第5話
「そうだ。あいつといえば、そっくりなのが人間の中にいたな」
そこで壁から背を離し、シリウスは怪訝そうにこちらを見遣った。そっくりな人間というのにも心当たりはある。レーナが度々「オリジナル」と親しげに呼んでいる少女のことだろう。
「ああ。オリジナルと彼女たちは呼んでいた」
「ほう、なるほどな」
アルティードの端的な説明で、シリウスは何かを飲み込んだようだ。思案するようわずかに視線を落とし、深く相槌を打つ。
「そういえば、先ほどあいつもそれを口にしていたな」
どうやらシリウスはかたくなに彼女の名を言わないつもりらしい。彼は神以外の名を積極的に口にしたがらない妙な癖があったが、それを徹底しているのだろうか。
一度尋ねてみたい点だったが、今追及すべきタイミングとも思えず、アルティードは首肯する。
「ああ。そのオリジナルとやらがいるからなのか、彼女は何故か人間の技使いたちを守ろうとしているようだった」
レーナが神技隊を守りたがる理由はいまだ謎だ。オリジナルだからというだけでは弱い。かといって情が湧いたからというのは腑に落ちない。無世界に現れた当初から、レーナの姿勢は一貫していた。
大体、オリジナルの少女だけではなく他の神技隊も守るというのが解せなかった。
「まあ、あいつは以前から人間を守ろうとしていたが――」
そうシリウスが続けた時だった。扉を叩く硬い音が、部屋の中に響いた。シリウスの纏う気に鋭さが増し、空気が一変する。
アルティードが入り口へと視線を移すのと、扉が開かれるのはほぼ同時だった。若干の焦燥感を滲ませた顔でやってきたのはケイルだ。
「ケイルか。後処理は終わったのか?」
アルティードはそれだけを口にする。ノックをしろなどと今さら言うつもりもない。ケイルがこちらの返事を待たずに踏み込んでくるのはいつものことだった。
「いや、途中だ。シリウスが帰ってきたと聞いてな」
ケイルは鼻眼鏡を指で押さえながら室内に入り込み、後ろ手に扉を閉めた。ぱたんと乾いた音が緊迫感を強調する。
「何か言うことはないのか? シリウス」
振り返ったケイルの双眸が、ひたとシリウスを見据えた。まるで睨み付けるような形相だった。だが当のシリウスは再び壁に背を預け、大儀そうな顔をしている。
「特別お前に言うことはない。ああ、帰ってきたのではなく呼び戻されたんだ。そこは訂正しよう」
ひらりと振られたシリウスの左手は、余計な話はしたくないと告げているようなものだった。それを見たケイルのまなじりがつり上がる。
この二人は昔から相性が悪い。いや、シリウスとの相性なら大概の神がそうか。アルティードは怒号を浴びる準備をしつつ、ため息を吐いた。
「二人とも、ここは静かに――」
「当たり前だ! 魔族二人に結界内に進入されたんだぞ!? これで呼び戻さずにいつ呼び戻すというんだ!」
その場を収めるための言葉は遅かった。ケイルの怒気混じりの声が部屋の中でこだまし、重たい空気をいっそう濁らせる。
肩を怒らせるケイルに対し、シリウスは今にも耳を塞ぎそうなしかめ面でそれを受け止めていた。無論、この物言いをそれだけですますはずがないことは、アルティードもよく知っている。
「うるさいぞ、ケイル。お前のよくない癖だな。巨大結界内に進入されたのは私の落ち度か? 違うだろ。いいから落ち着け」
眉をひそめたシリウスは、淡々とした口調のままそう返した。普段ならここでケイルがさらに額に皺を寄せるところだが、事態が事態なだけに思い直したらしい。一度大きく咳払いをし、彼は何かを飲み込んだ。
アルティードはほっと胸を撫で下ろす。
ケイルが取り乱す気持ちはアルティードにもわかる。この結界の内に魔族、それも直属級の者を進入させるなど、あってはならないことだ。
転生神アユリが生み出したこの最後の砦を死守することが、アルティードたちの長年の勤めだった。それが決壊した今、彼らは新たな選択を余儀なくされている。
「――悪かった」
ケイルは絞り出すようにそう吐き出した。
今にも頭をかきむしりそうな表情を浮かべていたし、気には苛立ちと後悔と自責の念が溢れていたが、そういったものをぶつけるつもりはなさそうだった。時々直情的となるが、基本的には全体を見る力のある男だ。
「まあいい。状況を整理しよう。私も幾つか確認したいことがあるんでな」
そうなると不要な部分には深入りしないのがシリウスだ。後々まで嫌味を言う性格ではないのでこういう時は助かる。シリウスの眼光を受け止めて、アルティードは頷いた。
「アユリの巨大結界の穴が発見されたのは、二十年ほど前のことだったな?」
ケイルの方は一顧だにせず、シリウスは淡々と口にする。その通りだ。何の前触れもなく結界の破綻は明らかになった。それを見つけたのが『下』にいる人間であったことも、アルティードたちを動揺させた。
「ああ」
「封印結界の緩みが指摘されたのは五年ほど前。そしてこの半年ほどの間で、結界の内に未成生物物体と呼称される者たちの進入を許した。ただし彼らは『外』の者にそれを流布するような真似はしなかった」
抑揚なく続くシリウスの言葉に、聞き慣れない名称が混じっていた。つい疑問が気にも滲み出ていたのか、シリウスから怪訝そうな眼差しが向けられる。仕方なくアルティードは口を開いた。
「みせいせいぶつぶったい、とは?」
半年という期間、結界への侵入という要素から、それがレーナたちのことを指しているのは想像できる。しかしどういう意味の呼称なのか推測もできなかった。すると一瞬皮肉そうにシリウスは口の端を上げる。
「得体の知れないあいつらのことだ。魔族はそう呼んでいるらしい」
こともなげにそう告げ、シリウスはまた視線をどこへともなく逸らした。やはりレーナたちのことらしいというのはわかったが、それ以上の情報が得られなかった。それにしてもシリウスは魔族の間に流布する話まで把握しているのか。
「その後本当に封印結界まで緩み、半魔族が出現した。そのせいかどうかはわからないが、今回あの極悪魔族の進入を許し、結果的にはもう一人の魔族まで引き寄せることになった。この認識で間違いないな?」
アルティードは相槌を打った。極悪魔族と称されたのは、宇宙で誰もが手を焼いていたミスカーテという魔族だ。もう一人の魔族についてはよくわからないが、ミスカーテが警戒していたくらいだから強者には違いないだろう。
整理されたところで深刻な現状には変わりがない。何も掴んでいないことにも変化はない。アルティードは目を伏せた。
転生神たちが築き上げた仮初めの平穏が終わりを迎えたことは確かだ。急ごしらえであったことを考えれば、よくここまで持ったと思った方がよいのかもしれない。
問題があるとすれば、今のアルティードたちにはそれを修復する力も構築し直す力もないという点だ。
「この状況を一体どうしろというんだ」
耐えきれぬよう、ケイルが小さく吐き捨てた。その拍子に再びずれた鼻眼鏡の位置を正す姿を、アルティードは横目に見る。自棄になっても仕方がないのだが、そうしたくなるのは理解できた。
巨大結界の穴については、魔族中に知れ渡ったと思ってよいだろう。あのミスカーテが黙っているはずがない。そうなれば彼らはどう動くのか。想像したくもなかった。
「このままでは打つ手がないぞっ」
「ケイル、だから落ち着けと言っている。よく考えろ。魔族は五腹心を欠いた状態だぞ? いくら彼らでも急に総攻撃はしてこない。先導者がいない状況では奴らは派手には動けない。とにかく数を減らさないことが最優先事項になっているからな」
頭を振るケイルに向かって、シリウスは呆れつつもそう諭した。はっとしたようにケイルは顔を上げる。
魔族の中が一体どのようになっているのかアルティードたちは知らない。その点についてはシリウスを頼るより他なかった。
確かに、彼らは長いこと頭を失った状態が続いていた。五腹心が封印された当初は混乱も大きかったのか、派閥争いも繰り広げられていたが、その後は小康状態と聞いていた。なるほど数の維持を優先していたのか。
「……そうか」
ケイルもゆっくりと息を吐き出し、冷静さを取り戻したようだ。いずれは総攻撃を仕掛けてくるにせよ、まずは今だ。これからどうするのかを考えなければいけない。
答えを求めるがごとく、アルティードはシリウスを見遣った。こうなるとどうしてもシリウスに頼らざるを得なくなる。魔族を相手取ることにおいては、彼が一番長けている。
「つまり、準備をするなら今なのだな」
「そうなるな。この間にいかに布陣を固めるかが決め手となる。正直言って、今の神界は戦力外だらけだからな。魔族とのまともな抗戦経験がない奴らもいる」
シリウスは小さなため息をこぼした。その指摘についてはアルティードも口をつぐむしかない。
戦力になりそうな者がほとんどいないことは以前から取り沙汰されている。しかしだからといって子をなす者もほとんどいなかったし、戦力を補強しようにも手立てがなかった。
かつての大戦で使用された武器も、大半は未調整のままだ。それもこれも転生神の築いた砦に対する過信が大きかったためだろう。そうなだけに、とにかく今は手が足りなかった。地球に残っている者の大半は、癒えぬ傷を負った者たちだ。
「まさか、派遣した者たちを呼び戻すのか?」
ケイルが眼を見開くのが視界の隅に映る。アルティードも、それは最終手段だと思っていた。だがもしかすると、その最終手段を用いるべき時なのかもしれない。
「ああ、考慮すべきだろう。宇宙の状況も芳しいとは言えないがな……。地球に目を向けている隙に宇宙で大規模に精神を集められてもたまらないが。その辺りは魔族の動きを見つつになる。それでも呼び戻す準備はしておくべきだろう」
淡々と告げるシリウスの様相はいつも通りだ。それだけの決断について、彼はこの短期間のうちに考えていたのか。そのことの方がアルティードは驚嘆した。
正直、そこまでしなければならないのかという思いもある。が、そうしたとしても万全とは言い難いことも理解していた。
守る側は常に不利となる。アルティードたちはいつも劣勢だ。あの大戦を乗り切っただけでも十分だったと、そう思わざるを得ない状況だった。
その後の体制は砂の上に立つ儚い蜃気楼のようなものだったのだ。それがここにきてついに露呈しただけなのだろう。
「それで、一つ提案がある」
シリウスはそこで言葉を切った。たちまち辺りが静まりかえった。シリウスが何かを申し出てくるなど皆無だった。「勝手にしろ」や「好きにしろ」が返答の定番だ。そうなだけに今の一言は重く響く。
この状況を確認した後に一体何を言い出すのか。名案でもあるというのか? 困惑したアルティードが黙していると、「何だ?」とケイルが先を促した。
「あいつを引き入れろ」
それは耳に残る、淡泊な一言だった。瞠目したアルティードは声を失った。ケイルが怪訝そうな顔をしているのは「あいつ」が誰を指しているのか理解していないからだろう。
けれどもアルティードにはすぐにわかった。先ほどからシリウスがしつこいくらいに「あいつ」と呼んでいるのは一人しかいない。
「……正気か?」
あの得体の知れない者を結界の内に留めておくことさえ、危うい選択肢だったのだ。一度は追い出すことさえ検討したし、ケイルたちは実際動いた。
それでも彼女――レーナはいつの間にか戻ってきた。そんな者をどうやって引き入れるというのか。
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