第8話
何度目かの爆煙に、大地が揺れた。建物の残骸が崩れる音がして、砂塵が巻き上がる。瞳をすがめたリンは腕で顔を覆った。
「これじゃ離れることも近づくこともできないわね」
先ほどからこれの繰り返しであった。シリウスの接近を拒むよう、ミスカーテは派手な攻撃を繰り返した。周囲を焼きつくさんばかりの炎と、大地を割って現れる土の柱。
そしてその隙間を縫うように何かの瓶を投げつけてきていた。それは単なる火炎瓶であったり、何か得体の知れない成分の詰まった煙であったりとまちまちだ。その度にリンは風を操り、怪しい煙を右手に追いやっていた。
正直に言えばそれでも不十分だろうし、今後ミリカに何らかの影響がないとは言い切れない。単に今現在、右手に人の気配がないからというだけの選択肢だ。しかし今はそれが精一杯とも言える。
「リンっ」
と、背後から迫る気があった。はっとした彼女の後ろに回りこんだのはシンだ。彼が振るった長剣の刀身を、赤い光が包み込む。それは迫る黒い光を一刀両断した。
「シン、ありがとっ」
今のは魔獣弾の攻撃だろう。ちょうど今彼らはミスカーテと魔獣弾に挟まれる形となっている。
いつの間にか魔獣弾がミスカーテとは逆の位置に現れたことに気づいたのは、最初の火炎瓶が炸裂した時だった。怪しい煙かと思って風を操ろうとしたリンの背後に、黒い矢が迫った瞬間だ。
「気をつけろよ」
「わかってる」
その時もシンが助けてくれた。先ほどと同じように赤く光る剣を手にして、黒い矢を薙ぎ払った。
その動きを見る限りでは、少なくともどこか負傷しているようには思えない。剣の光が変化している理由はわからないが、あの黒い技に対する効果は増しているようだ。
「小賢しいですねっ」
と、魔獣弾の恨みがましい声が響いた。ちらとそちらを見遣れば、魔獣弾に向かってイレイが黄色い光弾を放っていた。
そろそろ体力の限界ではないかと思うのだが、イレイもカイキも果敢に魔獣弾に噛みついている。少しでも気を引こうという涙ぐましい努力のように見えた。神技隊を守るという目的は、彼らにとってそれほどまでに重いのか?
「リン、来るぞ」
するとぐいと左腕を掴まれる。今度は滝だ。彼は先ほどからミスカーテのいる方向をねめつけていた。
爆煙のせいで残念ながらミスカーテの姿は捉えられない。少なくともリンたちの目では無理だった。ただあの鮮烈でおぞましい気を感じるのみだ。それでも萎縮せずにすんでいるのは、彼女たちの前方に青い背中があるからだった。
シリウスと名乗った一人の神。あのミスカーテを前にしても全く動じる様子のないその姿から、実力はラウジング以上であると察せられる。
何より気がすさまじい。おそらくある程度は抑えているのだろうが、それでも滲み出しているのは春先の風を思わせる力強く明るい青々とした色合いだ。それが時折、夜の大河を思わせるものに変化する。
「まったく、いい加減にして欲しいものだな」
リンたちの視線を感じたわけではないだろうが、そこでシリウスは大仰に嘆息した。背後で聞いていてわかったことだが、実に口は悪い。先ほどからミスカーテのやることなすことに悪態を吐いている。
仕草には気怠さが溢れ、一見やる気はなさそうだ。それでもあの場を動かないのはリンたちを攻撃に晒さないためだろうし、大技を使っていないのも、おそらくミリカの町をこれ以上破壊しないためだろう。
時折放つ技の選択からそんな意図が感じられる。
「あの変態魔族は心根まで黒いらしい」
シリウスのぼやきと共に、今度は青い風が巻き起こった。これが精神系の技らしいと、ようやくリンも把握できるようになった。
精神系の技を食らうと技が使いにくくなる。ミスカーテが使うような精度のものであれば、それだけではすまないかもしれない。
だが慌てる必要はなかった。今度もあっさりと、シリウスの生み出した結界がそれを弾き返す。薄い膜にぶつかった青い風は、そのまま光の粒子となって空気へ溶け込んでいった。
「持久戦のつもりかな」
自分たちがいなければシリウスはもっと自由に動けるのではないか。そう思ってこの場の離脱を目論んだりもしたが、魔獣弾がいるためそれもそう簡単にはいかない。
いや、それだけではない。リンたちが動けば、そこを目掛けてミスカーテが技を放ってくる。結局シリウスもそれにあわせて動く羽目になる。これでは単にシリウスの運動量が増えるだけで意味がなかった。
「本当に腹が立つわね」
リンは小さく呻いた。できる限り足手まといにならないよう振る舞う術を考えたいのに、良案が浮かばなかった。そもそも体も精神も限界が近いのかもしれない。長時間の戦闘で集中力が落ちてきている。思考力だって落ちていて当然だろう。
と、背後の気配が変わった。はっとして振り返るのと、魔獣弾の気が膨らむのは同時だった。魔獣弾の放つ青い風が、後退しようとしたカイキ、イレイの体を包み込む。
「ちょっと!」
リンは悲鳴を飲み込み、咄嗟に右手を掲げた。カイキたちの声にならぬ叫びが辺りの空気を揺らす。
二人を包んでなお勢い留まらずに迫る風は、半分無意識に生み出した結界が防いでくれた。透明な膜に弾かれて空気に還っていく青い光は、何も考えなければ綺麗とすら思える。
しかしこれに晒されたらまともに技が使えなくなるだろう。体力もわずかなこの状況で、それはほとんど命取りだ。
「これはまずいわね」
思わずそんな声が漏れた。カイキ、イレイが地に伏す音が耳に痛かった。その向こうにたたずむ魔獣弾の得意げな笑顔は、あまり直視したくはないものだ。リンはこくりと喉を鳴らす。
こうなったらもう魔獣弾の相手をするしかないのか。いくら武器があるとはいえ、肝心の体力が限界ではまともに動けない。リンは歯噛みした。こんなことならもっと体を鍛えておくべきだったなどと後悔したところで遅いのだが。
「ミスカーテ様の毒が回ったようですね。三人同時ということは、あまり体格差は関係なさそうですね」
微笑む魔獣弾の声と、背後で何かが落ちる音が重なった。はっとしたリンは背後を振り返る。
「滝先輩!」
地面に落ちて跳ねたのは上から借りたあの長剣だ。ついで滝が片膝をつく。まさかとリンは眼を見開いた。魔獣弾の声が脳裏で繰り返される。
先ほどカイキとイレイが倒れたのも、ミスカーテの毒のせいなのか? 青い風に巻き込まれたからではなかったのか?
「遅効性というのもなかなか面白い」
一歩一歩、地を踏みしめるように魔獣弾が近づいてくる。こうなったらもう動けるのは彼女とシンしかいない。無理は承知で気力を振り絞るしかない。
もちろん、滝をこのままにしておいてよいのかどうかも気がかりだった。ただ精神や技が使えなくなるといった毒ではなさそうな印象だ。命の関わるものであるなら、一刻も早い治療が必要だろう。
「リン――」
「中距離遠距離の攻撃なら、私が何とかする。剣もあるから大丈夫。でも接近戦は苦手なのよね。頼める?」
シンの気遣わしげな視線が感じられる。だがリンは彼の方を振り向くことなく、ただそれだけを口にした。はったりでも強がりでも何でもかまわない。今はとにかく心を強く持つことが必要だ。
背後ではシリウスがまた何か技を使った感触があった。シリウスがいる限りおそらく後ろからの攻撃を心配する必要はないだろう。それだけがせめてもの救いだ。
ミスカーテが毒を使った場合のことは、今は考えても仕方がなかった。「もしも」を考えていてもきりがない。ミスカーテのことはシリウスに任せて、今はとにかく魔獣弾に集中するのみだ。
「わかった」
シンは小さく頷くと、即座に駆け出した。その足取りに不安定なところがないのを確認しつつ、リンは精神を集中させる。自分に機敏な動きなど期待できないから、その分も精神力で補わなければならない。
「悪足掻きが好きですね」
魔獣弾の手がひらりと振られる。その指先から生み出されたのは複数の黒い矢。彼の得意の手だった。
しかし一気に放たれたそれらは、次々とシンの剣によって叩き伏せられる。赤い光を帯びた刀身が的確に黒い矢を捉えた。ここにきてシンにはまだそれだけの気力、体力があるらしい。
彼の横を素通りした黒い矢を、リンは小さな結界で弾いた。これまでの戦いで、どの程度の結界であればあの黒い技を防ぐことができるのか、判断できるようになっていた。ならば最小限の力、範囲でいい。精神は少しでも節約しなければ。
シンは倒れたカイキとイレイを飛び越え、魔獣弾へと迫る。大剣は動きも粗雑になりがちだが、それでもシンの体格では振り回されることもないようだ。
飛び退ろうとする魔獣弾の服を、その切っ先がかすめる。刀身の輝きが増す。と、半身を引いた魔獣弾の手が、懐に向かうのが目に入った。
「シン!」
魔獣弾は一体毒をどのくらい隠し持っているのか。それがまだ残されている可能性があることに思い至り、リンは走り出した。まずい。魔獣弾は接近戦を得意としていない。つまり追い込まれた時に使う手段は限られている。
シンも魔獣弾の動きに気づいたようだが、まさか直接触れるわけにはいかない。ましてその場で瓶を叩き割るのは危険だ。シンの気に焦りの色が滲んだのが感じ取れた。
風は? シンを巻き込みかねない。あの隙間に結界をねじ込むのは? 不可能ではないが現実的ではない。焦燥感で頭が回らない。リンは歯噛みしながら右手を前へ突き出した。考えつかないのならば、無理だろうと結界を使うしかないか。
けれども彼女が技を放つより早く、別の気が膨らんだ。それはシンたちの頭上でのことだった。
はっとしたリンは空を見上げる。目を凝らせば、薄曇りの空から何か青い光が落ちてくるのがわかった。この気配は――精神系の技か?
魔獣弾もそれに気がついたらしい。憎々しげな舌打ちとともに、彼は懐から手を離した。
その代わりに生み出されたのは結界だ。後方へと下がる彼の頭上に、瞬時に透明な膜が生み出される。降り落ちてきた青い光は結界に弾かれ、瞬く間に空気へと溶けた。
「レンカ先輩!」
続いて降りてきたのはレンカだった。ふわりと風を身に纏わせて着地したレンカは、追撃とばかりに魔獣弾へと青い矢を放つ。数は少ないが精度高い矢だ。そのうち一本が後退する魔獣弾の頬をかすめる。
「気をつけて!」
だがレンカはそれ以上深追いはせず、ちらと上空を見上げた。その行為が何を意味していたのかはすぐに理解できた。
肉眼で確認する必要もない。ぶわりと全身の毛が逆立つと表現したくなるような不安定でおぞましい気が、空から近づいてくる。
「魔神弾よ!」
叫ぶレンカの声に魔獣弾が顔を歪めた。と同時に、上空から無数の黒い筋が降りてくるのが感じ取れた。飛び退るレンカ、慌てて結界を張る魔獣弾のちょうど間に、黒の束が突き刺さる。
突然の質量に耐えかねた地面がひび割れ、リンのもとへと地響きが伝わってきた。その不安定な揺れ方に疲労した足がついていかない。体がぐらりと傾いだ。だが膝をつく直前に、前触れもなく二の腕を掴まれた。
「リン先輩大丈夫ですかっ」
すぐ背後で響いたのは青葉の声だ。気を探ることもできていなかったと自覚しつつ振り返れば、彼は一人ではなかった。彼のもう一方の腕の中には青い顔をした梅花がいる。力が入らないのかぐったりしているが、意識はあるようだった。
一体この状況は何なのか。何が起こっているのか?
「すいません、魔神弾連れてきちゃいました」
体勢を立て直したリンは、青葉の視線を追いかけた。地面に突き刺さった黒い鞭が無骨な音と共に引き抜かれ、消える。その向こう側にゆらりと魔神弾が降り立った。
魔神弾であることは気からわかるのだが、ずいぶんと姿形が変わっていた。左肩から先がなくなっているし、右の肩からは無世界で見たイソギンチャクのような黒い物を生やしている。あまり直視したくはない光景だ。
「死んだかなって思ったら、急に暴れ出して――」
「足り、ない」
続く青葉の説明を、魔神弾の呻きが遮った。冷たく硬い、感情のこもらない声だった。聞いているだけで何か嫌な感覚に襲われる。リンはつい眉根を寄せた。この違和感は何なのだろう。魔神弾の不安定な気がそう感じさせるのか?
「あいつ危険ですよ。レンカ先輩がいなかったら梅花が食われるところだった」
苦々しい声を隠すこともせず、青葉は顔をしかめる。その横顔を視界の端に捉えつつリンは首を捻った。
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