第3話「オレは正義感で動いてる人間じゃないし」
ザンの町は、宮殿からはやや離れた南東の方角にある。山近くに位置するこの町は宮殿から飛んで行くには不便なため、ダンたちはワープゲートを利用した。イダー寄りの、一番北側にあるものだ。
「おー」
手入れされていない古びたゲートを出れば、そこには懐かしい風景が広がっていた。久しぶりに見る故郷の姿には、どうしたって心が躍る。
「懐かしいな!」
広い石畳の道は、ザンの中央を南北に走る大通りだ。これを境に東側と西側で大きく分けられており、東出身、西出身と名乗るようなこともある。人家が多いのは東側、商業施設が多いのは西側だ。ダンも東側の出身だった。
「この大通りを見ると色々思い出すよな」
「そうだね。いいことも嫌なこともみんな思い出すね」
ダンの表情は晴れやかだったが、答えるミツバの声は重かった。思わず振り返れば、憂鬱そうなミツバ、曇り顔のサイゾウが視界に入る。
ダンは思わず眼を見開いた。久方ぶりの故郷を前に何故そんな形相をしているのか。彼には理解できない。
「何だよ二人とも、暗いなー」
「ダンが明るいのがおかしいんだよ。あの話の後だよ? しかもいきなり家に行ってもいいとか、心の準備が……」
「そうですよ、ダン先輩。いきなり会いに行って、両親がどんな顔するのか……考えるだけで気が重い」
首を捻るダンに、ミツバとサイゾウは口々に主張する。それでもダンの腑には落ちなかった。先ほどの話にげんなりしたのは確かだが、それとこれとは別だ。生まれ育った町に足を踏み入れることが嬉しくないわけがない。
「心の準備って大袈裟だな。そんなに家庭事情が複雑なのか?」
「そうじゃないけど……」
ミツバの歯切れは悪い。ダンは上着のポケットに手を突っ込み、ついと空を見上げた。風も穏やかでのどかだ。日差しも心地よい。今だけはこの地の感触を楽しんでもよいはずだった。精神の回復にもきっと役立つだろう。
「なーに、気負ってるんだか。必要な物を取りに行くだけだろう? まあ、オレの場合はなーんにも残ってないだろうけどさ」
白雲を眺めつつ、ダンはけたけたと笑った。父親が早くに亡くなってから、母一人子一人の生活が続いていた。自分が家を出る際に大概の物は処分したし、残した物も必要なければ捨てるようにと言い残していた。
そうでなくても「がらくたばかり集める」と文句を言っていた母だ。自宅に戻ってももぬけの殻だろう。
「え、じゃあダンは何でこっちに来たの?」
歩き出そうとしたダンの視界に、ぽかんと目を丸くするミツバの顔が映る。その反応を見るに、ミツバは純粋に私物を取りに戻るだけのつもりだったようだ。
つまり、それが残されているのが当たり前という思考なのだ。恵まれた環境にあったのだろう。羨ましい限りだ。
「んー?」
しかしそれも当然かとダンは考え直す。ミツバが神技隊として派遣された時、まだ十五歳だった。それから五年間職務で拘束されても、二十歳には戻ってこられる可能性があるのだ。
――実際はザンに戻るのではなく、宮殿生活となるのが通常だが。
「まさか暇だから!?」
ミツバの素っ頓狂な声が反響し、ダンは片眉を跳ね上げた。それぞれがどんな思いで無世界へ赴いたのかは違う。だから、戻ってきた時の心境も違う。その事実をあらためて噛み締めながら、ついでダンはにひひと笑った。
「そりゃあ懐かしい風景を見たいからに決まってるだろ。戦闘用着衣を取りに行く時、他の奴らは戻ってただろ? あれが羨ましくてさー」
気楽な調子でダンがそう告げれば、ミツバはうろんげな目を向けてきた。後輩だからという遠慮があるのか――年上のはずだが――サイゾウはさすがにあからさまな態度では示さなかったが。けれども気が「嘘だろ?」と言っている。
どうやら故郷に愛着があるのはダンくらいらしい。そちらの方が不思議だ。
「あの状況でそんなこと羨んでたなんて……ダンは強いね」
「そうか? それにさー、オレを育ててくれた町だもんな。守りたい場所のままかどうかは確認しておきたいだろ?」
そう付言すれば、ミツバはなんとも言えないような顔をした。前からこうだ。ダンが茶化せば笑ったり怒ったりするが、真面目なことを言えば黙り込んでしまう。
だからあえていつもふざけた物言いを心がけていた。もちろん、その方が楽しいという理由も大きい。
「オレは別にいい子じゃないからな。ここがどうでもいい場所だったら、死ぬ気であんな化け物となんて戦いたくはないなぁって」
ダンは石畳をつま先で叩く。昔からこの響きがたまらなく好きだった。子どもの頃はよくこの大通りを突っ走って怒られたものだ。ここはザンの中心なのだから大切にしなさいと、何度も注意された。
多くの人が利用し続けたがために、時間を掛けてすり減った道。これが無残にも焼き尽くされ、粉々に砕かれるような光景は見たくなかった。
「オレの母さんは何があっても生きてそうだから心配ないし、かといって別に他に守らなきゃって思うような人がいるわけでもないし」
ポケットに突っ込んだ手を、ダンはひっそりと握った。奇病の影響もほとんどなかったこの町の人々は、その後ものほほんと暮らしている。せいぜい数百年に一度の大消滅を恐れるくらいだ。
だからダンも誰かを守らなければなどと気張ったことはなかった。母は強かったし、兄弟もいなかった。技使いは喧嘩仲間であり、加護の対象ではない。自由でいることの方が、ダンには大事だった。
「まるで、覚悟するために来たみたいですね」
そこでぽつりとサイゾウが呟いた。その神妙な声はすぐさま穏やかな空気に溶け込む。
ダンは右の口の端だけを上げた。そう言われると否定はできないが、しんみりされるほど殊勝な心がけではなかった。ただ後悔したくないだけだ。そのために確かめにきただけ。
「別に、オレは正義感で動いてる人間じゃないしー」
頭の上で手を組んで、ダンはいつものように笑う。皆のために犠牲になるなどごめんだった。知らない人間のために、知らない場所のために頑張るのも苦手だ。だから神技隊として活動する日々は、ダンにとっては苦痛だった。
それでも乗り越えられたのは仲間たちがいたからであり、無世界での生活が刺激的だったためだ。見知らぬ世界では退屈を覚えることもない。それはダンの不満を払拭するだけの力があった。
「まぁ、滝とは違うよねー」
「当たり前だろ」
どこか悪戯っぽい調子で苦笑するミツバへと、ダンは笑顔で言い切ってやる。
そう、滝とは違う。滝ならきっとなんだかんだ言いながらも当たり前のように皆を守ろうとするのだろう。そもそもそういった立場を期待されてきた者だ。
今までならダンはそんな人間を遠巻きに眺め他人事と思ってきただろうが、こう近しくなってしまうと簡単に割り切れるものでもない。ならばダンはダンなりに、理由を見つけるのが一番だった。
「でも滝を置いていくのは寝覚めが悪いからな。あいつ絶対無茶するし」
「同感」
くつくつと笑い出すミツバの横で、サイゾウは怪訝そうな顔をしている。ダンは再びけらけらと笑いながら、サイゾウの肩を軽く叩いた。小気味よい音が高い空に吸い込まれていく。
「ま、そのうちわかるって」
「はぁ」
「何でも楽しんだ者勝ち。今度は特製の基地を堪能してやろうぜ?」
大股で歩きながら、ダンはにかっと歯を見せた。
これだけ大人数での共同生活というのは初めての経験だ。面倒くさいこともあるだろうが、興味深いという気持ちもある。暇を覚えることもないに違いなかった。自由とは違うが、それはそれでダンを楽しませてくれる。
「あれ絶対面白いから」
だがそんな提案もサイゾウには伝わらないらしく、気の抜けた声が返ってくるだけだった。ダンはもう一度石畳を靴で叩き、道の先に待つもののことを思った。
ウィンを訪れるのは初めてのことではなかったが、それでも新鮮な心地になるのは何故だろう。思わず手をかざしたくなるのを堪えて、シンは深呼吸する。
丘の上から見下ろす草原の様子はヤマトの風景と似ていたが、その奥に大河が見えるのが大きな違いだ。陽光を反射して煌めく川面が、この位置からでも確認できた。
「いいところでしょう!」
シンが瞳をすがめていると、前方を行くリンがおもむろに振り返った。得意げな顔で双眸を輝かせた彼女は、心底この景色を愛しているらしい。彼女の気もそう語っている。
「リンさんはいつもそう言いますね」
はしゃぐリンの隣にいるのはジュリだ。包みを抱えた彼女は、スカートを翻してくすぐったそうに笑った。先ほどの緊迫した状況の後にしては、二人とも表情が穏やかだ。この故郷はそれほど二人にとっては大切なのだろう。
ウィンはヤマトと同じくらいに技使いの多い地域でもある。大河に沿って広がるのが特徴的で、気候は比較的安定していた。ヤマトと比べればやや温暖で、シンとしては雨が少ない印象を持っている。
「何よその言い方。ジュリはそう思わないの?」
「もちろんそう思ってますよ。でも毎回そう言ってるのはリンさんくらいです。たぶん、皆さん慣れてしまうんでしょうね」
顔をしかめるリンに、ジュリは軽く首をすくめてみせた。林の側、緩やかに下る坂道を進みながら、二人はあれこれとたわいない言葉を交わしている。
シンはもう一度周囲を見回した。なるほど、彼にとっては物珍しい景色でも、見慣れてしまえばそれは日常の一部だ。他の土地を知らない人間や、離れたことのない人間にとっては、これも当然のものとなっているのだろう。
「でもシン先輩はよかったんですか? ヤマトに行かなくて」
ゆっくり歩くジュリの視線が、つとシンへと向けられた。大概の者は故郷へ出向くか、もしくはあの白い基地に残ることとしていた。
自分とは関係ない場所へ赴いたのはシンや梅花くらいだろう。梅花は青葉に半ば無理やり連れられていったように見えたが、シンの場合は自発的だった。
「ああ、オレは私物は処分してるからな」
もしかするとジュリは、リンに強引に誘われたのではないかと心配しているのかもしれない。シンは頭を振った。そんな風に思われたのだとしたら、リンに申し訳がない。
「かといってあそこに残るのも……気が重いし」
首の後ろを掻きつつ、シンは目を逸らした。
もちろん理由はそれだけではない。リンが住んでいた場所を見てみたいという好奇心もあったし、彼女が運び出したい荷物が多いだろうと予測もできたので、同行を申し出たのだ。加えてヤマトに行きたくない理由もあった。
「まあ気持ちはわからないでもないけど」
そんなシンの気など知ってか知らでか、リンはやや不思議そうに小首を傾げる。身動きが取りやすいようにするためか珍しく結わえた髪が、風に吹かれて揺れた。
「でもそれならヤマトに行ってもいいでしょ?」
「ヤマトには青葉が行くだろ? 別に邪魔したいわけじゃあないからなあ」
苦笑交じりにそう説明すれば、リンは納得したと言わんばかりに相槌を打った。嘘を吐いているわけではないが、真実の全てではない会話だ。仕方がないだろう。彼女は青葉のことはよく知らない。
青葉が実家に顔を出すというのは、シンにとってもかなり予想外で衝撃的な決断だった。
青葉と父親との確執についてはもはや一言で語れるものではないし、シンにも深入りできない領域だ。そこに梅花を連れて行く意味について、追及する気にもなれない。
「実はいとこ同士だって言ってたっけ」
考え込むような顔をして、リンはまた前方を見る。シンは頷いた。梅花の出自については時々耳にする程度で詳細は知れないが、そこに複雑な事情が隠れているのだろうというのは推し量れた。
以前に青葉は「あ、実はいとこなんですよね」と軽く口にしていたが、その裏側にあるものも単純ではないに違いない。
「梅花、無理してないといいんだけどね」
独りごちるリンの声も気も、神妙な色を纏っていた。事情は知らなくとも、何か感じ取るものがあるのかもしれない。
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