第5話「だからオレには言わなかったんだ」
「もう少し多いか、もっと強い奴を送り込んでくるのが普通ってこと?」
「ああ」
そうレーナが答えた時だった。不意に背後の扉が開く気配がして、青葉は勢いよく振り返った。完全に意識がモニターの方へと集中していた。ようやく仲間たちが起きてきたのか?
けれども視界に飛び込んできたのはミケルダだった。思わず目を丸くすれば、意気揚々とした様子でミケルダは部屋の中に入ってくる。
「勝ったね! 梅花ちゃんおめでとう!」
「……私は何もやってませんが」
真っ先に梅花の手を握りに来たミケルダを、青葉は思わずねめつけそうになった。前触れもなく突然やってきたと思ったら、いきなり何なのか。相手が上の者でなければ本当に睨み付けていたかもしれない。
「でも嬉しいじゃない。初勝利じゃない!」
ミケルダの跳ねるような声が室内に響き渡った。その無邪気な喜びように耐えかねたのか、滝が小さく噴き出す。つられてレンカも顔をほころばせた。
先ほどまでの硬い空気が瞬く間に和らいだような気がして、青葉は内心複雑だった。不愉快と言い切れないのは、悪い効果ではないからだ。しかしせめて気安く手を握る行為だけは控えて欲しい。
「それは、もちろんよいことですが。それにしてもミケルダさん、また下に来て怒られません? 大丈夫です?」
当の梅花は眉をひそめつつ、ミケルダの手をゆっくりと引き剥がした。慣れた手つきであるところを見ると、こうしたことは珍しくないのだろう。
それがまた青葉の胃の底にちくりと刺さる。こんな時にそんなところを気にしている場合ではないのだが、つい目に入るのが厄介だ。
「いいんだって。どうせ他の神技隊の訓練で下りっぱなしだから気づかれないって」
「ああ……まだいるんですもんね」
「うん、あと二つ」
引き剥がされた手のことは意に介した様子もなく、ミケルダはあっさり頷いた。まだ神技隊が集められていることはなんとなくわかっていたが、もう二つもあったのか。
青葉は思わず、動きを止めていた滝と顔を見合わせる。その者たちも、いつかここに来ることになるのか?
「だからこれから訓練に行っておけばばれないでしょ。……ところで、やっぱりシーさんはいないんだね」
落ち着いたと言わんばかりに息を吐いたミケルダは、ついできょろきょろと辺りを見回した。その指摘に青葉ははっとする。
魔族が現れたというのに、あのシリウスが様子を見に来ないのはおかしかった。あれだけ頻回にこちらの様子を気に掛けていたのだから、まず間違いなく顔を出すだろうに。
青葉はつい、レーナの表情をうかがった。彼女は何故か得も言われぬ微苦笑を浮かべ、ミケルダへと双眸を向けていた。何か知っているのか?
「シーさん、もしかしていなくなった? てっきりケイル様たちから逃げてるだけかと思ったんだけど」
ミケルダの眼差しが、真っ直ぐレーナへと向けられる。まるで「知っているんだろう?」と問いかけているかのようだ。レーナは頭を傾けつつ、苦笑をこぼす。
「あいつは、お前にも言わなかったんだな」
しみじみとした呟きは、ミケルダの疑問を肯定するものだった。青葉は瞬きをする。シリウスがいなくなった? まさかこの星を離れたというのか? いつの間に。
「全然、何も。言うとしたらアルティード様だけかな。……って、ひょっとしてレーナちゃんには言ってったの? もしかして会いに来た?」
わずかに首を捻ったミケルダは、ついではっとしたように前へと一歩を踏み出した。信じがたいという思いと、半分納得の色が、彼の気には含まれていた。レーナはパネルの一部を左手で叩きながら、首を縦に振る。
「ああ。無理やりな感じだったが」
レーナが曖昧な表現を選ぶというのも珍しい。ごまかしているわけではないだろうに。青葉は顔をしかめつつも、ちらと隣の梅花を見た。彼女は何故か大して動揺もせずに、ただ困ったような微笑をたたえてたたずんでいる。
――シリウスがいなくなった。その意味を青葉はじっくりと噛みしめる。
万が一ミスカーテがやってきたとしても、シリウスの助けは期待できないということだ。いずれそんな日が来ることはなんとなく予感していたが、それが想像以上に早かったことは意識の底に波紋を呼び起こす。
「やっぱり、それだけレーナちゃんのことは信頼しているわけだ」
「いや、そういう問題じゃないと思うがな」
「そういう問題だよ。シーさんは自分で判断し、決定し、動ける人にしか自分の意向を伝えないから」
ミケルダの淡々とした言葉が、青葉の胸にもつきりと刺さった。自分で判断し、決定する。翻弄されて、説明もなく命じられたままに動いていた自分たちとは真逆だ。
「それは、私たちにも求められているんでしょうかね」
ぽつりと、梅花がそう囁くのが聞こえた。視界に入った彼女の横顔からは、何か深い憂いが垣間見えるような気がして。青葉は口をつぐむ。
「だからオレには言わなかったんだ。わかってる」
ミケルダはおもむろにモニターを見上げた。じりじりと焼かれる胸の痛みを押さえるよう、青葉はつと拳を握った。
シリウスが不在であることが皆に知れ渡り、すぐに見張り体制を開始することとなった。話し合いの結果、それは六日から始まることが決定された。
ひとまずは二交代制、三チームで順繰り回すことになったが、これがどこまで続けられるかは疑問だ。滝はモニターから外を眺めつつ考える。
一チームの人数を減らすのも考え物だが、この体制で各々の体力はどこまでもつのだろう。いつ襲ってくるのかわからぬ者たちを相手にこれから長い戦いを続けなければならない。そのことの重みがようやくのしかかってきた気分だった。
先日の来襲は早朝だったと、モニターから見える夕陽を眺めつつ彼は独りごちそうになる。
本日の日中担当は滝、レンカを中心としたチームだ。ラフト・カエリにホシワ・ミツバ、サイゾウ・レグルス、コブシ・コスミを加えて計十名。
もちろん当番だからといって中央制御室にずっといる必要はない。先ほどホシワとミツバが出て行ったので、今は滝一人だ。チームが見張りの際は衣服や装備を整えたまま生活するというのが条件で、いつでも襲撃があれば出向けるようにしている。
この間の反省点はこれだった。リンがたまたま短剣を持ち歩いていたからよかったものの、全員がそうするわけにはいかない。しかし武器がなければ魔族に対抗できない者も多い。
今後は見張り体制にあわせて食事や掃除当番の組み直しも必要になるかもしれなかった。何にせよ、やってみないと問題点は見えてこないだろう。
「また滝は考え事?」
扉の開く気配と共に、レンカの声がした。肩越しに振り返った滝は苦笑をこぼす。髪を揺らしつつ近づいてきた彼女は、「はい」と大きなマグカップを手渡してきた。いつもの珈琲とは違う香りがする。
「そんなにずっとあれこれ悩んでいたら、いつか倒れるわよ」
「それはわかってるんだがな」
カップを受け取り、滝はわずかに肩をすくめた。揺れる薄茶色の液体から、ふわりと湯気が立ち上る。中身はどうやらお茶のようだ。しかしこの赤みは見慣れない。
「アールのお茶よ。よつきがアキセに持ってこさせたみたいね」
「そうなのか。……あいつらの関係どうなってるんだ?」
「さあ」
視線で問いかければ、レンカは笑いながら頭を傾けた。ゲットのサホがリンの一番弟子であることは聞いたし、その力も確認できた。
リーダーのアキセもなかなかの実力者だったが、よつきとの間には依然として緊迫した空気が流れている。こればかりは致し方ないだろう。長年の関係からくる腐れ縁は簡単には変わらない。
滝はそっとカップに唇を寄せた。ふわりと鼻孔をくすぐる少し酸味のある香りについで、独特の風味が口の中に広がる。変わったお茶だ。
「面白い味でしょう? 気持ちを落ち着かせる効果があるんだって」
「へぇ」
滝は相槌を打つ。これが必要だと思われるくらい、彼の振る舞いは張り詰めて見えていたらしい。反省しなければ。そういえば先日も、梅花が気遣わしげに話しかけてきた。それだけ疲れた顔をしているのかもしれない。
「ほら、また考えてる」
と、そこで左の腕を突かれた。レンカの悪戯っぽい声に、滝は閉口する。なるほど、このところふとした瞬間には何かを考え出している。頭が休まっていない。本当なら任せるべきところは任せた方がいいのだろう。彼の苦手な分野だ。
「滝は自分がやるべきことをして。大丈夫、私が横にいるから」
そんなレンカの言葉に目を丸くした時だった。それまで外の景色を映しだしていたモニターが、突然真っ黒に染まった。驚いて顔を上げた滝は、慌てて気を探る。
と同時に、レーナの気が突として背後に出現した。カップを取り落としそうになりつつ、彼は振り返る。
「レーナ」
「まさか魔族?」
「ああ、やってくる。よかった、ちゃんとこれも反応したみたいだな」
今のは、まさか『転移』だろうか? いつの間にか部屋の中にいたレーナは、滝たちの横をすり抜けてモニター下のパネルへと向かう。
間もなく、黒いモニターに複数の赤い点が出現した。彼が喉を鳴らすと、それが短い時間で点滅し始める。
「巨大結界のすぐ外にいる魔族に反応するようにした。今度は人数を増やしてきたみたいだな。十一だ」
レーナが淡々とそう告げる。滝の鼓動は跳ねた。そんなにいるのか。
そろそろ夜の体制へと移行する時間だが、まさかその隙間に現れるとは。――いや、次のチームの担当はシンたちだったから、また任せることにならずによかったと考えるべきか。
「よし、じゃあ警報を鳴らして準備だな。レンカ頼む」
「ええ」
「警報はわれがやる。相手の数が多い。準備ができた者から援護に出てもらった方がいいだろう。そちらの指示もわれが伝えておくから、お前たちは急げ」
動き出そうとした滝たちへと、レーナがそう声をかけた。それもそうかと彼は首肯する。五組で十一人の魔族を相手するのは、やはり不安があった。まだまだみんな対魔族の戦いの経験が乏しい。
「わかった」
滝とレンカは再び目と目を見交わせ、走り出した。中央制御室を出ると同時に、危険を知らせる警報が基地内に響き渡る。これで仲間たちもじきに駆けつけてくることだろう。ざわめく空気を感じつつ、二人は基地の外へと飛び出した。
夕闇が広がる世界に、冷たい風が吹き荒れている。揺らされた草のざわめきが重なり、辺りを覆っていた。滝は駆けながら顔を上げる。
まだ魔族の気は感じ取れない。しかし間もなくこの星へと降りてくるだろう。彼は腰からぶら下げた長剣へと触れ、周囲を見回した。基地からある程度離れた方が動きやすいだろうか?
「滝、来たわ」
レンカの声が鼓膜を揺らした。精神を集中させると、彼女の指摘の通り、動きがあった。遙か上空で動く何者かの気配。魔族だ。
「こっちへ来るかしら?」
「宮殿に真っ直ぐ行く……ことはないと思うが、可能性はあるのか」
「じゃあリンの真似して先制攻撃ね」
にこりと笑ったレンカが空へ手をかざす。その様を横目に滝は剣を抜いた。
レーナが作り出してくれたこの剣は、想像していたよりもずいぶんと軽い。それでいて丈夫だし、精神をいくら込めても平気だというから不思議だ。余計なことを考えずに使える得物、というのが彼女の説明だった。
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