第10話
「今はたくもミンヤ先輩も、精神が安定しているわね」
梅花の言葉を裏付けるよう、膝をついたままのレンカが現状を報告する。そうなると、先ほどレーナが「治療」と口にしていたのはそのことなのか? では魔獣弾の黒い技を受けたラフトたちはどうなっているのか?
「ラフト先輩、ゲイニ先輩はまだ衰弱してますが、気は安定してるわ」
まるで青葉の疑問を汲み取るがごとく、レンカは簡素に付け加えた。とりあえず命に別状はなさそうだとわかり、青葉は胸を撫で下ろす。
一瞬脳裏を「死」という言葉がよぎっただけに、どっと肩の力が抜けた心地になった。あの時のぞっと背筋が冷え切る感覚は、もう二度と味わいたくない。
「あの黒い技は、人を衰弱させるんでしょうか……」
「黒い技? ああ、破壊系ね。核を傷つけるからね。そりゃあ弱るわよ」
ぽつりと呟いた梅花に、手を離したカルマラは当たり前と言った調子で答えた。だが突然『核』と言われても青葉たちには何のことだかわからない。上の常識なのだろうか? それとも宮殿の常識?
梅花の横顔をうかがってみたが、理解はしていない様子だった。ならばやはり上の者だけが知っていることなのか。
「カルマラさん、核って何ですか?」
「え、梅花も知らないの? えーっとえーっとね、精神の本体みたいなものよ。だから核がやられると精神も気も不安定になるの。大事なものなの」
目を丸くしたカルマラは、またもや頭を抱えて「あーうー」と呻きつつそう返答した。わかるようなわからないような、実に不明瞭な説明だ。
しかしその点を突っ込んでみても、明確な理解が得られる気がしない。おそらくカルマラにとっては当たり前のことで、今まで深く考えたこともなかったのだろう。
「……その核の傷って、簡単に治るものなんですか?」
「技の精度にもよるわ。ただ、普通は時間がかかるわねー。人間だとなおのことでしょう」
躊躇なく言い切ったカルマラに、青葉はつい恨めしげな視線を向けたくなる。そんな技を使う者を相手にしていたのかと、今さらながら考える。
そういうことはもう少し早く教えて欲しいものだ。それすらも当たり前だから、青葉たちが知らないとは考えなかったのか。
「――死ぬこともあるんですか?」
「そりゃね。核が傷つきすぎたら死ぬわよ。死ななくても治らないこともあるし」
一瞬、カルマラの気が薄暗い色を帯びた。あっけらかんとした口調とは裏腹な変化に、青葉は思わず固唾を呑む。「もっと早く言ってください」という一言さえ口にできなかった。他の技とは違うのか。
炎でも水でも雷でも、物理的に傷ついた部分がわかれば、治癒の技でどうにかなるのが普通だ。その程度が甚だしいと、それだけの治癒の技が使える者が限られてしまうが。それでも「治らない」のとは違う。
あの黒い技――破壊系は、全く別の技なのか。
「そうですか」
カルマラの反応から、触れてはいけない話題だと梅花は気づいたらしい。それ以上問いただすようなことはせず、彼女はレンカたちの方を振り向いた。
「それじゃあラフト先輩たちを早く休ませてあげた方がいいですね。ここは歪みもありますし」
梅花の提案に、異論を唱える者はいなかった。一人、一人と動き出す仲間たちを見て、青葉はため息を飲み込んだ。
白い天井、床を反射する光が青みがかって見えるのは、目の前にいる者たちの影響だろうか。そんなことを考えながら、カルマラはおずおずと顔を上げた。息苦しいと思うのは錯覚か。
報告が終わってから、椅子に腰掛けたままのアルティードはずっと黙している。考え込むように目蓋を伏せている様からは厳かな何かが感じられた。
だがそれだけならこんな風にいたたまれなさを覚えることはない。問題は、この部屋にいるのがアルティードだけではないということだ。
「信じがたいな」
アルティードの隣、壁にもたれかかるようにして腕組みしているのはケイルだった。ラウジングよりも暗い緑の髪はほとんど黒に等しく、ケイルの象徴の一つとなっている。
もう一つ特徴的なのは鼻眼鏡だろう。先の大戦での負傷が原因で体調に波がある彼は、それが視覚の変化として現れるらしい。そこを補う特殊な眼鏡を、彼はいつも手放さないでいる。
「あれだけ探したが見つからなかったというのに、一体今までどこにいたんだ。神魔世界で三ヶ月、音沙汰がなかったのだろう? それが突然姿を見せるとは」
舌打ちこそしないが、ケイルの口調には苛立ちが見え隠れしていた。それがカルマラには恐ろしい。不機嫌なケイルとアルティードが話をするとろくなことにならなかった。まず、間違いなく、話が長引く。
「傷を癒していたのか?」
「さすがに長すぎるだろう。いくらエメラルド鉱石の剣とはいえ、使い手はラウジングだ。核には達しないぞ」
首を捻ったアルティードは、ちらとケイルの方へ視線を向けた。その瑠璃色の双眸に非難の色があることを、カルマラは読み取る。
ラウジングの実力が不十分であることは誰だって知っていた。それでもラウジングを行かせたのはケイルだというのに。
「不満そうだな、アルティード。事実だ。あの剣は慣れた者でないと使いこなせない」
「ならば何故それを渡した」
「使いこなさなくとも十分に威力があるからだ」
空気がどんどんと張り詰めていく。ぎすぎすしていく気は、この場にいるだけで毒だ。いっそ逃げ出したいとカルマラは心底祈った。報告は終わったのだからもう自分の役目は終わりだろう。逃亡が許されないのなら、泣いてもいいだろうか。
「大体、あんな物が使いこなせるのはシリウスくらいだ」
ケイルは鼻眼鏡の位置を正す。アルティードは半ば呆れたように、それでいて諦めたように息を吐いた。
折れたのはアルティードの方らしいと判断し、カルマラは内心で落胆する。いつもこれだった。どうもアルティードはケイルには甘い気がする。
「それはそうだな」
「こうなってしまった以上、シリウスを呼び戻すしかないだろう。躊躇している暇はないぞ、アルティード。魔獣弾は、例の瓶を持っていたんだろう?」
例の瓶。その響きに含まれる苦々しさは、カルマラの心にも染みた。彼女も聞いたことがあった。一部の魔族の間に行き渡っている、精神を吸収して保存する瓶のことだ。まさかそれをあの魔獣弾も持っているとは思わなかった。
宇宙とは違い、この星にはたくさん技使いがいる。彼らの精神が狙われたら、効率よく精神を集められてしまうことになる。
「もう少し様子を見るから、宇宙の方をよろしく頼むと言ったばかりなんだがな」
「状況が変わった。仕方がない」
「ころころ判断を変えるなと怒られるぞ」
「あいつは何もなくとも悪態を吐くだろ。同じことだ」
鼻を鳴らすケイルを横目に、アルティードは苦笑を漏らした。二人にとってのシリウスの印象はそのようなものらしい。カルマラにはぴんと来ない部分だ。確かに皮肉な言動は多いが、面倒見はよいのに。
「しかし、その瓶の餌食になった人間は大丈夫だったのか?」
不意に、アルティードの眼差しがカルマラへと向けられた。急に話しかけられたことに動揺しつつ、彼女はカクカクと首を縦に振る。
「は、はい! 私は直接見ていないんですが、奪われた精神はレーナが補給したらしく……」
そこまで口にしたところで、自分が何を伝えようとしているか自覚してぞっとした。その意味がわからないカルマラではない。他人に精神を分け与えるなど、そう簡単にできるものではなかった。
技術そのものも問題だが、気の相性もある。だから彼女たちは困っていたのだ。
「信じがたいな」
先ほどと同じ言葉をケイルは放った。カルマラだって信じたくはなかった。しかし瓶に精神を吸われたはずの者たち、その精神量はろくに減っていなかった。神技隊らが嘘を吐いているわけでなければ、補充されたとしか考えられない。
「破壊系による傷も癒したのだろう?」
「そ、それも私は直接見ていないんですが」
続くアルティードの問いかけに、カルマラは怖々と答える。そんなことが可能なら、やはり苦労はしない。核の傷を癒すのは、核に触れる行為に等しい。そんなことが容易に可能なわけがない。
「それが本当なら、彼女は転生神級ということになるぞ」
ケイルの冷たい一言が室内に染み入る。まるで自分が責め立てられているようだと、口をつぐんだカルマラは拳を握った。勝手に視線がどんどん下がっていく。
彼女だってできることなら、確かな情報を伝えたかった。こんな曖昧な報告はしたくなかった。
「虚偽は混じっていないだろうな」
カルマラは歯を食いしばる。彼女だって嘘だと思いたい。神技隊の勘違いだと思いたい。しかし梅花の感覚について、カルマラはある程度の信頼を寄せていた。その察知能力も判断力も、通常の人間の範疇を超えている。そこらの神でも敵わない。
「この数ヶ月でいきなり転生神級? 冗談じゃない」
吐き捨てるケイルに、それ以上言葉を差し挟む勇気はなかった。先ほど梅花が予想した通りなら、レーナは姿を消している間にその実力を増したということになる。
転生神級の技を使う者など、カルマラはシリウス以外に知らなかった。戦闘能力がどうかは判断できないが、技の精度は同等ということだ。
「そんな奴がこの星で野放しになっていると思うと頭が痛いな」
「まあ落ち着けケイル。ここで焦っては判断を間違うぞ」
言葉通り頭を押さえたケイルに、アルティードは静かに言い放った。こういう時のアルティードは本当に頼もしい。憂いと決意を秘めた瑠璃色の双眸は、カルマラの心をも落ち着かせる。
「少なくとも彼女は魔獣弾と手を組む気はないのだから、我々にも勝機はある。まず注意すべきは魔獣弾だろう」
「――そうだな。まずは魔獣弾だな。幸いにも神技隊は我々の下にいる」
ケイルの声がずしりとカルマラの肩にのしかかったようだった。底に沈めておいた罪悪感を刺激されたようで、頭の奥で何かが鳴る。
――もし、人間たちに恨まれるようなことになったら。その可能性を考えるだけで心が凍り付きそうになる。彼らは本当に何も知らないのだ。魔族の力についてもわかっていないのだ。
それに、ここは宇宙ではない。何かが起こったとしても、逃げ場などない。憎悪の視線を逃れる術はない。
「無闇に人間たちを巻き込むような真似はするなよ、ケイル」
「私もそうしたいところだが、優先事項を間違えては困るなアルティード。ここを守らなければ意味がない」
ケイルの黒い瞳がアルティードを捉える。確実性を取るのか、より多くの益を目指すのか。二人の意見はいつもここで割れる。
ケイルが間違ったことを言っていないのは、カルマラもわかっていた。この星が、ここが守れなければ意味がない。
ただ、だからと言って多くのものを切り捨てた時どうなるのか、考えずにはいられない。残念ながらカルマラたちは貧弱な存在だった。鉄の心で全てを貫けるようにはできていない。
アルティードは、それ以上何も言わなかった。ただ重々しいため息を吐いただけだった。
ケイルは壁から背を離し、首を回す。そして「ジーリュにも伝えてくる」とだけ言い残して歩き出した。カルマラは握る手に力を込め、その姿を見送った。
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