第4話

 久しぶりに見る顔が相変わらずの表情を浮かべていることに、アルティードは苦笑を禁じ得なかった。

 ひたすら続く白い回廊の奥に位置するこの部屋は、一応アルティードの部屋ということになっている。その中に足を踏み入れることができるのはアルティードが呼び入れた者だけだ。だから何か内密な話をする時は、ここでということになる。

「呼び戻してすまなかった」

 扉をゆっくりと閉めた男――シリウスは、深いため息を吐いた。あれこれ言われるだろうと心積もりをしていたアルティードも、いざこの様子を目の前にするとやはり胸が痛む。

 彼を呼び戻す時はどうしても厄介な状況に決まっているので、どうしたってこういう顔を見ることの方が多い。

 椅子に腰掛けたままだったアルティードは、おもむろに立ち上がった。

「不満そうな顔をしているな」

「呼ばれたことはどうでもいい。それよりも何だあれは? 初動が遅い。あの町の被害は大変なことになっていたぞ。渋ったのはケイルか? ジーリュか? あれでは復興に時間がかかる」

 シリウスは耳の裏を掻きながら片眉を跳ね上げた。まさかその点を指摘されるとは思わず、アルティードは閉口する。

 それについては彼も心を痛めているところだった。人間たちの町にこれだけ被害が出たのは予想外だ。今後何をどう決断していくにせよ、きっと足枷となるだろう。

「まあいい。こうなってしまうと後処理の方が肝心だ。やり方を間違えると、人間の中で不和が生じるからな。それはアルティードもわかっているだろう?」

 声も口調も鋭いが、捲し立てるような調子ではなかった。淡々とした話しぶりなだけに、それはアルティードの胸にもじわりと染みてくる。

 服の裾を正しつつ、アルティードは静かに頷いた。人間についてならシリウスが一番よく知っている。

 彼は宇宙でずっと人々と交わりながら魔族の計画を潰すという任務をこなしていた。騒動があった時に人間たちがどのように動くのか、どう感情が揺れ動くのか、一番よくわかっていると言っても過言ではない。

「――人間の不和か」

 だからこそ、その表現が気になった。この神界にいる者たちは、人間たちがこちらへ向ける感情にこそ気を配るが、人間たちの間に何が起こっているのかまでは気に掛けていない。

 いや、正確に言うならばわからない。それはアルティードも同じことで、不和と言われてもぱっと思い浮かぶものがなかった。

「魔族のことを知らない人間が、あの騒動を見てどう思うかってことだ」

 一方、シリウスには容易に想像できるらしく、吐き捨てるようにそうぼやいた。そう告げられてアルティードは口を閉ざす。

 そうだ、人間たちは魔族の存在を知らない。この星は長年巨大結界で彼らの存在を遠ざけていたから、もはや言い伝えとしても残っていないだろう。

 宇宙では魔物と呼ばれていることが多いらしいが、それでもそういった異質な存在が知れ渡っているだけまだましだった。

「まあ、今はそれもいい。被害状況の確認と怪我人の救助が最優先だからな。話はそれからだ。で、それまでの間に確認しなければならないことがある」

 そこでシリウスの声音が変わった。本題はここからだろう。つまり今までのは単なる鬱憤晴らしだ。アルティードは瑠璃色の瞳を細めながら相槌を打った。シリウスが尋ねたいことは、何となく予想できていた。

「あいつ、いつからここにいるんだ?」

 問いかけはざっくばらんなのにわかりにくいというひどいものだった。それでも心構えがあったので理解はできた。彼が問いかけているのはレーナのことだろう。

 面倒くさがって途中経過を省略するのは、気を許しているからというのもあるはずだ。シリウスは目下の者や弱者には比較的寛容で優しいが、立場が上の者には容赦がない。

「あいつというのはあの申し子と呼ばれている少女のことか?」

「わかっているなら確認するのも無駄だろう。そうだ」

 予想通り、大儀そうな声が返ってくる。明後日の方を見てうんざりとした顔になったシリウスを、アルティードはじっと眺めた。

 こういった態度で他人を遠ざけるのが彼のやり方だ。それでも慕われてしまうのは元来持つ性格故なのだろう。言動で隠しきれない優しさは気にも表れてしまう。この清々しい気はどうしたって他者を惹き付ける。

「人間の世界で言うとおそらく半年ほど前からだな。最初は他世界に顔を出していたが、技使いたちを追うようにこちらでも姿を見せるようになっている」

 時間の感覚を問われる時、アルティードたちはよく困る。変化の乏しいこの神界での時間感覚と、めまぐるしい『外』の感覚にはどうしてもずれが生じる。

 仕方がないので人間たちの言葉を借りて表すことが増えていた。あのレーナたちが来てからはますますそうなっている。

「半年? そんなにか。よく耐えたな。もっと早く呼び戻してくれてもよかったんだが」

 するとシリウスから意外な発言が飛び出した。いつもなら冗談交じりに軽く嫌味を言われるところだが、彼女の存在をかなり重く見ているらしい。呆気にとられたアルティードは「そうか」とだけ答えた。

「あんな得体の知れない、底の知れない奴を内側に留めておくとは、アルティードも案外度胸があったんだな」

「……いや、あれを、私にどうしろと」

「まあ、確かにそうだな。どうしようもないな」

 シリウスは肩をすくめた。彼女の存在の扱いづらさについては彼もよくわかっているらしい。つまり、それがわかる程度の接触はあったということだ。

 それがアルティードには不思議でならなかった。不穏の種は事前に潰すことを目標に動いている男だ。魔族にとってはおそらく『暗躍』だろう。そんな彼があのような者を放置しておくとは。

「やはり彼女を知っていたんだな」

 そっと入り口の方へ一瞥をくれて、アルティードは口の端を上げた。話に集中している間に、こちらへと近づいてくる気があることを失念していた。

 まだ距離はあるが、いずれこの部屋に飛び込んでくるのは間違いないだろう。その前にある程度の話を済ませる必要がある。――そうでなければ面倒なことになりかねない。

「別人ならありがたかったがな。……いや、あんなのが複数いたらそれはそれで困るか」

「同感だ。しかしシリウス、それこそお前があんな得体の知れない者を野放しにしておくのは珍しいんじゃないか」

 逆にそう返してやると、シリウスは含み笑いをした。気怠そうに壁にもたれかかった彼は、そのまま腕組みをする。明かりに照らされた彼の横顔に、不意に影が生まれた。

「いきなりあんなのが飛び込んでくると迂闊には動けない。あいつを本気で潰しにいくとなるとかなり骨が折れるしな。その隙を魔族に狙われては意味がない。だから放っておいた」

「なるほど」

「そもそも潰すことでこちらに利点があるかどうかも問題だな。あいつはあいつで魔族の計画を阻止していたから、私としてはそのままにしておく方が楽だった。あいつが目に余る行動をとれば……その時潰せばいい」

 まるで答えを用意していたかのように、シリウスは流暢に述べた。実に彼らしい考え方だった。

 現実的に何を優先すべきか検討しながら行動に移すことを繰り返してきた男だ。そこに怨嗟といった感情を差し挟まないのが彼だった。気づいたら最前線に立つ羽目になった宿命なのかもしれないが。

「彼女が魔族たちから敵視されているのはそれが所以か」

 無論、それだけではないとアルティードも知っている。彼女の生みの親とも言うべき存在がそもそも忌み嫌われているせいだろう。

 ちらとユズの顔が脳裏をよぎり、アルティードは瞳を伏せた。神と接触を持った魔族。その関わりの中で、おそらくレーナたちは生まれた。

「それもあるだろうし、そもそもの生まれが問題だろ」

「……そこまで知っているんだな」

 考えていた内容をそのまま言及され、アルティードは喫驚した。まさかシリウスがそこまで把握しているとは思わなかった。一体彼はどこまで何を知っているのか? それなら確かに、もっと早く来てもらうべきだったのかもしれない。

「それは私の方が言いたい。こちらは当人から聞いただけだ」

 さらなる衝撃がアルティードを襲った。あれだけ色々なものをはぐらかしていたあの少女が、シリウスにはあっさりばらしたというのか? 耳を疑う話だった。

 しかしシリウスが嘘を吐くとも思えないし、彼女が口にしたのでなければいくらシリウスでも知りようはないだろう。事実なのだ。一体どんなやりとりがあればそんなことが起こり得るのか。

「――今さらながら、お前たちの距離感がわからないな。そんなに交流があったのか?」

「いや。利害が一致していただけだ。あとは、そうだな、仲の良い振りをしていたのかもな」

 考え込むように一度天井を睨み付け、シリウスはそんな言葉を選ぶ。尋ねたことを後悔する返答だ。

 アルティードにはやはり状況が掴めない。しかしどうやら説明してくれるつもりはないらしかった。これもいつものことだ。シリウスは宇宙であった出来事の多くを滅多に語ろうとしない。

「ところでアルティード、お前としては珍しく人間たちを使ってるんだな」

 そこでシリウスは話題を変えた。純粋に驚くような、どこかなじるような、曖昧な気を漂わせていた。

 人間たちと聞いてもアルティードは一瞬何のことかわからなかった。が、それが神技隊のことを指しているのだとじきに理解する。魔族との戦いに巻き込んでしまった者たちだ。

「ああ、彼らか。我々は神技隊と呼んでいる。他世界へ人間がなだれ込んで技を使い始めたため、それを魔族に気づかれぬうちに連れ戻したかったから結成したんだが……」

「つまり、今は違うと?」

「ああ。彼らにレーナたちが接触したためだ。目の届く範囲に置きたいとジーリュらが騒いでな。そこに半魔族の復活も絡んだため、なし崩し的に巻き込む形となった」

 人間たちのことを考えると胸がざわめく。わずかに残されていた罪悪感が刺激される。

 申し訳ないとずっと思っているが、手が足りないことも事実だった。魔族がリシヤの森やナイダの谷だけで動いているならばともかくとして、町にまで現れたとなると手段は選んでいられない。

 アルティードはぐっと唇を引き結んだ。

「それにしてはとんでもない技使いばかり選んでいるな」

 と、シリウスの声音にどことなく呆れの色が混じった。

「とんでもない」の意味がわからずアルティードが首を捻れば、それを見計らうようにシリウスはくつくつと笑い声を漏らす。ずいぶん面白がっている様子だ。

 その横顔を眺めながらアルティードは眉をひそめた。

「どういう意味だ?」

「あの趣味の悪い魔族を前にして立っていられる人間など希有だぞ。直属級の奴らが気を隠さない場合は、下級魔族でも圧倒されるのが普通だ」

 機嫌を損ねたのか逆に喜んでいるのかわかりにくいのがシリウスという男だ。「とんでもない」というのは実力がという意味だったらしい。それならばアルティードも腑に落ちた。

「それはそうだ。五年ほど前に封印結界の緩みの指摘があってな。それでこちら側も念のため、前もって実力者の選定をしなければならなくなった。そのせいだろう。あの指摘も、今思えば彼女だったのかもしれないな」

 あの時のことをアルティードは思い出す。

 深刻な忠告は、かなり迂遠な方法でアルティードまで届けられた。封印結界が緩むことなどあり得ないと笑い捨てる者はいなかった。その十五年ほど前に既に巨大結界の穴が発覚していたからだ。

 神界の空気が騒然としたのをよく覚えている。あれは一種の恐慌状態だった。

「あいつはどこにでも出没するな」

 しみじみとしたシリウスの口調からは「さもありなん」という感想がうかがえた。彼の中でもレーナという少女はそのように捉えられているらしい。本当に彼は一体どこまで掴んでいるのか。

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