第3話「どういう意味の安心なんだろうな」

 シンがよく訪れる場所というのは決まっていた。食堂か、そうでなければ中央制御室だ。本日は食堂が混雑していたため、中央制御室に来ていた。

 ここが広く感じられるのは天井が高いせいだろう。後方には二階部分が存在しているが、前方部分は吹き抜けの構造だ。

 窓はない。が、前面にある大きなモニターがその役割を果たしている。まるで巨大な硝子から外を眺めているような気分だと、彼は常々感じていた。今日は天気がよいらしく、気持ちのよい空が映し出されている。

 今部屋にいるのはシンと滝の二人だけだ。先ほど梅花が紙の束を届けに来たが、すぐに退室したため、いつも以上に静かだった。賑やかなのも嫌いではないが、あんまり騒々しいと疲れるので、シンにはこの方がありがたい。

「なるほどな」

 と、そこで滝が独りごちる声がした。モニターから視線を外せば、椅子に腰掛けていた滝が顔を上げるのが見える。その眼差しは若長だった頃のものと同じだ。彼が手にしているのは、先ほど梅花が持ってきた紙の束だ。

「何がです?」

「副リーダーの選出。料理班はヒメワ先輩とホシワ、掃除班はローラインとコブシ、買い出し班は青葉とように決まったとさ」

「青葉、入れられたんですね」

「あいつ、手際はいいからな」

 紙をひらひらと振った滝は苦笑する。どうやら梅花が持ってきたのは、各班のリーダーが提出した計画書だったようだ。

 料理班のリーダーはレンカ、掃除班のリーダーはジュリ、買い出し班のリーダーはカエリに決まったが、班内の分担ややり方については各々に任せることになっていた。

 その補佐のために選ばれたのが副リーダーだ。シン自身は買い出し班に組み込まれているが役職はない。

「だがまあ、それはいいんだが」

 そこで滝は言葉を濁した。彼の気に滲む戸惑いの気配に、シンは首を捻る。眉根を寄せる滝の横顔というのはさして珍しくもなかったが、この言いよどみ方が気になった。

「何かあるんですか?」

「いや、班の話じゃあない。もう一つの報告だ。新しい神技隊、ゲットとかいうのが近々こっちに来るらしい」

 複雑そうに吐き出された苦笑交じりの発言を、飲み込むのに時間を要した。シンは大きな瞬きをし、それから頭を傾ける。思考がうまく回らない。

「……新しい、神技隊?」

「ああ、どうやら勝手に結成されていたらしいんだが。あ、シンには言ってなかったか? いや、大体の人間には言ってなかったんだが」

「聞いてません。全く知りませんでした。本気ですか? 大体、今さら神技隊を結成してどうするんです? 無世界への派遣は一時停止中でしょう?」

 思いつく疑問を次々と並べ立て、シンは目を白黒とさせた。上は一体何を考えているのだろう。神技隊は元々、無世界の違法者を取り締まるために結成されたはずだ。

 いや、上の認識ではそうではなかったのか? 違法者の存在が困るのは、巨大結界の穴について気づかれてはならないからだ。ひょっとすると、上は最初から便利屋扱いしたいという意識があったのかもしれない。

「信じられない……」

「まあ、何かあった時に動かせる技使いを確保しておきたかったんだろう。オレたちが無世界とこっちを行き来している間に選抜されていたらしい。で、そのうちの一つのゲットが、近々こちらに来るということだ」

 さらに滝は説明を重ねるが、ますますシンの疑問は膨らむばかりだった。「そのうちの一つ」ということは、密かに結成されていた神技隊は複数あるということだ。

 つまり上は、この戦乱に巻き込む技使いをさらに増やすつもりらしい。――いや、この星にいる限り大戦の最中に放られることは免れないから、そもそも上にとっては大した違いではないのだろうか。

「上はまだまだ出し惜しみするつもりだったらしいが、ミケルダさんが口添えしてくれたおかげでこっちに来ることになったと。そういう流れのようだ」

 肩をすくめる滝を横目に、シンはただただ相槌を打った。

 現実感の乏しい話だ。先日あんな神話のような事実を告げられたばかりだというのに、今度は仲間が増えるという。変化が目まぐるしい。気持ちの整理がつかないまま、環境だけがどんどん移り変わっていく。

「い、いい話なんだか悪い話なんだか……」

「ああ、胃は痛むな。戦力が増えるのはよいことなのかもしれないが、ますますぎくしゃくするようだとオレは困る」

 椅子に肘をついて、滝は苦笑をこぼした。そんな本音は、少しだけシンの気持ちを上向きにする。自分ばかりが置いていかれているのではないとわかると、わずかばかり心が落ち着いた。

 だが現実として、滝の懸念は大問題だった。シンは気のない声を漏らす。このところの基地の中の空気は歪だ。レーナたちがいるというのがその最たる理由ではあるし、彼女たちという存在の受け入れに差があることも原因だった。

 そして何より、今後に待ち受けるだろう事態への覚悟の差が浮き彫りにもなっている。

 それでも誰も表だって文句を言わないのは、目の前に迫る生活があるからだ。どんなに不満に思っても腹は減るし、夜になれば眠たくもなる。ごく当然の欲求を訴え続ける体を無視することは、誰にもできない。

「それはそうですね……」

「ま、そういうわけだから、二人組の決定は保留にしないといけないな」

 滝の声音が少しばかり軽くなった。その一言に、思わずシンは胸を押さえそうになる。

 二人組の話は、このところ彼らが頻繁に口にする話題の一つだ。班決めが生活に不可欠なものであるなら、二人組はその真逆に位置しているといってもよいかもしれない。できれば必要となって欲しくない、それでも決めておかなければならない取り決め。

「人数が変わりますもんね。……もう水面下で決めてる人たちもいるみたいですけど」

 シンはそっとモニターへ一瞥をくれた。秋も深まる頃、薄青の高い空には鰯雲がかかっている。こんな事態でもなければのどかな一日となるような気候だ。先ほど買い出し班の一部が出掛けたのだって、平和な日常の一部のように思えてくる。

 その中にはリンもいた。二人組について、まだシンは彼女に何の相談もしていない。だから、青葉が梅花から了承をもらったと今朝方聞いた時には耳を疑った。もう動き出していたとは。

「水面下というか、現実的に考えればそうなるしかないだろってところもあるだろ。ほら、青葉とか。シンだってどうせリンと組むんだろう?」

 そこで苦笑交じりに当たり前のように言われ、シンは弾かれたように振り返った。咄嗟には繕えなかった。上ずった声が唇からこぼれる。

「え、それは」

「それ以外の選択肢があるのか?」

「いや、でもそういう話は……」

 シンは言葉を濁す。そう言う滝は、おそらく何の疑問もなくレンカと組むのだろう。そこに誰も文句を言う者などいない。言える者もいない。

「はぁ? まさか、何も話してないのか? 十中八九、周囲からはそう思われてるぞ。まったく。青葉といい、お前たちはよくわからんところで躊躇うな」

 呆れ顔になった滝は、指先で椅子の肘当てを叩いた。反論のしようのない言い様に、ますますシンは閉口する。周囲からはそう思われている? それはその通りかもしれない。しかしリン自身がどう思っているのかはわからない。肝心なのはそこだ。

「いや、躊躇っているわけでは……」

 こんな些細なことでと笑われそうだが、それでもリンの強さと目映さを実感する度に、彼女の隣にいてよいのかという思いが湧き上がるのは止められなかった。

 それは滝の背中を見ていた時の気持ちと似ていた。決して自分には手の届かない、確かな証を持つ人間への羨望と気後れ感だろうか。

「組み合わせといえば、技の組み合わせのことも大事じゃないですか。シリウスさんも色々教えてくれたけど。……そういえばシリウスさん、この頃来ていませんね」

 おもむろに首の後ろを掻きつつ、シンは扉の方へと目を向けた。

 このままこの会話を続けるのは危険だ。青葉とならまだいい。しかし滝とでは駄目だ。

 できる限り気にしないようにしている劣等感が刺激される。技でも、立場でも、信頼度でも、滝に勝てるところなどなかった。それなのに、恋愛においてもこうもあっさり追い抜かれるとは。

「おい、話逸らしたな? まあいいが。オレたちがいれば安心だとか言って上に戻っていったみたいだ。それでもたまに夜にやってきてレーナと話をしてるって、梅花が言ってた。あの二人もなんだかなぁ」

 視界の隅に映った滝は、困ったように微笑んでいた。深く追及されなかったことはありがたいが、やはり胸の奥が軋むように痛む。

 側に完璧な人間がいる場合の気持ちの持って行きどころはどうしたらよいのかというのが昔からの悩みだ。青葉がどうしていたのかというのは、今となってはもう聞けないだろう。

「安心……ですか」

 仕方なく、意識をシリウスたちの方へと傾ける。神技隊がいるから安心などと、あの神に言われるとは。これまた複雑な心境になる話だ。

「どういう意味の安心なんだろうな」

「さぁ。オレたちを危険に晒すような真似はしないって、意味ですかねぇ」

 適当に返事をしつつ、シンは肩をすくめた。結論の出ない物事について心を配っていても仕方がない。そんなことが多すぎる。そうでなくとも考えなければならないことは、まだまだ山積みだった。




 アサキたちが大ホールと呼んでいるそれは、レーナに言わせると訓練室らしい。何の訓練なのか聞きたいような聞きたくないような気持ちではいるが、技の実戦ができる場という点では貴重だ。

 その扉を開けたアサキは、籠を抱えたままきょろきょろと周囲を見回した。

 ここにレーナたちがいるのは気からわかっていた。本当はようと一緒に来るつもりだったのだが、買い出し班の会議に呼ばれてしまったのでアサキ一人になってしまった。やはり出直すべきだったか。腹を決めたつもりでも少しだけ心細くはある。

 だが来てしまったからには後戻りはできない。さて、どう声を掛けようか。そんなアサキの悩みは、瞬く間に吹っ飛んだ。

「アサキだ!」

 訓練室の端で膝を抱えていたイレイが、真っ先にアサキの方を指さした。ぴょんと飛び跳ねるよう立ち上がった姿は、楕円形の室内の右手側に見える。そのままぽんぽよんとした足取りで近づいてきたイレイへ、アサキは手にした籠を向けた。

「お裾分けでぇーす」

「え、なになにそれ何!?」

 ゆったりとした歩調でアサキも近づけば、真っ白な空間にイレイの嬉々とした声が響いた。その気には好奇心が満ち溢れている。

 笑みを浮かべたアサキは、歩きながら素早く辺りへ視線を走らせた。先ほどまでイレイが座り込んでいたその側にいるのはアースとレーナだ。どうやらカイキとネオンはいないらしい。気が感じられないのは隠していたからではなかったようだ。

「お裾分け? くれるってこと?」

「はい、そうでぇーす。試作品のクッキーがたくさんあるので、持ってきたんでぇーす」

 籠をのぞき込むイレイへと、アサキはそう説明した。すると苦笑したレーナがこちらへ近づいてくるのが視界に入る。

 なんとはなしに落ち着かない気持ちになりつつも、アサキはたじろがないよう努力した。今さら動揺しても仕方がない。クッキーをイレイにも持って行って欲しいと頼んできたようの顔を思い出し、アサキは気合いを入れ直した。

「わーい、ありがとう! 美味しそうー」

「わざわざすまないな。我々には食事は不要なのに」

 飛び跳ねながら素直に喜ぶイレイの隣に、微苦笑をたたえたレーナが並んだ。その後ろの方で、仕方なそうにアースが動き出すのも見える。

 アサキはぶんぶんと首を横に振った。お菓子作りはレンカの提案だし、ここへ持ってくるという発想もようのものだ。アサキはただ単にそこに居合わせただけだった。礼を言われることではない。

「美味しいものは皆で食べる方がいいんでぇーす!」

 籠をイレイへと手渡し、アサキは語気を強めた。このままレーナたちとの間に溝があるのはよくない……といったことまで、ようが考えていたかどうかはわからないが。しかしこうした理由でもなければ話せない現状は問題だと感じていた。

 意思疎通を図るのを梅花ばかりに任せてはおけない。彼女の負担を軽くするのも仲間であるアサキたちの役目だ。そう思ったからここに来た。

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