第2話
「え? 本当に?」
「四年も前の話ですし、あちらが覚えてるかどうかは知りませんが」
「えーそれじゃあ証拠にならないよ」
「そうですね」
顔をしかめているミツバに対して、梅花は淡々と答えている。相変わらずの愛想のなさだと、青葉は胸中で苦笑した。
そんな風だから余計に誤解を招きやすいのだ。冷静沈着無表情であることが、いつもよい結果を導くとは限らない。印象の影響力は大きい。
「そうですねって、君さあ」
「客観的にはそう判断されるでしょう」
せめて少しでも微笑んでみせたらいいのにと、青葉も思わないわけではない。そうでなくとも身元を証明する物がない以上、信用してもらうのは難しい。
青葉とて、目の前にいるこの二人が本当に神技隊なのか、いまだ信じがたい気持ちだった。「梅花がそう言うのだから間違いはないだろう」と思えなかったら、違法者として扱っていたかもしれない。
「ダンはどう思う?」
「さっきの奴はやたらと笑顔だったから別人じゃないか? っていたた……」
「もう、またそんな根拠に乏しいことを」
呻くダンを、困惑顔のミツバが支え直す。堂々めぐりのような気がしてきて、青葉は頭痛を覚えた。神魔世界へのゲートにでも案内すれば信じてもらえるだろうか? しかしおとなしく一緒に来てくれるかどうかもわからない。
そんな風にあれこれ青葉が考えていると、ダンの肩を掴みながらミツバが立ち上がった。
「……まあ、今は僕たちを攻撃する気はないみたいだよね」
「そもそも、そんなつもりはないですから。公で技を使うことは禁じられていますし」
「さっきは使ってきたのに?」
「だからそれは違う人です」
同じやりとりを繰り返してきたのだろう、梅花はややうんざりとした声音で対応する。表情だけは変わらないが。
青葉も何か答えなければと思ったが、喧嘩腰な文句しか浮かんでこなかったので止めた。火に油を注ぐだけだ。梅花は言葉を重ねることに疲れたのか、それきり黙り込んでいる。
「なあミツバ、もう戻ろうぜ。オレはこんなだから戦わずにすむなら好都合だ」
沈黙が広がりそうになる中、へらへらと笑ったダンが左手をひらひらとさせた。長い前髪を邪魔そうに除けてから、彼はミツバの頭を叩く。
小気味よい音がすると同時に、ミツバは思い切り眉根を寄せた。しかし不平を口にすることなく、ため息一つ吐いてから青葉たちへと向き直る。
「そうだね。ダンにしては賢い選択じゃないかな」
軽口を叩いたミツバの目は、笑っていなかった。不審の色がうかがえる。青葉は喉元まで出かけた言葉を、すんでのところで飲み込んだ。腹の底からふつふつと怒りがわき上がってくるのを自覚しつつ、堪える。
そろそろ他の仲間たちが異変に気がついてもおかしくなかった。騒ぎが大きくなり人目につく前に、一旦両者とも引いて頭を冷やした方がいいだろう。
青葉は黙って梅花の手を引く。すると、踵を返そうとしたミツバが不意に尋ねてきた。
「ところで、名前を教えてくれる? 僕らだけ知られたままって不公平でしょう」
「梅花です」
「――青葉」
躊躇うことなく即答した梅花に、渋々と青葉も続いた。勝手に勘違いして襲ってきたのだから、不公平も何もないと思うのだが。しかし再び言い争いになっても仕方ないので、ここは黙っておく。
ミツバは何度か名前を小声で繰り返してから、大きく首を縦に振った。
「わかった。一応、こっちのリーダーに確認を取ってみる。君たちに誠意があるなら、朝日が昇った時にここで落ち合おうよ。話はそれからってことで」
「私はかまいません」
梅花は平静な様子で頷いたが、青葉は思わず顔を強ばらせた。「誠意があるなら」という言い様は高圧的だ。よほど信用がないらしい。
それでもおとなしく引き下がろうとしているのは、実力だけは認めてもらったと解釈してもいいだろうか。嬉しいことではない。
「じゃあなー」
黙って背を向けたミツバの横で、にやにや笑ったダンが左手を振った。どっと疲れを覚えた青葉は、苦笑を保つだけで精一杯だった。
ダンとミツバの姿が見えなくなると、青葉たちもひとまず仲間たちのもとへ帰ることにした。「あいつらがこっち来る前に戻ろう」と提案すれば、梅花は表情を変えずに「そうね」と答える。
声に感情は滲み出ていない。悲嘆も安堵も読み取れない。
しかも、梅花からそれ以上の発言はなかった。よくわからない今回の件について、感想を漏らすことすらしない。
先に歩き出した彼女の背中を見つめて、青葉は瞳をすがめた。長い黒髪が風に煽られると、薄汚れてしまったコートの背が目に入る。壁にぶつかった際に擦れたのだろう。妙に痛々しい。
帰り道の沈黙が、青葉は苦手だった。梅花から話しかけてくることは滅多にないので自分から話題を提供するしかないのだが、今日は口を開けば文句しか出てこないだろう。
彼女がそうするならばともかく、彼だけが憤っている場合は醒めた目を向けられるだけなのが常だ。それでは居心地の悪さを払拭できないと、彼は仕方なく押し黙る。
しかしそうしていられるのも、しばらくの間だけだった。次々と湧き出る疑問が胸中を渦巻き、苛立ちばかりが募ってくる。
これでは全て『気』で梅花にも伝わってしまう。不機嫌な気を隠すのが、青葉は苦手だった。我慢することを諦めた彼は、路地を抜け出し人通りが出てきたところで意を決する。
「どうして一人で出てったんだよ」
色々と考えた末、結局口にしたのは文句だ。青葉は大股に歩いて、斜め前を歩いていた梅花に並ぶ。
乾いた路面を見つめていた彼女はゆっくり顔を上げた。表情が乏しいのは相変わらずだが、近づくとやや疲れて見えるのは気のせいではないだろう。頬へとかかっていた長い髪を背へ流し、彼女はほんの少し眉根を寄せた。
「どうしてって、みんな仲良く寝てたから」
「起こせばいいだろ」
「寝不足でしょう? 早朝のあの騒動だったもの。それに、まさか技を使おうとする神技隊に狙われるとは思わなかったし。様子見だったのよ」
梅花は青葉へと一瞥をくれ、一つ息を吐いた。確かに、強い気があるから念のため確かめに行ったらその主が神技隊で、しかも技を使って攻撃してこようとするなんて状況は想定外だ。普通はあり得ない。
それは彼にも理解できるのだが、もう少し頼りにしてくれてもいいだろうという気持ちは消えてくれなかった。
「様子見だからって、一人で勝手に行くなよ。せめて伝えてから行けよ」
一人で判断して一人で行動するのは梅花の悪い癖だ。青葉たちが神技隊としてこの無世界に派遣されてから一年になるが、いまだ改善される気配はなかった。
おそらく何故怒られているのかも、何故駄目なのかもよく理解していない。そうでなければ、「何かあったら連絡するからいいじゃない」なんて言葉が何度も出てくるはずがない。
「そうね、今度からそうするわ」
けれども今回の件ばかりはさすがに応えたのか、梅花は素直に頷いた。意外に思って青葉が瞠目すると、既に彼女の視線は前へと向けられている。建物の隙間から見える陽を見つめて、彼女は数度相槌を打った。
「技を使っての騒動なんてことになったら取り返しがつかないものね。大したことがないと高をくくっていたら駄目ね。何かあった時にはすぐに動けるようにしておかないと」
いや、やっぱりわかっていなかった。「何故駄目なのか」は理解していなかった。落胆した青葉は、思わず右手で短い髪を掻きむしる。彼女の怪訝そうな視線を感じ取ったが、止めることは無理そうだった。
「青葉?」
「いやいやいや、そうじゃない。もちろん、そんな騒動になんてなったら大問題だ。まずい。でもな、そうじゃなくてもさ、お前に何かあったらどうするんだよ」
絞り出した声には、青葉自身も意識できるくらいに怒気が滲んでいた。
何度口にしたら気が済むのだろう? 彼は額を抑えたまま、ちらりと梅花を横目でうかがう。歩きながら不思議そうに首を傾げている様を確認して、彼は胸中で盛大なため息を吐いた。これはやはり通じていない。
「死なない限り『上』とは連絡取れるし大丈夫よ。これくらいの怪我だったら、後でこっそり技で治せるし」
彼女は一瞬だけ自分の背中の方を見やる。
技を公で使うことは禁じられているが、気づかれないよう使用することは可能だ。傷を治すような治癒の技であれば、人目につかないようにするのは簡単だった。だが、彼が問題としているのはそこではない。
「ああ、もういい」
青葉は歩調を速めつつ、首の後ろを掻いた。わかってもらおうと言葉を重ねることにはもう疲れていた。この半年ほど挑戦し続けてきたが、結果はこの通りである。
自分を心配する人間などいないという強固な思い込みは、もはや呪縛のようだ。
それにもうすぐ仲間が待つ『特別車』へと辿り着く。剣呑な空気を漂わせたまま仲間と会っても仕方がない。ただし、三人ともまだ眠っていたら怒鳴りつけてやろうとだけ決意して、青葉は足早に進んだ。
アスファルトを蹴り上げる足裏の感触が不快だ。神魔世界にはなかったこの独特の固い感触が、こういう時には苛立ちを加速させる。
ベンチと広場と林で構成されている公園の隅に、『特別車』は駐めてあった。
ほとんど何一つ持たされずに派遣される神技隊としては例外的に、上から支給された車だ。本来の用途は不明だが、亜空間を利用した技術が使われている優れものだった。
今はその特別車の前に小さな白いテーブルが一つ、椅子が四つ出されている。その椅子に腰掛けている仲間二人は、実にのんびりとした様子だった。
「アサキ! よう!」
青葉は二人へと向かって小走りで近寄った。名前を呼ばれたうちの一人、小太りで金髪の青年――ようが、ゆっくりと振り返る。のほほんとした笑みを浮かべたようは、気楽な様子で手を振ってきた。
「あ、青葉だ。おかえりー」
「青葉、おかえりでぇーす。梅花はどうしまぁーした?」
ように続いて、黒髪の青年――アサキが尋ねてくる。この無世界では珍しい長髪の、やや風変わりな喋り方をする美青年だ。ただし中身は常識人なので、誰よりも話はしやすい。
青葉は肩越しに振り返り、急ぐこともなく近づいてくる梅花を指さした。
「梅花ならそこ、後ろ」
問われた真意が「事件があったのかどうか」だということには気づいていたが、あえて青葉はそこに触れなかった。気で居場所などすぐにわかるのは、アサキも同じだ。
青葉はそのまま空いている椅子の一つに座り込んだ。それと同時に両手を挙げたようが、喜びの声を上げる。
「あ、梅花! おかえりー! サイゾウは今ちょうど買い物に行ってるから」
梅花は周囲へと一瞥をくれてから「ただいま」と小さく返事をした。背中の痛みはもうないのか、動きにぎこちなさは見られない。いや、そう振る舞っているのか。
青葉はテーブルに頬杖をついて彼女の横顔を盗み見た。何を考えているのかよくわからないのは変わらずだ。
「梅花、何かあったんでぇーすか?」
同じように梅花を見たアサキが、顔をしかめた。特別車の方へと向かっていた梅花は、立ち止まってアサキの方を振り返る。その細い眉が訝しげにひそめられていた。何故気づいたのかと言わんばかりだ。
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