第11話

「まったく、あいつは」

 そう吐き捨ててから、アースは地を蹴った。「あっ」というようの声が、気まずげに響く。

 アースはそれ以上は何も言わずに、青葉たちのすぐ横を擦り抜けていった。その背中を尻目に青葉は嘆息する。腹立たしいのに何だか同情したくなるのは容姿のせいなのか、はたまた心境が推測できる故か。

「……行っちゃったね」

 呟いたようは青葉の顔をうかがってきた。全てがどうでもよくなりつつある青葉は、頷きながら梅花たちの方へ視線を向ける。

 梅花は去っていったアースと、立ち尽くしている女性を交互に見ていた。まだ何か気がかりなことでもあるのか。

「アースはいなくなりましたけど。カルマラさん、どうしますか?」

 梅花はおずおずといった調子で口を開いた。話しかけた相手は例の女性だ。カルマラと言えば、梅花が口にしていた上の者の名と同じだった。しかめ面をしていた女性――カルマラは、唇を尖らせながら首を捻る。

「どうしよう。本当にどうしようね? まさかこんなに変な空間になってるとは思わなかったわ」

「報告に戻った方がいいんじゃないですか? 調査しているうちに迷子にでもなっちゃいますよ、ここは」

「うーん、報告はもちろん必要なんだけど。どこがどう歪んでるかって説明できなきゃ私が来た意味がないじゃない? でもさすがに複雑過ぎるのよねー」

「じゃあその通りに報告すればいいじゃないですか。カルマラさんでも把握できない程の歪みだって」

 困り顔のカルマラに、梅花は次々と助言していく。会話の調子からすると、どうもそれなりに交流のある相手らしい。

 カルマラの方が年上のように見受けられるが、口にしている内容は子どもっぽい。剥き出しになっているすらりとした手で頭を抱え、カルマラは呻いた。

「それじゃあまた怒られるぅ。ラウに怒鳴られるしアルティード様に呆れられちゃう」

「……わかりました。じゃあ計測器一式を持ってきますから、カルマラさんはここで待機していてください。正直、あんな物がどの程度役に立つかわかりませんけどね」

 いやいやと体を揺らすカルマラを見て、梅花は諦めたように首を振った。仕方がないと言わんばかりだ。

 カルマラの顔がぱっと輝いたのは、青葉の目にも明らかだった。なんとわかりやすい。上の者というとラウジングのような無愛想な人間という印象だったのだが、あっさり覆されてしまった。

 梅花が以前ラウジングを「至って普通」と評していた意味が、何となくわかる気がする。

「ありがとー! さっすが梅花、話わかるわぁ」

「その代わり、ここで、おとなしく、余計なことをしないで、待っていてくださいね。……青葉とよう、カルマラさんを見張っててくれる?」

 一言一言念を押した梅花は、微苦笑を浮かべて青葉たちの方を振り返った。待っているだけならば何が問題なのかわからないが、ようは訳知り顔で頷いている。青葉が辿り着く前に何かあったらしい。

「見張ってるだなんて、ひどーい。その扱いはさすがに失礼じゃない?」

「そんなこと言っていいんですか? 先ほどの件を詳細にラウジングさんに報告しちゃいますよ?」

「え、それは駄目! わかった、暇だけどおとなしく待ってるから計測器持ってきてください。お願いしますっ」

 ピッと背筋を伸ばしたカルマラは真顔になった。気が抜けるやりとりだ。梅花は大きく息を吐き、とぼとぼと歩き出す。疲れた顔で近づいてきた彼女に、青葉は小走りで寄った。

「おいおい梅花、本当にいいのか?」

「たぶんここではレーナたちは襲って来ないわ。だから待機していて。空から気を探るから、青葉たちが固まっていてくれた方がわかりやすいの。……カルマラさんの相手は大変だろうけど、お願いね。すぐに戻ってくるから」

 小声でそう告げた梅花は、かろうじて微笑みとわかる程度に頬を緩めた。あくまでも案じているのはリシヤの森や青葉たちのことらしい。彼としては彼女自身の方が心配なのだが。

「梅花、無理するなよ」

「後でややこしいことになると、その方が疲れるもの。じゃあお願いね」

 伸ばした青葉の手は、小さな手のひらに押し戻された。梅花はもう一度カルマラの様子を確認してから、全身に風を纏わせる。

 ふわりと浮き上がった彼女の体が空へ消えていくのを、彼は黙って見送った。こういう時は止めても無駄だとわかっている。彼は首を鳴らしながらカルマラの方を横目で見遣った。

「よろしくー」

 舌を出して笑ったカルマラに、返す言葉は見つからなかった。上というのが一体何なのか、ますます理解できなくなった。




 計測器の保管場所は宮殿内でも機密事項となっていたが、かまわず梅花はそれを持ち出した。

 実際、場所を知っている者であれば使用は自由とされていた。何故なら、知っているのは本来は上の者に限られていたからだ。普段『下』にいる者が利用することはほとんどない。――以前までは、確かにそうだった。

「まあ、本当に上の人しか使わないなら宮殿に置いておく必要はないんだけどね」

 見た目よりも重い黒い箱には、亜空間が使用されている。この手の道具に関して、皆が思っているより上の技術力は高い。特別車を始めとして、宮殿では様々な場所で利用されていた。

 ただし、どういった手法を用いて作成しているのかは明らかとされていない。ここでも秘密主義だ。

「念のため、か……」

 箱を手にした梅花は、再びリシヤの森へ向かうべく廊下を急ぐいだ。この辺り――第五南棟に用のある人間は少ないので、人通りは疎らだ。誰かにぶつかるのを気にする必要もないので、いっそう足早になる。

 遅れるとまたカルマラが何をしでかすかわかったものではなかった。

 帰ってきたばかりの彼女の高揚感を舐めてはいけない。様々な騒動を引き起こすある種の有名人だが、そのほとんどは戻って来たばかりの頃だ。こんなに生きにくい場所でも、彼女にとっては懐かしい故郷らしい。

 そんなことを考えて気が急いていたためだろう。普段なら呼び止められる前に気がつく気配に、今日ばかりは意識が向いていなかった。

「梅花ちゃん!」

 背中に降りかかる呼び声は、耳馴染んだものだった。はっとした梅花は足を止め、箱を抱え直して振り返る。

「ミケルダさん?」

 廊下の奥で手を振っていたのはミケルダだ。癖のある狐色の髪に垂れ目が特徴的な、陽気で気安い青年。宮殿で一番よく見かける上の者。何と返答しようか梅花が迷っていると、彼はリズミカルな足取りで近づいてきた。

「梅花ちゃんまたこっちに来てたんだ。最近多いんじゃないー? ってそれ計測器でしょ。何かあったの?」

 のほほんとした口調で尋ねてきたミケルダは、周囲へ一瞥をくれてから首を傾げる。疎らだった人の流れは、いつの間にか皆無になっている。彼がいるからに違いない。

 上の者が通りかかる道を、普通の人間は避けたがる。失礼があってはならないから、邪魔をしてはいけないから、というのが表向きの理由だが、厄介ごとに巻き込まれたくないというのが本音だろう。

 彼に近づいていく者がいるとしたら、技使いの子どもくらいだ。

 もっとも、人気がなくなることは梅花にとっても好都合だった。遠巻きに眺められると居心地が悪いので、はっきり避けてくれる方が楽だ。発言に関してもそこまで気を遣わなくてすむ。

「ちょっと。……カルマラさんを助けるためにお借りしようと思いまして」

 向き直った梅花は正直に告げた。ミケルダはカルマラのこともよく知っているので、こう告げるだけで事情を察してくれるだろう。案の定、瞳を瞬かせた彼は思案顔になり「あー」と声を漏らした。

「もうすぐカールが戻ってくるとは聞いてたんだけど、本当に帰ってきてたんだ。でもって、早々に梅花ちゃんたちとお仕事? そりゃあ梅花ちゃんは大変だ。はしゃいでたでしょう?」

「ええ、まあ」

「お疲れ様。だから梅花ちゃん、顔色悪いの?」

 ミケルダは困ったように笑い、癖のある柔らかい髪をわしゃわしゃと掻いた。体調が思わしくない理由は他にもあるのだが、あえてそこには触れず梅花は曖昧に頷く。

 やや目を伏せると、彼のもう一方の手に書類の束があることに気がついた。珍しい。事務的な業務は苦手としているので、いつもなら宮殿内の技使い育成を専門とし、雑務は他人に押しつけていたはずだ。

「ところで。カルマラさんが呼び戻されてるってことは、ミケルダさんには別の仕事が行ってるんですよね?」

 そう結論づけた梅花は頭を傾けた。普段は宮殿内でのんびり仕事をしているミケルダだが、外でのちょっとした異変にも対応している。一般的な技使いでは太刀打ちできない案件等がその対象だ。

 リシヤでの騒ぎにも、今までならミケルダが出向いていた。

 ラウジングという見知らぬ上の者が出てきたのは無世界が関わっているからだと思っていたのだが、どうもそれだけではないらしい。既にミケルダには別の仕事が回されていたと考えるべきだろう。

「いやぁ、梅花ちゃんはさすが鋭いね。残念ながら内容は口外できないんだけど、これでも忙しくてさ」

「それは話しかけてくる頻度で推測できますよ。色々動きがあるってことがわかれば今は十分です」

 頭を掻くミケルダに、梅花は首をすくめてそう言ってみせた。宮殿で彼を見かける頻度が増えることは、平和の証だ。逆に彼の姿が見えない時は、何かが起こっている証拠だった。彼女にとってはよくない兆し。

「梅花ちゃんは相変わらず冷静だねぇ。普通は教えてくれってせがまれるところだよ」

「また私にうっかり漏らしたら、後でミケルダさんが叱られることになりますから」

「あはは、あの時みたいに? でも梅花ちゃんは口が堅いから」

「喋りはしませんが。でもミケルダさんからの情報は判断基準の一つになってしまいます。私の動きを見たら、誰かは何かに気がついてしまいますよ」

 へらへら笑うミケルダに、梅花はそう忠告した。幼少時から世話になっているこの青年は、妙なところで詰めが甘い。

 いや、わざとそうしていると言うべきか。気に入らない命令に対しては目に見えない程度に反抗しつつ、迂闊な青年を装って飄々としている節がある。

「大丈夫大丈夫。梅花ちゃんが聡いことはみんなわかってるから」

「いつまでそれで通すつもりですか……。私は知りませんよ」

 相変わらずのミケルダに呆れながらも、梅花ははっとした。こんなところで長居している場合ではない。少しでも遅れたら、あのカルマラがいつ痺れを切らすかわかったものではなかった。

 そんなことになれば青葉たちに迷惑が掛かる。そうでなくともカルマラの相手をするのは疲れるだろうに。

「それでは、カルマラさんを待たせると何が起こるかわかりませんので、私はこれで」

「――梅花ちゃん」

 すぐさま軽く一礼をして、梅花は踵を返そうとした。しかし、一歩目を踏み出す直前で呼び止められた。先ほどまでのお気楽な声音とは違う、何か含みを持った言い様だ。足を止めた彼女は肩越しに振り返る。

「何ですか?」

「どうも、ケイル様が動こうとしているっぽい」

「……さっきの私の話、聞いてました?」

「聞いてたけど言う。あっちが動くとオレらのところに情報回ってこないし、気をつけて」

 困惑しながらも、梅花は首を縦に振った。ここまで神妙なミケルダの顔というのは、久しぶりに見たような気がする。

 気をつけてとだけ言われても気をつけようがないのだが、違和感には細心の注意を払うべきだろう。もう一度頭を下げた彼女は、今度こそ廊下を歩き出した。白い空間に靴音が響く。

 やはり上もごたついているらしい。何かとんでもない事態が生じないことを祈りながら、彼女は箱をちらりと見下ろした。この小さな黒い固まりが、いっそうずしりと手にのしかかってくるように感じられる。

 これを持ってリシヤに行き、空間の歪みの要所を探り出し、装置を設置し、上に報告。判断を待ってまた走り回ることになるだろうか。これからの動きを考えると、足取りまで重くなりそうだった。

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