第6話「私はお前たちの見張りだからな」

「そうなると、まずサイゾウが乗れるかどうか……」

 青葉はちらと右手を見遣った。すると若者たちの集団がたわむれているその向こう側に、ありかとあすずの顔が見えた。ペットボトルと紙コップを持った姿は、軽快な服のせいもあってこの空間に溶け込んで見える。

 姉とは違い、あすずの服装は華やかな色合いが多い。ここにも何度も来たことがあるというから、こうした娯楽施設が好きなのかもしれない。

「ああ、おかえり」

 二人が近づいてきたことに気づいて、乱雲が振り返った。鞄を掴む梅花の手にますます力が入るのが、青葉の目に映る。

「遅くなってごめんなさい」

 ゆったり近づいてきたありかがにこりと微笑んだ。その斜め後をついてきているあすずは、不満と気恥ずかしさを足して二で割ったような気と顔をしていた。

 おそらく今回のこのお出かけを一番複雑に思っているのはこの少女であろう。何故自分が巻き込まれているのかと感じていても不思議ではない。

「結構並んでいて」

 ありかが頭を傾けると、長い茜色のスカートが揺れる。あすずが遅れていないことをちらと確認するその横顔には、やはり何らかの期待が滲んでいた。

 姉妹仲良くなって欲しいという乱雲たちの気持ちもわかる。しかし思惑を向けられた娘たちの心中は、置き去りなのではないか。青葉はついそう懸念してしまう。

 しかし、ここでこのまま言葉を交わすことなく終わればどうなるか。何も言わずに離れることになれば、彼女たちはどう思うのか。もう二度と会えない可能性さえあるのだ。

 そう考えれば、強引にでもこの場を用意したことに対して、自分勝手だと責める気にもなれなかった。そもそも、半分部外者な青葉にあれこれ口出す権利などないのかもしれない。

「今日は一段と暑いわね。人も多くて」

 一歩前へ進み出たありかは、お茶のペットボトルを乱雲へと二つ手渡す。その横を、忽然とあすずがすり抜けた。あ、と思う暇もなかった。二つに結われた黒髪が、青葉の目の前を軽やかに通り過ぎる。

「はい」

 強ばった声を出したあすずは、紙コップを真っ直ぐに差し出した。その先にいたのは梅花だった。

 一瞬、時間の流れが止まったように感じられた。青葉は思わずありかや乱雲へと一瞥をくれる。しかし二人とも呆気にとられた顔をしていた。つまり、このタイミングでの行動というのは、二人の差し金ではないらしい。

 にわかに広がる緊張感に、自ずと青葉の喉は鳴った。

「あ、ありがとう」

「……私も、酔いやすいから」

 戸惑う梅花に、あすずは素っ気なく答える。それは人にという意味だろうか。乗り物にという意味だろうか。

「これ」

 ぐいと押し出された紙コップを、梅花は静かに受け取った。蓋に突き刺さっている赤いストローがかすかに揺れる。

 コップを一瞥する梅花の気には当惑しか含まれていなかった。一方、あすずの気にはあらゆる感情が入り交じっており、この行為が苦渋の決断から来るものであることを匂わせている。

 両親から何か言われていたのか? それとも以前の自分の言動を後悔しているのか? 何にせよ、今この瞬間、この少女はあえて一歩を踏み出したのだ。

「ここで飲むレモンスカッシュ、一番好きなの」

 そっぽを向いて付言したあすずは、すぐさま踵を返した。その小さな背中を梅花はじっと見つめてから、手にした紙コップへとまた視線を落とす。表情は大きく変わらないが、気には動揺が表れている。

 しかし、技使いではないあすずには伝わっていないはずだ。振り向く素振りもなく乱雲のもとへ走って行くあすずを横目に、青葉は固唾を呑んだ。胃の底に張り付くような緊迫感が、胸をひりひりと焼く。

 周囲から視線が注がれていることも、梅花は気づいているだろう。皆が複雑な気でもって成り行きを見守っていることも、わかっているだろう。それでも意を決して、彼女はおずおずとストローに口をつけた。

「――美味しい」

 ぽつりと落とされた感想は、あすずには届いていないはずだ。それでも辺りを包む空気が和らいだことは感じ取れただろうか?

 青葉はそこはかとないむずがゆさを覚え、首の後ろを掻いた。この日の味はきっとずっと梅花の中に残るのだろうと、そんな予感があった。



「ねえアース、レーナはさっきから何やってるの?」

 涼やかな風が吹き渡る中、退屈だと言わんばかりにイレイの問いかける声が鼓膜を揺らした。適当に剣の素振りをしていたアースは、手を止めて振り返る。

「ほら、あそこ。ずっとああしてる」

 草原の中で、イレイは前方を指さしていた。その先では、大きな紙を地面に広げたレーナが腕組みをしている。そこだけ草が刈り取られているのは、先ほど彼女が技を使ったからだ。アースは「ああ」と気のない声を漏らしつつ瞳をすがめる。

「設計図を作ってるんだそうだ」

 イレイは先ほどまでそこらをぶらぶら歩き回っていたから、話を聞いていなかったのだろう。シリウスに尋ねられたレーナが笑顔で答える様が、アースの脳裏に蘇る。何度見ても不愉快な光景だ。

「設計図って、基地の?」

「だろうな」

 アースは剣を草原に突き立てると、軽く肩をすくめた。場所を定めてからというもの、レーナはずっとあの調子で紙を睨み付けていた。

 彼女が黙り込んでいるので、その傍にいるシリウスも無言だ。退屈そうにぼんやり遠くを眺めているようにも見えるが、彼に隙がないことはアースにもわかる。

「まだかかりそうなんだね。暇だなー」

 唇を尖らせたイレイは、片足をぶらぶらと振った。大きな靴に蹴られた長草がざわざわと音を立てる。だからといって話し相手に選んでもらっても困るのだがと、アースは顔をしかめた。

「ならば、ネオンやカイキと一緒に海へ行けばよかっただろう」

「海ってあの森の近くでしょう? 僕、あそこは飽きたな」

 ふてくされたイレイの声が、静かな空気をまた揺らした。ここはただひたすら広がる空と緑があるばかりで、目新しいものなどない。カイキたちがいなければ暇を持て余すのは当然なのだが、それをイレイに指摘しても無駄だろうか。

「ねえねえレーナ」

 耐えかねたイレイはぴょんと飛び跳ねると、そのままレーナの方へ寄っていった。邪魔するべきではないと言いたくなるが、そうするより早く彼女は顔を上げる。笑顔で小首を傾げる様相はいつも通りだ。

「どうかしたのか?」

「僕暇だよー。ここじゃ何もできない。町へ行くのはそこの青い人が駄目だって言うし。何かないの?」

 立ち止まったイレイは、びしりと傍にいるシリウスを指さした。青い人というのが自分を指していることに気づいたシリウスは、苦笑しながらイレイへと一瞥をくれている。

 アースらはシリウスに話しかけるつもりなどなかったが、イレイだけは別だ。彼は相手がどんな立場の誰であれ意に介さない。自分の用件の方を重視する。

「当たり前だ。私はお前たちの見張りだからな」

「え、じゃあ何で海はいいの!?」

 イレイの素っ頓狂な声が辺りに響いた。気怠げな目を向けることが多いシリウスも、イレイが相手だとどことなく苦笑を飲み込んだような顔をするのが意外だ。イレイはずんずんとシリウスの方へ詰め寄らんばかりに近づいていく。

「何が違うの!?」

「海沿いであれば、技さえ使わなければ他者への影響は皆無だ。あそこに人間はいないからな。まあケイルたちに言わせれば本当はよくないんだろうが」

 シリウスは一瞬だけ空へと目を向けた。まるでそこに誰かがいるような眼差しは、レーナが遠くを見ている時のことを彷彿とさせる。アースの奥底で、また何かが焦げ付いた。気がついていたことだが、この二人はどこか似ている。

「人間に会っちゃ駄目なの?」

 イレイは首を捻りながらシリウスの方へと一歩進み出た。何も隠すことなくただ純粋な疑問だけを乗せた彼の気は、現状を考えれば奇跡的だといってもよいのかもしれない。わずかに片眉を跳ね上げたシリウスは、小さく頷く。

「残念ながら人間たちは、先日の戦いで敏感になっている。余計な刺激は混乱を生むから避けなければならない。彼らは、本当に何も知らないらしいからな」

 答えるシリウスの声音は苦いものを含んでいた。その辺りの事情はアースにはわからないが、普通の人間たちはどうやら魔族を知らないらしいというのは感じ取れる。そんな者たちの目に、あの戦いはどう映っただろう。

「そうそう、その件だが」

 そこではたと気づいたように、レーナが口を挟んだ。ぽんと軽快に手を打った彼女は、シリウスへと視線を投げかけつつイレイの隣へと並ぶ。

 アースは突き立てた剣の柄に手を乗せた。このところ、彼女の横顔ばかり見ているような気がする。最後にあの瞳を真正面から捉えたのはいつのことだろう。

「神は人間たちにどれくらいまで伝えているんだ?」

 レーナが頭を傾けると、結わえた長い髪がふわりと揺れた。何気ない疑問のようでいて、そこにはわずかに責める色も滲んでいるようだ。以前から確認したかったことなのだろうか。シリウスは顔をしかめながら首を横に振った。

「さぁな。私はこの星で人間と関わることはない」

「まあ、それもそうか。どうも何も知らない様子なんだよなぁ。ここまで魔族のことが漏れていないというのは、どうも意図的な気がして」

 いかにも適当な返答をしたように見えたシリウスに、レーナはあっさり納得の意を示す。人差し指を顎にそえ小さく唸った彼女は、再び空を見上げた。

 つられてアースも視線を上げてみたが、先ほどと何ら変哲はない。苛立たしい程に穏やかな天気だ。

「ああ、どうせ知らせてないんだろう。この星には魔族の封印結界の鍵があります、だから魔族はいつもここを狙っています――などと、あいつらが話すとは思えない」

 するとどこかおどけた調子で告げたシリウスは、ついで大仰に嘆息した。その青々とした髪をそよ風が揺らし、表情を覆い隠す。途端に薄暗い何かを孕んだ空気が辺りを漂い始めた。

 封印結界の鍵という単語を耳にしたことはない。少なくともアースの記憶には残っていない。だがそれは、レーナたちにとっては自明のことらしい。

「魔族の封印って、あの森の?」

 アースの疑問を代弁するよう、イレイが声を上げた。封印と聞くと、アースの脳裏に浮かぶのもそれだ。リシヤの森には多数の結界があり、多くの魔族が封印されているとの話だった。

 けれどもレーナは首を横に振り、何か躊躇うがごとくわずかに視線を逸らす。

「いや、違う。転生神リシヤがあの森に封印したのは下級の魔族と半魔族が大半だ。五腹心には特殊な封印を施したらしいので、あの森ではないしな」

 淡々と説明する声の向こう側に、何かが透けて見えるような気がした。封印というのはどうも一つの何かを指すものではなかったらしい。

 何か言いたげなシリウスの双眸がレーナへと向けられた。しかし彼女自身は口を閉ざすつもりはないようだった。まるで挑むよう空を見上げて、瞳をすがめる。

「今、我々が話している魔族の封印というのは、さらに上位の魔族の封印だ。五腹心は、彼らの主を目覚めさせるためにこの星を目指していた」

 ぞくりと、アースの背筋を冷たいものが撫でた。先日彼らを苦しめたあのミスカーテという魔族は、五腹心の直属だという。つまり五腹心というのは彼よりも実力が上なはずだ。そのさらに主というのは――一体どれだけの力を持っているのか。

 ここを守らなければと神が躍起になっていた理由がようやく飲み込めた気がする。

「だから蘇った五腹心も、いずれは間違いなくこの星に来る」

 感情の滲まぬ冷静沈着なレーナの声が、鼓膜を揺らした。心臓を掴まれたような緊迫感に、あのイレイでさえ押し黙る。柄を握る手に力を込めて、アースは歯噛みした。

 そんな中でも彼女は神技隊を守るつもりなのか。そう考えると、絶望的な状況のように思えてならなかった。

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