島を出て暮らしている今、いくら人が少ないからと言って家に鍵がかかっていないのは落ち着かない。

 「まあ鍵はいいとして、行儀は――」

 ぎゃははという笑い声で遮られる。

 どうやら僕の話を聞く気はないらしい。

 悪びれる素振りもなく、新たにつまんだせんべいをかじっている。全くどうしようもない母だ。

 僕も母の横に腰を下ろし、遅まきながら父の姿が見当たらないことに気づく。

 「そういや親父は?」

 「船出しとるよ。今日の夕方ごろには帰ってくるとやないかな。あんた、久しぶりに帰ってきたとやし、その辺まわってきたら?」

 どうやら僕は邪魔らしい。なんとも薄情な母だ。

 「そうだね。うん、そうしようかな。夕方までには帰るから、晩飯できたらメールして」

 母の適当な返事を聞きつつ。脱いだばかりの靴を再度履き始める。

 ――見て回るといっても、どこに行こうか。

 ふと、あの秘密基地を思い出した。夢の真相に近づくには、夢で見た場所に行くのが一番かもしれない。

 しかし。

 秘密基地は、島の中央の山の頂上にある神社の横から入るのだが、その山は高く、階段は恐ろしく長い。

 今はもう全く運動しなくなった僕が、果たして上り切れるだろうか。



 不安は、実際に階段を目にして、挫折に変わった。

 ――この階段、こんなに長かったっけ?

 だが、登らないことには始まらないので、すでに折れかかっている心と体にむち打ち、一段一段、ゆっくりと上り始める。

 千里の道も一歩からという言葉もある。上り始めればなんとかなるだろう。

 そう思っていた僕が間違いだったと気づいたのは、それから十分後の事だった。

 もう顔をあげ、上を見ることすらも辛い。

 さすがシンセツ階段と言われるだけはある。心を折る、と書いてシンセツだ。なんとも皮肉がきいていると今になって実感する。

 このまま上るのも厳しいが、ここまできて下りるのも辛い。どうやら少し楽観的すぎたようだ。いや、単に僕の体力が衰えすぎていただけか?なんにせよ、こうなったらもう後には引けない。

 だんだん朦朧としてきた意識をよそに覚悟を決め、階段の上を見上げる。

 その先、二十段くらい上に、狐の面をつけた巫女が立っていた。

 ついに幻覚までも見え始めたかと頭を振ってみるが、巫女の姿は消えない。

 むしろ近づいてきている。

 ――ああそうか。天国からの迎えが来たのか。せめて夢の謎を解き明かして死にたかった――。

 しかし巫女は僕の隣まで来ると、持っていたペットボトルを僕の頭の上で逆さにし水をかけた後、そのままペットボトルを僕に握らせた。

 「……え?」

 飲め、ということだろうか。確かに、予定以上に時間を取られたため喉は乾ききっている。ありがたく、ペットボトルの中の水を流しこむ。ぷはっと口を離すころには、だいぶ楽になっていた。どうやら軽い熱中症だったらしい。巫女は僕の様子を確認して、また階段を下り始めた。

 「あ、あの!ありがとうございます!」

 慌てて叫んだが、巫女は僕に背を向けたまま、軽く手を振っただけだった。

 巫女の背中が見えなくなると、僕はもう一度気合を入れなおし、再び階段を上り始めた。



 結局階段を上りきるのに四時間もかかってしまった。

 途中途中の木陰で休みながら、ゆっくりと上っていき、なんとかここまで来ることができた。境内が見えた時はうれしくて泣きそうだった。

 境内はとてもきれいだった。落ち葉やごみなんかはほとんど落ちていないし、拝殿も古くはあるが、汚れてはいない。

 あの狐面の巫女が掃除しているのだろうか。しかしこんな辺境な島で巫女に就くとは、今時珍しい。

 折角神社に来たので、目的が果たせますようにとお祈りをしていくことにした。

 何が祀られているかは知らないが、なんにせよ、何かしらご利益はあるはずだ。

 鳥居をくぐり、賽銭箱に五円を放る。

 拝殿の周りは森に囲まれている。西の方には道が続き、拝殿の裏へと続いているが、この先は本殿になっているため、関係者以外は立ち入り禁止だ。

 秘密基地への道はその逆にある。右側には植栽が並んでいて、そこの間に小さく開いたけものみちから進む――

 はずだったのだが、ぱっと見る限り道などなかった。首をひねりながら子供の頃の記憶を手掛かりに探す。

 数分後、なんとかそれらしいモノを見つけることができたが、それはただの穴だった。小さい頃通っていた場所に他ならないが、こんなに小さかっただろうか。僕の頭ほどの大きさしかない。

 「むう。ま、まあ、頭が入れば全部入るっていうし」

 覚悟を決め、枝の間に顔を突っ込む。

 しかし、背負っていた鞄が突っかかって奥に進めない。仕方なく頭を抜こうとするも、これまた枝が服に引っかかってしまい抜けない。

 そういえば、頭が入れば体も入るというのは猫の話だった。だが時すでに遅し。試行錯誤するも、やはり抜けない。はたから見ればかなり間抜けな恰好だろうが、笑い事ではない。下手すればこのまま夜まで過ごすことになる。さすがに時間が経てば母が探しに来てくれるだろうが、こんな体勢で長時間過ごすと首を痛めそうだし、そもそもこんな姿を見られては、これから親戚が集まるたびに話のネタにされてしまう。

 どうしようかと真剣に悩んでいたとき、頭上に人影が差した。恥を忍んで助けを求む。

 「どなたかは存じませんが、何も聞かず、ここから出るのを手伝っていただけないでしょうか」

 返事はなかったが、何者かはいきなり僕の腰を掴むと、強い力で勢いよく引っこ抜いた。

 その拍子にシャツが若干裂けたが、これくらいの代償で済むのなら安い。

 お礼を言うべく、服に付いた葉っぱを払いながら後ろを向くと、そこに立っていたのは先程の狐面の巫女だった。

 男性としては女性にみっともない姿を見られるのは問題だが、大事は免れたのでよしとしよう。

 「あなたでしたか。助けられるのは二度目ですね。ありがとうございました」

 巫女はうなずくと、踵を返し、本殿の方へと歩いて行った。

 呼び止めていくつか質問したいことはあったが、その背中はどこか刺々しく、あまり関わるなと言っているようで、話しかけることはできなかった。

 さすがにもう一度穴に挑戦する気は起きず、かといって折角上ってきた階段をすぐに降りるのも躊躇われていたとき、母から夕飯ができたという連絡が入ったので、仕方なく階段を降り始めた。

 名残惜しく振り返ってみるも、沈みかけた日が、うっすらと神社を照らしているのみだった。

 家に帰ると、父は帰宅しており、もう酒を飲み始めていた。機嫌がよかったので、どうしたのかと尋ねると、父は笑いながら答えた。

 「いや~、もう釣れる釣れる。大漁よ。お前が帰って来とるけんやな!」

 「そうかもしれんね。帰ってこいて言うてもなかなか帰ってこん碧が珍しゅう帰ってきたけん、島の守り神様も喜んどるとよ」

 ああ、これは愚痴が始まるパターンだ。阻止すべく、適当に話題を変える。

 「そういや、この島の神社ってどんな神様が祀られてんの?」

 「んー、詳しくはあたしも知らんとけどね。なんか虫系やったような……」

 虫の神ってなんだよ、てかよく知らないのに喜んでるとか言ってたのかよと思いつつも、突っ込むとまた面倒なことになるのでやめておく。

 「そういやさ、僕の小さい頃って、近くに女の子とか住んでたっけ?もしくはよく島に遊びに来てた子とか」

 それを聞いた母の顔が、一瞬強張ったような気がしたが、母は何もなかったように、覚えんねぇとだけ答えた。

 母の態度が少し気になったが、そういえば、と親父が切り出し、僕の近況の話になったので聞く機会を逃してしまった。

 結局この日は無駄に体力を使っただけで終わってしまった。



 次の日の朝、僕はまた島を回っていた。

 さすがに二日連続であの階段を上る気は起きず、秘密基地へは行かないと決めていたが、なにもあの秘密基地だけが僕の遊び場というわけではない。他にも遊んでいた場所にいくつか心当たりがあったので、そこを回ることにした。

 しかし、いくら回っても懐かしい思い出が蘇ることはあれど、あの夢に関わることは何も思い出せなかった。

 一通り回った後家に帰り、大きくため息をつきながら部屋の机に突っ伏して目を瞑る。

 手詰まりだ。思い出せるところは全部回ったし、思いつくことはすべてやった。

 帰ってすぐ、もう一度母に女の子の事を尋ねてみたが、しつこいとだけ返された。昨日のような違和感もなかったし、やはりあれは僕の気のせいだったのだろうか。

 ふと、顔をあげて窓の外を見てみると、黒い羽虫がふらふらと目の前を横切っていった。そのまま過ぎ去ることなく、僕の前をふらふらと飛んでいる。

 なんとなく、その虫の動きを観察していると、だんだん眠たくなってきた。

 昨日、長い船旅の後に運動してしまったうえ、今日も朝から動き回ったのだ。無理もない。

 襲い来る眠気に身を任せ、僕は静かに、深く、落ちていった。



 目を開ける。

 あたりを見渡し、すぐに気が付く。あの夢だ。

 またか、とため息をつきながらも、隣を見る。

 そこにはいつものように、白いワンピースを身に纏った気持ちよさそうに眠る少女の姿があった。

 「……君はいったい誰なんだ」

 呟いてみるが、当然反応はなく、心地よさそうな寝息をたてて眠っている。

 そんな少女を見つめていると、夢の中だというのになんだか眠たくなってきた。

 もう一度深くため息をつき、僕もこのまま寝てしまおうかと仰向けになったとき、ある事に気が付いて、僕の眠気は消え去った。

 あまりの衝撃に勢いよく体を起こす。

 もう何度も見てきた同じ夢。

 代わり映えのない、しかし無視できない、不思議な夢。

 そんな無限の繰り返しの中に、わずかに生じた違和感。

 ――寝息が聞こえてくる?

 微かに、だが確かに。少女の寝息が聞こえる。

 たったそれだけのことだ。だが、無音の夢の中に生じた音。それは僕に、少女の声が聞こえるかもしれないという期待を持たせるには十分な変化だった。

 やはり島に来たのは無駄じゃなかったのだ。

 ゆっくりと少女が目を開け、体を起こす。

 期待に身を乗せ、唾をのむ。

 少女はうーん、と大きく伸びをし、ゆっくりと、口を開く。

 流れる時が遅くなった様だった。その一瞬は、記憶に詳細に焼き付くように、とても、鮮やかに、映し出された。

 「おはよう、碧」

 心を貫かれた気分だった。その透き通るような声を聞いた瞬間、頭の中に電流が走り、無色だった夢に色が戻った。様々なことが蘇り、また、生まれた。

 疑問や、綺麗な少女の顔。美しい景色と、それから。

 ――そうだ。彼女は。この少女は。


 少女が何者なのか。僕との関係。少女と過ごしたはずの日々。

 ――忘れることなんてないはずの。少女は。


 そして、失っていた、一つの感情。

 ――僕の、初恋の人だ。



 「おはよう。あーちゃん」

 自然に、声が出る。いつものように、声をかける。

 「ん。おはよ。あれ?あおい泣いてる?怖い夢でも見たの?」

 「……うん。そうかもしれない。きっと悪夢を見ていたんだ」

 君のいない世界の夢を。

 「ふーん。怖い夢を見て泣くなんて、碧もまだまだ子供ってことね。んー、よく寝た。やっぱりここは最高ね。とっても気持ちいい!」

 「うん、そうだね……」

 適当に相槌をうちつつ、頭は別の事を考えるので精いっぱいで少女の話など頭に入ってこなかった。

 なぜ、僕はこの子のことを忘れていたのか。

 彼女の名は白河しらかわ空澄あすみ。僕の幼馴染で、小学生になる前に島に引っ越してきた女の子だ。

 それまで島の子供は僕一人だったので、同じ島に暮らす同年代の友達ができて本当にうれしかった。あーちゃんは明るく元気で、すぐに仲良くなれた。

 この秘密基地も、あーちゃんが決めたのだ。浜辺で遊んだ時も、原っぱを駆け回った時も、ずっとずっと、一緒だった。

 あの頃の思い出は僕の人生で一番輝いていた思い出のはずなのに。どうして。

 あーちゃんはそんなことに気づくはずもなく、立ち上がって気持ちよさそうに深呼吸している。

 少女の事を考えるほどに、失っていた記憶がとめどなくあふれてくる。

 そうだ。彼女は中学生に上がるころ、島を出て行ったのだ。

 だから忘れてしまっていたのだろうか?

 いや、そんな単純なものじゃない。これは、普通じゃない。

 まだなにか引っかかっているような気がしたが、思い出そうとしても出てこなかった。

 「さ、碧。もうそろそろ帰りましょ!夕方だし、パパが心配するわ」

 言われて空を見上げると、淡い朱色に染まっていた。

 いつもならとうに目覚めているころのはずだが、やはり今日は特別だということか、世界はまだ続いている。

 「そうだね。うん。戻ろうか」

 夢が覚めないように祈りつつ、とりあえずは少女に従うことにした。

 この夢は少女との思い出の結晶だ。少女を追っていけば、もっと思い出せることもあるだろう。

 少し頭が痛んだが、一度にいろいろ思い出しすぎたせいだろうと、気にとめなかった。



 僕の家がある住宅街からはかなり離れた場所に、少女の家はあった。

 「ただいまー」

 少女が元気よく戸を開け、家に入る。

 「おじゃまします」

 僕も少女に続き、家に入る。

 「いやいや!おかしいでしょ!」

 ついにあーちゃんが突っ込んだ。

 「なんで碧がついてきてるのよ!碧の家は向こうでしょ?」

 そういって住宅街の方を指さす。

 やはり夢とはいえなんでもできるわけではないのか。

 「さっきの道曲がらなかったから、おかしいなとは思ったのよね」

 「い、いや~。今日はあーちゃんの家に泊まりたいかなって」

 「え?そんな、急に言われても……。しょうがないな。ちょっとパパに聞いてくるから待ってて」

 そういうと、少女はとててと家の奥に消えていき、数分後、頬を赤らめつつあーちゃんが戻ってきた。

 許可を得るのにこんなに時間がかかるものかと思ったが、小さくとも乙女は乙女らしい。

 「パパは別にいいって。でも空いてる部屋がないから、寝るときは、あ、あたしの部屋で一緒に寝なさいって……」

 「ありがとう!あーちゃん顔真っ赤だけど大丈夫?もしかして一緒の部屋なのが嫌なの?」

 「だ、だって!お昼寝とは違うでしょ?その、パジャマだし、お、お、同じベットの上なんて……。やっぱりダメ!お泊り中止!」

 「ごめんごめん。僕は床でもいいから!じゃあ、家からいろいろとってくるね!」

 このままだと本当に中止にさせられそうだったので、急いで家に必要なものを取りに帰る。

 ひとまずほっとしつつも、これ以上少女の機嫌を損なわぬようにしないと、と密かに気を引き締めた。

 「お待たせ」

 通常なら家まで走って、往復十分といったところだろうが、夢の中だというのに母がでてきて、そんな急にお泊りなんて迷惑だとか、そもそもこんな時間までいったい何をとかいう説教をくらってしまい、なんとか説得して泊まることを許してもらった後も、あれ持ってけこれ持ってけと時間をとられたため二十分ほどかかってしまった。

 「それじゃ、狭いとこだけど、どうぞ」

 「おじゃまします」

 中は確かにお世辞にも広いとは言えず、居間とキッチン、そして少女のものだと思しき部屋の戸があるのみだった。

 居間には少女の父が座っていた。

 「よく来たね。狭い家だけど、ゆっくりしていってくれ。ところで、ちゃんと親御さんに泊まることは伝えたかな?」

 「はい、大丈夫です。お世話になります。これ、僕の母からです」

 「ほんと狭くてごめんね、碧」

 さっきからこの親子は狭い狭いと自分たちの家を卑下しすぎではないか。自慢じゃないが僕が今住んでいるアパートの部屋はこの半分くらいの広さだぞ。

 「わざわざありがとうね。お母さんにもそう伝えておいてくれ。じゃあ、早速だけど晩御飯にしようか。空澄、準備手伝ってくれるか」

 「はーい!」

 「あ、僕も手伝いますよ」

 夕飯は少女の父の手作りだったが、その風貌に似つかわずも腕はよく、驚くほどにおいしかった。

 「ごちそうさまでした!」

 「よし、じゃあお風呂にしようか。碧君は空澄と一緒に入るかい?」

 冗談めかした口調であったが、少女は冗談に聞こえなかったようで、また頬を赤らめつつ、からかわないでよね、と父のふくよかな横腹をつついていた。

 「じゃあ、先に入ってくるから。いくら碧でも、のぞいたりしたら殴るからね!」

 「覗かないよ。覗くわけないじゃん」

 即答したが、少女は何かが気に食わなかったようで、頬をぷくぅっと膨らませたまま風呂場へと消えていった。何が悪かったのだろう。

 さて。それはさておき、今のうちに現状を整理しておこう。

 まず、この夢はいつもの夢だが、いつもの夢とは大きく異なる。時間、内容、そして行動。

 だが、その根幹部分、子供の頃の夢、ということは間違いない様だ。また、限りなく現実に近い夢であり、時間の進み具合までもが同じである。

 次に、僕の記憶について。

 真っ先に思いつくのは「記憶喪失」という単語だ。

 いつだったか聞いた話では、ストレスや薬剤、物理的な衝撃などによっておこるようだったが、いずれにせよ少女の記憶だけすっぽり抜けるなんてことがあり得るのだろうか。

 最悪、この少女との思い出はすべて僕の妄想であり、現実には存在しないということもあり得る。

 整理したはずなのにより複雑になった現状に頭を抱えていると、少女の父が隣に座り話しかけてきた。

 彼はふくよかで、背は日本人の男性の平均より少し低いくらいか。優しい声をしていて話しやすく、子供の頃、いろいろ相談に乗ってもらっていたような気がする。

 「なにやら難しい顔をしているね。悩みでもあるのかい?」

 「まあ、悩みというか……」

 「空澄の事かな?」

 僕が言葉を渋っていると、少女の父はむかしのように優しく語り掛けてきてくれた。

 「ああ見えて、むかしは暗い子だったんだよ。あの子の母親、つまり、私の嫁は3年前に亡くなってしまってね。癌だった。そのときのあの子の落ち込み用と言ったら、もう見ていられないくらいで。親としてなんとかしてあげたいと思っていたとき、嫁がよく故郷の話をしていたのを思い出したんだ。自然に囲まれていて美しく、魚も美味しくて素敵なところだという話を空澄にもよくしていたから、そこを見れば、あの子も嫁のように明るい子に育ってくれるんじゃないかと思ってね」

 少女の父は、どこか遠くを見ながらぽつりぽつりと話してくれた。

 「強いんですね」

 「強い?」

 「だって一番辛かったのは、おじさんじゃないですか」

 少女の父は目を伏せ、小さく首を振った。

 「私は強くなんてないよ。ただ、空澄や君よりも長く生きている分、いろんな経験を積んでいたんだよ。それが積み重なって、心の支えを増やしてくれるんだ。」

 「心の、支え……」

 「そう。空澄の心は、嫁と私の二本の大きな柱で支えられてたんだ。それが一本折れた以上、私の柱まで折ってしまうわけにはいかなかったからね。それがおられることは、私の心の、空澄という柱を折ることでもあるんだ。そうなってしまってはどうしようもないだろう?」

 そう言って彼は笑った。

 空気を重くしない為であろう彼の笑い声は暖かく、優しさにあふれていて、その心の大きさに感服していた。

 そのとき、風呂場の扉が勢いよく開き、少女が出てきた。

 「お待たせー!次、碧入っていいわよ!」

 「う、うん、ありがとう」

 僕は慌てて少女に聞こえないくらいの声で、少女の父の耳元で囁いた。

 「あの、僕が相談したこと、あーちゃんには……」

 「わかっているさ。君も、私が伝えたことは話さないでくれよ。空澄に余計な気遣いさせたくないんだ」

 「はい」

 少女は内緒話をする僕たちを見て、訝しげに睨んできた。

 「ちょっと、なによ二人でこそこそと」

 「なんでもないよ。男同士の話さ」

 少女の父はまた笑いながら告げた。

 「ふーん」

 少女は疑いの目を向けつつ、僕に近づき、ぐいっと顔を覗き込んだ。

 その髪から、ふわっといい匂いが弾け、不覚にも少しどきっとしてしまった。

 ――落ち着け、大学生。相手は小学生だぞ。平常心、平常心。

 「と、とにかく、本当になんでもないから!じゃあ、僕もお風呂に入ってくるよ」

 少女は不満げだったが、これ以上小学生にドキドキさせられていては立場がないので、逃げるように風呂場へと向かった。



 その日の夜は寝付けるはずもなく、少し外を歩くことにした。

 月には雲がかかり、夜は一層黒く深みを増していて、前はほとんど見えない。この暗さで遠くへ行くのは無理だろう。

 港に近いこの家は海も近く、その浜辺でしばらく風に当たることにした。

 しばらく涼んでいると、後ろから足音が聞こえてきた。

 「こんな時間になにしてるの?」

 暗くて顔は見えないが、少女の声だ。

 起こさないようにそうっと抜けてきたつもりだったが、気づかれていたらしい。

 「別に。ただ、なんだか寝付けなくて」

 少女は僕に背を向けて腰を下ろすと、目をとじ、鼻歌を歌い始めた。

 その歌は、どこかで聞いたことのあるような歌だったが、曲名までは思い出せなかった。

 ただ、とても懐かしい歌だった。そのゆったりとしたメロディーに耳を傾け、海を見つめている時間だけは、何も考えずにいられた。

 ずっといろいろなことに頭を覆われていた僕にとって、それは救いだった。

 その歌と、波の音だけが、脳内に響いている。黒の世界の中に、色とりどりの音が交差する。

 歌い終わると、少女は立ち上がり言った。

 「どうせ外に出ちゃったし、少し遠出しましょうか」

 「いいの?こんな時間に。暗いし、危険だよ」

 少女は、悪戯っぽい笑みを浮かべてうなずいた。

 「いいの!冒険よ?わくわくするじゃない」

 わくわくするといっても危険なものは危険だ。

 しかし、一度言い出したことは曲げないのがこの少女だ。いくら理屈や正論を言って聞かせたところで、折れはしないだろう。

 諦め、頭を掻きながら言った。

 「わかったよ。で、どこに行くの?」

 「そうね、やっぱり秘密基地かしら」

 さすがにパジャマで森に入るのは躊躇われたので私服に着替え、懐中電灯をもって家を出た。

 暗い夜道を、手をつなぎ二人で歩く。途中何度かこけそうにもなるが、支えあってなんとか立ち止まる。

 ゆっくり、ゆっくり歩く。この時間が永遠に続いてくれるようにと願いながら。

 時間の流れが早く感じる。あんなに辛かった神社の階段も、短く感じた。

 長らく忘れていた感覚だ。少女はいつも、僕をドキドキさせてくれる。

 先の見えない道を、懐中電灯の微かな明かりを頼りに歩いていく。

 けものみちに入り、進んでいくと、秘密基地のあたりだけが明るいことに気づいた。

 驚き、身を低くして草の陰に隠れる。

 「なんで光ってるんだろ?誰かいるのかな?」

 少女が不安気に訪ねてくる。

 「わからない。念のため、静かに行こう」

 懐中電灯の明かりを消し、そうっと近づく。

 草陰からでて秘密基地に入ると、すぐに明かりの正体が明らかになった。

 「すごい……」

 「綺麗……」

 正体は、数十匹の蛍の群れだった。杉の木に誘われるように、その周りをふらふらと飛んでいる。

 蛍たちの群れは杉を彩るイルミネーションとなり、まるで星が降っているようだった。

 「あ!あれ!」

 圧倒的な光景にみとれていると、少女が一匹の蛍を指さした。

 その蛍は他の蛍と違い二回りほど大きく、放つ光もひときわ大きかった。

 蛍は僕たちに近づき、僕らを観察するように目の前をふらふらと飛んだあと、急に方向を変え、森の奥へ飛んで行った。

 「あ、待って!」

 少女が蛍を追いかけようと、僕の手を引く。しかし、ドロっとした嫌な感じに包まれて、その手を振り払った。

 「どうしたの?きっとついて来いって言ってるのよ。いきましょう」

 なんだろうか。この感覚は。

 いつだったかは思い出せないが、僕は前にもこの感覚を体験したことがある。

 とても嫌な感じだ。

 僕は必死に首を横に振ることしかできなかった。

 「そう、こないのね。じゃあ碧はここで待ってて。ちょっと見てくるから」

 ――待って

 その想いは声にならず、喉の奥で消え去る。

 少女はそのまま、一人で森の奥へ消えていった。

 空を見ると、さっきよりも雲が濃くなっている。雨でも降りだしそうだ。

 少女が見えなくなったところで、ようやく言葉は形になった。

 「あーちゃん、待って!もう帰ろう!奥に行くと危ないよ!」

 叫ぶが、返事は帰ってこない。夜の静けさが、不安を加速させる。

 やむを得ず、僕も走り出す。

 気づけば月が雲の隙間から顔を出し、辺りは青白く照らされている。

 嫌な予感はどんどん強くなる。奥に進むたびに強くなり、恐怖となって足に絡みつく。

 しかし、止まってなどいられない。少女は先へ行ったのだ。早く止めないと、取り返しのつかないことになる気がする。

 恐怖を振り払うように、力強く地面をける。

 全力で走っているのに、少女の姿が全く見えてこない。

 「あーちゃん!返事して、あーちゃん!どこにいるの!」

 秘密基地よりも奥まで行った事はないはずなのに、周りの景色に見覚えがある。

 そのとき、頭の中で、一つの光景がよぎった。

 ――違う。ダメだ。違う違う違う……!

 いつの間にか雨が降り出している。ザーッという雨音が、静かだった夜を壊す。

 周りを見渡すと、さっきまでは生い茂っていたはずの木々も枯れている。

 ――違う、違う!違う、違う違う違う違う!

 心の中で呪文のように、何度も繰り返し唱える。

 雨はどんどん強くなり、靴や服だけでなく僕の心までも濡らしていく。

 いつの間にか森は抜けていた。

 先は崖で、その下には海が魔物のように揺れている。

 どういうわけか月は紅の光を放ち、残酷な真実を明るく照らす。

 本当はもう思い出していた。すべてを。

 ――違う!

 でも、そんな結末が嫌で、憎くて、悔しくて。知らないふりをしていた。夢に、縋っていた。

 ――ちが、う……。

 確信に変わった予感を、それでも否定するために、崖の下を覗き込む。

 しかし。

 薄い希望はすぐに砕かれる。

 そこには、記憶にある光景と同じように、海に漂う少女の姿があった。

 白かったワンピースも赤く染まり、不気味に、仰向けに漂っている。

 その赤はだんだん海にも滲み出し、一気に広がり、海全体を赤く染める。

 「う……あ……」

 そう。この夢はいつもと何もかもが違った。

 その情景も、長さも、展開も。

 そして、少女が目覚めたときに口にした言葉も。

 今ならわかる。いつもの夢で少女が本当に言いたかった言葉が。

 僕が幻で上書きミュートしていた、その言葉が。

 「思い出して。あなたが、私を――」

 僕がずっと聞きたかった言葉が。


 「私を殺した」



 目が覚めても、夢からは抜け出せずにいた。

 ただ深く、暗い絶望が僕の体に纏わりつくような、そんな気持ちの悪い冷たさだけを感じていた。

 「……寒い」

 頬を伝う涙も、その冷たさを溶かすことはできなかった。

 僕は最低だ。自分の犯した罪を忘れ、逃げ、今までのうのうと生きてきたのだから。

 自分を責めれば責めるほど、僕の体に纏わりつくものの中に罪悪感や自己嫌悪が混ざっていき、より一層ぐちゃぐちゃになる。

 あの夢は現実だ。むかしの僕の記憶だ。

 こうして机に突っ伏しているだけでも吐き気がする。

 何もする気が起きない。何もしない気さえ起きない。

 気がつけば、家を出ていた。辺りはまだ明るい。

 行先など、特に決めていない。

 ふらふらとあてもなく歩いていたつもりが、いつの間にか神社の下にいた。

 そのまま、足は勝手に階段を上り始める。

 力なく進む足は、疲れを無視して前に行こうとする。止まると何かが終わってしまうとでも言わんばかりに。

 境内まで来ると、巫女がせっせと掃除をしていた。

 巫女は僕に気づいたようだったが、特に気にすることなく、掃除を続けている。

 そんな巫女を横目に、僕は、まっすぐ、夢の中でけものみちがあった場所へ突っ込んだ。

 もちろん、そこにみちなんてあるはずもなく、植栽が壁となってゆく手を阻む。

 枝が刺さり、血が服ににじむ。痛みはなく、足も変わらず機械的に前に進もうとしている。

 だんだんと、前に進み始める。よく見てみると、四肢に食い込んだ枝が折れて、少しずつ植栽が壊れていっている。

 後ろの方で、がたっと音がした。

 異変に気付いた巫女がほうきを捨て、僕のもとへかけてきている。それも無視して、服が破けるのも構わず進んでいく。

 しかし、なかなか進まない。草木が邪魔だからということもあるが、そばにかけてきた巫女が僕の背中を強く掴み、引っ張っているからだ。

 「……離してください」

 呟くように告げ、なおも前に進もうとするが、巫女がそうはさせない。

 「離せ!」

 叫び、腕を振りほどこうとするが、以外にもかなり強い力で掴まれており、振りほどくことができない。

 「離せよ!僕が何をしようと、あなたには関係ないでしょう!」

 振り向いて叫んだ瞬間、いきなり組みつかれ、足をかけるようにし、体を捻られる。

 何が起こったか理解できぬまま、後ろ向きに倒れこむ。それに合わせ、僕を掴んでいた巫女も、もつれるようにして倒れこむ。

 バチッと鈍い音が境内に響き、僕の右頬がじんじんと熱を帯びた。

 「しっかりしろ!クズ野郎!」

 初めて聞いた巫女の声だった。

 倒れた時の衝撃によってか、巫女の面が外れている。その見開かれた両目からは、涙があふれていた。

 「なんで……泣いて……」

 「……ついて来い」

 巫女は面を付け直すとそういって本殿の方へ歩き始めた。

 本殿は拝殿に比べ小さく、こじんまりとしていた。その横、丁度陰になる位置に、けもの道とはまた違う、人が何度か通ってできたような道があった。

 巫女は迷いなく、その道を進みだす。巫女の涙に呆気に取られていた僕は、自分の意思で、巫女についていく。

 どんどん、森の奥深くへ入っていく。もう、本殿は見えなくなった。

 初めてくる場所のはずなのに、どこか懐かしい感じがした。理由は想像がつく。

 巫女が足を止め、一本の大きな木を見上げる。

 確証はなかったが、やはりそうだった。

 そこは、あの秘密基地だった。

 あの夢から抜け出してきたかのように、夢とそっくりな秘密基地だ。何もないが、全てを生んだ場所。そして、今の僕にとっては、一番つらい場所。

 自然と、涙が出てきた。全てを思い出した時でさえ泣かなかったのに。今頃になって。

 「くっ……うぅ……」

 体の感覚もじわりじわりと戻ってくる。枝の刺さった痛み。熱い、頬の痛み。

 気に近づき、巫女の前に出る。今の顔をこの巫女に見られるのがなんだか悔しくて、僕は声を押し殺して泣き続けた。

 「ごめん。本当に……ごめん」

 謝罪の言葉をつぶやく。ここで言っても意味がないことはわかっているし、その言葉だけじゃ済まないこともわかっていた。

 しかし、一度あふれた言葉はとまらず、崩壊したダムからあふれる水のように、勢いよく流れ続けた。

 それは、あたりが暗くなるまで続いた。巫女は何を言うでもなく、腕を組み、僕の後ろに佇んでいた。

 流れが落ち着き、ふと暗くなった夜空を見上げると、黄金色に輝く点が生まれた。

 星かと思ったが、よく見てみるとふらふらと揺れ動いている。

 蛍だ。

 その蛍はいつか見たように、僕の目の前をふらふらと飛んだあと、森の奥の方へ飛んで行った。

 ためらうことなく、蛍を追いかける。

 森の奥へ、走っていく。

 巫女の方を見ると、やはり、無言で佇んでいるばかりだった。

 蛍はふらふらと、どんどん奥へ進んでいく。

 そのあとに続き、木々をかき分け、岩を跨ぎ、進んでいく。

 森を抜ける。

 行きついた先は、あの場所だった。

 すべてが終わった場所。

 息をのむ。

 崖の先には、小さな墓標があり、花が添えられている。

 また泣きそうになったが、どうやら既に枯れたようで、嗚咽が漏れるだけだった。

 墓のそばに腰を下ろし、星を眺める。

 夜空は晴れ渡り、星がよく見える。

 墓の周りには蛍たちが集まり、楽しそうに舞っている。

 そのとき、いきなり強い風が吹き、添えられていた花の花弁が散った。

 その花びらを目で追い、後ろを振り向く。

 そこに存在したものに一瞬驚き、目を見開く。

 でもすぐに、やっぱりか、と目を細める。

 「あーちゃん……」

 なんとなく、感じ取っていた。

 あり得ない出来事のはずなのに、すんなりと、頭に入ってくる。

 目を閉じる。

 ああ、また、繰り返すのか。

 この夢は、終わらない。

 それでも、何度でも繰り返す。

 また君の声が聴けなくなるとしても、君の顔が思い出せなくなるとしても、思い出した後に、どれだけ辛い気持ちになろうとも。

 それでも。僕は。

 いつの日か真実を受け入れて、前に進みたいから。

 立ち上がり、少女の方を向いて崖の先に立つ。

 これから始まる、いや、再び始まる長い旅に嫌気がさしつつも、笑いながら言った。

 「じゃあ、また後で」

 「うん。待ってるよ。いつまでも。また、呼びかけるから」

 少女が微笑む。

 その尊い笑顔を現実にするため、僕は崖から飛び降りた。



 to be continued…

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それでも君は知りたいか てうふぇる @OoKURONAoO

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