第13話

 数度瞬きを繰り返すと、光でぼやけていた視界が少しずつ鮮明になっていった。いや、目はすぐに元通りになっていたのかもしれない。

 そうと気づかなかったのは、周囲の景色ががらりと変わっていたせいだ。それを景色と読んでいいのかすらわからない。特別車はもちろんのこと、座っていたはずの椅子も、テーブルも、広場もなくなっていた。ただひたすら白い空間が広がっているばかりだ。

「ど、どうなってるんでぇーすか」

 幸か不幸か、そこにはアサキもいた。青葉と同じく妙な目眩に襲われていたようだ。目を白黒させながら、定まらない視線を辺りへと彷徨わせていた。尋ねてくる声には戸惑いの色が溢れている。

「オレも聞きたいくらいだよ。一体、何が起こってるんだ――」

「やったー! 成功だね!」

 青葉のぼやきは、上空から降り注いだ歓声によって遮られた。彼は顔を上げるよりも早く、直感で後方へと飛び退る。

 動揺するアサキの叫び声に、聞き覚えのある陽気な笑い声が重なった。片膝をついて着地した青葉の瞳に映ったのは、対峙するようとアサキの姿――否、イレイとアサキの姿だ。

「よう? でぇーすか……?」

「違うよ、僕はイレイ!」

 喫驚するアサキに向かって、イレイは唇を尖らせる。くすんだ金の髪を揺らし、つぶらな茶色い瞳をめいっぱい見開く様子は、どう考えてもようと同じだ。

 そっくりという一言で済ませたくはない。年の頃も体格も表情も気も同じなんてことがあり得るのだろうか? 立ち上がった青葉は息を呑んだ。いまだに信じがたい。

「おいおいイレイ、先走るなって」

「まったく、イレイはせっかちだなあ」

 続けて、何もないはずの白い空から男女が姿を現した。二人はアサキたちから少し距離を取ったところに舞い降りる。

 女の方は先日も姿を見せた梅花そっくりの少女――レーナだ。男の方の名は知らないが、容姿はアサキそっくりである。思わず青葉はその男とアサキの姿を見比べた。

 髪はアサキの方が長いが、違いはそれくらいか。艶のある黒い髪も端整な顔立ちも同じだ。その分、男が手にした細身の剣が目立つ。

「アサキと、同じでぇーす」

 呆然とアサキは立ち尽くしている。だが驚いているのは相手の男の方も同様のようで、複雑そうな顔をしていた。耳の裏を掻きながらたたずむ男の横へと走り寄り、イレイが軽快に飛び跳ねる。

「うわ、本当にそっくりだね! カイキが二人!」

「話には聞いてたけど、こうやって顔を合わせると気味が悪いなー。しかもなんか変な喋り方だし」

 アサキそっくりの男の名前はカイキというらしい。青葉は三人の様子をうかがいながら、少しずつアサキの方へと寄っていった。

 今日来ているのはこの三人だけなのだろうか? 今のところそれ以外の気は感じられないが、注意は必要だ。狼狽えるアサキの横に並び、青葉はおもむろに口を開いた。

「おい、これは一体どういうつもりだ?」

 怒気を込めた声音で問いただすと、イレイたちの視線が一斉に青葉へと向けられた。仲間と同じ顔で見つめられるというのは奇妙な心地だ。

 それはどうもあちらも同じらしく、イレイとカイキの眉根が寄せられる。気からも困惑が読み取れた。ただ一人レーナだけは微笑を絶やさず、余裕を滲ませながら小首を傾げる。

「どうもこうも、あの場では技が使えないだろう? だからちょっと亜空間を利用してみようと思ってな。成功してよかった」

 梅花と同じ顔でそんな風に微笑みかけないで欲しい。この場でそんなことを考えるのは不謹慎なのだが、青葉は心底そう願った。どうにも落ち着かなくて、つい視線を逸らしたくなってしまう。

 その誘惑に必死に耐えていると、レーナは右の人差し指を立てた。

「この亜空間なら誰の目にも触れないし、被害も出ない。便利だろう?」

 レーナの言葉を受けて、イレイが「さっすがレーナ!」と喜びの声を上げる。目眩を覚えたのは、亜空間に引きずり込まれたからなのか。そんなことができるとは、やはり彼女はただ者ではない。

 青葉の背筋は冷えた。亜空間を利用することができるという知識はあったが、実際に作り出しているところなど見たことがない。

 青葉が絶句していると、待ちきれないとばかりにイレイがまた跳ねた。踊るように両手を振り上げ、笑顔を振りまく。

「つまりっ、ここなら思いっきり暴れてもいいんだよねっ!」

「ああ、そのために作ったんだ」

「じゃあレーナは亜空間の維持に集中していてよー。僕とカイキでやっちゃうからさっ」

 先ほどから黙りこくったままであったカイキも、イレイの言葉に大きく頷いた。アサキが体を強ばらせたのが、青葉には伝わってくる。

 今までは何とか戦闘を逃れていたが、今日はそうもいかないようだ。彼ら相手に上手く戦えるだろうか?

「本当にいいのか? アースのオリジナルがいるんだぞ?」

「心配するなってレーナ。アースじゃあないんだし」

「そうそう!」

 アースのオリジナルというのが青葉を指していることは、すぐにわかった。オリジナルというのがどういう意味かはわからないが、ちらりと向けられた視線から間違いないだろう。彼らの言い草から判断すると、どうもアースは強いらしい。

 カイキたちに舐められたのは癪だったが、レーナと戦わずにすみそうなのは幸いだった。やりにくいにもほどがある。

 カイキたちを睨みつけながら、青葉はいつでも技が使えるようにと精神を集中させた。アサキも気を取り直したらしく、横で構えを取る。

「そこまで言うなら了解した」

 レーナが頷くのと、カイキとイレイが動き出すのはほぼ同時だった。青葉へと向かってきたのはカイキの方だ。さすがに自分と同じ顔は相手にしたくないらしい。

 跳躍したカイキは細身の剣を携えている。もちろん、青葉は武器など持っていない。小さく舌打ちしてから、青葉は右手に炎の刃を生み出した。かすかに揺らめく不定の剣から、熱気が伝わってくる。彼はそれを前方へと押し出した。

 耳障りな音がした。鈍く煌めく刃を、赤い炎の剣が受け止めた。ただの剣であれば、技で生み出されたものに対抗できるわけがない。どうやらカイキが持っているのは技使い用に特化した特殊な武器らしい。

 青葉はそのまま刃を横に払うようにして、ついで左手にも不定の刃を生み出した。

「ちっ!」

 顔をしかめたカイキは身を捻り後退する。いつでも二刀流にできるのが技で生み出した剣で戦う利点だ。その分『精神』を消費するのが問題なのだが、長期戦に持ち込むつもりもないので躊躇いはしない。

 着地して構えたカイキへと、青葉は左手を伸ばした。

「なっ――」

 剣の形を取っていた炎が、球となってカイキへと放たれる。カイキの目に焦りが見えた。剣だけで戦うだろうと、どうやら決めつけていたらしい。

 慌てたカイキの生み出した結界が、炎球を弾く。霧散した赤い光を追いかけるように、青葉は右手の炎の刃を振るった。

 再度、カイキは結界を生み出す。透明な膜の上で押しとどめられた炎の刃が、甲高い悲鳴を上げた。技と技がぶつかり合った際に特有の共鳴音だ。

 青葉は力任せに行くことを諦め、不定の剣をばね代わりに飛び上がった。風を纏い空中へと浮き上がったところで、アサキの様子を視界に入れる。

 アサキは決して弱くはないはずだ。それでも仲間と同じ顔を相手するのはやはり戸惑いがあるらしく、イレイに押され気味だった。逆にイレイは戦えることがよほど嬉しいらしく、動きが軽快だ。

 青葉は奥歯を噛んで、カイキへと視線を戻した。空中戦は苦手なのか、苦々しげな顔をしたカイキが追いかけてくる様子はない。結界を張ったままなのは、また炎球が放たれるのを警戒してだろうか。

「それじゃあ期待に応えてやるか」

 久しぶりに技を使って戦えることに、どうやら気持ちは高揚しているらしい。そのことを自覚しつつ、青葉はカイキ目掛けて炎球を複数放った。そしてそれらを追いかけるように急降下する。

 身を守る術として便利な結界も、近接からの攻撃には弱い。カイキは顔を引き攣らせて、結界を張ったまま後ろへと跳躍した。

「逃がすかよ」

 青葉の口角が上がる。白い地面に落ちた炎球が煙を上げる中、着地した青葉は間髪入れずに地を蹴り上げた。足に掛かる負担は風の技が軽減してくれている。

 そのままの勢いを利用して、彼はカイキへと炎の剣を突き出した。透明な膜の中央へと、赤い刃が突き刺さる。

「カイキ!」

 後ろからイレイらしき声が聞こえる。光を増す赤い刃に耐えきれず、結界は霧散した。咄嗟に体を捻ったカイキの上着を炎が舐める。

 布の焼ける嫌な臭いにもかまわず、青葉はそのまま刃を右へ薙ぎ払った。耳障りな音が鼓膜を叩く。

 カイキはかろうじて炎の刃を剣で受け止めていた。いや、その勢いを殺すことができずに吹っ飛ばされ、白い地面を転がった。

 再び後方からイレイの叫び声が響く。青葉はさらに跳躍すると、剣を振りかざした。

 けれども、刃がカイキに届くことはなかった。捉えると思った瞬間、硬い結界に弾かれた剣先がぐにゃりと歪む。同時に目の前に生まれた強烈な光が瞼を焼いた。

 特に根拠もなく、青葉は左へ体を捻った。すぐ横を鋭い気配が通り過ぎていき、喉の奥が震える。視界はまだ戻らない。彼は慌てて結界を身に纏わせた。アサキの叫び声がくぐもって聞こえる。

 強烈な気が近づくのを感じて、青葉は構えていた剣を前方へと放り投げた。技――おそらくは結界に弾かれた音がして、カイキの引き攣った声が続く。

 そこでようやく視界に色が戻り始めた。ひたすら白だけの世界だったところに、人の姿が浮かび上がってくる。

「レーナ」

 その名を青葉は呟いた。片膝をついたカイキの横で構えていたのは小柄な少女だった。左手に収束していく気の流れには、結界の名残が感じられる。

 右手には白色の不定の刃が握られていた。水系? いや氷系の技か? 角度によって白から薄青へと変化するその色合いが見慣れない。

 青葉の剣を防いだのは彼女の結界だろう。カイキの顔色を見て、青葉はそう判断した。一本に結わえられた髪が揺れる様が、今し方まで彼女が動いていたことを物語っている。額に巻かれた白い布の端がひらりと舞い、彼女の肩に乗った。

「青葉!」

 今度は背後からアサキの声が聞こえた。だが青葉は振り返らなかった。目の前にいる二人から視線を逸らすことは危険だと思えた。気を抜いたら何を仕掛けられるかわからない。背筋を冷たい汗が伝っていく。

「悪い。レーナ、助かった」

「もう少ししっかりして欲しいところだな。そんなにあの顔が怖いか」

 安堵を滲ませながら謝るカイキに、レーナは微苦笑混じりの言葉を投げかける。「あの顔」というのが自分の顔を指していることを察して、青葉は例えようのない気分を味わった。それはどういう意味だろう。

「本当に悪い。やっぱりあの目で睨まれるのは……」

 カイキはゆっくり立ち上がりながらへらへらと笑った。どうやらこの顔で睨まれるのが苦手らしいと気づき、青葉は先日のアースの様子を思い返す。

 自分と同じ容姿であるはずなのに、不機嫌を体現したような男だった。そして実に威圧的だった。つまり、あの眼光を思い出してしまい動きが鈍ったということなのか。それはそれで複雑な心境になる。

「おいおい、後でアースに言いつけるぞ? まあいい。亜空間の方は心配なさそうだし、われが代わりにやろう」

 そう告げてレーナは笑った。慌てたように手を伸ばすカイキなど意に介さず、彼女の眼差しが青葉へと向けられた。

 いや、そう思った次の瞬間には、飛ぶように距離を詰めてきた。

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