第5話「我々が、彼らを巻き込んだのだ」
「結界を維持し続けるなど至難の業だぞ、アルティード。そういった建造物もないわけではないが……入念な準備が必要になる。本気なのか?」
「さあ、それは私にはなんとも。しかし人間を巻き込むことを決意したのだ、それくらいは必要かもしれないな」
アルティードは唇を引き結んだ。人間がいかに脆い存在であるかは理解しているつもりだ。そんな彼らを利用するのなら、こちらもある程度は譲歩しなければ。
そうでなければ彼らは見る見る間に命を落とすだろう。精神系や破壊系の技が使える人間が少ないのも痛手だ。
「……達観しているな」
「我々が、彼らを巻き込んだのだ。選択肢を与えなかったのだ。当然、いざという時に彼らが逃げ出す可能性すら考慮しなければならない。ならば彼らの生存確率を上げてやるのも、戦略のうちではないか?」
首を捻るケイルへと、アルティードは諭すように告げた。これも全てシリウスの受け売りだ。
彼は人間の思考に慣れている。追い込まれた人間たちの行動がある程度予測できる。だからこそレーナの提案を受け入れているのだろう。
彼女が何をどこまで考えているのかは定かではないが、少なくともシリウスの思惑とは一致しているらしい。
「戦略か」
と、ケイルが苦々しい声を漏らす。それは重く張り詰めた空気をわずかに揺らした。言わんとすることは伝わってくる。確かに、ある程度の危険性を内包した決断には違いない。それはアルティードも自覚している。
「ああ。残念ながら、我らには戦力が足りない。圧倒的にな」
ちりりと胸に走る痛みを堪えて、アルティードは声を絞り出した。全てはそこに集約される。つい自嘲気味な気を放ちそうになり、彼は目を伏せた。
消え失せた命、力のことを思うと暗澹たる気持ちになる。あらゆるものが失われたからこそ、彼のような者が分相応とは言えぬ地位にいるのだ。
「これ以上、戦力を失わないよう配慮することも、必要だろう」
彼らはいつも窮地に立たされている。本来なら、不足を補うために人間を使うというのは、最終手段のようなものだ。
しかし今はその選択をするしかなかった。ならばその人間が戦いやすいよう、無駄死にせぬよう取り計らうのも一つの方法だろう。
「……無様な足掻きだな」
苦しげにそう吐き出したケイルは、鼻眼鏡を指で押さえた。この状況を情けなく思うのは当然だと、アルティードは頷く。
徒労のごとき見苦しい戦いを続けていることは誰もが承知している。それでも諦めることは許されないから、こうして必死に手足を振り回していた。限界のある中、できうる限りの手段を講じるのが、残された者の勤めだ。
「ああ。それでも我々は、全力を尽くさねばならない」
だから罪悪感を覚えている暇などない。あらゆる可能性を考慮しながら、ただひたすら最善を目指すしかなかった。
どうしてこんなことになったのだろう。以前にも同じような心境に至ったことを思い出しながら、青葉は空を見上げた。
今日は快晴だ。見事な青空にうっすらと雲がかかる程度で、少し歩くだけで汗が噴き出る陽気だった。小春日和というのはこういう気候のことを言うのだろうか。行楽にはうってつけな日だ。
「これ美味しいー」
声のした右手へと視線をやれば、ソフトクリームを手にしたようがにこにこと笑顔を振りまいている。その背後を、きゃーきゃーと騒ぐ子どもたちが通り過ぎていった。
敷地内を流れる陽気な音楽にも負けず、周囲の者は楽しげに歓声を上げている。浮いているのは青葉たちくらいなものだろう。
「アサキの方は?」
「こっちは普通のバニラでぇーす。こっちも美味しいでぇーす」
いや、青葉たち全員が浮いているわけではない。ようは完全にこの賑やかな場に馴染んでいた。その適応力のすさまじさに驚くべきなのか否か、青葉には判断できない。
この場にいるのが自分たちだけなら、もう少しこの空気を味わうこともできたかもしれない。青葉とて本来ならこのまたとない機会を楽しみたいところだった。そう思いつつ彼が後ろへ一瞥をくれると同時に、ようがまた嬉々とした声を上げた。
「本当楽しいねー。こんな場所があるなんて、無世界ってすごいな。連れてきてくれてありがとう、乱雲さん」
くるりと振り向いたようの視線の先で、乱雲がふわりと微笑んだ。「楽しんでもらえてよかったよ」と答えながらゆったり近づいてくる様が、青葉の目には妙に眩しく映る。
――どうしてこんなことになったのか。青葉は再びそんな疑問を胸中で繰り返した。
遊園地へのお誘いは、乱雲たちの方からだった。挨拶へ行くタイミングをうかがっていた矢先に向こうから訪ねられ、喫驚したあの日のことは忘れられそうにない。
梅花曰く「みんな急に気を隠さなくなったから、何かあると思ったんでしょう」だそうだ。確かに、無世界に戻った途端に神技隊が突然気を隠さなくなれば、訝しんでもおかしくはないのか。
だが成り行きとはいえ、まさかこんな事態になるとはいまだに信じがたい。もちろん梅花も予想はしていなかっただろう。
青葉は恐る恐る左手を見遣った。普段以上に青い顔をした梅花は、所在なげにひっそりとたたずんでいる。この賑やかで活気に満ちた空間が、彼女としては居心地が悪いに違いない。大概の乗り物の誘いを彼女は拒否していた。
遊園地の同行というのが一体誰の発案なのか、気にならないわけではなかった。それでも青葉には尋ねる勇気がなかった。今は流れに任せて、ただ何事もなく一日が終わるのを待つばかりだ。
そういう観点では、ようが率先して楽しんでくれているのは非常に助かる。お気に入りのレモン色のパーカーを着ているところを見ても、彼がどれだけこの日を楽しみにしていたのかは明らかだった。
「なかなか来られる場所でもないから、晴れてよかった」
はしゃぐようを見守る乱雲の眼差しは温かい。こうした機会が設けられたことを純粋に喜んでいるのだろう。一方、青葉の心中は複雑だ。今は水を差さないようにするのが精一杯だった。何度ため息を飲み込んだことか。
「うん、本当によかった。楽しいなー。神魔世界にはこういうのないからねー」
「オレがこっちに来て一番驚いたのがこの遊園地なんだ。まさか遊ぶための設備がこんなに整ってるなんて思ってもみなくて」
喧噪の中、ようと乱雲の朗らかな会話が続く。確かに神魔世界ではこんな設備は実現しない。技使いの子どもたちに破壊される恐れがあるため、まず安全が図れない。
そもそも神魔世界では機械で何かを作るということが一般的ではなかった。できたとしても維持するのは難しいだろう。
そういう意味では、この遊園地という設備は無世界の象徴にも等しい。乱雲が驚いたのもわかるし、神技隊を連れて行きたいと思ったのも理解できる。
しかし乱雲の家族とシークレットで、というこの状況は望ましくなかっただろう。もっとも、仲間たちが興味を示さなかったら梅花は了解しなかっただろうから、乱雲の作戦だったのかもしれないが。
「梅花、顔色悪いですけど大丈夫でぇーすか? サイゾウも青いでぇーす」
そこで後ろを振り返ったアサキが困ったように声を上げた。言われてみると、梅花だけでなくその後ろにいるサイゾウの顔も土気色になっている。先ほど乗ったマシンの影響だろうか?
空を飛べる技使いだから上空で振り回されることくらい平気かと思ったのだが、こういったものはまた別らしい。
「だ、大丈夫……と言いたいが、くらくらする」
わずかに目を背けたサイゾウの顔は虚ろだ。
考えてみると、サイゾウは普通の乗り物でも酔いやすい方だった。それなのに絶叫系などと言われているマシンに乗り込んだのはまずかっただろう。ようの誘いを断れなかったサイゾウが悪い、と言い切ってしまうのはかわいそうか。
「無理はしない方がいいよ。オレもどちらかと言えば苦手なんだ。自分の思い通りにならないのって、結構堪えるよな」
どことなくぎこちない空気が流れたところで、すかさず乱雲が助け船を出す。先ほどからずっとこの調子だ。ぎすぎすとした雰囲気が広がらないように、彼は常に気を遣っている。神経がすり減ってしまうのではないかと心配になるほどだ。
その原因の半分ほどは、ありかやあすず、梅花の距離感のせいだろう。
遊園地に来てから、彼女たちはほとんど言葉を交わしていない。そもそも梅花は他者とのやりとりを最低限にするのが常だが、それを知らない彼女の家族の目にどう映っているのかは推して知るべしだ。いらぬ勘違いをされている可能性は高い。
ありかが率先して飲み物を買いに行ったのも、息苦しさに耐えかねたからに違いなかった。
「私のことは気にしないで。単なる人酔いだから」
アサキの視線を感じたらしく、梅花は言葉少なにそう答えた。いつも通りの淡々とした物言いだった。
確かに彼女は人混みが苦手だ。好き勝手に走り回る子ども、振り回される親たち、若者の集団が思い思いの行動を取るこの園内は、彼女の得意とするような場所ではないだろう。雑多な気の集まりのようなものだ。
「そうでぇーすか? でも心配でぇーすー」
アサキは笑顔を取り繕いながらきょろきょろとする。ありか、あすずが戻ってこないか密かに確認しているのだろう。買い物に行っただけの割に遅い……と勘ぐってしまうのは、青葉の中に懸念があるからかもしれない。
すると梅花は鞄を抱え込むように手に力を込めた。
「ええ、こんなに人がいるとは思っていなくて」
囁くように付言した梅花は、かすかに瞳を細めた。軽く髪を結わえた今日の彼女の服は、そのほとんどがリンから押しつけられたものだ。昨日憂鬱そうな顔で服選びに悩んでいたのは知っている。
結局は動きやすさを優先した結果、以前に力説された組み合わせになったようだ。見目にこだわらない梅花がそうまでしてこの日に立ち向かおうとしていた心境を考えると、この現状に青葉の胸も重くなる。
「本当でぇーすね。人がいっぱいでぇーす。あの乗り物なんてすごい列でぇーす!」
何事もなくこの日を乗り切り、心残りなく神魔世界へと向かわせたい。そんな青葉の願いが伝わっているはずはないのだが、アサキもどことなくそわそわ落ち着かなかった。いつもより声が高いのは、緊張を隠そうとしているせいだろうか。
「そうね。人気なのかしら。お金払ってもらってるんだし、気になるものがあるなら私は気にしないで乗ってきて」
控えめに告げる梅花の声は、すぐさま周囲のざわめきに掻き消された。シークレットの面々にはもちろん金銭的余裕がないため、全て乱雲に払ってもらっているという大変心苦しい状況だ。今までの梅花なら全力で断っていただろう。
そうしなかった理由は、きっとあの日の乱雲の表情にあるに違いない。
「こんな機会二度とないわ」
梅花はうっすら口元を緩める。彼女の言葉を乱雲がどのような思いで聞いているのか、青葉には推し量ることもできなかった。アサキがどこか複雑そうに顔を歪ませたのも、乱雲の気持ちを想像しようとしたからだろう。
梅花の両親についての話は、戦闘用着衣を受け取る際におおよそ説明済みだ。だがそれ以上の細かい事情については話していなかった。それでもアサキなら、この空気から何か感じ取るものがあるだろう。
「うーん、アサキは何でも気になりまぁーすが。皆はどうでぇーすかねぇ? どうせなら皆で乗りたいでぇーす」
沈黙を避けるように、アサキは周囲へと視線を巡らせた。遊園地は広すぎてどこにどんな乗り物があるのか把握することも困難だ。もう少し酔いにくい乗り物もあるのだろうか?
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