第9話

「最近暴れ足りなくてさー。ごめんねレーナ」

「今度からは気をつけてくれよ。今は間一髪、結界を張れたからよかったが」

「さっすがレーナ!」

 イレイは満面の笑みで両手を振り上げた。少女の名前は、どうやらレーナというらしい。

 青葉はその背中を凝視した。まさかという思いがある一方で、ミツバの証言を思い出して納得している自分もいる。青葉とようそっくりの青年がいるのならば、梅花と同じ顔をした少女が現れても不思議ではない。

「レーナ、お前はしばらく休んでいろと言ったはずだが。見張っていたな?」

 地面に突き刺さっていた刃を引き抜き、アースが問いかける。怒気が滲んだ、それでいてどこか気遣いにも似た響きが含まれている声に思えるのは、青葉の気のせいだろうか?

 そんなアースから、レーナはわずかに距離を取る。その拍子に、ようやく青葉からも彼女の顔が見えた。微苦笑を浮かべた横顔は、やはり想像した通りのものだった。梅花と瓜二つだ。

「見張っていたなんて、人聞きが悪いなアース。休んではいたよ? 気になったから見守っていただけだ」

「それは休んでいるうちに入らんだろう」

 呆れたアースの視線から逃れるためか、レーナは青葉の方へと向き直った。白い頬を縁取る長めの前髪が、さらりと揺れる。

 さらに青葉の鼓動が跳ねた。梅花と同じ顔で見慣れない挑戦的な視線を向けられると、瞠目するしかない。彼女は余裕溢れる不敵な笑みのまま、やおら口を開いた。

「挨拶が遅れて申し訳ない、神技隊」

 あえて低く抑えたと思われる声が辺りに響いた。表情でこうも印象が変わるのだなと、事態とは関係ないところで青葉は感心する。

 確かにミツバの言っていた通り、そこら辺を歩いていそうにはない。額に巻かれた白い布が特に風変わりに映る。そして何より眼差しの力強さが印象的だ。不機嫌そうなアースの横でも、彼女は動揺一つ見せなかった。

「われの名はレーナという。以後お見知りおきを」

「僕はイレイだよ!」

 余裕綽々、朗らかに微笑んでみせたレーナの隣で、イレイが片手を挙げた。正直、名前だけならすぐに把握できていたのでどうでもいい。それよりも気になるのは彼らの正体だ。何故青葉たちと同じ顔をしているのか?

「ほらほら、アースもー」

「名前なら散々お前たちが呼んでいたのだからいいだろう」

 イレイに促されたアースは、手にしていた剣の先へと一瞥をくれた。その間に、ようとサイゾウがいそいそと青葉の方へ近づいてくる。青葉はレーナたちを睨み付けながら、周囲に張られたという結界へ精神を集中させてみた。

 確かに、いつの間にやら結界が張られている。規模としてはさほど大きくないが、注意しなければわからないほど『薄い』結界だ。技としての気配がほんのわずかしか感じられない。

 その精度の高さには感服した。そんな能力まで『同じ』だというのか?

「お前ら、一体何者だ」

「たった今名乗っただろう?」

「そういう意味じゃあない」

 青葉は声を絞り出す。応えたレーナも意図は理解しているらしく、悪戯っぽく笑っていた。厄介な相手であることを彼は悟る。もし本当に『同じ』なら、頭だってよく回るはずだ。気から感情を察知することも得意だろう。

「そんな顔をするな。問われて簡単に答えるとも思っていないだろう?」

 ほらこの通りだと、青葉は歯噛みする。まるで全てが見抜かれているかのようだ。居心地の悪さを覚えてつい視線を逸らしたくなる。

 真後ろまでやってきたサイゾウとようを、青葉はちらりとうかがった。二人ともこの状況についていけないようで、困惑した顔をしている。

「ねえねえレーナ。結界あるなら暴れちゃ駄目ー?」

 すると期待の色を瞳に浮かべて、イレイが疑問を投げかけた。まるでようが食べ物をおねだりする様子を見ている気分だった。ただし、内容が内容なのでそんなに可愛らしいものではない。

 レーナはわずかに頭を傾けると、イレイを一瞬だけ見やった。

「結界は、あくまで結界だ。進入を拒むだけ。全ての痕跡をなくすわけじゃない。暴れるにしても限度がある」

「えー」

「やりたいなら、もっと下準備が必要だってことさ。今日は我慢してもらおうかな」

「はーい」

 行儀正しくイレイは返事をした。その反応に、レーナは満足そうに頷く。にこやかな笑みを浮かべたまま、彼女は周囲へと視線を巡らせた。

 普段、梅花から微笑みかけられることがないだけに、青葉は不思議な感覚に陥った。幻とまではいかないが、見てはいけないものを見ているような心地とでも言うべきか。

 しかしそう呑気なことを考えてもいられない。アースの鋭い視線に射貫かれて、青葉は喉を鳴らした。

「では、もう今日はいいだろう。あいつらにこれ以上情報をくれてやる必要はない」

 アースは吐き捨てるようにそう告げると、レーナの腕を掴んだ。即座にイレイが「はーい」とまた元気よく返事をする。レーナは捕らわれた手へちらりと目を向けたが、そこには文句を付けず、アースの方へと向き直った。

「そうだな。人が集まっても困るしな」

 首を縦に振ったレーナは、再び肩越しに青葉たちの方を振り返った。妖艶と表現したくなるような眼差しに、青葉は思わず固唾を呑む。黒い瞳の奥には何かが潜んでいるはずなのに、一切読み取れない。

「それでは今日はこの辺で失礼する。オリジナルによろしくな」

 レーナの薄い唇から、滑らかに挨拶の言葉が飛び出した。「よろしくー」と続けたイレイの声が、場違いなほど呑気に響く。

 アースは何か言いたげにしていたが、結局口を開かなかった。その前に、異変が生じた。彼女があいている方の腕を掲げたことで、即座に結界が解かれる。

 それとほぼ同時に、青葉の視界は白く染まった。思わず目を瞑ると、瞼の裏で赤や黄色の目映い光が明滅する。

 しまったと思ったのは、三人の気が感じ取れなくなった瞬間だった。青葉は慌てて薄目で辺りを確認するが、既にアースたちの姿は見あたらなかった。瞳を瞬かせて首を巡らせども、どこにもいない。

 まるで全てが夢だったかのようだ。しかしイレイの放った光弾が落ちた辺りはくぼんでいるし、そこから焦げた臭いも漂っている。間違いなく現実だ。

「くそっ、逃げられたな」

 少しずつ視界が戻りつつある中で、サイゾウが舌打ちする。ようも顔を曇らせている。

 青葉は前髪を掻き上げ額を押さえると、盛大にため息を吐いた。厄介なことになった。一つの謎が解けたというのに、それはさらなる謎を引き連れてきてしまった。頭が痛い。

「これで梅花が勘違いで襲われた原因がわかったな。奴らのせいだ。きっとあのレーナとかいう奴が、ダン先輩とミツバ先輩を襲ったんだろう。でも、それじゃあ、あいつらは一体何者なんだか」

 どうして自分たちと同じ姿をしているのか? 技を使えるところも一緒らしい。考えても答えが出ないばかりか、ますます混乱しそうだ。

 青葉は奥歯を噛んだ。これは帰ってすぐに梅花たちに伝えなければならないだろう。――そして、上に報告しなければ。

「あのイレイとかいう奴、本当にようと同じだったよな。無邪気そうなところまで」

「えー僕ってあんな感じ? そうなの?」

「梅花におやつのおねだりしてるところと、そっくりだろ。返事も同じ」

 この事実をどうやって梅花に伝えよう。青葉がそう悩んでいると、後ろでサイゾウとようが呑気な言葉を交わし始める。ほっとしたのか口調もふざけたものだ。それとも、単に現実を拒絶しているだけなのか?

「そうかなー」

「自覚ないのかよ。表情も同じだもんなー」

「そんなこと言って。サイゾウのそっくりさんだっているかもよ?」

「そりゃ会いたくないな。絶対むかつくにきまってる。最悪だ」

 青葉はもう一度大きく嘆息した。サイゾウたちの言う通り、偽物はあの三人だけとは限らなかった。サイゾウやアサキと瓜二つの人間が出てきても驚きはしない。いや、見たらきっと喫驚するが。

「とりあえず、帰ってすぐに梅花に報告だな」

 沈みつつある夕陽へと視線を転じて、青葉はうんざりとした気持ちでそう告げた。早くも気が重い。去り際に見たアースの眼差しを思い出すと、さらに複雑な心地にもなる。

 誰からともなく、青葉たちは歩き出した。サイゾウとようは、それからしばらくは謎の三人組について話を咲かせていた。しかし段々と声の調子が落ち、言葉数も減っていった。しまいには沈黙が広がる。

 徐々に夕闇が色濃くなる中、彼らはスーパーへと向かうことにした。まだ買い物が残っている。

 いつものように特売品を狙う気持ちにはなれないなと、青葉は胸中で独りごちた。ともすれば思考は先ほどの戦闘へと立ち戻る。アースの双眸が何度も脳裏をちらついた。自分もあんな顔をしている時があるのだろうか?

 だが幸か不幸か、物思いに沈んでいられるのも一時のことだった。

 公園の出入り口まで辿り着いたところで、睨みつけていた地面の先に何者かの足が立ちはだかる。二人分――男と女のものだ。やむを得ず立ち止まった青葉は顔を上げた。

「……え?」

 目の前にたたずんでいたのは背の高い茶髪の男と、鞄を抱えた黒髪の女性だ。二人の視線は確実に青葉たちへと向けられている。

 一歩後ろで足を止めたサイゾウとようは首を傾げているらしかった。二人の気が「誰だ?」と疑問を投げかけている。だが青葉が驚いたのは邪魔をされたからではない。男の方には見覚えがあった。

「シンにい?」

 呆然とした呟きが青葉の唇からこぼれる。何度か瞬きを繰り返しながら、目の前の男――シンが、気を隠している事実に首を捻った。

 だからこんなに近づくまで気づかなかったのか。それにしても何故シンがここにいるのだろうか。

「久しぶりだな、青葉」

「ああ、久しぶり。それで、またどうしてここに?」

「さっき戦闘の気配がなかったか?」

 シンは薄い微笑を浮かべながら辺りを見回した。自分よりもやや上にあるその双眸を、青葉はぼんやりと見上げる。

 穏やかさと真面目さが共存した、相変わらずの顔立ちだ。堅苦しくはないが清潔感のある服装がまたよく似合っている。無世界でもそんなところは変わらないのかと、青葉は妙なところで感心した。神魔世界で最後に会ったのはいつだろう? 記憶が曖昧だ。

「青葉、知り合いか?」

「ねえねえ青葉、誰? 紹介してよー」

 青葉が黙り込んでいると、サイゾウとようが口々に問いかけてきた。敵ではないと判断したためか、声に安堵が滲み出ている。青葉は一つ咳払いすると、適当な言葉を探した。

「シンにいは、オレがヤマトにいた頃の知り合い。それで第十七隊スピリットのリーダー。つまりオレたちよりちょうど一年前に派遣されたってことになるな」

 そう青葉は説明しながら、シンの隣にいる女性へも目を向けた。朗らかな笑みを浮かべている女性は、梅花よりは年上だろうか。黒い瞳に肩を過ぎるくらいの黒髪は、無世界でも珍しくない容姿だ。

 それでもこうしてシンと並んでいる姿を見ると、無世界人とは違う何かを纏っているように感じられる。どの辺がと問われるとうまく説明できないが。

「あ、私? 私はリン。同じく第十七隊スピリットの一員よ」

 どうやら青葉の視線に気がついたようで、女性――リンはすぐさま自己紹介をした。察しがいい。彼女はそれから周囲を見回し、「場所を変えましょう」と付け加える。

 確かに、出入り口で立ち話というのも迷惑だろう。制服姿の学生たちの「邪魔だ」と言わんばかりの不快な気も感じ取れる。

 青葉たちは顔を見合わせ、踵を返した。そして公園の隅の方へと移動する。大きな木の下だ。ようはすかさずベンチを見つけて、誰よりも早くどっかりと座った。

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