第12話

 夕飯の片付けが終わると、手持ち無沙汰になることが多い。賑やかな仲間たちがいなくなるとなおさらだ。

 何気なくつけたテレビでは、先ほどから物騒なニュースが続いていた。真面目に見るのも疲れてきたシンは、何とはなしに視線を右斜め前へやる。

 ほぼ同時に、座卓で頬杖をついていたリンが嘆息した。彼女はココアの入ったマグカップを見下ろし、憂鬱そうな顔をしている。

「何だよ、そのため息」

「んー? サツバの説得、どれくらい時間が掛かるかなぁと思って」

 マグカップを両手で包み込み、リンは肩をすぼめた。気にしていたのは先ほど部屋を飛び出していったサツバのことのようだ。ひどい剣幕だったので心境はわからないでもない。苦笑したシンは、座卓の上を指で叩いた。

「説得もなにも、連れて行くしかないだろ。明後日には出発だぞ」

「納得してないのに連れて行ったら、不満たらたらになるじゃない。それが嫌なのよ」

 不機嫌なサツバの相手を誰がするのかと、リンの眼差しは訴えている。十中八九その役目は彼女になるだろう。

 ローラインはサツバの様子など意に介さないし、北斗は困り顔でたじろぐばかりだ。有無を言わさずサツバを巻き込めるのは彼女しかいない。

「神技隊の自覚が足りないってのも困るな」

「そうなのよねぇ。でもまあ、ここまで来ると神技隊としての範疇は超えている気がするから、不満に思うのもわかるんだけど」

 リンはもう一度ため息を吐いた。ここでサツバの肩を持つとは意外だ。シンが「へぇ?」と首を捻ると、彼女は冷めかけているだろうココアを口に含んでぼんやりテレビを眺める。

 くだらないニュースと陰惨な事件の報道が入り交じっている、いつも適当に聞き流している番組だ。彼もちらとそちらを見遣った。どうやら過労死についての特集が始まったようだ。

「何の保証もなく、何のためなのかも知らずに、よくわからない仕事を押しつけられるのは迷惑よね」

 ぽつりと呟かれた言葉が、部屋の中に染み入る。返答に逡巡し、シンは口をつぐんだ。

 今の彼らの現状はまさにそれだ。当初は勝手に狙われるから否応なく対処しなければならないといった状態だったが、徐々に事情は変わってきている。

 何故彼らが神魔世界に行かなければならないのか。無理やり選んで派遣しておいて、勝手な都合で呼び戻すとはどういうことなのか。

 技使いが必要なら、神魔世界には余るほどいる。上の命令であれば、宮殿の要請であれば、断る者はまずいないだろう。それなのにどうして神技隊なのか。

「せめて説明してくれたらな」

 神技隊とはそういうものだと言われたらおしまいだが。ならば神技隊とは本来は何のために存在するのか。違法者を捕まえる意図を含め、最近は疑問ばかりが浮かんでくる。納得できないことだらけだ。

 それを考えると、サツバの反応は間違っていないのかもしれない。仲間としては迷惑この上ないが。

「そう、事情がわかれば気持ちの持っていきどころもあるんだけどねー」

 リンは相槌を打つ。しかし残念なことに上からの詳しい説明はなく、何度も失望させられてばかりだった。

 今回の件を伝えに来た梅花も「詳しい状況はよくわかりません」と話していた。おおよその出来事なら知っているのかもしれないが、無世界で話せることではないのか。

「梅花、お前には何か話してなかったのか?」

「さっきの話? 何か言いにくそうにしてたわよ。上が直接絡んできてるから、とか口にしてたわね。上が絡んでると神技隊じゃなきゃ駄目なのかしら?」

 テレビから視線を外したリンは、不思議そうに瞳を瞬かせる。上と聞くと、あの無愛想なラウジングの横顔がシンの脳裏に浮かんだ。亜空間では大変な目に遭った。リンの怪我のことを思い出すと、いまだに腑の底が重くなる。

「私たちは宮殿に出入りしたことがあるから? だからいいの? でも、それなら宮殿の技使いに任せたらいい話よね」

 考えを纏めるためか、リンはぶつぶつ呟いている。上の者はできる限り「一般人」との接触を避けている、というのは朧気ながら感じているところだ。

 神技隊が別枠扱いになっているのは理解できるが、しかしそれが理由なら宮殿に住んでいる技使いの方が適任だろう。わざわざゲートを開く必要もない。

「やっぱり、そもそもオレたちはただ違法者取り締まりのためだけに選ばれたわけじゃないってことか」

 結局、そう結論づけざるを得ない。つまり体よく動かせる手駒として選んだのか? そう考えると口の中に苦い物が広がった。

 神技隊に選ばれた時、皆がどんな思いでそれを受け入れたのか。故郷を離れ見知らぬ世界に赴く決意を固めるのに、どれだけの時間を要したか。準備のためにどれほど苦労したか。上は全く考えていないのか……。

「何かあった時のための要員ってこと? うーん、でもねー、そうなると説明がつかないことがあるのよねぇ」

 鬱屈した気分に押し潰されそうになっていると、リンが何か言いたげに小さく唸った。片眉を跳ね上げてシンは首を傾げる。何か引っかかることがあるのか。

「まあ、非常事態には利用しようと思っていたってのは理解できたとしても。レーナたちのことが説明できないのよ。彼女は何故だか神技隊を狙っていて。かと思えば『オリジナル』とか言ってる梅花たちのことを守ってて。……結局は、執着してるのが神技隊って存在なのよね。ただの非常事態用の要員に対してって考えると変でしょう? しかもどうして梅花たちとそっくりなのかってことも謎のままよ」

「それは、そうだな」

 確かに、その点は気に掛かる。神技隊とそっくりの五人組が現れるなんていう異変が偶然発生していいものなのか?

 ではレーナたちの存在を予期して神技隊を選んでいた? いや、それも変だ。「オリジナル」だとわかって青葉たちを選んだのだとしたら、上の戸惑い方は説明できない。

 大体、神技隊の選抜を行っていたのは多世界戦局専門部だ。梅花もレーナたちについては全く知らない様子だった。

「そうなると……」

 困惑しているのは神技隊だけではないのか。そう考えると少しずつ見えてくるものがあった。自分たち側からばかり考えているから疑いたくなるのであって、そうではないとしたら。

「上も不安なのか」

 何もわかっていないのは上も同じだとしたら。何故だか狙われている神技隊、レーナたちのオリジナルであるシークレットを、このまま無世界に置いておきたいと思うか。

「つまり、上は目の届く範囲に私たちを呼び戻したくなったってこと?」

 リンは座卓に置いたマグカップの縁を、指先でそっとなぞる。頷いたシンは首の後ろを掻いた。

「ああ。梅花の話でも、上は慎重になってるみたいだっただろう? そうなると、このままオレたちを無世界に放置しておくのは不安なんじゃないのか」

「えー、何だかそれって心配性の家族みたいね」

 何故だかリンはげんなりとした顔でまた頬杖をついた。手駒にされるよりは心配された方がまだましなように思うが、彼女は違うのか。シンは微苦笑を浮かべ、うるさく騒ぎ出したテレビを消した。会話の邪魔になるだけだ。

「上が心配してるのは梅花だけ、もしくはシークレットだけじゃあないの?」

「それならオレたちまで呼び戻す必要はないだろう? シークレットと、宮殿の技使いにでも任せたらいい」

 こうやって話をしていると、思考が整理されていく。シークレットが特別扱いされるのはわかるが、それだけではなさそうな印象だ。上も何をどうすればいいのか計りかねているのか?

「んーやっぱり結論は出ないわね。ま、神魔世界で何をやらされるのかもわからないんだしね」

 考えるのを諦めたらしく、リンはずずっとココアをすすった。シンもこれ以上詮無いことに頭を悩ませるのは止め、壁にある時計を見上げる。そして重要なことに気がついた。

「ところで――」

「ん?」

「サツバだけじゃなく、北斗も戻ってこないな」

「あ、そうね」

 激昂して飛び出していったサツバを、慌てて北斗が追いかけていったのだが。あれからしばらく経っているのに、音沙汰がない。

 気を隠しているから捜しにくいというのはわかるが、それにしても遅かった。見つからないなら見つからないで戻ってくるはずだ。サツバも小さな子どもではないのだし。

「もしかしてもしかすると、北斗が説得してくれてるのかも?」

「期待して違ったら、辛いのはリンだぞ」

「わかってるわよ」

 一瞬瞳を輝かせた後、リンは子どもっぽく唇を尖らせた。たまに彼女はこんな表情をする。普段年齢以上に大人びてしっかりしているだけに、その差が妙に目についた。

 こうして話をしていると忘れそうになるが、彼女はシンより五つも年下なのだ。あのサツバよりも年少者だ。……信じがたいことに。

「ま、サツバが戻ってこないことには話が進まないんだし。こっちはこっちの準備をしましょうか」

 気合いを入れるようにパンと手を叩いて、リンはおもむろに立ち上がった。揺れたスカートの裾が、座卓を撫でる。シンは顔をしかめつつ彼女を見上げた。

「準備?」

「そう、出発準備。まさかシン、神魔世界に連れて行かれてすぐに戻ってこられると思ってる?」

 不思議そうに聞き返したところ、耳障りの悪い言葉が降りかかってきた。

 深くは考えていなかったが、そう問われると胸の奥にざわりとした感触が広がっていく。言うならば嫌な予感とでも称すべき感覚だろうか。ざらざらとした冷たい何かが背中を這い上がってくる気配。

「あの上のすることよ? 覚悟しとかなきゃ」

 諦めたように苦笑したリンに、かける言葉はなかった。




 ひたすら真っ直ぐ伸びる白い廊下は、あらゆる感覚を麻痺させる。途方もない時間を歩いている気分になり、ラウジングは辟易していた。気が急いている時はなおのことだ。

 それでも進み続けていれば目的地には辿り着く。目指していた気の持ち主がようやく視界に入るところまで来て、彼は駆け出した。細長い通路に、乾いた靴音が反響する。

「カール!」

 呼びかけた声は、意識したものよりも硬かった。そのせいだろう、振り返ったカルマラは、大きな物音に反応した小動物のように首をすくめる。若干の怯えを含んだ双眸がラウジングへ向けられた。

「あ、あー。ラ、ラウ」

 このカルマラの強ばった笑みは見慣れたものだ。一方ラウジングの表情も、彼女の瞳には馴染んだものとして映っているだろう。ある程度近づいたところで彼は速度を落とした。

「あれ? ラウジングじゃん」

 予想外な声は、カルマラの左手から放たれた。柱の影からひょこっと顔を出したのは、よく見知った青年――ミケルダだ。垂れた目を人懐っこく細めて、ひらひらと手を振っている。

 ラウジングは顔をしかめながら二人の前で立ち止まった。ミケルダの気が感じられなかったのは隠していたからか。

「ミケルダもいたのか」

「きゃー偶然ね、三人揃うのは久しぶり?」

「偶然じゃない、お前を捜してたんだ」

 引き攣った笑顔で普段よりも高い声を出したカルマラに、ラウジングはすげなくそう言い切る。何故捜していたのかというのは、説明する必要もないだろう。体を硬直させているところを見ると自覚はあるようだ。

 ついで彼女は大袈裟に右手を振りつつ、短い髪を弄り始めた。

「や、やーねー、さっき会ったばかりじゃない」

「そうだな、その時に散々忠告したはずだったんだがな」

「えー? な、何の話ー?」

「まあまあラウジング、その辺で。その話はオレが今まで散々してたからさー」

 思い切り視線を逸らすカルマラを庇ったのは、ミケルダだった。柱に寄りかかって両手を振った彼も、どうやら同じ理由でここにいたらしい。

 取り越し苦労だったかと、ラウジングは息を吐いた。ミケルダがしっかり「説教」してくれたのなら、慌てて駆けつけてくる必要もなかった。

「そ、そうそう。今、思いっきり、叱られてたところだから」

「そこで胸を張るな。まったく、お前って奴は」

 何故か腰に手を当てて自信たっぷりな笑みを浮かべたカルマラに、ラウジングはにべもなく言い捨てる。

 あれだけリシヤの森では技を使うなと言い含めておいたのに、全く効果がなかったとは。あまりの嘆かわしさに頭痛を覚えそうだった。一緒にいた人間たちの困惑顔が目に浮かぶようだ。

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