第11話

「アース、落ち着いてくれ。確固たる未来を口にできる者などこの世界には存在しない」

 詰め寄るアースの手を、レーナはそっと優しく引き離した。なお声を上げようとする彼の手を、そのまま彼女は両の手のひらで包み込む。柔和に瞳を細める様は、先ほどの挑発的な笑顔とは全く別物だった。

 何とはなしに気恥ずかしさを覚え、梅花は閉口する。彼も声を失っているようだったが、レーナはかまわず説き伏せ続けた。

「だから言い切ることはできない。しかしこの状況で我々を殺すことに全力を費やすのだとしたら、地球の神は大馬鹿としか言いようがない。わかってくれるな?」

 目の前に当の神がいる状況で、レーナはまた思い切ったことを口にする。梅花の鼓動は飛び跳ねたが、それでもシリウスは気分を害した様子もないどころか小さく相槌を打っていた。

 この状況というのは、あのミスカーテと呼ばれる魔族が来たことを意味しているのか? 確かに彼がまた姿を見せた時のことを考えると、レーナを失うのはまずい気がする。

 何より彼女とて簡単に殺されたりはしないだろうから、そのために割く戦力のことを考えると頭がよい選択とは言えない。今すぐ害になるものから優先して対応する方が利口だ。彼女が言いたいのはそういうことだろうか。

「それに、オリジナルたちを守るという意味でなら、悪い話ではない」

 頭を傾けたレーナはふわりと破顔した。アースは何か言いたげに口を開きかけたが、うまく言葉を探し出せない様子だった。しばしの後に諦めのため息を吐き、あいている左手で首の後ろを掻く。

「あーもういい。お前が折れないのはわかっている。好きにしろ」

「何かあればすぐに戻ってくるから。それまでこちらは頼む」

 複雑な気持ちになるやりとりだが、ずいぶん見慣れてしまったことも自覚せざるを得なかった。梅花はほっと息を吐く。何故か背後で青葉が舌打ちしたのが聞こえたが、今はあえて無視することにした。

 これでとりあえずシリウスの目的は果たされたことになるのだろうか? これから梅花たちはどうすればいいのだろう? そう疑問に思って視線を向ければ、シリウスも同じくこちらへと一瞥をくれたところだった。

「ああ、ここからは私一人でかまわない」

 何を問いかけたかったのかは伝わったらしく、シリウスは首を縦に振った。話が早いというのは大変ありがたいものだとしみじみと感じる。余計な言葉がいらないというのはこうも負担が少ないのか。

「わかりました」

 この続きはシリウスに任せよう。頷いた梅花はちらと空を見上げた。木々の隙間から見える空は、相変わらず気持ちのよい青だった。




 宮殿へと戻ってきた梅花たちを待ち受けていたのは、皆の好奇心旺盛な眼差しだった。

「どうだったんでぇーすか!?」

 まず静養室に入るなり飛びついてきたのはアサキだ。元々重い怪我もなかった彼は回復も早く、用があれば率先して動き回る一人となっている。

 梅花は彼を手で制しながら肩越しに振り返った。先ほどからどこか不機嫌な顔をした青葉は黙りきったままだ。それは目を向けてみても変わらずで、梅花は内心でため息を吐く。

「レーナを呼び出すことには成功したから、あとはシリウスさんに任せてきたの。二人でたぶん上に行ってると思うわ」

 端的に状況を説明し、梅花は手近な椅子に腰掛けた。決して座り心地はよくない小さな椅子だが、ベッドに座るのも憚られるので仕方がない。

 するとぱたぱたと近寄ってくる靴音が響く。顔を上げれば瞳を輝かせたリンが視界に入った。

「それってつまり交渉成立ってこと!?」

「……交渉の第一段階に入りました、ってことだと思います」

 肩をすくめた梅花に、リンはわかったようなわからないような表情を浮かべる。隣にいるアサキも同様だった。まるで説明を求められているような心地になる。

 こういった視線に慣れたといえば慣れてしまったが、たまに不思議な気分にはなった。全体像が掴めていないのは梅花も同じなのに。

「シリウスさんはレーナをこちら側に引き入れたいんでしょうし、あの様子を見ると……レーナもそれは悪くない話だと思っている感じです」

 先ほど見たレーナの言動を思い出しながら、梅花は言葉を選んだ。二人の思惑は一致しているように思える。小さな椅子の背に手を添えると、ぎぎっと軋む音がした。

「レーナが? 嘘でしょ」

「信じられませぇーん」

「気持ちはわかりますが、でもレーナの立場になってみてください。魔族から私たちを守りながら神の動向にも注意するなんて大変です。少なくとも神から背後を狙われないって言質をとっておきたいと思うのは当然でしょう」

 たとえその言質が不確かなものでも、形の上ではそうしておいた方がまだましというものだ。

 大義名分のない行為を上が嫌っているのは、梅花も薄々気づいている。ならばレーナにとってもこの交渉は意味がある。神側に足枷をつけるようなものだ。

 長い髪を耳にかけた梅花は、素早く室内に視線を走らせた。大体の者が神妙な顔をしていたが、そもそも人数が少ない。

 姿が見られない者たちはシャワーに向かったのだろう。どうにか宮殿のシャワー室を使うことは許可されたものの、使用できる時間が限られていた。人数も多いため、隙間を縫うような利用となってしまう。

「で、そのためにレーナは……どこに行ったの?」

 そこで大いなる疑問にぶつかったように、リンが眉をひそめた。「上に行っている」という表現に違和感を覚えたのか。梅花は苦笑を漏らしながら、軽く頬を掻く。

「たぶん、上です」

「上、って」

「どこでぇーすか?」

「この宮殿の上です」

 これだけで通じるわけもないのだが、そう表現せざるを得なかった。

 梅花たちジナルの者は、何の意味もなく「上」と呼んでいるわけではない。根拠はないが、しかし確実にこの宮殿の上には何かがある。そこに出入りしている者たちがいる。彼らのことを、梅花たちは「上」と呼んでいる。

「中央会議室から行けるみたいなんですが。この宮殿の上には、言うならば別世界が広がってるんですよ。たぶん」

「ちょっと言っている意味がわからないわね……」

「ラウジングさんたちが住んでいる場所、と言えばいいんでしょうかね。そうですね、つまり、神のいるところです。一種の別世界です」

 目に見えぬ世界があると聞けば誰もが驚き、そして信じようとはしないだろう。しかし現に無世界という異世界を知っているのならば、それと似たようなものと考えれば納得はできるはずだ。

 無世界へのゲートが決まった場所にあるように、上へのゲートが中央会議室にあるだけなのだろう。梅花はそう考えている。

「そ、そこにレーナは行くんでぇーすか!?」

 ようやく事が飲み込めたらしく、アサキは喫驚した声を上げた。その気持ちはわかる。まだ言質が取れていないレーナにとっては、敵陣に飛び込んでいくようなものだ。

 そう考えるとアースが怒鳴ったのも当然のことだった。あっさり了承したレーナの方がおかしい。目を白黒とさせているアサキに、梅花は首を縦に振ってみせた。

「行ってると思うわ」

「行って、そこで何をするっていうの?」

 ついで疑問を投げかけてきたのはリンだ。首を捻った彼女は、考え込むような顔をして柔らかい髪を掻き上げる。

 確かに、シリウスとレーナが納得し合ったのならそれで十分のはずだが。そう簡単にはいかないのが上の厄介な点だった。

「たぶん他の神に信用されるための何かをするんだと思います」

 自分で言っておいてずいぶん不思議な事態になったものだと、梅花は改めて実感した。あのレーナが何をするのかというのは正直なところ興味がある。が、何をしたところであの頭の固い者たちを説得できることはない気がした。

「シリウスさんは何故かレーナのことも知っているみたいですから、それでいいんでしょうが。でも他の神はそうではないでしょうから、自分たちに害がないかどうかを確認したいんですよ」

「……無謀ね」

 しみじみとしたリンの声が全てを物語っていた。よく見ればその向こう側ではシンが深々と相槌を打っている。

 先日のミスカーテの毒消しの件もあるから、まだ心証は違うだろうが。それでもレーナが怪しい存在であり、その目的が知れないことには変わりなかった。

「私もそう思いますが、あの二人はそう思ってないんでしょう……きっと」

 それとも、無謀であったとしても成し遂げなければと思っているのだろうか。ミスカーテのことを思い出し、梅花は軽く唇を噛んだ。

 あの強烈な気を持った魔族が再び襲来する日のことを考えれば、無理だと言って諦めるのは愚かなことなのか。もしかすると、今度はミスカーテだけではないのかもしれない。

「強いわね。強者の考えることってわからないわ」

「……たぶん、誰もリン先輩には言われたくないと思いますが」

 思わず呟いたリンに、すかさず梅花は指摘する。おそらく大多数の技使いが普段リンに対して同様の気持ちを抱いていることだろう。

 たまたま今回はさらに人間離れ――どころか人間ではないのだが――している者が対象となっているだけだ。

「え、そう? ……まあ、私も梅花には言われたくないわね」

「――じゃあこの話題は止めにしましょうか」

 梅花は小さく嘆息した。この手の話題は深入りしない方が得策だ。青葉が複雑そうな気を放っているのにも気づき、梅花はゆっくり立ち上がる。そして長い髪を背へと流し、かすかに頭を振った。

「とにかくレーナのことはシリウスさんに任せましょう。今の私たちにできるのは少しでも早く回復することです」

 体力的にも、精神的にも。何をするにもそれが肝要だ。

 ミスカーテと魔獣弾は一旦退却したようだが、あの魔神弾は亜空間に押し込んだだけだった。彼には理性がないようだから、不利な状況にも関わらず飛び出してくる可能性がある。

 あの触手が再び町を襲うような事態になれば、きっと神技隊は駆り出されるだろう。それがいつのことなのかは、誰も予測することができない。

「梅花らしい正論ね」

 苦笑するリンを横目に、梅花は肩をすくめてみせた。ではどうすればできる限り早く回復するのかというのが、この場合は大問題だ。

 この宮殿において心安らぐ時間を過ごすことがいかに難しいかは、よくよくわかっていた。

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