第13話「大好きな人の傍にいられるのは最高のことよ」

「サホは決まったの?」

「……え?」

「ああ、今組み合わせの話をしていたの。サホは誰と組むか、決まった?」

 率直に尋ねれば、サホはその場で固まり、ついで戸惑ったように視線を彷徨わせた。珍しい反応だ。不思議に思って首を傾げれば、真向かいにいるよつきが何故か半眼になる。

「同じゲットのアキセですよ」

 そう告げるよつきの気から感じ取れるのは、どす黒いものだ。ゲットのリーダーであるアキセはよつきの同郷者らしいが、今の反応を見る限り仲はよくないのだろう。

 リンはカップに手を伸ばし、唇を寄せた。近くに住んでいた技使いが全て仲良しになるわけではないと、リンも身に染みて理解している。しかし今後のことを考えれば、そのままにしておいてよいものなのかどうか。

「リンさん、ゲットのアキセさんが、あの噂のアキさんですよ」

 刺々しい沈黙が生まれそうになったところで、そう付言したのはジュリだった。リンは再び瞳を瞬かせる。

「アキさん」という呼び名には聞き覚えがあった。サホが小さな頃から親しくしているという、『アールのお兄さん』だ。

 ウィンとアールは比較的距離が近いため、頻繁に行き来している者も多い。サホは家族ぐるみで仲良くしている一家がいたようだった。――少なくとも奇病で両親が亡くなるまでは、よく遊びに行っていた。

「ああ、噂のお兄さんか。そっか、そうだったんだ」

「あ、あの、別に深い意味はないんです! その、私とアキさん、あとレグルスさんとときつさんが、それぞれ知り合いで」

 何かを恐れるように、慌てたサホは弁明をし始めた。口をパクパクとさせるその横顔を見遣りながら、リンはにんまりと笑う。

 別にからかいたいわけではない。ただこれからのことを考える時、心の拠り所は多いに超したことがなかった。

「いいじゃないの。大好きな人の傍にいられるのは最高のことよ。サホはずっと苦労してきたんだし」

 リンは深々と首を縦に振った。本心だった。両親を失って一人きりになった少女は、それでもより小さな子たちを気遣って暮らしてきた。弱音を吐くこともなかった。

 もう十分に苦しい日々を乗り越えてきたのだから、少しくらいよい目を見たところで誰も文句は言わないだろう。

 ただ一人、よつきだけは不満がありそうだが。それは相手のアキセに対してだろうか? しかしそれをサホにぶつけられても困る。

「梅花先輩が言ってましたよね。厳密に調べて調整するのが無理になったので、知り合いとか年の近い人でまとめてるんじゃないかって」

 皆の顔を見回しながら、ジュリが取りなすようにそう言った。シークレットまでは梅花が選抜の主な調整を行っていたようだ。以降は別の者が取り仕切っているという。なるほどと頷きながら、リンはカップを両手で包み込んだ。

「異世界に派遣するつもりがないなら、それもありでしょうね。仲良くなるのを待つよりは早いし。そもそも、その隊のみで完結させるつもりがないんでしょう」

 今までは五人で仕事をこなしつつ生活費を稼ぐことが必要だったが、これからは違う。

 五人で活動する前提でなければ、厳密な能力のバランスをとる必要もない。ならば、人間関係を優先するという発想も納得だった。少しでも知り合いがいた方が心強いというのも理解できる。

「ま、だから気にせず仲良くしなさい」

「は、はぁ」

 サホの背を押すつもりでそう告げてみたのだが、困惑気味な眼差しが向けられただけだった。ジュリが何か言いたげにこちらへ一瞥をくれたのにも気づいたが、リンはあえてそれを無視した。




 レーナが自室として作った部屋の真ん中には、大きな作業台がある。

 物を広げているだけでその上で実際に何かを作っているわけではなかったが、それでも彼女にとっては重要な場のようだった。石のようなものが並べられているのを、アースは何度か目にしている。

 しかし今、彼女がその作業台に広げているのは一枚の紙だった。真っ白でずいぶんと大きなものだ。それを前に彼女は小さく唸っている。

「武器作りは終わったのか?」

 先ほどからずっと彼女の様子を見守っていたのだが、さすがに気になってくる。彼は適当なところで声を掛けた。

 壁にもたれかかり彼女の背を見続けているという時間は、非常に不毛なように思える。それでも彼女が知らぬところで作業をしているのを想像する方が落ち着かないので、ここで見張っているわけだ。

「ん? ああ、ちょっと休憩。だから対戦表でも作ろうかと」

 やおら振り返った彼女は、ふわりと微笑んだ。どうやら彼女としては休憩のつもりだったらしい。少し頭が傾けられたため、白い頬へと艶やかな髪が触れる。

 全く休めていないと指摘したくなるが、対戦表と聞くと少しだけ興味が湧いた。壁から背を離した彼は、ゆっくり近づく。

 彼女の言う通り、大きな紙には各自の名前がずらりと並べられていた。近々行われるという「大会」に向けての準備だろう。

 大概のものは退屈に思える彼でも、こうした競い事は嫌いではない。やはり実力を振るう機会というのは必要だ。そうでなければ腕もなまってしまう。――無論、アースはこの大会には参加しないが。

「二人組が全て決定したというので、ようやく作れる」

 そう言って嬉しそうに笑う彼女の頭越しに、彼もその手元をのぞき込んだ。十五組あるらしい。ということは、一巡するだけでもなかなかの試合数になる。

「……前々から気になっていたんだが」

「何だ?」

「その大会の試合とやらは、一体誰が審判するんだ」

 実のところ、彼の気がかりはそこだった。いや、十中八九確信しているからこその疑問の言葉だ。彼女は首を捻るようにしてこちらを見上げながら、何を言ってるのだと言わんばかりに目を丸くする。

「当然、われだろ」

「やはりそうなるのか。つまり、お前に休みはなしってことになるな?」

 彼の目が据わったことに、彼女も気がついたようだった。困ったように微笑むその体を、彼はそのまま腕の中に収める。すっぽりと包み込めてしまう華奢な体躯は、いつだって彼を不安にさせた。こんなに細い体でどこまで走るつもりなのだろう。

「あの、アース、これでは作業ができないんだが……」

「できないようにしてるんだ」

 彼女は身じろぎこそすれ、暴れ出したりはしなかった。ここが不思議なところだ。無駄な消耗を嫌っているとしても、もっと拒否してもいいところだろう。それなのに抵抗らしい抵抗もない。

 すると彼女は諦念の混じった重たいため息をこぼし、口を開いた。

「アースは心配しすぎだ」

「前例があるからな」

 彼はつい半眼になった。無理な技を使って動けなくなったのも、そう昔の話ではない。この基地を作るのだって、かなり無茶をしてきたはずだった。彼女には休息という概念がないのではと疑りたくなる。何かをしていなければ気が済まないのか?

「今回は、そんなに無理してないはずなんだがなぁ」

 と、ぼやくような彼女の声が鼓膜を揺らした。「今回」という響きが単に今の作業を指しているとは思えず、彼は腕に力を込める。心臓の底がきりりと痛むような心地がする。

「今回?」

「え? ああ、いや、何でもない」

 聞き返してやれば、彼女はついと視線を逸らした。その気に決まりの悪そうな気配が混じったのを、彼は見逃さない。

「そうやってお前はいつもごまかすな。お前が言っているのは前の体のことか? それとも前の前の体か?」

 静かに問いかけると、思った以上に低い声が出た。腕の中の彼女が体を固くするのがわかる。別に責めたいつもりはないのだが、そういう発言になってしまうのは何故だろう。彼は嘆息するのを堪え、彼女の後頭部に唇を寄せた。

「われが心配しているのは今のお前だ」

 欲しいのも、今の彼女だ。過去に何があったのかを知ることは叶わないし、知ったところでどうしようもない。大切なのは今ここにいる彼女だ。「前のレーナ」をどう捉えてよいのか彼にはわからなかったが、少なくともそれだけは確信できる。

「だから少しは休め」

 腕の力をわずかに緩めた彼は、そっと彼女の手の甲を捕まえた。折れそうに小さなこの手が既にたくさんの武器を生み出していると思うと不思議な気持ちになる。

 そのまま指を絡めれば、彼女が何か言いたげに視線を寄越そうとするのがわかった。思うように身動きが取れないため、そうすることもあたわないようだが。

「……そうだな、これからいつ休めるかわからないしな。シリウスがいる間の方が好機か」

 ぽつりと彼女はそうこぼした。彼は思わず眉根を寄せた。このところ頻繁に耳にするその名を聞く度に、不愉快になるのはどうしようもない。

 あの男は彼女に無理を押しつけてくる者の一人だ。それなのに彼女が気軽に話をしているというのも解せなかった。

「何故そこであいつの名前が出てくる?」

 アースは絡めた指に力を込める。彼女は困惑した時、よくかの男の名を出すような気がしていた。わざとではないかと疑りたくもなる。

 しかし彼女は何ら悪気もなさそうな声ではっきりと答えた。

「シリウスなら魔族の気の察知を任せられる」

 そう言われてしまうと、反論の言葉が出てこなかった。アースには無理なことだ。

 以前に聞いたのだが、どうやら彼女はいつも魔族の気に怪しい動きがないかどうか確認しているらしい。日々こうして動き、考え、話をしている間もだ。だからできれば眠りたくないのだという。――一体どういう頭の作りをしているのか知りたくなる話だ。

「うん、そうだな。アースの言う通りだ。今のうちだな。なら仮眠をとる方が手っ取り早いかもしれない」

 彼が閉口していると、彼女は一人で納得し始めた。そして視線をベッドの方へと移したようだった。壁際に設置されたそれは簡素といえば簡素だが、普段彼女に睡眠が必要ないことを考えれば上出来な方か。

「でもそうなると、アース、一つお願いができてしまうんだが」

 そこで彼女がまた振り返ろうとする気配を感じ、彼は仕方なく手を離した。表情が見えないと、いつにも増して彼女の内心が推し量れなくなる。二人きりの時、彼女の瞳は普段とは違い雄弁なのに。

 それにしてもお願いという慣れぬ単語に、彼は若干戸惑った。彼女はあまり誰かに頼るということをしない。怪訝に思いながらも頷けば、間近から見上げてきた視線が躊躇うように逸らされる。

「眠っている間だけでも、傍にいてくれないか?」

 部屋を出て行けとでも言われるのかと身構えたが、耳に飛び込んできたのは真逆の懇願だった。

 彼は絶句する。何をどう問いかけるべきなのか、何を確認すべきなのか、すぐに答えを手繰り寄せられなかった。部屋に染み入る静寂が、肌にも張り付くように感じられる。

「あ、すまない。駄目ならいいんだ」

「駄目とは言っていない。それはどういう意味だ?」

 はっとして距離をとろうとする彼女へ、彼は慌ててそう問いかけた。そして手を伸ばして細い肩を掴む。ここで曖昧にするわけにはいかない。無理やり振り向かせる恰好になったが、不満の声は聞かれなかった。ただ彼女は気まずそうに目を背けている。

「……たぶん、アースがいないと眠れないと思うんだ」

 しばしの逡巡の後、彼女は断念したようにそう告げた。伏せられた目蓋、かすかに震える睫毛の陰に、視線が吸い寄せられる。

 このまま抱きしめてしまいたい衝動、真意を問いたい衝動を抑えながら、彼は何度目かのため息を堪えた。彼女はよく事実だけを告げてくるが、その向こう側に彼女自身の気持ちが見えない。それがもどかしかった。

「眠れないとはどういうことだ?」

 その先を確かめるためには尋ねるしかない。彼女は答えられる範囲の事実ならば、きちんと口にしてくれる。

「それは……眠るというのは一番危険な行為だし、意識が落ちるのは死ぬ時くらいだったから。どうも、一人だと完全に意識が手放せないらしくて。今のところ確実に眠れそうなのはアースの傍なんだ」

 耳に飛び込んできたのは意外な話だった。しかし彼女がくぐり抜けてきただろう死線を考えると、納得できる話ではあった。そもそも睡眠は基本的には不要なのだから、それが必要なのは異常事態に違いない。彼はゆるゆると息を吐いた。

「そうか」

「でもアースにも迷惑がかかるし――」

「休めと言ったのはわれだ。そのつもりになったのなら寝ろ」

 彼女が遠慮するのはいつも「迷惑をかけるから」だ。しかし休めと言ったのはそもそもアースだし。離れて欲しいと言われれば実は休んでいないのではと疑るところだが、逆の内容なら異論はない。

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