第10話「ある種の信頼の証でしょう」

「そうだね、あのお嬢さんの『元』なのだから、それ相応の力を持っていても不思議はないよ。それでは彼女が力を引き出す前に対処しようか」

 首肯したイーストはふっと息を吐いた。

 アスファルトの申し子――レーナは、あの技使いの人間たちを守ろうとしていた。彼らを葬ろうとすれば全力で向かってくるだろう。そうなると人間たちに手を出すなら、ミスカーテの呪いが効いているうちが好適だ。

「同じ過ちは繰り返さない」

 イーストは口の端を上げた。危険な芽は早めに摘まなければいけない。だからレーナにも呪いを施した。

 たとえ彼女が戻ってくるようなことがあったとしても、以前のように全力が出せるはずもない。気が安定するか否かは、それだけ意味がある。故に有用だ。

 確実に勝てるはずの戦いを落とすのは、油断があるからだ。危うい可能性を限りなく削ぎ落としていくことが、今のイーストらには必要だった。絶対ということはない。特に追い詰められた者たちは、時に信じがたい力を発揮する。

「そのために準備をしよう。そろそろブラストが目覚める可能性もあるだろう? 彼が張り切って一人で走り出そうとした時、私たちも動けるようにしておかないと」

 懐かしい顔を脳裏に描き、イーストは頬を緩めた。封印された順とは逆に蘇っているのだとすると、次はブラストだ。

 ずっと眠ったままで退屈な時を過ごしていた彼は、きっと目覚めるなり刺激を欲するだろう。一人で突っ走られてはイーストたちも困る。ブラストが目を覚ます前に、舞台の準備を終わらせておくことが肝要だ。

「いつになくやる気ね、イースト」

「それはもちろん。ミスカーテの死を無駄にしたら、私たちの目指すものが失われてしまう。本当はもう少し慎重に行きたいところだけど、動いてしまったものは仕方がない。私たちは私たちの最善を目指そう」

 苦笑するレシガへと、双眸を向けたイーストは破顔してみせた。彼らには譲れないものがある。部下の死は最小限に。決して無駄死にはさせない。

 だから誰かが決断したのならば、それを紡いでいかなければならなかった。ミスカーテの死を何かに繋ぐには、ここで一つ腹を決める必要がある。

「ブラストが寝坊したら?」

「その時はその時かな。いや、私たちの準備が整ったのなら、先に動いておくのは悪くないと思うよ。呪いの効果がいつまで続くのかはわからないしね。もちろん、アスファルトは怒るだろうけど」

 肩をすくめたイーストは、まなじりをつり上げたフェウスをたしなめるよう手をかざした。

 アスファルトの名を出した途端にこれだ。かの科学者に関する話をする時は、いつもこうだった。不愉快であることを隠さなくとも、咎められないとわかっているからだろう。それも一種の甘えだ。

「怒られるならイーストだけにしてよね。私はあの研究所には行かないわ」

「ひどいな。彼は私だけだとより辛辣なのに」

「あれはあなたへのある種の信頼の証でしょう」

「レシガ、君も面白いことを言うね」

 軽口を叩き合えば、フェウスが今度は複雑そうな顔をした。こんなやりとりができるのはここくらいのものだ。少しは大目に見てもらおう。手を下ろしたイーストは、揺れた髪を耳へとかける。

「まあ、最後はミスカーテのせいにすればいい。彼はアスファルトにご執心だったからね。納得してもらえるだろう」

 くつくつとこぼれた笑い声が、灰色の室内に染み入った。あえて明るく振る舞ってしまうのは、一体いつからの癖だろうか。

 しかしこうでもしなければ、犠牲の意味に足を取られかねない。誰も生け贄に捧げずに勝利することなど不可能なのだが、それをよしとできないのは、それこそある種の甘えだろうか。

 悪態を吐くプレインの横顔を思い出し、イーストは軽く目を瞑った。それでも預かり物は大切にすべきだと、胸中で反論しながら。





 治療室の中は怪我人で埋め尽くされていた。独特の匂いがたちこめる室内をのぞき込み、滝は思わず顔をしかめる。

 人、人、人。怪我人や治療に当たっている者だけでもこれだけの数だ。動けなくなっているだけの者、軽傷の者は訓練室にいると思うと頭が痛くなる。無傷の仲間はどれくらい残っているのだろう。

「あ、滝。そちらは終わったの?」

 滝の訪いに気づいたレンカが、こちらを振り返った。誰かの背をさすっていた手はそのままに、やや疲れた眼差しではあるが、声はいつも通りだ。

 滝はベッドの隙間を縫うようにそちらへ近づいていく。よく見ればベッドの大半は、本来は椅子であったり、何かの箱であったりした。足りないから適当なところから持ってきたのだろう。

「レンカは大丈夫か? とりあえず訓練室で水を配ってきた。怪我人は……かなりの数になってるな」

「ええ。ラフト先輩、カエリ先輩、レグルスが一番まずいわね。破壊系も食らってるみたいだし、頭を打っているらしいのが心配だわ。本当なら医者に診せたいところね」

 頷いたレンカの視線を追うよう、滝は顔を上げる。部屋の奥の方では、ジュリが忙しなく動きながら顔をしかめていた。

 その傍で寝かせられている一人は、毛布に包まれていてもわかる。ラフトだ。気がやや不安定なのが気に掛かるが、破壊系の技の影響だろうか。

「医者か」

 滝は眉根を寄せた。医者と一言でいっても、大きく分けて三種類いる。技に全く頼らず、知識、薬、機械や技術によって治療する『一般系の医者』。それとは逆に治癒系の技でのみ治療する『治癒系の医者』。そして両者を組み合わせて治療する『両系の医者』である。

 レンカが診せたいと言ったのは両系の医者のことだろう。ジュリは治癒系の医者と同じくらいの実力がある。彼女の手に負えないほどとなると、あとは両系の医者にしか手出しできない分野だ。

「出血の問題が絡むと、技だけではどうにもならないからな」

 滝は相槌を打った。単純に出血を止めるだけならば技でも可能だが、失われた血液を補充するといったことは不可能だった。そういう類の治療が必要ならば、両系の医者に任せるしかない。

 しかし今の神技隊は、一応宮殿直属のような扱いとなっている。つまり医者にかかるためには宮殿を通した手続きが必要となる。これだけ混乱した状況では、おそらく後回しにされるだろう。

 そうでなくとも手続きが煩雑なのは容易に予想できることであった。しかも、頼みの綱の梅花が倒れている。

 そんな思いが伝わったのか、レンカも浮かない顔をしていた。ここがヤマトならすぐに長に頼み込んで医者に診せることができるのに。――今さら悔やんでも詮のないことが脳裏をよぎり、滝は奥歯を噛んだ。

 今でも頭を下げて頼み込めば可能だろうか? いいや、滝自身ならともかく、仲間まで特例で診てもらうというのは無理だろう。両系の医者は特に数が少ないから、簡単にはかかれない。

「おそらく破壊系のせいだと思うんです。ただそうなると、私には治し方がわからなくて」

 そこでふいとジュリの声がした。滝が視線を向けると、振り返った彼女が申し訳なさそうに眉尻を下げるのが見える。滝は慌てて首を横に振った。決して彼女を責めているわけではない。

「いや、ジュリは十分すぎるほどやってくれてるだろ」

「それでも、まだ力が足りません。上の方なら、治療法がわかるんでしょうかね……」

 続くジュリの言葉に、室内の空気がにわかに重くなった。寝かされている者の静かな呼吸が、やけに強く耳に残る。

 破壊系への対処法については、上の者なら知っているのかもしれない。しかしシリウスはきっと今それどころではない。

 ミケルダたちはイダーの騒動を抑え込むために走り回っていることだろう。他の神が自分たちのために手を尽くしてくれるとは、到底考えられなかった。

 もしレーナがいつも通りに元気なら。きっと現状を的確に判断して、可能だったら手当てをしてくれたかもしれない。

「ああ……」

 そこまで考えたところで滝は息を吐いた。レーナに頼るのが、いつの間にかもう思考にまで染みついてしまっている。信じられないなどと言っていたあの日が嘘のようだ。

 彼女の力にも知識にも、何度も助けられた。彼女がいればなんとかなるような気がしていた。そんな自分の甘さに直面させられる。

 梅花のこともそうだ。宮殿を介する問題に関しては、ほとんど頼り切りだった。それでも今まで何とかなっていたのは、偶然彼女が無事だったからだ。

「そういえば、梅花は?」

 そこで滝ははっとする。見回せども梅花の姿が見当たらなかった。倒れたと聞いていたから、てっきり治療室に運ばれていると思ったのだが。

「梅花なら部屋よ。ここはどうしてもベッドが足りないから……。それに梅花の場合は、怪我をしたわけでもないし。必要なのは休息だからね」

 答えはすぐ傍のレンカから得られた。なるほど、確実に治癒の技が不要であれば、休養を優先した方が賢い。少なくとも今の治療室はそれには向かなかった。

 滝は耳の後ろを掻きつつ周囲を見渡す。この混み具合では治療のために動き回るのも大変だ。きっと滝も邪魔になっている。

「わかった。じゃあ様子を見てこよう」

「あ、でも……たぶん青葉先輩がいます」

 退散しようと踵を返した滝へ、慌てたようにジュリがそう付言した。どこか詫びるような調子なのは、部屋へ行く直前の青葉の顔でも見てしまったからだろうか。滝は「わかってる」と首を縦に振り、ゆっくり扉を目指す。

「だから見てくるんだ」

 そう告げた滝は思わず苦笑をこぼした。倒れたという梅花を、青葉が放っておくはずもない。しかしいくら体力無尽蔵な青葉でも、そこに張り付いたままというのはまずかった。

「釘を刺してくる。ジュリもいい加減に休めよ」

 そう滝が言い残した直後だった。治療室の扉が開いたと思ったら、銀髪の少女が勢いよく顔を出す。――サホだ。ふわふわとした髪を揺らした彼女は、滝を見上げるとまず一礼する。そしてそのままぱたぱたとジュリの方へ寄っていった。

 その後ろ姿を自然と目で追いながら、滝は再度レンカと顔を見合わせる。

「ジュリさん、私が言いたいことわかりますよね? リンさんが心配していますから治療は交代です。食堂でシン先輩たちが簡単な食事を用意してくれています。今のうちに食べてきてください」

 ジュリに向かって片手を振る仕草は、どことなくリンのものと似ていた。たったそれだけのことに、滝の心も少しだけ緩む。

 同時に、自分も空腹であることを意識させられた。そういえば全く飲み食いをしていなかった。せめて水分だけでもとらなければ倒れかねない。

「……先読みされていますね」

「当然です。リンさんの指示で既にみんな動いています。メユリちゃんも手伝ってくれてるので、絶対に行ってくださいね」

 そう付け加えたサホは、そのまま滝たちの方へと双眸を向けた。無垢でいて、それでも意志の強さを感じさせる眼差しが、真っ直ぐこちらを捉える。

「滝先輩やレンカ先輩も、時間を見つけて何か口にしてくださいね」

「ああ、そうだな。助かる」

 すぐさま滝は頷いた。どれだけの事態が生じても、空腹のままではろくな考えも浮かばない。その点が上の者とは違う。

 今一度冷静さを取り戻すべく、まずは食堂に向かおう。そこで適当なものを見繕って青葉にも渡せばいい。おそらく青葉も何も口にしていないはずだ。

 そう考えていけば、わずかばかりに心が落ち着いた。やはりやるべきことが明確になると気分が違う。

 焦っても仲間たちは目を覚まさないし、奇跡が起きるわけでもない。今の滝たちにできるのは、シリウスたちから話が来るまでの間に、可能な限り体調や戦力を整えておくことだ。

 いつ魔族が動き出すのかはわからない。彼らは上の者と同じく、睡眠も食事も不要だ。

「ずいぶん不利だよな」

 ぽつりと滝は独りごちる。それでも嘆いているばかりではどうしようもないことは、よくよくわかっていた。

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