第5話「我が儘だってことはわかってるんです」
「ほ、本気か?」
「はい、本気です。こんなことになった以上、どこにいても危険なことには変わりがないです。小さな妹を一人、何が起こるかわからない世界に残しておきたくないんです」
切々と告げるジュリの声が、静かな室内の空気に染み渡っていく。滝はそのまま絶句した。ジュリには妹がいたのか。何歳なのかは知らないが、たった一人でウィンで暮らしていたのだろうか?
あり得ない話ではない。ウィンはヤマトと同じ、奇病に冒された地域だ。保護者を失った子どもたちは大勢いた。ジュリと妹が取り残されていたとしても不思議はなかった。
そこから姉を奪うなど悪魔のような所業だ。しかし『上』ならば決断してしまえると、滝にはそう思える。
「ジュリの妹ってのは――」
「十歳になります。私がいなくなってからは一人です。それでも近所に技使いの知り合いがいたので、今までは安心していたんですが……」
そこでジュリは言葉を途切れさせた。再び伏せられた瞳が揺れる様には、憂いが滲んでいる。そこにわずかに潜む後悔を、滝が見逃すはずもなかった。
誰もが神技隊に選ばれ際に感じるものだ。さぞ後ろ髪引かれる思いだったことだろう。すると言葉を選ぶように、ジュリの唇がかすかに震えた。
「どうも、近くの知り合いたちまで、宮殿に招集されたみたいで」
「……まさか神技隊か?」
滝は眼を見開いた。宮殿が新たに技使いを呼び出すとなれば、それしか考えられない。まさかその中にウィンの者もいたのか。
――梅花が多世界戦局専門部を離れた後、上がどの程度技使いについての情報を収集していたのかわからないが。それでも『旋風』の傍にいた技使いに実力者が多いというのは、誰でも知っていることだろう。そこに上が飛びついたとしても不思議はなかった。
「確かなことは言えませんが、おそらく」
「なるほどな」
「だから余計に心配になったんです。あそこに妹を置いておけないって」
ジュリの懸念はもっともだった。頼る者のいない場所に置いていかれた子どもは悲惨だ。しかしだからといってここに住まわせるというのは別の問題が生じる。魔族が最終的に狙うのは宮殿だ。その側にあるこの基地は、常に戦渦に巻き込まれる可能性を秘めている。
「子どもですけれど、一人で生活してるくらいですから生活力はありますし」
「いや、そういう心配をしているわけじゃないんだが……」
「リンさんは既に説得済みです」
再びジュリの双眸が滝を見据える。そこにはもはや躊躇の欠片もなかった。何故ここでリンの名前が出てくるのか滝には解せなかったが。しかしそれだけ本気だというのは読み取れる。――既に、根回しがすんでいるということも。
「リンさんはすぐにわかってくれたので、他の皆さんを丸め込んでくれてますし。よつきさんたちは何も言わない、というよりも言わせませんし。念のためレーナさんにも確認してみましたが、かまわないと言われました。部屋は余裕があるそうです。だから滝先輩の了承があれば後は大丈夫なんです」
続く言葉は滝の予想を裏切らなかった。どうやらリンを味方につけるというのは、大多数の神技隊を味方につけるのと同義らしい。
彼は再びレンカと目と目を見交わせる。彼女も苦笑を押し殺したような顔をしていた。ここまでされてしまうと、彼の反対だけで話がひっくり返るとも思えない。
「……それは、オレに意見を求める必要あるのか?」
「ありますよ。リンさんと滝先輩がいいと言ってくだされば、まず反対する人はいませんから。状況によっては梅花先輩くらいですかね? でもこの件では、リンさん経由で既に話をつけています」
そこでジュリはにこりと微笑んだ。どうやら彼女についての認識を改めざるを得なくなった。滝は首の後ろを掻く。普段は温厚であるが、ここぞという時には手段を選ばない性格らしい。敵に回してはいけない類の人間だ。
「ジュリもやるわねぇ」
と、耐えきれなくなったようにレンカがくつくつと笑い出した。まったく笑い事ではないのだが。しかし滝も明確な理由でもって異を唱えることができないでいた。
危険なのはどこにいても同じ。ならば目に入る場所においておきたいと思うのは当然だろう。この基地の中が一番安全なのではないかという意見もある。それはミリカの町の惨状を思い返せば納得するものだった。
ただ、そうやって身内だけをこの内側に入れてもよいのかという迷いがあるだけだ。――それでも平等を貫けなどと、十歳の妹を持つ者に誰が言えようか。
自分たちには選択肢が与えられていないのだ。そんな理不尽を飲み込むのだから、せめて家族の安否くらいは確保したいと思ったとしても、責めることなどできない。
「……すみません、我が儘だってことはわかってるんです。皆がそう言い出したら困るというのも」
ジュリの声が少しだけ落ちた。前例ができてしまえば、他の者が同様の希望を口にした時に拒めなくなるのは確かだ。気がかりがあるといえばそこだろうか。滝は肩をすくめる。
「まあ、そうだな」
「でもこればかりはどうしても。私は、両親の代わりに、あの子がせめて大人になるまでは守りたいんです」
苦い微笑をたたえたまま神妙に告げるジュリに、滝はゆっくりと首肯した。彼も奇病で両親を失っているから、気持ちは想像できる。
あの日を境に大人たちの加護を失った子どもたちは、ただ必死に日々を生きるようになった。周囲と支え合い、互いの傷を気遣いながら、辛いと言えない現実を生き抜いてきた。
そして彼らは今も、このどうにもならない状況の中で抗わねばならないときている。これくらいの我が儘など許されてしかるべきだと思ってしまうのは、甘えだろうか。
「ああ、わかった。オレは反対しない。大体、この基地を作ったのはレーナだからな。彼女がいいと言うなら問題ないだろう」
だがここには同じような仲間たちしかいない。ならば互いを甘やかしても、誰も文句を言ったりしないだろう。滝はもう一度首を縦に振ると、籠を抱え直した。ふわりと広がるパンの香りが、鼻腔をくすぐった。
「シーさん、お疲れ様です。また話し合いだったんですか?」
前方でため息を吐いているシリウスを見かけて、ミケルダはすぐさま駆け寄った。シリウスが気を隠しているというだけでその疲労具合がわかる。本当は誰にも話しかけて欲しくないのかもしれないが、見つけてしまったものは仕方がないとミケルダは勝手に開き直った。
カツカツと白い廊下に硬い靴音が響くと、シリウスはやおら顔を上げる。
「ああ、ミケルダか。うるさいジーリュたちを黙らせてきたところだ」
「さっすがシーさん。魔族はまだ動いてないんですよね?」
艶やかな廊下には、二人の他には誰の姿もない。気も感じられない。気を隠していても、この真っ直ぐな廊下の中で身を隠すことなど不可能であった。
――まさか泥状の姿に変わってまで、偶然立ち寄る誰かの話を立ち聞きしようとする変わり者はいないだろう。だからミケルダも気兼ねせずに話をすることができる。
「そのようだな。まあ、水面下では動いているんだろう」
「……シーさんは、いつか宇宙に戻るんですか?」
足を止めたミケルダは周囲へと視線を巡らした。それでも確認してしまうのは癖だろうか。
真珠色の壁に覆われた広い廊下は、光を反射して常に煌々とした輝きに包まれている。この神界はいつだってそうだ。どこへ行ってもひたすら眩しい。
そうではない場所は、アルティードの部屋くらいだった。自室というものを持たないミケルダには、少しだけ羨ましく感じられる点だ。
「それはまだわからんな。ただ、奴らが宇宙で動き出すようなら、対応できるのは私くらいだろう」
するとシリウスは苦笑をこぼしながら首をすくめる。「奴ら」という響きに滲む苦さが、ミケルダの胸を締め付けた。
「それってまさか、五腹心が宇宙で動く可能性もあるってことです?」
ミケルダにとっては信じがたい発想だが、しかしその「まさか」も念頭に置かなければならないのか。そう思うとぞっとする。魔族の考えることはわからない。しかしだからといって諦めているわけにもいかない。
「ああ。イーストがどれだけ慎重に動くのかは予測がつかない。戦力増強や魔族の士気を上げる方を優先させる可能性はある。ならばそう出てくるかもな。蘇ったといっても、まだ五腹心は一人だ」
シリウスは耳の後ろを掻いた。このところ頻繁に名を聞くかの魔族について、ミケルダが持ち合わせている知識はわずかだ。
影に潜むだけの知将などと揶揄されていたこともある、五腹心の中でもあまり表立って戦わない者の一人だった。イーストの厄介なところは、仲間内の諍いをそれとなく収めてしまうところにあるという。つまり、基盤を整えるのが得意な者なのだ。
「でもそれで宇宙がまずいことになっても……シーさんがいなくなるのを、ジーリュ様たちが許しますかね?」
しかしだからといって、シリウスが宇宙へ戻るなどということがあり得るのか。ジーリュたち自称穏健派は、『鍵』の防衛を第一としている。結果的には宇宙での動きを牽制する方が重要であったとしても、シリウスが地球を離れることを許可するとは思えなかった。
転移があればいつでも駆けつけられるとはいえ、今は内側に爆発物を抱え込んでいるような状態だ。あれこれ理由をつけて反対するだろう。
「それは、あいつがいるからか?」
ミケルダが何を言わんとしているのか、シリウスはすぐに察したらしい。青い瞳を不機嫌そうにすがめて口を開いた。ミケルダは間を置かずに首を縦に振る。
「うん。何かあった時、シーさんがいないとレーナちゃんを止められないでしょう? たぶんオレたちじゃ太刀打ちできません」
アルティードでも、という一言を、ミケルダはあえて飲み込んだ。実際そうだったとしても、みだりに口にしてよい現実ではない。地球神の最終的な意思決定権はアルティードにある。それはシリウスたちが拒んだせいだけではないと、ミケルダは思っていた。
「何を心配しているんだかな。人間たちをないがしろにしない限り大丈夫だ。むしろ、そちらの方を懸念すべきだ。――大体、あいつは弱い」
うんざりとした声でシリウスは付言した。頷きかけたミケルダは、最後に聞き捨てならない単語を耳にしてその場で固まる。脳裏で繰り返されるその響きに顔をしかめたミケルダは、天井を見上げ、床を見つめ、それからおもむろにシリウスの方を振り向いた。
「……はい?」
「何だその顔は」
「よわ、い?」
「正確な表現ではなかったな。弱くなっている」
「何の話です?」
ミケルダは瞳を瞬かせた。理解の範疇を超えている話だ。まさか、あのレーナが、あれで弱くなっているというのか? 耳を疑いたい気分だ。
「以前、私が会った時のあいつは今の比ではなかった」
それなのにシリウスは真顔でそんなことを言ってのけた。顔を引き攣らせたミケルダは、汗の滲んだ額をつい押さえる。冗談だと思えたらどれだけよいだろうか。
「ぞっとしますね。ジーリュ様たちに聞かせちゃ絶対に駄目ですね」
ここまで来ると笑うしかないと、ミケルダは乾いた声を漏らした。魔族に対抗するという意味では心強いのかもしれないが、敵に回した時のことを考えると恐ろしい。では本来のレーナは、直属級の魔族をひねり潰すだけの力があるのではないか?
「ああ。あいつにその理由を聞いてみたが、オリジナルに合わせてるんだろうという意味不明な答えが返ってきた」
シリウスは淡々と答える。特に感慨もなさそうな顔なのが、ミケルダには信じられない。一体どういう心境なのだろう。
「そこで聞けちゃうシーさん、本気で尊敬します。でも意味がわかりませんね」
「それ以上説明する気がないからだろう。あいつはそういう奴だ」
「そこで諦めちゃうからジーリュ様たちに疑われるんですよ? レーナちゃんにほだされてるって」
苦笑したミケルダは、素早く周囲へと視線を走らせた。誰もいないはずだとわかっているのだが、話題が話題なので注意深くなる。特にカルマラは長いこと気を隠して物陰に潜み、皆を驚かせようとする悪癖があった。
こんなシリウスの話を出しても飛び出してこないところを見ると、本当にいないようだが。
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