第15話
「……梅花、戻ってこないね」
不安から寂しがる子どもの声で、ようが呟く。四人は誰からともなく空を見上げた。茜色に染まり始めた雲の流れが、やけにゆっくりと目に映る。青葉はため息を吐いた。
「ああ、もめてるんだろうな」
「まさかレーナたちのことで、梅花も疑われてるんじゃあ?」
「あり得るな。いや、それだけじゃあないかもしれないが。上だったら疑いながらも利用しようとするだろう」
顔をしかめたサイゾウに向かって、青葉は相槌を打った。
この一年ほどで、彼らの上への認識は変わった。以前から謎多き場所だとは思っていたが、それでもつつがなく日常を送る上ではなくてはならない存在だった。よくわからないが、全てを担ってくれている機関という認識だ。
何か問題が生じた時も、長に伝えたらそこから上へと話が持っていかれる。そしてとりあえずの解決方法が提示される。中で何が行われているかはわからないが、何かあった時は助けてくれる。
気にはなるが知らなくてもかまわないか、といった程度の認識だった。上には逆らえないと、皆は言う。しかし無茶な命令をされることもないため、さほど問題意識がなかった。希望が通らなかったり何かが制限されたりとたまに不満に思うことはあるが、大抵は代替の策が講じられる。
ただし、神技隊という存在だけは違った。自分の身に降りかかるまでは遠い世界での出来事だったが、ヤマトの若長が招集されてからは話が変わった。
何に役立っているかわからない存在に、実力のある技使いまで選ばれてしまう。疑念が生じざるを得なかった。しかも梅花から内情を度々小耳に挟むようになってからは、ますます不可解だと思うようになった。
「梅花、大丈夫かな?」
ようの視線を感じて、青葉はかろうじて微笑を浮かべた。首を縦に振ることはできない。上にとって梅花はなくてはならない存在らしいが、同時に手を余している部分もあるらしい。
上は常に、彼女が手中にあることを確認しようとする。この一年間でも何度か『尋問』を受けたと聞いたことがあった。上は彼女に無茶な要求を飲ませることで安心し、同時に余計なことをする暇を与えないようにしている。
「便利な道具でいろってか」
小さく青葉はぼやいた。口の中だけで響くような声量に抑えたが、苦々しさは押し殺しきれなかった。
けれども一方では、そんな彼女を派遣するほどに切羽詰まっている状況についても思考が及ぶ。今まではそれが不思議でならなかった。しかし春からの異変を考えると、これを予期していたのだとしたら話は別だ。
「梅花、早く帰ってくるといいね」
願いのこもったようの言葉に、青葉は頷く。サイゾウもアサキも静かに同意を示した。今の彼らにできるのは祈るくらいだ。
しかし彼らの希望が叶うことはなく、その日彼女は帰らなかった。翌日も、翌々日も戻らなかった。
早朝のランニングを終えたシンを待ち受けていたのは、見覚えのある金髪の青年だった。アパートまであともう少しという曲がり角の先に、青年――よつきはたたずんでいた。
すぐに名前を思い出せた自分を内心で褒めつつ、シンは足を止める。ピークスのリーダーがこんな朝早くにどうしたのか?
「シン先輩! 無事に会えてよかったです。この辺りだと聞いてまして」
「本当、早くに見つかってよかったなー」
柔らかく微笑んだよつきの隣には、もう一人男性が立っていた。銀の髪に青い瞳の、童顔な男だ。この周辺ではさぞ目立つ容姿だろうに、屈託のない笑顔が異境者の印象を和らげている。癖のある髪をわしゃわしゃと掻いて、男は口の端を上げた。
「よう、初めましてだな。オレは第十五隊フライングのリーダー、ラフトだ」
男――ラフトはそう言って手を差し出してきた。分厚い手のひらだ。半ば反射的に握手したシンは、周囲に人がいないことを確認して口を開く。
「どうも初めまして。オレは第十七隊スピリットのシンです」
アパートの近くとなると、顔を合わせたことがある近所の人間がいてもおかしくはない。気軽に引っ越す財力はないので、余計な話を耳にされるのはまずかった。
しかし早朝なのが幸いして、辺りに人影はなかった。気も感じられないので挨拶くらいは大丈夫だろう。込み入った話がしたいなら別だが。
「それで、今日は何か?」
「いや、顔合わせのための打ち合わせ? みたいなのをしておきたくてさー」
「朝早くにすみません。わたくし、日中は自由な時間が限られていまして」
へらへらと笑ったラフトについで、よつきは申し訳なさそうに首をすくめる。ピークスはあの立派なお屋敷で住み込みの仕事をしているのだから、それも仕方のないことか。それでどうやって違法者の捕獲をするつもりなのかは疑問だが、今は深く追及しないことにする。
シンはラフトとよつきの顔を順繰りに見て、首を縦に振った。
「それじゃあちょっと場所を変えましょう。立ち話は目につきますし」
二人の返事を待たずにシンは歩き出した。不思議そうな顔をしたラフトの背を叩き、よつきがついてくる。先輩であるはずなのに、一見するとラフトの方がよつきよりも年下に見える。実際のところはどうなのだろう。性格は、よつきの方がしっかりしてそうだ。
もっとも、技使いの外見というのは実に当てにならない。技使いは年を取りにくいというのが一般的な見解だった。正確に言うと、強い技使いはある一定以上には老けて見えない、というものだ。二十代くらいの外見でとどまっていることもあるらしい。
「どこかいい場所があるのか?」
「歩きながら考えます。この時間だと、近所の公園も犬の散歩とかしてる人が多いですし」
ラフトの問いかけに答えながら、シンはどうしたものかと首を捻った。思い当たる場所が見つからない。
これならアパートの部屋に入れた方がよかったのではとも思ったが、すぐに考えを改めた。この時間はまだ仲間たちも仕事に出かけていない。あの狭い部屋に二人も、しかも慌ただしい朝方に招き入れるのは無謀だ。
シンたちスピリットは、仕事をして生活費を稼ぐ者と、違法者取り締まりを主に行う者とで役割分担をしていた。
気の察知に長けたシンとリンが違法者組であり、残りの三人が仕事組だ。色々試してみた結果、こうするのが効率がよいという結論に至った。住んでいる部屋が狭いという問題を除けば、今のところは比較的うまくいっていると思う。
「シン先輩はこちらに来ても訓練を怠っていないんですね」
悩んでいるシンの耳に、穏やかなよつきの声が届いた。肩越しに振り返って、「ああ」とシンは曖昧な笑みを浮かべる。ランニングウォーム姿だったからわかりやすいのか。
そう言うよつきは灰色のジャケットに薄緑のシャツを合わせている。だぼっとしたトレーナーを着たラフトよりも大人に見えるのは、服装のせいもあるかもしれない。よつきは立派な家に住み込んでいるので、身なりにも気を遣っているのだろう。それだけの金銭的余裕もあるに違いない。羨ましい限りだ。
「体を動かさないと鈍るからな」
「そうだよなー。オレも動かさないとなあ」
苦笑するシンに、ラフトがそう続ける。シンにとっては時間があるというのも一つの理由だ。
仕事がないとつい生活が乱れがちになるし、一度崩れると立て直すのも難しい。何か日課でも作っておかないと堕落する一方なのだ。いつ違法者が動き出すかわからないのに、そんな風では困る。
「走るくらいならお金は掛かりませんからね」
やや自嘲気味にシンがそう説明した、次の瞬間だった。突然、視界がぐにゃりと歪んだ。
思わず足を止めると、今度は世界が白んでいく。腑の底を刺激されたようで、酸の味が喉元へと迫り上がってきた。シンは頭を振りつつ一度固く目を瞑る。
何が起きたのか? 疑問に思いつつ目を開いた時、視界に飛び込んできたのは真っ白な世界だった。空も建物も道路もない。距離感を失わせる無慈悲な白だけが続いている。
その中にシンとよつき、ラフトは立っていた。足下には固い感触があるため、地面は存在しているらしい。
「ななな何だー!?」
横でラフトが素っ頓狂な声を上げている。そのおかげでシンは取り乱さずにすんだ。こんなことができるのは技使いだけだ。瞬きを繰り返したシンは、それまでは感じられなかった気が現れたことを察して振り返る。
「青葉……じゃなかったな」
喉からため息混じりの声が漏れた。突如現れた三つの気には覚えがあった。
振り向いた先にいたのは、青葉そっくりの青年と梅花そっくりの少女、そしてネオンだ。先日青葉から聞いた彼らの名が何であったか、シンは思い出そうとする。
「アース……さんとレーナさん、ですかね?」
シンがその記憶を掘り起こすより早く、よつきが口を開いた。確かにそんな名前だった。それにしても、よつきは自分たちを狙っている者に対してもさん付けらしい。面白い。
するとネオンがむっとしたように眉根を寄せ、こちらを睨みつけてきた。
「どうしてオレが省略されてるんだよ! ネオンだネオン!」
「え? だってわたくしは、あなたと同じ顔と思われるシークレット先輩の一人を知らなくて」
何故か申し訳なさそうに弁明するよつきへと、シンは一瞥をくれた。敵に対しても礼を欠かない性格なのか。ラフトが反応しないのは、おそらくシークレットの誰とも顔を合わせていないからだろう。話にしか聞いていないに違いない。
だがそれより何より、シンには気になることがあった。腕組みするネオン、そして不機嫌そうなアースと笑顔のレーナを、彼は順繰り見る。
「どうしてオレたちのことがわかった?」
狙われないように気を隠していたはずなのだ。それなのに突然襲われたのは何故だろう? そもそもここはどこなのか?
疑問ばかりが胸の内で渦巻いていく。するとレーナはその質問を待ってたとばかりにくすりと笑い、頭を傾けた。
「こんな時間に集まっている、気が全く感じられない人間がいたら、それは神技隊だろう」
なるほど、たまたま気が全く感じられない人間を見つけたので神技隊だと推測したということか。しかし本当に「たまたま」見つかってしまったのか? あまりにタイミングがよすぎではないだろうか。
シンが奥歯を噛んでいると、ついでよつきの声が白い空間に響いた。
「ここは一体何なんですか!?」
「これは亜空間だ。だからいくら技を使っても一般人や建物には被害が出ない。騒ぎにもならない。絶好の場所だと思わないか?」
一歩踏み出したよつきを見て、レーナはまた悪戯っぽく笑う。まるでシンたちの事情がわかっているかのようだ。全てが見透かされているわけではないはずなのに、そう錯覚させる眼差しにどきりとする。
シンは固唾を呑んだ。亜空間というのは聞いたことがある。安定して存在することのできない小さな閉鎖空間のことだ。それを一時的にとはいえ安定化させる技術を持っているのは、ごく一握りの人間だと聞いている。
「亜空間……」
よつきは呆然としていた。その単語だけで、彼女の技使いとしての力は想像できる。もちろん、実戦でも強いかどうかまではわからないが。
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