第12話

 部屋の戸をノックする音が響いたのは、真夜中のことだった。微睡んでいた青葉が先に目を覚ましたのは、出入り口のすぐ側にいたからだろう。

 時計型通信機に視線を落としてから、彼は立ち上がる。隅にある頼りない明かりでは足下までよく見えないため、慎重に扉へ近づいた。

「どちらさんですか?」

 ぼんやりした頭で問いかけながら、扉を開ける。すると見覚えのある青年が立っていた。今朝方、部屋に飛び込んできたミケルダという男だ。廊下の薄明かりの下でも、垂れ気味の目が印象的だった。青葉は首を傾げる。

「えっと……ミケルダさんですよね。何かありましたか?」

「梅花ちゃんはもう寝てる?」

 ミケルダが真っ先に口にしたのは梅花の名だ。その呼び方にはやはり慣れず、青葉はつい眉根を寄せた。馴れ馴れしいという段階を通り越しているが、気安く指摘できる雰囲気でもない。

「こっちは男部屋なんで、隣にいます。普通は寝てる時間ですが、あいつのことだからまだ起きてるかも」

「あ、そっか。そうだよね」

 ミケルダは照れ笑いを浮かべつつ頭を掻く。こちらが男部屋であることがわからなかったのか? 気づきそうなものだが、ミケルダも慌てていたのだろうか。

 ……まさか男女の区別なく部屋に押し込めるのが宮殿の流儀とは思いたくない。

「あれ?」

 そこでミケルダの向こうに、もう一人誰かがいることに気がついた。寝ぼけ眼を必死に凝らした青葉は、次の瞬間息を呑む。

 そこにいたのはレンカだった。まだ完全に回復しきっていないのか疲れた表情をしているが、しっかり廊下に立つことができている。薄暗いため顔色はわからないが、気に不安定なところは見受けられなかった。

「レンカ先輩?」

 思わずその名を呼ぶと、たたずんでいたレンカは弾かれたように顔を上げた。ようやく現実に思考が戻って来たと言わんばかりの様子だった。薄闇から進み出てきた彼女は、ちらと部屋の中をのぞき込む。

「もう宮殿についていたんですね」

「あ、ごめんねレンカちゃん。もういいよって言ってなかった」

 苦笑したミケルダはぱたぱたと気楽に手を振る。何が「いい」のかわからず青葉が首を捻ると、レンカはにこりと微笑んだ。

「上から下への降り方は見ちゃ駄目なんだそうよ」

「……はあ」

 本当に物理的に降りてきたかのような発言だ。わけがわからず気のない声を漏らした青葉は、ついで誰かが立ち上がる気配を察知する。それが誰なのか認識するよりも先に、耳慣れた声が鼓膜を震わせた。

「レンカ!」

 滝だ。レンカの声を聞きつけたのか、それとも気を感じたのか。何にしろ反応が早い。慌てて右側へ避けると、滝は足早に彼らの方へ寄ってきた。その気には不安と安堵が入り交じっている。

「大丈夫なのか?」

「ごめんなさい、心配かけて。もう平気みたい」

 柔らかに破顔したレンカはちらとミケルダへ視線を送った。もう大丈夫だという合図だろうか。するとわかったと言わんばかりにミケルダは一歩後ろへ下がる。その顔がくしゃりと悪戯っぽく歪んだ。

「じゃあオレはこの辺で」

「あれ? ミケルダさん、梅花に用があったんじゃあ」

「ああ、レンカちゃんを梅花ちゃんに任せようと思って。ただそれだけ。だからいいんだ」

 へらりと笑ったミケルダは、おどけた調子で手をひらひらさせた。今朝とは打って変わって気安い表情、仕草だ。こちらの方が本来の彼なのだろうか?

 詳しいことは把握できていないがとりあえず首を縦に振ると、隣にいた滝もほぼ同時に頷いた。

「どうもありがとうございます」

「いやいや、オレはアルティード様に頼まれただけだから」

 本当に用件はそれだけだと言いたげに、ミケルダはゆっくり背を向ける。まさか、このまま何の説明もなく帰るつもりなのか。

「ちょっと待ってくださいっ」

 慌てた青葉よりも早く滝が呼び止めた。怪訝そうに振り返ったミケルダの顔は、一瞬ひどく疲れて見えた。すぐに飄々とした表情に戻ったが、それはあえて装っていたのだろう。わざとらしく肩をすくめて、ミケルダはわずかに頭を傾ける。

「何か用? レンカちゃんに何があったのかは、オレもよく知らないよ」

「それも、もちろん気になるんですが――」

「レーナちゃんのこと? あの後どうなったのかはわかってない。さっき、捜索隊が出発したところだ。消火しながら捜す流れになると思う。……ラウジングのことなら、今は治療中としかいえない。体は回復すると思うけど」

 こちらが知りたいと思っている点については予想できていたらしい。尋ねる言葉すら必要なかった。

 しかしこうも矢継ぎ早に答えられると、どことなく不快だ。思わず青葉は片眉を跳ね上げる。あえて自分から口にしなかったのは、言いたくなかったからなのか。それとも長話は避けたかったのか。

「……そうですか」

 滝もそれ以上は踏み込めず閉口している。さらなる情報を得るには梅花にでも来てもらうしかなさそうだった。ここで話をしていても女性部屋から出てこないところを見ると、眠っているのだろう。ならば今はそっとしておきたいところか。

「では、もうしばらくは待機ですか?」

 仕方がないと諦めたのか、滝は別の問いかけを口にする。するとミケルダはぱちりと音がしそうな瞬きをしてから、「ああ」と気の抜けた声を漏らした。不自然な笑顔がその口元に浮かぶ。

「うん、たぶん。詳しい話は多世界戦局専門長官から明日辺りにでも行くと思う。細かいことは、オレには決定権がないから」

 その点について尋ねられるとは予想外だという顔だ。上の者ならば知っているだろうと思われたことが、心外だと言いたげな反応だった。

 今朝からの話を思い返せば、上には上の事情があることはわかる。だが青葉たちは現時点でもミケルダの立ち位置を把握してない。ただ純粋に確認したかっただけなのだが。

 そこで微妙な空気が流れたことを感じ取ったのか、レンカが何気なく扉に触れた。そして周囲を和ませる微笑をたたえて、やんわり頭を傾ける。

「それじゃあミケルダさん。私もそろそろ休みますので」

「あ、そうだね。無理しない方がいいね。おやすみ。とにかく今日はみんなゆっくり休んで。こっちはもう大丈夫だから」

 再びへらっと笑ったミケルダは、手を振りながら踵を返した。今度は誰も声を掛けなかった。薄暗い廊下の向こうへ消えていく背中を黙って見送る。夜特有の静寂の中、幾分のんびりとした靴音が反響した。

 音が聞こえなくなったところで、青葉は大きく息を吐いた。何だか妙な気分にさせる青年だ。上の者にはやはり癖があるものらしい。

「滝、起こしちゃったんでしょう? ごめんなさい」

 すると廊下の向こうへ一瞥をくれてから、レンカは小さく首をすくめた。それは滝にとっては些細な問題だろうと思うのだが。

「いや、それは別に……って、泣いてたのか?」

 不意に、滝の声音が変わった。何のことかわからず青葉が瞳を瞬かせると、滝の気から懸念と不安の色が強く感じられるようになる。

 レンカははっとしたように目元に触れ、少しだけはにかんだ。気のせいではなかったようだ。さすがは滝だ、目聡い。

「何でもないの。よく覚えていないんだけど、とても悲しい夢を見ていたみたい。ううん、悲しい誰かの気持ちを追っていたのかしら。ただそれだけなの」

「それならいいんだが」

 滝はまだ不安げだ。それでも嘘だと決めつけなかったのは、レンカの気に揺らぎを認めなかったからだろう。

 強く感情が揺さぶられたのなら、気に表れてくる。しかし彼女の気は穏やかで、波立った様子がなかった。わずかな申し訳なさを感じる程度だ。

「私が倒れてからの話はミケルダさんに簡単に聞いたわ。だから大丈夫。今日はもう休みましょう?」

 頬を緩めたレンカはそっと滝の腕に触れた。それでも滝はまだ何か言いたげだったが、自分が起きていては彼女も休めないと考えたのか。渋々首を縦に振る。

 これで滝も落ち着いてくれそうだと、青葉は内心ほっとした。わけのわからない状況が続いているが、一つ不安材料が減った。

「そうだな」

 滝の返事が夜の静寂に染み入る。青葉はもう一度ミケルダの言葉を思い出した。

 この真夜中、月明かりの下で、大勢の上の者がレーナたちの探索を始めているのか。見つかって欲しいのかどうかも青葉には判然としない。

 自分は何を望んでいるのだろう。明らかなのは、梅花が傷つくような事態にはならないで欲しいということだけだった。もっとも、現時点でもそれが難しいことだとは重々承知している。

「青葉、お前も寝ろよ」

 突然そう注意され、青葉ははたと顔を上げた。滝の何とも言いがたい視線が向けられているのは、考え事をしていると見抜かれたからだろう。まだ滝の中ではやんちゃな子どものままなのかもしれない。

 素直には頷きがたくて気のない声を漏らせば、レンカがくすりと笑い「おやすみなさい」と背を向けた。視界の端で、長い髪がたおやかに揺れる。

 何も解決していない状況でも、時は流れていく。体は休息を求める。抗うことを許されぬ現状に辟易としつつも、青葉はあくびを噛み殺した。




 ただ連絡を待ち続ける生活に慣れるのも、妙な話だとは思う。しかし確実に体も心も順応していることを、青葉は実感せざるを得なかった。

 以前ならばとうに苛々していただろうに、今は現実的な行動を取ることができている。気分を害してもこちらが損をするだけだとわかってしまったせいかもしれない。

 昼食の片付けを終えた青葉は、梅花とダン、ミツバと共に廊下を歩いていた。

 この四人で顔を合わせると、どうしても初対面の時のことを思い出す。梅花がレーナと間違われて襲われた件だ。二ヶ月前の出来事なのに、もうずいぶんと昔のことのように感じられた。

「本当にこの棟には人がいないんだねー」

 頭の後ろで手を組みながら、ミツバは気楽な様子で先頭を行く。

 ここに、いわゆる一般的な宮殿の人間はまず来ない。訪れるのは上の者か、神技隊に用がある者だけだ。

 宮殿の人間が相手だと、すれ違うだけでも邪険に扱われることがあるので、ありがたい話ではあった。神技隊だけなら愚痴も言いたい放題だ。

「もったいない気もするけど」

「ここは予備の棟なんです。今は居住区画もありませんし、特にこれといった設備もないので、ここまで来るのはよほどの物好きという感じです」

 すると青葉の一歩後ろを歩いていた梅花がそう説明する。やはり彼の予想は当たっていたらしい。

 それにしても大小様々な部屋に加え厨房まであるのだから、予備にしては気合いが入っていた。そのおかげで助かっているのだが、不思議なことには変わりない。

「ふーん、そんなところを作っておくくらいに余裕があるんだな」

 同じ事を疑問に感じたのか、ダンが嫌味っぽい口調でそう続けた。やや長めの髪をわしわしと掻くようにして、にやりと右の口角を上げている。

 何も知らない時なら性格が悪いと不満に思うところだったが、そういった悪戯っぽい表情が彼の癖であることはわかっていた。だから青葉は何も言わずにゆったりと歩く。

「昔はここも居住区画だったんです。人が減って今では使われなくなりましたが」

「え、宮殿って人が減ってたんだ?」

「……この通り、生活しやすいとは言い難いですから。それにこの忙しなさなので、子どもが少ないんですよ。早死にする人もいますし」

「うぁ、思っていたよりも苛烈な場所だねー」

 とつとつと付言した梅花に対し、ミツバは顔をしかめて唸る。宮殿の住み心地が良くないのはわかっていたが、そこまで深刻だったとは。青葉もそれは初耳だった。

 しかしよく考えてみれば、三十になるというリューにもパートナーがいる様子がない。彼女たちは宮殿を出ることが滅多にないので、ここで相手が見つからないならずっと一人ということになってしまうのか。

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