第2話

 おびき寄せるというのはどこにだろう? 青葉が眉間に皺を寄せていると、はっとした梅花は一度辺りを見回した。何を確認したのかはわからないが、ついで恐る恐るといった様子で疑問を口にする。

「それは、まさか亜空間に?」

「ああ、そうだ。適した亜空間について聞いたことがある。この無世界からも繋がっていたはずだ。お前たちがこぞってその亜空間へと飛び込めば、相手は気づくだろう」

 つまり神技隊を囮にして亜空間に誘い出そうということか。確かに、相手のペースに巻き込まれているよりはましだ。いつ襲われるかわからないから困るのであって、来るとわかっていれば対処法もある。何より対応する人数が違う。

「そんな空間があったんですか」

 梅花は若干呆れ混じりの声を漏らした。囮にされることよりも、そちらの方が彼女には重要らしい。やや視線を下げたラウジングは苦笑した。フードからはみ出した深緑の髪が、かすかに震える。

「いつか調べなければと思っていたところだ。ちょうどいい。早速、戻って許可を取らなければな」

 その案を採用することが、ラウジングの中では決まっているようだった。青葉たちが口を挟む余地もない。

 上の提案は絶対ということなのか? 拒絶されることなど考えていない様子に、暗雲とした感情が湧き起こる。上の者というのは皆こうなのだろうか。

「わかりました。それでは許可が出るまでは待機ということですね。他の神技隊にも通達しておきます。いつになりそうか目処は?」

「明後日を予定している。今日中には決定の連絡を伝えよう」

 青葉が押し黙っている間に、どんどん話は進んでいった。こういった流れにも梅花は慣れているのだろう。戸惑う素振りもない。

 明後日にはその怪しい亜空間に出向くとなると、ずいぶんと急な話になる。とはいえ、襲われている頻度を考えれば早いに超したことはなかった。また明日にでも奇襲されかねない。

「それでは連絡をお待ちしてます」

 頷いた梅花は、ちらりと青葉の方へ双眸を向けてきた。感情が読み取りにくい眼差しだが、何となく注意されているような気になる。

 不満が顔か気にでも出ていたのか? それでも青葉は素知らぬ振りをして「よろしくお願いします」とだけ返した。ラウジングはその返事を待つや否や、踵を返す。一刻でも惜しいと言わんばかりだった。遠ざかっていくフード姿を青葉はじっと見送る。

「行っちゃったな」

 灰色の背中が見えなくなったところで、青葉は呟いた。会話が途絶えたせいで、木々のさざめきが大きくなったように感じられる。

 長居にならなかったことは幸いだった。これでゆっくり梅花を休ませることができる。青葉は仲間たちのもとへ戻ることを促そうとし、だが思いとどまって梅花の方を振り向いた。

「上ってみんなあんな感じなのか?」

 素朴な疑問だった。淡々としているようでいて傲慢さが垣間見える態度は、正直心地よくはない。何気ない言葉の端々が引っかかる。

 しかし梅花には何を言いたいのか伝わらなかったようで、不思議そうに小首を傾げられた。

「あんな感じってどんな感じよ。私がまともに言葉を交わしたことがある上の方っていうのも数人くらいのものだけど。はっきり言って個性豊かよ。ラウジングさんは驚くほど普通ね」

 梅花の目にはラウジングはそう映っていたのか。あれを普通と称したくなるほど、他の者は変わっていると?

 青葉は空を睨み上げた。宮殿で見かける者たちの大半は苛立ちと生真面目さと一種の諦めを共存させてていることが多かった。しかし個性的とは言えない。青葉が見かけた中には『上の者』はいなかったのか?

「あれが普通なのか……」

「態度について言いたいのだったら、それもそうよ。上と、上に関わる人たちの意識なんてあんなものよ。神技隊やってたらわかるでしょうけど」

 わずかに微苦笑を浮かべた梅花は、ゆっくり歩き出した。「上の命令は絶対だから」と囁いた声が、柔らかな風に乗って運ばれていく。

 彼女がそう思っていないのは明らかだった。彼女がその「絶対」を無視してきたところを、青葉は何度も見ている。

「おい、梅花」

「帰りましょう。アサキたちがきっと心配してるわ」

 風になびく黒髪へと、青葉は手を伸ばした。指先は空を掴むだけ。隠されたままの彼女の気は何も告げてこない。

 桜色のワンピースに包まれた華奢な背中を、慌てて彼は追いかけた。今になってはたと気づく。普通の人間を装うだけの余力がないから、気を全て隠しているのではないかと。

「梅花、帰ったら休めよ」

「そうはいかないわよ。他の神技隊にこの件のことを知らせておかないと」

「それはオレたちがやるからお前は休め。大体、ラウジングさんから連絡が来てからの方がいいだろう? 二度手間になるし」

 か細い梅花の肩を、青葉は軽く叩いた。彼女は決して疲れたなどとは言わないし、休みたいとも希望しないだろう。無理をすることは彼女にとっては当たり前のようだった。いや、宮殿ではと言うべきか。あそこは彼の常識が通じない世界だ。

「……それもそうね。中途半端な情報を伝えてやきもきさせるのも悪いし」

 幸いにも、梅花はそう納得してくれた。安堵した青葉は肩から手を離すと、おもむろに彼女の隣に並ぶ。

 宮殿で待機させられただけなら、これだけ疲れるわけもないだろう。何かあったのか?

 しかし尋ねても答えてくれないだろうという確信が、彼の内にはあった。何でも打ち明けてくれるような距離までは近づけていない。秘密の多い宮殿内部の話はなおさらだ。

 ままならぬことばかりで、ため息を吐きたい気分だった。それでも感情が気に表れないように、努力することだけは怠らなかった。




 神技隊らは五月六日の明け方、シークレットのいる公園に集まることとなった。

 すぐに亜空間へと移動するのだから、特別な場所を用意しなくても問題はないだろうという判断だ。短時間であればさすがに狙われることはないだろう。ただし人目につく時間は避けたかったため、早朝の集合となった。

 その日は朝から暖かかった。熟睡できるような気分ではなかったため、青葉は予定の時刻より早く目覚めていた。まだ眠そうにしているアサキたちを横目に、素早く身支度をする。

 特別車には亜空間が利用されていて、中には寝床もある。小部屋のようなものだ。決して広くはないし『外』の気が感じられないので落ち着かないが、居住地に悩まずにすむのはありがたかった。

 シークレットは上からの命によって遠方へ出向く可能性もあるため、この車が与えられたと聞く。他の神技隊にはそういった措置はないらしい。

 着替えて特別車を出ると、既に梅花は目覚めていた。見覚えのあるワンピース――たぶん藤色だった――の裾を翻して、椅子の点検をしている。

 車の前方に引っかけてある明かりが頼りの状況だが、空の向こうではうっすら朝日の匂いが滲んでいた。背中で緩く束ねられた髪が揺れる様を、青葉は何とはなしに眺める。

「起きたの?」

 やおら振り返った梅花の顔からは、緊張感は読み取れなかった。青葉はゆっくり扉を閉めると、彼女へと近づく。

 どうしてこんな日に椅子の手入れなどしているのだろう。疑問に思いながらも、青葉は首の後ろを掻いて辺りを見回す。

「だって、そろそろだろう?」

「アサキたちは?」

「まだ支度中。すぐに出てくるさ」

 だからもう仕事は終わりにしろと暗に告げて、青葉は瞳をすがめた。他の人間であれば気持ちを落ち着かせるための行為かと勘違いするところだが、きっと梅花は単に手持ちぶさただっただけだ。

 彼女はいつも早起きだった。そして時間をもてあましているからと、異常な気を探ったり帳簿をつけたりしている。人より仕事をすることに対しては、躊躇いも違和感もないらしい。

「そう」

 椅子の背に手を乗せて、梅花は視線を逸らす。理由は青葉にもすぐにわかった。かすかに、遠くから靴音が響いたような気がした。気は感じられない。

 しかし神技隊なら隠しているだろうから、そうであってもおかしくはない。待ち合わせには少し早いが、念のためにと早く来る隊もあるだろう。

「早くも来たみたいね」

 青葉は頷くと、梅花の手から半ば無理やり椅子を奪い取った。そして抗議の声を聞く前に、それを特別車の方へと運ぶ。

 車の中には、居住区とは別に物置となっている亜空間があった。ただ適当に置いてしまうと後で探すのが大変なので、既に片付けられていたテーブルと一緒に紐で縛っておく。

 そんな作業している間に、徐々に足音は大きくなった。複数人の靴が奏でる旋律が、朝焼け前の空に響く。

「おはようございます」

 青葉が振り返ると同時に、穏やかな声が鼓膜を揺らした。梅花の前に立っているのは五人の若者だった。その先頭にいるのは金髪の青年だ。明かりに照らされた瑠璃色の瞳がちらりと青葉へも向けられる。

 彼がリーダーだろうか? ストロングやスピリットではないことは明らかなので、フライングかピークスかだろう。

「おはよう。ピークスのよつきね、初めまして。梅花です」

 青年たちが自己紹介する前に、梅花が彼らの正体を教えてくれた。ほんの少し眼を見開いた後、青年――よつきは微苦笑を浮かべる。

「初めましてなのによく知ってますね。はい、第十九隊ピークスのリーダー、よつきです」

 よつきの言葉はもっともだ。梅花はピークスの選抜には関わっていないはずだが、何故知っているのだろう? 青葉が首を捻っていると、梅花はわずかに頭を傾ける。

「私が多世界戦局専門長官の補佐をしていたことは聞いているんでしょう? 候補に何度も上がった人は覚えているわ」

 何てことないと言いたげな梅花に対し、よつきは感嘆の声を漏らした。さすがの記憶力だ。

 神技隊候補として各長が提供してくる技使い一覧には、かなりの数の人間が載っているらしい。そのうち最終候補まで行くのは一部だとしても、それなりの人数はいるはずだ。技の系統ごとに絞られた分でも、十数人にはなると以前青葉は聞いた。

 覚えているだけでも驚きだが、咄嗟にすぐ口に出せるところがますます人間離れしている。

「さすがですね。では紹介の必要はないかと思いますが――」

 よつきは苦笑しながら後方を振り返った。彼の後ろでは、四人の若者が思い思いの顔をしてたたずんでいた。

「右からコブシ、たく、ジュリ、コスミです。今日はよろしくお願いします」

 紹介された順に、各々は簡単に挨拶をしていった。青葉は彼らの方へと近づいて、軽く一礼をする。女性が二人の場合もあるのだなと、そんなどうでもいいところに意識が向いた。

 青葉たちシークレットもそうだが、先輩であるスピリットやストロングも女性は一人だった。最低一人は入れなければいけないと、以前梅花は話していたような気がする。

 だが今そんなことを口にするわけにもいかない。青葉は笑顔を作ると、ピークスの面々を順繰り見た。

「オレはシークレットの青葉だ。よろしく頼む」

「はい、お顔と名前は存じてます」

 よつきから微妙な返答をされ、青葉は一瞬だけ息を止めた。何を言っているのかわからず眉根が寄りそうになったが、すぐにその意味を理解する。

 おそらく、青葉そっくりのあの『偽物』と遭遇したことがあるに違いない。

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