僕らの町に川は流れて

高村千里

第七作目

 友人、Aの話。

「お前は控えめなのが、良いところで悪いところだな」

 友人、Bの話。

「大学三年生にもなって、彼女がいないのはおかしい」

 友人、Cの話。

「この際、ボランティアでも始めてみれば?」

 大学三年生になった春、そんな経緯で、僕はボランティアを始めた。

 僕は首にタオルを巻いて、春の陽気にじんわりと汗を滲ませ、手にはゴミ袋と長いトングを持ちながら町を闊歩していた。僕の隣には三歳年上でボランティアの先輩でもある柳井さんがいた。目がつり上がっていて、他人を見る目がキツめなので、僕は少し苦手だなという印象の女性だった。目線をやるとちょうど、彼女が空き缶を拾ったところだった。空き缶をトングで挟み、

「ちょっと、袋開けて」と言った。

 僕は言われるがままに袋を開けた。カラン、と気持ちのいい音を立てて、袋の中で空き缶と空き缶がぶつかった。

「この町って、こんなにゴミ、多かったですかね」

 僕が思わず呟いた言葉に、柳井さんは気がついた様子だったが応じることはしなかった。

 想像通りの反応なので特に落ち込みもせず、僕はゴミを拾いながら町の風景を眺める。

 生まれ育った町だった。田舎だったが、都会を恋しく思わない程度には魅力的な町で、外の土地よりも時間がゆっくりと流れる。町の中心を、隣町の山から下ってきた川が貫く。川を中心にして人々が集い、雑草たちですら凜として葉を伸ばし花を咲かせる。

 僕が小学生くらいのとき、川にサンダルを履いて入り、川の生き物を観察した思い出がある。魚だけではない、小さな虫たちも、川の住人なのだと知った。初めて触れた世界は、幼い僕の興味をかき立てたものだ。

 だから、ボランティアを始めて驚いた。あの豊かだった川に、ゴミがいくつも浮いている様に。

 町の真ん中で川を見て、呆然としていた僕に、柳井さんが口を開いた。

「こんな川じゃ、子どもたちは入れないでしょうね」

 翌日僕は学校だった。都会の大学だったが自宅から通っているため、満員電車に揺られてふらふらしながら教室に向かうのがいつものことだった。朝、駅でトイレに寄った際にを見つけていた。僕は男の中でも細いほうだったし、全くタフではないので、昨日の疲れがまだ残っているんだろうと思った。

 教室に入るともう友人のAとCがいた。Bはいつも遅刻か、始業ギリギリに来る人なので、僕は遅刻、と胸の内で賭けてみた。

「で? ボランティアの成果はどうだったんだ」

 とCに訊ねられる。

「疲れたけど、参加して良かったよ。ゴミはゴミ袋いっぱいに集めたんだ」

 僕が答えると、AとCはそろって変な顔をした。僕がポカンとすると、Aが代表して口を開いた。

「ゴミ収集の成果じゃなくて、出会いの成果を訊いてるんだよ」

 僕はようやく本来の目的を思い出し、「ああ、」と得心した。AとCが、僕のほうに身を乗り出した。

「柳井さん……」と言いかけて、彼女の存在が、僕の喉元で引っかかる。

「いや、特になかったよ」

 柳井さんは、違うな、と何となく思ったのだ。僕よりも年上だし、第一彼女が僕と話したがらない。それに昨日、同じくボランティアに参加していた女の子に対してキツく当たっていた。ヘラヘラしていたとはいえ、女の子が少し不憫だった。

 思考しつつ、次のボランティアの予定をスマホで確認していると、僕の背後から声がした。

「じゃあ、もうボランティアやめれば?」

 友人のBだった。僕の賭けが外れた。彼の言葉を、僕は即座に否定した。

「ボランティアは、続けるよ」

 大学の講義が終わったのは午後二時ごろだった。僕は駅のホームで電車を待ちながら、Bの言葉をすぐに否定した僕自身を不思議に思っていた。

 僕の目的はあくまで、彼女となる人との“出会い”であって、ボランティアでゴミ拾いすることではない。

 結果出会いがなかった。だからやめても良かった。どうせ控えめな性格が直るわけじゃないだろう。それに僕は、柳井さんのような人が苦手だった。

 町のホームに、電車は滑り込むように進入して止まった。電車から一歩、足を踏み出して感じる斜陽の光の眩しさと、体のどこかしらが覚えているのと同じ匂いの風が僕を出迎えた。

 夕暮れの中を、自転車に乗って走る。夕日が川へ沈んでいく様子を眺めていたら、その夕日と川の境目に人影を見つけた。

 川にかかる古い橋を渡り、向こう岸まで行くと、僕は人影の正体を確信した。

「柳井さん、」と声をかけると、彼女は僕を振り返った。そのときに翻った柳井さんの長い、束ねていない黒髪を、思わず目で追っていた。一拍置いて、鼻孔に洗剤の香りが届く。

 僕は自転車から降りて彼女の隣に並ぶと、その場所からは川が遠くまで、広く見渡せた。

「ここ、よく来るんですか?」

 柳井さんは僕に頷いて、

「仕事帰りにね。小学生のときは、父と一緒に川遊びしてた」

 と言って、背中を丸めた。彼女の手にはタバコの吸い殻があった。目を伏せた彼女の表情が硬い。

「この町に、ゴミはこんなに多くなかった」

 彼女の言葉に、僕はやっぱりな、と思った。最も、この町にゴミが増えた事実を知ったのはつい最近のことだったが。

「生まれ育った町が汚れていくのは、本当嫌なものですね」

 幼いころから知り尽くした町の美しさが、心の真ん中できらめく。僕は目の前を流れる川に視線を移した。

 ゴミがいくつも浮かんでいる。昔はこの川に、たくさんの生き物がいた。子ども時代に感じた感動を、僕はずっと見ていたいと思ったんだろう、きっと。だからボランティアをやめない。Bの言葉をすぐに否定したのは、たぶん、僕の中でその思いが固まっていたからだ。

 僕は彼女の険呑な表情をほぐしたくて、

「僕らが頑張ってゴミ拾いを続ければ、きれいになりますよ」と言うが、柳井さんは表情を崩さずに、

「私はもう五年も続けているけど、町や川はきれいになってない。気安く言わないで」

 と一蹴されてしまった。しかし僕は、僕の決意を“気安い”と言われたのにカチンと来てしまって、柳井さんの両肩を掴んだ。喉元まで迫り上がっていた思いを、迸らせる。

「気安くなんかじゃないです。僕がここをきれいにしてみせます」


 十年後の友人、Aの話。

「お前結局、ボランティア繋がりで、町の職員になったんだっけ」

 友人、Bの話。

「彼女もいるんだっけ」

 友人、Cの話。

「いやいや、もう結婚するんだろ」

 僕は言う。

「そうだよ、ボランティアで出会ったんだ」

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僕らの町に川は流れて 高村千里 @senri421

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