第18話

 それでもレーナは全く動じなかった。ふわりと微笑んだまま頭を傾ける様を見ているだけでも、ラウジングたちでは太刀打ちできないわけだと悟る。

 ずいぶんと酷な役目を押しつけていたのだと、今さらながら感じ入った。

「だから、先ほど言ったように彼女は家族みたいな存在だ」

「意味がわからないな」

「彼女がとある魔族のところに出入りしていた話は、一部の者しか知らないのかな?」

 今にも笑い出しそうなレーナの口調。その問いかけはおそらくアルティードに向かって放たれたものだろう。

 ケイルやラウジングが驚嘆する気配を感じながら、アルティードは「一部の者だけだろうな」と控えめな返答をした。

 それが理由でユズは異端扱いされていたから、アルティードもあえて話をしてこなかった。別に彼女は魔族に味方しているわけでもなかったし、それどころか誰よりも率先して仲間たちを助けていた。彼女の力は、彼らには必要だった。

 しかし魔族の知り合いがいるなどという事実を、普通の神が容易く受け入れられるとは思えない。

「そんな、まさか。そんなことがあるはずが……」

「あるんだよ、それが。その魔族の名は、アスファルトという。まあ彼も異端者だな」

 こともなげに説明されていく事実は、全てアルティードの知るものと一致していた。これでまた一つ疑問が解けた。カルマラから受けていた報告にある「腐れ魔族」の正体についても、ようやく明らかになった。

 何故そのような蔑称なのかと訝しんでいたが、今はっきりした。――ユズと繋がっていたからだ。そんなことを、魔族たちが許すはずもない。

「……まさか」

「彼らが生み出した存在に、魔族たちは未成生物物体という意味不明な呼称を付けている」

 声は朗らかなのに言葉はどこか辛辣だ。だが、それはおそらく彼女自身を指す名称なのだろうと予測できる。アルティードはどうにかため息を飲み込んだ。数々の疑念が一本の線で繋がった。

「そうか、それが君たちなのか」

「そういうことになるな」

 本を抱きしめたレーナはふわりと微笑んだ。「生み出した」というのがどういうことなのか定かではないが、ようやく彼女の立場が理解できた気がする。

 ユズがかの魔族と何をしていたのか、アルティードは知らない。そこまで踏み込むことはしなかった。しかし彼女は常に神の――否、転生神キキョウのために動いていた。

 時にアルティードの目には奇異に映ることもあったが、それでも彼女の信念に揺るぎはなかった。その結果が、今目の前にいる少女ということだ。

「――なるほど、わかった。しかしそんな君がどうしてここにいる?」

 彼女の背景はわかった。だがまだまだ問題は山積みだ。そもそも、どうやってこの書庫に入り込むことができたのか。

 さすがのユズも勝手に書庫に入るような真似はしていなかったはずだが。……それとも、単にアルティードが知らなかっただけなのか。

「書庫ですることと言えば、本を読むことだろう?」

 くつくつと響く悪戯っぽい笑い声が、張り詰めた空気を軽やかに揺らす。ラウジングの気に苛立ちが滲んだことに気づき、アルティードは片眉を跳ね上げた。

 レーナのこの態度はラウジングが最も苦手としているものだ。彼の家族を葬った者を彷彿とさせるからだとは思うのだが。冷静でいることが重要な局面では、いささか心配となる。

「まあ、ちょっとした調べ物だな。しかし見つかってしまってはこの辺までかな」

 不意に声の調子が変わった。レーナは抱きしめていた本を片手に持つと、そのまま手近な棚へとしまいこむ。何を調べていたのかまでは話すつもりはないらしい。

 むしろ、今まではぐらかしてきたものをあっさり口にしてきたことの方がおかしいのか。彼女にも何か心境の変化があったのだろうか。それとも、そうせざるを得ない事態になったのか。

「まさかこのまま帰れると思っているのか?」

 と、それまで黙り込んでいたケイルが高圧的な声を発した。一歩足を踏み出しただけなのに、その靴音は妙に強く床に反響する。

 もっともレーナにはまるで効果がない。「ん?」と小首を傾げて振り返った顔は余裕しか纏っていなかった。

「帰るよ。お前たちも、ここで暴れられたら困るだろう?」

 尋ねながら天井を見上げたレーナは、アルティードたちの事情も全てわかっていると言いたげだ。確かに、この結界の中で何かを成し遂げようとするのはひどく骨が折れる。

 そもそも転生神アユリの結界は強固で、複雑で、他の者においそれと手出しができるものではない。この書庫を中心に構成されているものが一体どういう役目を担っているのかも、アルティードは知らない。

「それは……」

「大丈夫、別に悪さはしてないよ。ああ、そうだ一つ報告がある」

 背を向けようとしたレーナは、そこで何か思い出したように肩越しに振り向いた。尾のごとき髪がひらりと揺れて、白い世界に影を生む。ひたと見据えてくる黒い眼差しを、アルティードは息を呑みつつ受け止めた。

「魔神弾復活に乗じて、何者かが巨大結界内に侵入した」

 空気が一変した。淡々と告げられた内容は、最悪のものだった。聞き間違いだと思いたかったが、レーナの表情がそれを否定する。

 ぞっとするくらいに落ち着いた、冷たいわけでもないのに張り詰めた憂慮が垣間見える顔。それは先ほどと同じようでいて、明らかに違う何かを伝えてくる。

 眉根を寄せたアルティードには、「本当なのか」と問いかけることしかできなかった。

「何者なのか確かめたかったが魔神弾の動きがあったので、突き止め損ねた。これはわれの落ち度だな」

「そんな、まさか……」

「そんなことが可能な魔族となると、それなりの実力者だ。また、魔神弾復活にあわせてきたのも偶然とは考えにくい。魔獣弾と何かやりとりがあるのかもしれないな」

 レーナの言葉が本当ならば、状況はますます深刻だった。巨大結界は彼らにとって最後の砦だ。転生神アユリが築いた籠城のための武器の一つ。決して破られてはならぬものだった。

 だからこそレーナたちがここにいることを問題視していたのだが――魔族が侵入したとなれば、崩壊は時間の問題かもしれない。

「そんな馬鹿なっ!」

 刹那、耐えきれずにラウジングが声を張り上げた。否定して欲しいという願望と、それを諦めている者の吐き出す絶叫のようだった。

 アルティードは諫める言葉を探したが、すぐには見当たらない。そうしたくなる気持ちはよく理解できた。無論、怒鳴っても何も解決しないこともわかっている。

「われも信じたくはないが、しかしあの気配はおそらくそうだろう。……亜空間を通じてだな。どうもこのところ亜空間との境が怪しくなっているな」

 その通りだ。宇宙とこの星を区切る結界はいまだ強固だが、他世界との境に綻びが生じ始めている。

 もっとも、『境』の存在すらろくに感じ取れないアルティードたちからすれば、そこに結界を張ってしまったアユリがそもそも化け物じみていたのだ。おそらく、そこが一番不安定だったのだろう。

 リシヤの封印結界が弱まっていることを考えても、そろそろ限界を迎える時期が来ているのかもしれない。

「君はどうするつもりなんだ?」

 巨大結界の崩壊は、第二次地球大戦の勃発を意味している。それはおそらくレーナも理解しているはずだ。それなのにこうも冷静でいられるとは不思議だった。

 アルティードが端的に尋ねれば、彼女はふわりと顔をほころばせる。

「もちろん、見つけ次第退場してもらう」

「……そんなことが、可能なのか?」

「可能かどうかは問題ではない。やらなければならない。こんなところで力のある魔族に暴れられたら、オリジナルたちが危ないだろう?」

 それでもレーナの決心に揺るぎはないようだった。彼女はあくまで神技隊を守るつもりらしい。そこまでする意味は、やはり理解できなかった。

 ユズとの繋がりも彼女たちの立場もおおよそ掴めたが、それでも何故今こんなことをしているのかは判然としない。やはり、そこにはユズの意志が関与しているのか?

「まあそういうわけだから、異変には気をつけておいてくれ」

 レーナはひらりと手を振った。そして軽く白い床を蹴り、本棚の向こう側へと颯爽と駆け出す。アルティードがはっとして手を伸ばすも、間に合うはずもなかった。揺れる髪の軌跡だけがやけに目に焼きつく。

 気配は、忽然と消えた。一瞬何かの歪みを感じた途端に、彼女がいることによって生まれていた違和感は消え失せてしまった。

 世界は唐突に平穏を取り戻した。気はそもそも隠していたから感じ取れないが、それにしても一体どういう芸当だったのか――。

「彼女の言葉……信じていいのか?」

 アルティードが口をつぐんでいると、隣にたたずむケイルが視線を向けてくる。鼻眼鏡越しに見える眼差しは半信半疑な様子だ。信じたくないという気持ちもあるのだろう。アルティードは静かに首を縦に振った。

「ああ。彼女の言うユズの話は、私が知っているものと同じだ」

「そのユズというのは何者なのだ?」

「彼女が言っていた通りだ」

 かつて戦場で見た後ろ姿を思い出す。朱に近い茶色い髪、波打つ青い布。颯爽と現れては敵を葬り去るその様は、誰よりも勇ましかった。豊富な精神量と鋭敏な感覚を活かしたあの戦い方は、普通の者が真似できるようなものではない。

 ただし彼女はレーナと比べるとはるかに感情を揺さぶられやすい性質を持っていた。

 ユズの激昂は世界を揺るがす。涙は世界を震わせる。喜びは世界を沸き立たせる。鮮やかな彩りを持った彼女の感情は、容易く周囲を巻き込む。

 大量の精神を背景とした強烈な感情の波。その影響力は多大だ。あれだけの熱量を持ったままなお一心に戦い続けることができる神が存在しているとは信じがたかった。ただ一点だけを目指していたから、可能だったのだろう。

 アルティードはふと肩の力を抜く。レーナの横顔に、ユズの背中が重なったように思えた。

「ユズは転生神キキョウの代弁者だった。彼女は――歴史を変えるためにこの世界に来た」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る