第8話「最善を尽くしておきたいんだ」

 だが自分を大事にしない人間というものに初めて出会ったので、どうするのが最適解なのか彼ははかりかねていた。

「それでも一応確認はしなくちゃ。……ねえ、青葉、そろそろ手を離してくれない? たぶん、もう大丈夫だから」

 おずおずと彼女にそう懇願され、彼は息を呑んだ。彼女がどこか申し訳なさそうに微笑するのが目に飛び込んでくる。いつの間にこんな表情まで浮かべるようになったのだろう。

 ――どうやら、心配しているとだけ思われているらしい。いや、心配しているのは間違いないのだが。

「ああ、悪い。いや、その前にちょっとだけ」

 すぐさま手を退けようとして、その前に彼は寸刻の間考えた。そしてそのまま彼女の体を軽く抱き寄せた。簡単に胸におさまってしまう華奢な体躯は、折れそうなのにやはり柔らかい。先ほどよりも人間らしい体温を取り戻していることに、彼は少しだけ安堵した。

「……え?」

 一拍遅れて、彼女の気の抜けた声がする。彼がゆっくり手を離すと、不思議そうな眼差しがこちらを見上げてきた。危機感もない、虚を突かれただけの表情。彼女の気に拒否の色がないことだけが救いだろうか。

 彼はそのまま軽く笑うと、やおら立ち上がった。

「じゃあ食堂に行くか」

 そう告げれば、彼女は目を丸くしたまま小さく頷いた。ここまでしても「その可能性」について考えてもらえないのは一体どういうことなのか。問いただしたくもなるが、今すべきことでもないだろう。彼は自らにそう言い聞かせて彼女へと手を差し出す。

 戸惑ったように視線を彷徨わせた彼女は、恐る恐るその手を取った。小さな手のひらはまだほんのりと、冷たく感じられた。




「あー耐えられん! この空気、オレは耐えられない!」

 ぷしゅうと気の抜けた音と共に扉が開けば、そんな叫び声が耳に飛び込んできた。思わず足を止めた滝は、どうしたものかとその場で固まる。

 まず目に入ったのは、楕円形の白い空間の右手で、勢いよく拳を振り上げているネオンだ。外に跳ねた髪をそのまま掻きむしろうとした彼は、はっと気づいたようにこちらへと視線を転じる。その顔にはわかりやすく「しまった」と書かれていた。

 広い訓練室に、ネオンの声はそのまま吸い込まれていく。ついでこちらへ目を向けたのはレーナだ。どうやら二人だけのようだった。気を隠した誰かが傍にいるものだと思っていたが、違ったようだ。この組み合わせは珍しい。

 そう思いつつも滝は気まずさを押し隠して、軽く手を上げた。こんなことなら気を隠さなければよかった。

「話の途中ですまない」

 そう言いながらゆっくりと足を進めれば、腰から提げた剣が揺れた。ネオンが気まずそうに顔を背けるのが見える。

 先ほどの一言を聞いただけでも、どうやらレーナに愚痴をこぼしていたらしいことはわかった。その半分はこの状況と神技隊に対する文句だろう。

「ああ、滝か。何か用か?」

 レーナはネオンの様子を気にしながらも、端的に問いかけてくる。ふわりとほころぶ彼女の顔は、話しかける際の障壁を少し和らげてくれるかのようだ。

 真っ直ぐ近づいていった滝は、それでもどう切り出したものかと逡巡する。用意していた言葉は、たった今耳にした叫びのせいで霧散してしまった。現状に息苦しさを覚えているのは自分たちだけではないのだと思い知らされたようで、若干の罪悪感を覚える。

 まるで被害者のような気持ちでいた。ネオンたちにとっても急に居場所が奪われたも同然だろうに。

「あーいや、その……」

「悪かったな」

 困惑気味に言葉を探していると、こちらを横目にネオンがぽつりと呟いた。滝はますます返答に窮する。先ほどの発言に滝が当惑していることは、ネオンにも筒抜けだろう。気を隠していてもそれくらいは伝わってしまう。

「でも別に悪口は言ってねーよ」

「あ、ああ」

 ぼそぼそとネオンが口にする言葉は、滝の胸にも染みた。お互いがよく思っていないことなどわかりきっているこの状況。レーナは意に介した様子もなく振る舞っているが、当然全員がそんなわけではない。

 振り返れば、ここに来てからアースとは一度も言葉を交わしていない。時折話しかけてくるイレイがあっけらかんとしているのが変なのだ。

 今までのことを水に流してみんな仲良く、などとすぐにできるわけもない。しかし今後魔族と相対することを考えれば、ぎすぎすとした関係のままでよいはずなどなかった。

 ――そう決意してやってきたというのに、また挫けそうになっている。そんな自分を意識しながら、滝は一つ息を吐いた。

「用というか、お願いがあって来たんだ」

 固唾を飲み込み、滝は意を決してそう告げた。これがネオンにどう受け取られるのかはわからない。アースなら不機嫌になることは容易に想像できる。

 するとレーナは小首を傾げながら小さく相槌を打った。その動きにあわせて、結われた髪が緩やかに揺れる。

「なるほど、どんなお願いかな?」

「この剣の調整を頼みたいんだ」

 滝は腰から提げた鞘に触れた。それは上から与えられた数少ない武器だった。魔族に対抗する唯一の手段らしいのだが、「未調整」という一言がずっと引っ掛かっていた。

 これを調整すればさらに力を引き出せるのか? もっと強くなれるのか? そうだとすれば、このままでよいはずがない。

「それは?」

「上からもらったんだ」

 滝は即答する。正確に言えば貸してもらったのだろうか。だが今まで上の者が誰も使っていなかったのだから、少なくとも平穏が訪れるまでは――いつのことかは不明だが――使用させてもらってもかまわないだろう。ならばもらったも同然だ。

「ただ、未調整だと言われていて」

「ふぅん、あいつらのか。ちょっと見せてみろ」

 しばし考えるよう唸ったレーナは、剣の方へと手のひらを向けてきた。滝は慌てて鞘ごと手渡す。ネオンの神妙な視線が注がれていることに緊張を覚えながらも、滝はじっと彼女の反応を待った。

「あーなるほどな」

 鞘から抜くこともなくしげしげと見つめたレーナは、ついで深々と頷いた。手に取って見るだけで何がわかるのだろう? ネオンが不思議そうに彼女の手元を見つめているところからしても、やはり彼女にしか感じ取れないものらしい。

「これは、どちらかと言えば青葉向きだろう。調整するなら青葉に合わせた方が早い」

 返ってきたのは思わぬ指摘だった。滝が瞠目すると、顔を上げたレーナはにこりと微笑む。

「滝は雷系が得意だろう? それにお前の戦い方は正統派だ。ならばもっと扱いやすい剣の方がいい。これは癖がある。もちろん、少しでもお前に合うように調整することは可能だが」

 そう告げられ、滝は戸惑った。レーナに得意な技の系統まで把握されているとは思わなかった。彼女と直接戦ったのは二度ほどだろうか? まさかそれだけで戦いの癖まで読み取られたのか。

「あ、ああ。そうなのか……」

「その代わり、お前用のを作る」

 さらりと続いた申し出に、滝は絶句した。思わず瞬きをしてレーナを見つめれば、穏やかな眼差しが向けられる。

 全く動じることのない普段通りの視線の底に、柔らかい何かが見えたような気がして。彼はつい唇を引き結んだ。むずがゆさを覚えるのはどうしてだろうか。

「われにお願いしてくるってことは、そのつもりになったんだろう?」

 レーナは悪戯っぽく笑う。まるで全て見透かされているかのようだ。ネオンが眼を見開くのを横目に、滝は首を縦に振った。このままではいけないという思いだけがずっと胸に巣くっていたが、昨日のリンの一言が後押しになった。

「ああ。戦わなきゃいけない日が来るなら、その時のために最善を尽くしておきたいんだ。そのためにレーナが力を貸してくれるというなら、お願いしたい」

 思いを吐き出した滝は肩の力を抜いた。これが彼の出した結論だった。皆が自分のことを信用してくれるのなら、今の彼にできるのは何なのか。すべきことは何なのか。自分の望みと向き合えば、すんなりと答えは出た。

 誰も失いたくない。どうにもならない力によって誰かが死ぬのを、ただ呆然と見ていたくない。あの無力感をもう誰にも味合わせたくなかった。それが彼の本心だ。

 ならば皆の生存確率を上げるために、できる限りのことをしなければならない。そのためにはレーナの力も借りる。彼女が神技隊らの命を守るつもりならば、それを利用しない手はない。

「当然だ」

 ふんわりとレーナは破顔した。ネオンが口をぱくぱくと開閉させている姿が視界に入る。

 敵だったから。得体が知れないから。何を企んでいるかわからないから。本気でそう思うなら、こんな場所になど住むべきではないだろう。住居の提供に甘えるのなら、中途半端なことをしても意味がない。

 今の滝がやるべきは、できる限り皆が一つの目標に向かって邁進できるよう配慮することだ。だからネオンに「耐えられない」などと叫ばせてもいけない。彼らの力も利用するくらいの気概が必要だ。

 ここまできてようやく、シリウスとレーナが取引へと踏み出した理由が飲み込めた。魔族にこの星を蹂躙されるという最悪の事態を避けるために、最善を探し出した結果だろう。この星の内側での諍いは、敵に好機を与えるだけだ。

「それなら、武器以外もどうにかした方がいいな」

 すると剣を抱え込んだレーナは、笑顔のままそう提案してくる。武器以外と聞いてもぴんとくるものがなく、滝は首を捻った。その他にも何かあるのか?

「武器以外、というと?」

「装備の話だ。最低限靴はどうにかした方がいいだろう。あとは手袋とか。ちなみに服は大丈夫か? 人間だとそこが問題になるだろう?」

 念のためと言わんばかりに尋ねられ、滝は閉口した。確かに今までの戦いで武器についで心許ない点であった。

 しかし、そう提案するということはどうにかする方法があることを意味している。彼はますます喫驚した。戦闘用着衣はできる限り用意したが、全員というわけではない。靴に関しては、特別なものがあるという話を聞いたことすらなかった。

「え、それも作れるのか!?」

 驚いたのはネオンも同様だった。素っ頓狂な声が、広い訓練室内に響き渡る。するとレーナは困ったように笑いながらネオンへと双眸を向けた。

「ああ。全部は無理でも、ある程度は可能だ」

「え、え、そうだったのか。って、オレたちのは!?」

 目を白黒とさせたネオンは自身の服を見下ろす。黒を基調とした恰好はネオンたちの特徴だが、今まで着替えているところを見たことがない。

 特注かと思っていたのだが、実際はどういうものなのだろう。ネオンの場合は、黒いシャツにベストという、比較的素朴な組み合わせである。額に巻いた布がなければ、そこらにいても違和感はない。

「我々のこの衣服は身体の一部みたいなものだ。技で簡単にどうにかなることはない。燃えたこととかないだろう?」

「あ、そう言われれば……」

 慌てて詰め寄ろうとしたネオンに向かって、レーナは頭を傾けてみせた。目を丸くしたネオンは黒いシャツを手で摘まむ。滝も思わず凝視した。

 身体の一部みたいなものという表現には驚きだ。どう見てもただの布のように思える。まさか神もそうなのだろうか? 考えてみると、シリウスやミケルダたちはいつも同じ服装をしている。カルマラもそうだ。季節感がないなとは感じていたが、まさかそういう理由だったのか?

「知らなかったぁ。じゃあオレたちのは必要ないわけだ」

「そういうことだ。だが普通の技使いは違う」

 しげしげと黒いシャツを見下ろしていたネオンが、ちらとこちらに視線をくれた。滝は思わず喉を鳴らす。どことなく気遣わしげな眼差しに思えるのは気のせいだろうか? 少なくとも、先ほどのような拒否感やいたたまれなさは感じ取れない。どちらかというと哀れまれているというか。

「ということなんだが。滝、どうする?」

「な、ならお願いしたい。こちらで揃えられるものには限りがあって」

 再度レーナに確認され、滝は即座に首を縦に振った。装備の点でも自分たちが不利な状況にあったとは知らなかった。この調子で、こちらが気づいていないだけで改善できる部分はあちこちにあるのだろう。その点をどうにかするだけでも大違いだ。

「ああ、わかった。ただ、あまり飾り立てると技の発現が鈍る可能性があるから、そこには注意が必要だな。その辺の特徴がわかっているといいんだが」

 するとレーナは剣を抱えたまま、考え込むように一つ頷く。

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