第9話
「何がどうなってるんだ」
「――神ですか」
青葉たちが戸惑っていると、薄暗い憎悪を滲ませた声が背中に突き刺さった。振り向くまでもない、魔獣弾のものだ。ぞくりと肌が粟立つような負の感情の滲む気が、そちらから放たれている。
恐る恐る目を向けた青葉は固唾を呑んだ。先ほどのどこか余裕を含んだ表情が一転して、今にも唾棄しそうな眼差しをしている。
「本当に、魔族が復活したというのか……」
一方、魔獣弾を見るラウジングの瞳は、とにかく信じがたいと如実に語っていた。喫驚を通り越して呆然としている。対照的な二人の様子を、青葉はただただ見比べた。
「先ほどの腰抜けたちは戻ったようですよ? あなたも逃げた方がいいんじゃありませんか?」
忌避感を纏わせながら小馬鹿にした口振りで、魔獣弾はそう言い捨てた。瞬間的に、ラウジングの気に怒りの色が宿る。
しかし何かを吐き出そうとしたところで思いとどまり、口にする寸前で飲み込んだようだった。彼が一瞥をくれた方へ、青葉も目を向ける。その先にはレーナの姿があった。彼女はどこか神妙な顔つきでこの場を見守っている。
「あなたのような小物ではどうにもならないでしょう」
「そんなつまらぬ挑発には乗らない」
吐き捨てたラウジングは、その場で即座に構えた。まさか戦うつもりなのか? 戦闘が避けられる気はしないが、それでも青葉は慌てる。
またもや巻き添えになりかねないし、そもそも結界への影響は大丈夫なのか? ラウジングに何か考えがあるのならばいいが、一抹の不安が拭いきれない。
「もう十分に乗っている顔ですよ? これだからあなたたちは」
くすくすと笑う魔獣弾の意図は、わかりやすすぎるくらいにわかりやすかった。ラウジングが堪えきれなくなるのではと、青葉は内心ではらはらする。
だが一つ朗報はあった。今が好機と思ったのだろう、いつの間にやらリンたちが負傷者をつれてこの場を脱出してくれていた。あまりの手際のよさに青葉も気づかなかった。おそらく、ラウジングがやってきた瞬間を狙ったのだろう。
「もしや若造ですね?」
怪我人が森を抜け出したのなら、後はこちらも機会をうかがって退散するのみだ。ラウジングには悪いが、事情も知らぬ自分たちがこの場で役に立つとは思えなかった。青葉はシンの横顔をちらりと見る。
「役立たずがのこのこと出てきて――」
「お前なんぞに言われたくはない!」
けれども、青葉がその意図を伝える時間はなかった。耐えきれなくなったラウジングがついに動き出す。薄青の風の刃が、魔獣弾に向かって放たれた。
無論、そんな単調な攻撃では魔獣弾にあっさり読み取られてしまう。軽く張られた結界に弾かれ、刃は霧散した。
「これだから青い!」
魔獣弾は再び黒い鞭を生み出す。のたうつようにして近づいてきたそれを、ラウジングは跳躍してかわした。
彼の手の中に刃が生まれる。薄青に輝くそれは今まで見た不定の刃より小振りだが、おそらく精神系の技だろう。走り出したラウジングを牽制するよう、黒い鞭がまた跳ねた。
レーナが額を押さえたのが、青葉の視界に入った。頭が痛いとでも言わんげな仕草だ。
青葉も気持ちは似たようなものだった。一体誰が誰の敵なのか定かではないが、これだけは断言できる。こんなわけのわからない状況からは一刻も早く抜け出すべきだ。
「……シンにい」
「ああ、一応目的は成功したからな。梅花と合流してどうにかオレたちも脱出したいんだが」
答えるシンの声に苦いものが含まれている。考えることは皆一緒か。そうしたいのはやまやまなのだが、位置取りが悪い。
梅花と彼らの間にはレーナがいる。つまり魔獣弾もラウジングも常にそちらを警戒している。この状況で魔獣弾に気取られぬよう移動するのは難しかった。下手に動いて攻撃に出るつもりだと認識されたら厄介だ。
顔をしかめた青葉は、ちらと梅花へ視線を送ってみた。何か悩んでいるのか彼女も難しそうな顔をしている。さすがにぱっと名案が浮かんだりはしないらしい。
魔獣弾の挑発を耳にしながら青葉が唸っていると、突然、彼女は弾かれたように振り返った。
「おいレーナ!」
ついで響いたのは、この場ではあまり聞きたくない自分とよく似た叫び声。青葉は思わず眉間に皺を寄せた。
声がしたのはレーナの後方からだ。梅花が振り向いたのはその気配を感じたからだろう。青葉が小さく舌打ちすると、茂みを掻き分ける音が鼓膜を揺らす。
「一人で行くなと言っているだろっ」
揺れる緑を荒々しく踏みつけるようにして、アースが姿を現す。形相はいつも以上に険しい。続いて息を切らしたカイキがよろよろと追ってきた。精神を集中させてみると、二人のさらに向こう側にネオンとイレイの気があるのもわかる。
アースの言葉から推測するに、途中まではレーナと一緒だったのだろう。青葉はまたシンと顔を見合わせた。ますます動きにくくなってしまった。
「すまない。走ったら間に合わなさそうだったので」
「おやおや、またお客さんのようですよ」
乱入者たちの存在に、魔獣弾も気づいたらしい。鞭を大きく振るいラウジングの接近を阻むと、楽しげに笑い出している。――いや、笑おうとして、不意に訝しげに首を捻った。緩く波打つ黒髪が場違いなほど軽やかに、空気を含んで揺れる。
「あなたたち、どこかで……」
忽然と黒い鞭が消える。一度魔獣弾と距離をとったラウジングは、何故か青葉たちの目の前まで後退してきた。薄青の刃が消し去られると、森の中を奇妙な静寂が包み込む。
それぞれがそれぞれの動きに注意を払いながら、その場に立ち尽くしていた。
「おいレーナ。何だよこいつ」
容易に発言できぬ空気の中、カイキが呑気な疑問を放つ。彼が指さした先にいるのは魔獣弾だ。それでも魔獣弾は気分を害した様子もなく、ただじっと何かを見定めるがごとくアースとカイキを凝視している。
居心地の悪くなるような眼差しだ。青葉の方が段々不安になってくる。
「ああ、彼は魔獣弾といって――」
「思い出しました!」
説明しようとするレーナの言葉を、魔獣弾の叫びが遮った。見開かれた黒い瞳に宿ったものは、青葉には読み取れない。
「どこかで見たと思ったんです! あなたたちは、腐れ魔族の申し子ですね!」
答えに辿り着いた喜びと、何か別の暗鬱とした感情が、魔獣弾から溢れ出す。ひどく濁った気だ。同時に吐き出されたのは耳馴染みのない言葉だった。
首を傾げた青葉は、ラウジングの後ろ姿へと一瞥をくれる。ラウジングなら何か知っているのではと思ったのだが、彼の気には依然として疑問が満ちていた。少なくとも上の常識の中には入っていないようだ。
「はぁ? 腐れ魔族ぅ?」
カイキは訝しげな声を漏らしたが、その向こうにいるレーナの表情は硬かった。彼女がそんな顔をしているところを初めて見るような気がする。
それが正解を意味しているような気がして、青葉は固唾を呑んだ。それでは「腐れ魔族」とは一体何なのか。
「そうですか、ようやく理解できました。道理で神ではないのに私たちについて詳しいわけです。生きていたのですね」
一人で納得した魔獣弾は、深々と相槌を打つ。説明をしてくれるような親切心はないらしい。
戸惑った顔のカイキは、答えを求めるようにレーナの方を振り向いた。ほぼ同じタイミングで、アースもレーナを見ていた。
どことなく違和感を覚える三人の様子に、青葉は顔をしかめる。これは何なのだろう。彼らが何者なのか、まさか彼ら自身もわかっていないのか?
「――申し子たちは潰す方針だと、プレイン様は仰っていたのに」
と、魔獣弾の眼差しが鋭くなった。気にも得体の知れない毒々しい感情が滲む。
それをラウジングも察知したのか、背中が強ばったのが見て取れた。肩にも不必要に力が入っている。青葉が思わず声を掛けようとすると、その気に怨嗟の色が混じり始めた。
「腐れ……魔族、よくわからないが魔族には違いない」
かすれ気味だったラウジングの囁きも、青葉の耳には届いた。抑揚が乏しいのに、とにかく冷たい。肌が粟立つような薄暗さに浸食されそうな心地になる。
強い感情を宿した気の影響力は強い。そのことを青葉は咄嗟に思い出した。普段はそんなことを実感などしないのだが。
「ならば遠慮はいりませんね。全力で潰すのみです!」
再び魔獣弾が動いた。空へと掲げた右の手から、頭上に向けて多数の黒い針が飛び出す。目で捉えられるような数ではない。嫌な予感がした。
「ラウジングさんっ」
警告の声は意味があったのか。瞬く間に空へ上っていった針は、あるところまで達すると放射状に広がりながら落下してくる。誰に狙いを定めるわけでもなく降り注ぐ黒い針。青葉は慌てて結界を張った。
かろうじて生み出された薄い膜が、黒い針を弾いた。それでも範囲が狭かった。頭は守られたが、掲げた腕を数本の針がかすめたらしい。焼け付くような痛みに顔が歪んだ。まるで炎でも浴びたようだ。
針の雨が止んだと思ったのも束の間。今度はごうっと風の唸る声が鼓膜を揺らす。勘でその場に膝をついた青葉の上を、何かが通り過ぎていった。
その正体を確かめる余裕などない。状況が把握できないまま、彼はどうにか結界を身に纏わせた。ばちりと爆ぜるような音がして、視界の端で黒い筋が踊る。
「鞭かっ」
先ほど頭上を通り過ぎたのもそれか。後退しつつ視線を巡らせると、黒い鞭の根本をちょうどレーナが叩き切ったところだった。肉薄しようとするレーナから、魔獣弾は距離をとろうとしている。
梅花はどこにいるのか? 痛みを堪えて視線を彷徨わせると、彼女の姿はすぐに見つかった。先ほどと変わらぬ位置で結界を張っている。
予想外だったのは、その隣に何故かアースがいることだ。二人の後ろには、知らぬ間に合流していたネオンとイレイの姿もある。カイキはその横で片膝をついていた。
「どういうことだよ」
立ち上がりながら青葉は舌打ちする。魔獣弾の攻撃はどうやら無差別のようだ。黒い鞭でラウジングの接近を阻びつつ、また黒い針を無数放つ。
青葉は重だるい腕をどうにか空へ伸ばし、もう一度結界を生み出した。今度は間に合った。振ってくる針を全て透明な膜が弾く。しかし先ほどかすったところがまたじわりと痛んだ。嫌な兆候だ。
ちらりと横を見遣ると、シンも同じ状況らしい。自分の身を守ることで精一杯といった様子だ。このままでは誰もが巻き添えになる。
ラウジングでさえも、魔獣弾には太刀打ちできていないようだ。しかしだからといって、ここでレーナたちの活躍に期待するのは何か間違っているだろう。きっと梅花のことだけは守ってくれると思うが。
「どうしたらいいんだよ」
ぼやきが口の中に広がった。こんなことになるなど聞いていない。想定外だ。そこまで考えたところで、亜空間での出来事がふと脳裏をよぎった。
あの時もそう思った。もしこうなるとわかって送り込んだのだとしたら、上といえども容赦はしたくない。
焦燥感に胸を焼かれていると、視界の端から何者かの姿が消えた。はっとして瞳を瞬かせると、今度は前方から魔獣弾の声が上がる。慌てて青葉は視線を転じた。
レーナが、瞬時に魔獣弾の前へ移動していた。慌てて後退ろうとする魔獣弾に向かって、彼女は右手を振るう。その動きに合わせて白い煌めきが軌跡を残した。空へ放たれようとしていた黒い針は、彼女の白い刃によって斬り捨てられる。
「小娘がっ!」
踏み込もうとするレーナから、どうにか飛び退ろうとする魔獣弾。振り下ろされた刃の切っ先が、魔獣弾の上衣を裂いた。届くはずの距離ではなかった。魔獣弾もそう読んだようだ。しかしそれでも不定の刃は魔獣弾を捉える。
――刃が伸びたせいだ。
魔獣弾の乾いた叫声が森の空気を揺らす。これは彼女の得意技なのだろう。青葉はそう考える。突然間合いも何もかもが変化するような剣で戦うのは、仕掛ける側も苦労するはずだが。彼女の場合はそれも苦にならないらしい。
舌打ちした魔獣弾の左手が動く。その指先から小さな黒い球が複数、同時に放たれた。さらに接近しようとしているレーナを引き離すためか?
しかし彼女は何の躊躇いもなくそのまま突き進んだ。目の前に迫った一部は白い刃で叩き落とし、残りの一部がかすめるのもかまわず強く地を蹴る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます